第16話 誰の為の捜査

 捜査五日目の昼さがり。風通しの悪い稽古けいこ場で、俺は大きなため息と共に腰をついた。額を伝う汗を手で拭う。汗が止まらないのはついさっきまで行なっていたクロとの修行のせいだ。というのも、変死体はきまって夜に発見されるため、それまでは稽古をつけてもらうことになったのだ。


「義人さんは、体さばきが下手くそですね。一瞬の遅れが致命傷を生むので気をつけましょう。あと、魔法に関してですが、使い方が下手くそです。幻惑ウェルクは目くらましの能力なので、詠唱は最小限の声量で……」


 休憩中だって言うのに、クロは延々とダメ出しをしてくる。クロ自体はそれほど強くないのだが、戦闘に関する知識は尋常じゃない。一を聞けば二百で返ってくるし、一を拒否しても二百が送りつけられてくるのだ。ここまで親身になってくれるのはありがたいことなのだが、既に嫌気がさし始めている。


「はい、お昼よ」


 ヘレナに渡されたのはおにぎりのようなもの。形は完全におにぎりなのだが、味はなぜか食パンの味がする。視覚と味覚が違う情報を伝えてくるので、勝手に「倒錯とうさくおにぎり」と名付けている。


「いつもありがとな」

「別にお礼なんていいわよ。犯人が見つかったら参加料に上乗せして返してもらうつもりだし」

「これツケなのかよ!?」

「もちろん」


 ふふっと可愛らしい笑みを携えて、ヘレナは俺の隣に三角座りをした。壁を背もたれにして、手はお尻の横で体を支えている。


「クロ、おつかい頼んでもいいかな?」

「もちろんです!」


 俺の隣で座っていたクロは勢い良く立ち上がる。半日ぶっ続けで稽古をした後とは思えない元気だ。若いっていいね。


 ヘレナからメモ用紙を受け取って、クロは稽古場を後にした。バタンと閉じた扉の音が熱気のこもる空気の中でこだました。


 しばらくの間、俺とヘレナの間に静寂が訪れた。倒錯おにぎりを黙々と食べ続ける。最後の一口を呑み込むと、ヘレナが口を開いた。


「なかなか見つかんないね。犯人」

「すまんな。参加料と食べ物代は不良債権ふりょうさいけんになるかもしれん」


 怒られるだろうなと身構えたが、ヘレナの返答は予想と大きく異なるものだった。


「いいわよ、別に。報酬は当てにしていないもの」

「……まじ?」


 本当に報酬のことは二の次なのだろうか。もしそうなら、このまま借金を踏み倒しちゃってもいいんじゃないか?


「私は早く犯人が捕まって欲しいんだ。義人君が来る前も。クロは毎日犯人捜しをしていたの。クロは大丈夫だって言ってたけど……やっぱり、心配でね」


 ヘレナは、先ほどとは全く別のニュアンスを含んだ笑顔を見せた。弟を想う悲しげな顔は、次の瞬間には姿を隠した。


「ま、当てにしていないと言っても、もらえるものはもらっちゃうけどね!」


 お尻についた土をパンパンと払って、稽古場から受付へと戻って行った。扉を閉めるときに、満面の笑みを残して。


「……頑張らなきゃな」


 元々は借金返済のためだったが、今は仲間のために犯人を捕まえたいと心から思っている。それに、殺人を犯している奴がのうのうと生活を続けていられるのは、どう考えたっておかしい。政府の人たちと協力して、何としてでも捕まえてやる!


 そう意気込んだのもつかの間、その日どころか次の日、またその次の日も目ぼしい情報すら手に入らなかった。


 そして、事態が動いたのは捜査を始めてから実に十五日後。捜査がマンネリ化し、疲労がたまった体にむちを打って、闇闘技場から受付に帰る時のことだった。

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