第18話 プレイヤーとコマ


 視界が黒一色に染め上げられる。上下左右どこを見回しても闇。気づくと、足元に地面の感触が無くなっていた。無重力下のように、ふわふわと漂っているのだ。


 しばらくの間、何をしていいか分からず呆然とする。そのうち、段々と目が慣れてきて、闇の中にとある動物の姿を見つけた。


「黒い……狐?」


 俺がさっきまで闇だと思っていた所に、無数の黒い狐が走り回っていた。いや、おびただしい数の狐が闇を形作っているといった方が正しいか。


 そして、その内の一匹の狐が群れを外れて俺にとびかかってきた。咄嗟とっさに振り払おうとしたが、体が思うように動かない。思えば、これはシルナとかいう奴の特権によって起きている現象だ。駄目だ、この狐に触れちゃいけないと本能が叫ぶ。


 それでも、体はどう頑張っても動かない。対照的に、黒い狐は何もない所を軽快に走って距離を詰める。


 しかし、その狐が俺に触れることはなかった。すんでのところで、薄い光の膜が狐から俺を守ってくれていたのだ。


 十秒ほど経つと、その闇、無数の狐達は次第に姿を消していった。今のところ体に異変はない。――違う、俺のことはどうでもいい。ヘレナは大丈夫なのか?


 横たわるヘレナに目を向けると、ヘレナの右肩に立っているコシュアと目が合った。


「ヘレナは無事なのか!?」

「喉の傷の応急処置はしましたが……」


 珍しくコシュアの言葉尻が濁る。絶望の影がそっと姿を現し始めた。


「チッ、アノ人間、既二羽虫ト契約ヲ結ンデヤガル。羽虫ヲ先二殺サナイト」

「あぁー? じゃあ、あの馬鹿女はどうだったんだよ」

「ソッチハ大丈夫ダ」

「そんじゃあいっか」


 その元凶となる奴らが呑気に会話を交わす。話の内容は聞くに堪えない。誰だよ、馬鹿女って。胸の内側から怒りが沸々とこみあげてくる。


『逃げてください。彼らはあなたを殺す気はありません』

『……知らねぇよ』

『だめです。あなたがしようとしていることは……』


 分かっている、俺がこいつらに勝てないなんてことは。それでも、一矢報いるくらいはやらせてくれよ。ヘレナに守られて、ヘレナを蔑まれて、それで、背中見せて逃げるのかよ。


「――幻影ウェルク


 腰を低くして素早く距離を詰める。詠唱は最小限に、クロから習ったことだ。


 見据える敵はギーボスただ一人。恐らく、奴の目には今の俺は見えておらず、腹めがけて突撃をかましている数瞬遅いげんえいの姿が映っているはずだ。


 充分に近づいて、喉元めがけて軽く跳ぶ。未だギーボスに動きはない。こちらに焦点が合っている様子でもない。肩を引いて、力をめいっぱいに溜める。計画的に決めた狙いで、感情的に任せて拳をふるった。


 ――入った! そう思った瞬間に、強烈な衝撃が自分の下顎したあごを襲う。視界が一瞬にして天井に塗り替えられた。


 何で、何で……。ギーボスには俺の動きが映っていなかったはずなのに。


 下顎を殴られた時に首元の服を掴まれていたようで、宙づり状態になった。脳震盪のうしんとうが起きているのか、うまく体が動かせない。


「そんな目くらましで俺をだませると思ったかぁ? 詠唱を防ぐために喉元を狙うのは弱者の常とう手段だ。ウェルクを撃つ前の視線も分かりやすかったなぁ!?」

「グッ……ウゥ」


 駄目だ……。戦闘の経験差がありすぎる。魔法を撃つ前から全てばれていたんだ。


 調子に乗り出したギーボスは聞いてもいないことをベラベラと喋り始めた。


「闇闘技場で事件を起こしたのも、あの馬鹿女を呪ったのも、全てはお前を思い通りに動かすコマンドでしかない。そして、これからもお前には働いてもらう。お前はそれが罠だと分かっていても、避けることは出来ない。プレイヤーは俺達で、お前はただ動かされるだけのコマだからなぁ!」


 息が出来ない。頭に酸素が回らない。意識がうっすらと遠のいていく。


「二週間。二週間後に、クールスの塔に来い。あの無角むかくのガキを連れてな。そしたら、あの馬鹿女の命ぐらいは救ってやるぜ」


 とても大事なことを言っているような気がするが、全く頭に入ってこない。


「じゃあな、義人」


 まるで旧友のような口調で俺の名前を呼び捨てにした後、ギーボスは胸倉から手を離した。数十センチの自由落下。つかの間の呼吸の最中で、俺の胸はどこからともなく現れた長槍に貫かれた。ようやく吸えた空気が、力なく口から漏れ出る。


 槍が消え、地面に叩きつけられる。鎧同士のぶつかる音が遠ざかっていくが、それどころじゃない。呼吸が辛い。息をする度に胸の傷が激しい主張を繰り返す。


 コマじゃねえのかよ、俺。


 非情にも遠のく意識。


 その中で最後に見たのは、俺の腹部辺りから上半身を覗かせた、髪の長い女性の姿だった。

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