第20話 我思う、しかし我なし

「ただいま~。あ、起きたんだね」


 両手に買い物袋を持ったちびっ子ネルシアが帰ってきた。玄関の扉をそっと開けたのは、怪我人への配慮ではなく、単に扉が外れかけているからだろう。


「おう、さっきな」

「良かったね。これで思う存分血が吸えるよ!」

「完治してからでいいか? ……っておい!」


 ネルシアは腕に飛びついておいしそうに血を吸い始めた。こっちの意向は完全に無視。蚊かよ。


 血に満足したのか、十秒足らずで手から小さな牙を離して、俺が寝ているベッドに腰掛けた。このベッドは普段はネルシアが使っているのだが、病人や怪我人が出た場合はその人に譲るという不文律が出来上がっている。


 そして、ネルシアはいつの間にかお姉さんモードになっていた。何度も見た光景だが、いまだにどういう仕組みなのか分からない。


「お前がここまで運んでくれたのか?」


 地下廊下からネルシア宅、夢遊病むゆうびょうにしては長すぎる距離だ。


「うん。急に君の血の匂いが強くなったから、何かあったのかと思って駆け付けたんだ」

「そっか。ネルシアがいなかったら出血多量で死んでたかもな」


「ふふっ」とネルシアが優しく笑う。いや、笑いどころじゃないんだけど。


「とりあえず無事でよかったよ。それでさ、何があったの?」


 そういえばそうだ。事情を知らないネルシアからしたら、何が起こったのかチンプンカンプンだろう。


 俺は事の顛末てんまつを出来る限り丁寧に話した。ヘレナが首を貫かれたこと。政府の奴らが殺人事件の犯人だったこと。ヘレナが呪われたこと。俺が胸を貫かれて死にかけたこと。


 話を続けているうちに、ネルシアの顔に段々と疑問の色が強く現れた。どうしたんだろうか。


「……私が見た時には、ヘレナちゃんいなかったけど?」

「?」


 あれ? そういえば、何で俺はこんなにも冷静に喋れているんだろうか。何で終わった事のように、地下廊下で起きた出来事を話せているんだ? ヘレナは? クロは? 俺は助かったけど、あいつらはどうなったんんだ?


 あまりにも遅すぎる不安と焦燥しょうそうに駆られる。過呼吸になりかけたが、胸の痛みが落ち着きを取り戻してくれる。しかし、口から出てきたのは、本心とは真逆の言葉だった。


「へぇ~、そうなんだ。別にどうでもいいよ。俺には世界一かわいい彼女がいるから」

「何言ってるの?」

『何言っているんですか?』


 ネルシアと同じ疑問を持ったコシュアが心の会話で参戦。俺だって何を言っているのか分からない。頭で考えていることと、口から出てくる言葉が全くリンクしないのだ。心の中でコシュアに助けを求める。


『助けてくれ! なんかおかしいんだよ!』

『これは……ドギースの針が刺さった時と似たようなことが起きていますね』

『あぁ、記憶にない記憶が無限に湧いてくるんだ』

『世界一かわいいどころか、彼女すらいたことありませんしね』

『それはっ! ……まあ、そうなんですけども』


 どうやら、心の会話ではきちんと話せるようだ。問題なのは口頭のほう。今こうしている間にも、「世界一かわいい彼女」とやらの記憶がなだれ込んでくる。


 ここで厄介なのが、「情報」ではなく、「記憶」であるという点だ。実際に体験したかのような、リアルな記憶が次々に流し込まれていく。


『とりあえず、落ち着くまで少し黙っててください』


 言い方は少しキツイが、ごもっともな意見だ。ネルシアがひどく困惑しているし、これ以上ヘレナのことを無下むげに扱うような発言はしたくない。


 口頭での会話は、コシュアが繋いでくれることになった。


「義人さんが胸を貫かれた後に、ヘレナさんは謎の扉に引きずり込まれてしまいました。応急処置はしているので、死にはしないと思いますが」


『まてまてまてまて、何だその重要な話! 本当に大丈夫なのかよ!?』

『うるさいですよ。私だって【特権】の連続行使に加えて、あの機械声男の相手をして疲れてたんですから。ただ見届けるしか出来なかったんですよ!』

『そ、そうだったのか……』


 たしかに、よく考えたらあの時のMVPはコシュアなのかもしれない。コシュアが傷を塞いでくれなければ、俺もヘレナもあの場で力尽きていただろう。


 面と向かってありがとうと言うのは何だかしゃくなので、心の中でボソッと呟いておいた。


「へぇ~。何だか不思議な話だね」

「えぇ、正直言って、何が起きているのか全く分かりません」


 ネルシアが納得しきれない様子で小さくうなった。当事者ですら分からないのに、聞いただけで理解できるわけがない。


「特にその扉? って何なんだろうね。ヘレナちゃんが吸い込まれていったっていう」


 分かる。俺もそこ凄い気になる。ありがとう、ネルシア。喋れないってこんなにももどかしいんだな。


「扉はですね、廊下を埋め尽くすような木製の扉でしたね。ひとりでに開いて、ヘレナさんがゆっくりと吸い込まれていきました」

「……ッッ!」


 扉の詳細を聞いた瞬間、強い頭痛に見舞われた。そのすぐ後に、鮮明な記憶が展開される――。




 若葉ゆる丘の上。見つめ合う二人の少年少女。少女の手には、不格好なシロツメクサのかんむりが握られていた。


 少女が恥ずかしそうに何かを言って、それを聞いた少年が顔を赤く染める。少女が少年の頭にゆっくりとした動作で冠を乗せようとした瞬間、非情にも一陣いちじんの風が吹きつけた。シロツメクサ達は再び自由を手に入れて、大空へと旅立って行ってしまった。


 泣きべそをかく少女。「次は一緒に作ろう」と慰める少年。二人は手を繋いで、丘のふもとへとくだって行った――。




「勝手口だ」

「へ?」

「はい?」


 さっきまでの謎の記憶を完全に無視した言葉が、口をついて出る。もはや俺の意志はどこにも反映されなくなってしまった。なんなんだよこれ、マジで。


 そんな本心も露知らず、俺の体は自分の口に従って勝手口の方を向く。肉体の自由すらなくなってしまったようだ。


「あ、れ……?」


 口から情けない声が零れ落ちる。そこにあるのは不思議な扉。風通し抜群だった勝手口には、いつの間にか木製の扉がぴったりとはまっていた。

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