第21話 柊義人と体たち
覚えのない記憶を蓄え続ける脳みそ。「世界一かわいい彼女」という、作り話にしても誇張が過ぎる話を言い始める口。それらに従って動く体。そのどれ一つにも俺の意志は反映されていない。
今ここにいるのは、本当に「柊義人」なんだろうか。
そんな悩みも露知らず、ネルシアは半壊の部屋の雰囲気にそぐわない、シックな木目調の扉を指さして驚きの声を上げた。
「あー! 直ってる!」
ベッドのバネを利用して勢いよく立ち上がったネルシアは、勝手口を塞ぐその扉に浮き足で近づいた。浮き足立っているのは、肩甲骨辺りに生えている小ぶりな羽によるものではなく、単純に家の一部が直っていることに喜んでいるだけだろう。
扉の前に立ったネルシアは、ペタペタと扉を触って確認し始めた。話の流れからして、ヘレナが吸い込まれたという扉と関係があると思うのが普通なのだろうが、それを考慮したそぶりは一切見せない。直ったことに喜びすぎだろ。
「あれ……?」
喜びに浸っていたのもつかの間。ネルシアはドアノブに手をかけて体重をかけたが、扉はうんともすんとも反応しなかった。引いても同様。それでも頑張って押したり引いたりしている姿を見て、少しだけ
そんな冷めた考えとは裏腹に、俺の口は
「これで……これで世界一かわいい彼女に会える!」
よろよろと立ち上がる体。胸元の傷口が
「待ってください。その扉が何なのかがまだ分かっていません。安静にして下さい」
「そうだよ。傷もまだ塞がってないんでしょ?」
コシュアとネルシアが口頭で止めに入る。が、もちろん俺の体は止まらない。ずんずんと歩いて、勝手口の扉の前に到着した。
「……どうしたの? なんか、おかしいよ」
「うるさい。集中するから黙ってろ」
ネルシアが今更ながら俺の異変を悟ったが、俺の口はその心配をぶっきらぼうに吐き捨てた。聖人君主と名高い俺らしからぬ発言だ。
その瞬間、首元にキュッと締まる感覚が襲った。
「そんな言い方ないんじゃない!? せっかく心配してあ・げ・たっていうのにさぁ!!」
「カッ……離、せ!!」
怒りに満ちたネルシアの両手に掴まれた首はきつく締めあげられ、足の甲は宙に浮いている。見た目はか弱い女の子だが、ネルシアは闇闘技場でそこそこの戦果をあげている戦闘狂なのだ。予想外の
血が頭に上っていないことが症状に出始めた時、コシュアが救済の一言を差し伸べてくれた。
「それ以上やったら死んじゃいますよ」
「……それもそっか」
パッと手を離したことによって、両の足が地面を掴み、体中に血液が勢いよくめぐり始めた。少しだけ頭が痛いが、特に口に出すほどでもないし、口に出す権限は今のところ俺にはない。
「はぁ……はぁ、まあいい……。今は扉を開けることが最優先だ。……おい、思い出せ。彼女との待ち合わせ場所だ」
俺の体は肩で息を切らしながら、俺の脳みそに呼びかける。もちろん俺には彼女との待ち合わせ場所なんてものは覚えがない。しかし、脳みそは体が望む記憶を見つけ出したようだ。
「そうだ……よくやった!」
ドアノブに手をかけて軽く力を込める。
「『テトラポットに寄り添うアジの干物像前』」
何言ってんだというツッコミを入れる暇は無かった。腕っぷしの強いネルシアが押しても微動だにしなかった扉が、ほんの少し押しただけで少しの抵抗もなく開いたのだ。
それから先はよく覚えていない。扉の隙間から荒れ狂った
「あ……?」
左右に並ぶのは俺の身長の倍ほどもある本棚。それがどこまでも続き、俺の目では果てを確認することができない。静脈血のように赤黒い
「どこなの……ここ?」
キョロキョロとネルシアが辺りを見回す。無理はない。ついさっきまでネルシア宅だったのに、一瞬にして別のところに飛ばされてしまったのだから。
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