第17話 命の天秤

 闇闘技場から受付に向かう廊下は、地下通りなのでもちろん日の光は当たらない。そのため、時間的には夜であっても、昼間見た光景と変わらない光景がずっと続いていく。カツ、カツという単調な俺の足音が、圧迫感のある石壁に反響を繰り返すだけだ。


 いつもなら、もうすぐ左手に見えてくる受付で今日の成果をヘレナに報告して終了。半壊のネルシア宅に帰るのだが、今日ばかりは違った。


「!?」


 薄暗い向こう側から突如現れた人影。物言わずたたずんでいるそいつは、一歩だけ足を前に進めて姿を現した。


「……なんだ、ヘレナか。びっくりさせんなよぉ」


 ラフな赤いTシャツに淡い緑の膝丈スカート。ヘレナらしいカジュアルな格好なのだが、どことなく浮かない顔をしていた。


「……どうした?」


 ヘレナは口を開かないどころか、こちらに目を合わせようとすらしない。どうしたんだろうか。何か嫌なことが? ……いや、ヘレナは私情で機嫌が悪くなるような奴じゃない。どんな不満があっても、人に当たるようなことは決してしない。そう言い切れるくらいには、ヘレナと同じ時間を過ごしてきたつもりだ。


 じゃあ、クロに何かあったのか? ヘレナが悲しむ理由はそれしか思いつかない。一瞬だけ、クロが殺人の被害者になったのではないかという仮説が頭をよぎったが、すぐに捨て去った。それなら、ヘレナは取り乱しているはずだ。こんなところで静かに俺を待っていたりはしない。行方不明辺りが妥当か。


「なあ、どうしたんだよ」


 何一つ言わない、一歩動いただけで微動だにしないヘレナの肩に手を伸ばす。しかし、その手はヘレナの華奢きゃしゃな手に振り払われてしまった。


 予想外の反応にふらついた俺を、ヘレナは追い打ちをかけるように突き飛ばした。固い石畳に尾てい骨をしたたかに打ち付けて強い痛みが走る。


「いってぇ! 何す……んだ?」


 ヘレナの頬に一筋の涙。全くもって理解が追いつかない。泣きたいのはわけもわからず突き飛ばされた俺の方だ。それに、何で喋らないんだよ。何か言ったらどうなんだ。


 そんな俺の想いが届いたのかどうかは定かではないが、ヘレナがようやく口を開いた


「クロを助けて! でも、すぐに逃げ、、てぇ……」


 話の途中でビクンッと大きく跳ねる小柄な女体。末尾は絞り出すような、息と大差ないような言葉をのこして。最後の力を使い果たした喉仏のどぼとけから、ギラギラと黒光りをした長槍ながやりが顔を出していた。


「な……んで?」


 何が起こっているんだ? さっきから俺が登場人物でない物語を延々と見せられているような気分だ。理解は追いつかないし、追いつきたくもない現実が目の前に転がっている。


 しばらくして、長槍は唐突に姿を消した。栓が無くなってき出したヘレナの血が、俺の頬を赤く濡らす。支えなく膝から崩れ落ちたヘレナは、地面に血だまりを作り始めた。


『逃げてください。死にますよ』

「……違う! ヘレナを助けるのが先だ!」

『それこそ違います。あなたは逃げて生き延びることが先です』

「ヘレナ!!」

『……仕方ないですね』


 一分一秒を争う事態であることをようやく理解した俺は、うつ伏せになって横たわるヘレナの下に駆け寄った。流れている血の量は、明らかに手遅れだということを示していた。


 コシュアも珍しく俺の頭から飛び立ち、ヘレナの傷元に近寄っていた。……助けて、くれるんだろうか。しかし、コシュアの体が大きな魔力で包まれたと同時に、品のない大声が辺りに響き渡った。


「馬鹿な女だ! 自分と弟よりも赤の他人の命を取りやがった!」


 ガシャガシャと重たい音を立てて、奥の道から巨人と、やせこけた奴という対照的な二人の男が現れた。巨人の方は重厚な銀のよろいを装備しているが、やせこけた奴は紫色のぼろきれをまとっている。二人が共通しているのは、首筋にある赤い角のマーク。見覚えがある。こいつらは……


「政府の……やつらだ」


 十五日間ずっと同じ目標を追い続けた、曲がりなりにも信頼してきた人たち。


 巨人はパチンと指を鳴らして、大きな口を開く。


「正解! 俺の名前はギーボス、そして隣にいる不健康そうな奴がシルナ。君のことは良く知っているぜ。『人間』の義人君?」


 ニヤニヤと下卑げびた笑みを浮かべている。どうして、ヘレナが死にかけているっていうときにそんな笑い方が出来るんだ。


「お前らが、犯人なのか?」

「そうだ。元々お前を……」

「オイ、オ喋リガ過ギルゾ」


 ハキハキとやり取りをするギーボスと名乗る巨人に比べて、シルナの方はひどく聞きづらい、機械的な声をしていた。


「そうだな。さっさとやっちまってくれ」


 なんだ。これ以上何をやるって言うんだ。もうやめてくれ。虐めないでくれよ。


 そんな悲痛な願いは、非道な奴らに届くわけがなかった。両手の中指を互いに絡めたシルナの体が、紫色の魔力で包まれる。


「『呪殺ノ狐マレディ・フナー』」


 一瞬にして、視界が黒一色に塗りつぶされた。

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