第19話 初めてのキスはあんころ餅の味

 今日は朝から世界一かわいい彼女とデートをした。午後二時にきだらま駅の「テトラポットに寄り添うアジの干物像前」がお決まりの集合場所。彼女はいつも五分程遅れてくるが、つややかな黒髪をたなびかせながら駆け寄ってくる姿が世界一かわいいので、全て許してしまう。


 最初に行くのは本屋だ。しかも、駅前の小じゃれた書店ではない。いつの間にか屋根が吹き飛ばされていてもおかしくないような、しなびた古本屋。


 僕はそこで、彼女に近代文学のうんちくを垂れ流す。彼女が好きな本は胸がときめくような恋愛小説なのだが、楽しそうにうんうんと頷きながら話を聞いてくれる。流石は世界一かわいい彼女。


 書店を出るころには、既に日が傾いていた。昼間はあれほど青々としていた空も、たった数時間でオレンジ色に染まってしまう。光源は同じなのに、なんとも不思議なものだ。


 僕たちは沈んでいく太陽につられるように、人気ひとけのない海に辿り着く。そのまま波打ち際を沿って歩いた。片手には古本屋のレジ袋、もう片方には想い人の手を握って。


 どのくらい歩いたかは分からない。夕焼けが水平線に姿を隠し始めた辺りで、彼女がピタリと足を止めた。気づかずに歩いていた僕は、軽く手を後ろに引っ張られて、僕たちは互いに向き合うかたちになった。夕日を映す水面みなもに負けないくらいキラキラとした彼女の瞳がそっと閉じる。下品にならないほどに長いまつげが力なく震えていた。


 僕は一息に彼女の唇を奪った。すべすべとしていて、ほんのりと甘い。彼女も最初は怖がっていたようだが、その気になったのか、後半は彼女の方からグイグイと侵入してきた。もちもちとした感触が舌を襲い、あんこのくどすぎない甘味と、餅の程よい苦みが口の中で素晴らしい調和をもたらした。


 これは、これは……?


「あ、やっと起きましたか」


 パチリと目を開けると、コシュアが視界の端に映った。俺の鼻筋に沿って寝っ転がっている。


「もぐぉ……」

「応急処置として食べてもらいます。胸の傷もふさがってませんし、安静にしてください」


 コシュアは目の前でホバリングしながら俺のおでこを軽くデコピンした。痛くはなかったが、胸に突っ張るような違和感を覚えたので、そのまま横になることにした。


 頭だけ動かして周りを見渡す。ヒビが入ったガラス窓の食器棚。背もたれの砕けた椅子。風通し抜群の勝手口。本人はいないが、どう見たってネルシア宅だ。たしか、俺は闇闘技場と受付を結ぶ廊下で、ギーボスに胸を貫かれて意識を失ったはず。なんでネルシアの家のベッドで横になっているんだ?


 それに、俺の口の中には何故か、こし餡あんころ餅の味が広がっている。三週間ほど前のようなゴミ付きではないからいいものの、怪我人に食わせるようなものじゃないと思うが……。しかもかなりの大玉で、なかなか飲み込むことができない。熱々の緑茶が欲しいところだが、生憎コシュアにそんな気遣いは出来ないのだ。


「体に負担をかけないように、ゆっくりと効いていくタイプにしてあります」

「このあんころ餅って、コシュアお手製の物なのか?」


 口の中にある残り三分の一ほどのあんころ餅をゆびさす。勿論、口の中を見せるような真似はしないけれど。


「えぇ、私の【特権】で生成したものです」

「……? 【特権】って、たしかアイデンティティの象徴だよな?」

「そうですが?」


 「何か疑問でも?」といった顔でコシュアは小首を傾げた。疑問しかない。何がどうなったらあんころ餅がアイデンティティの象徴になるんだよ。


「説明するとなると、私と神様のハートフルストーリーを二時間ほど話す必要があります。今は他に必要な話があるので、時間がある時に話してあげましょう」


 いくら時間があっても聞きたくねぇな……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る