第2話 蝙蝠の擬制

「うおおおおお!?」


 火事場の馬鹿力という奴だろうか。ものすごい勢いで後ずさったおかげで、間一髪振り下ろされる鈍器を避けることはできた。チラリと見ると、先ほどまで俺がいた場所には小さなクレーターが出来ていた。


 化け物だ。やっぱり俺の知る世界じゃない。


「あんな少しの量で『血月けつげつ』をここまで使えるようになるなんて。やっぱり『人間ニンゲン』の血は最高だねぇ」


 振り下ろした鈍器を再度持ち上げ、少女?はニヤリと笑う。


 刹那せつな、腰を低く屈めて、少女は突進してきた。鈍器は体の後ろ。


「どうすっ……んだよぉ!」


 逃げる間は無かった。一か八かで、近くに転がっていた廃材をり上げると、少女が振り抜いた鈍器と思いっきりぶつかった。


 鈍い衝撃音の末、廃材は木くずに変わった。


「コシュア! どうすりゃいいんだよ!」


 廃材のおかげで出来たほんの少しの隙を見て、俺は少女から必死に遠ざかる。当然だ。勝てるわけがないからな。


「だから神様からもらったあんころ餅を食べてくださいって。それを食べないと始まりませんよ」

「……仕方ないか」

「死ぬよりましです」


 それもそうだ。あれを食べて食中毒で死ぬ確率よりも、今ここでなぶり殺される確率の方が何倍も高いはずだ。


 意を決してポケットに手を突っ込む。……だが、その手は空を掴むだけだった。


「あれ……何で?」

「さっき後ずさった時にポケットから滑り落ちてましたよ」

「何でそれを今言うんだよ!!」

「先ほどまで生きるのに精いっぱいだったじゃないですか」


 コシュアが指さす先は、一撃目の攻撃で出来たクレーター。その横にゴミと一緒に転がっているあんころ餅の姿があった。


「取りに戻りましょう」

「簡単に言うけどさぁ」


 走る足を止めて、追いかけてくる少女の方をくるりと向く。凄まじい勢いで近づいてきていた少女も、俺がいきなり止まったのに驚いたのか、二・三メートルほど離れたところで立ち止まった。


「本気を出していなかったとはいえ、私の攻撃を二度も避けたのは貴方が初めてよ。特別に全力を出してあげるわ」

「結構です」

「いや、だから……全力を……」

「結構です」

「……『蝙蝠の擬制フレーダー・フィクション』!」

「結構ですって言ったのにさぁ……」


 少女の黒ドレスが大きく跳ねる。どこからともなく現れた、よどんだ無数の黒い粒が少女を包み始める。


「どうすんの……これ?」

「あんころ餅」


 むすっとした顔で俺を睨んでくるコシュア。ええ、分かってますとも。あのわけわからん黒い粒どもを突っ切って、あんころ餅を食べる。それをしないと何もかもが始まらない。


 一呼吸おいて、腹をくくる。


「行ってやるぜえええ!!」


 拾った小さなゴミ箱の蓋を盾にして、少女に向かって全力ダッシュ。鈍器の攻撃力はかなり高そうだが、さっきは蹴り上げた廃材で防げた。アルミの蓋なら耐えられるはずだ。


「馬鹿だね」


 少女は一言、そうつぶやいて、鈍器を持った右手を前に突き出す。すると、それに呼応したように黒い粒の群れが俺に向かって伸び始める。


「ちびっ子に馬鹿ばかにされるほど馬鹿ばかじゃねーよ!」


 黒い粒の群れの動きにアルミの盾を合わせていく。直感が黒い粒に当たったらアウトだと叫んでいる。


 俺の読みは、そこまでは完ぺきだった。ただ、一瞬の油断が全てを台無しにした。近づくにつれ鮮明になる黒い粒が蝙蝠こうもりだと気づいたとき、気持ち悪いという感情に頭が支配された。その瞬間、猛スピードでうねりをくわえて盾を迂回うかいした無数の蝙蝠こうもりは、俺の腹の前で凝縮ぎょうしゅくした。


 それは、みるみるうちに少女の腕の形を成す。華奢きゃしゃな色白の腕には似つかない、赤黒い鈍器を持っていた。


 腹に直撃をもらって、宙を舞う。地面に打ち付けられて、走り始めた位置に戻された。


「大丈夫ですかー?」


 コシュアは倒れこむ俺の額を、ぺちぺちと叩いて生存確認。


「……大丈夫じゃない」


 腹は尋常じゃなく痛いし、地面を転がって擦り傷だらけ。少女の武器がナイフじゃなくて鈍器なのが不幸中の幸いだ。


「さあ、もう一度行きましょう」

「鬼畜かな?」

「鬼じゃなくて妖精です。天才妖精コシュアです」


 真顔で言っているあたり、冗談じゃないんだろう。怖すぎる。


「天才はそんな無謀むぼうな指揮しねーよ」

「無謀じゃないです。頭を使って、目標を見誤らなければ必ずできますよ」

「無理だ。強すぎる。なんか遠隔で攻撃してくるし」

「無理って言ってるから無理なんですよ」

「無理だから無理って言ってんだよ」


 今なら少女に「馬鹿だね」と言われた理由が良くわかる。遠距離攻撃持ちに突撃とか頭おかしいもん。


 コシュアは依然倒れたままの状態の俺の頭の上で、「はぁ~」とため息をついた。


「仕方がないですね。ヒントをあげます。相手は無防備なあなたに攻撃をしてこない。黒い粒は血にえた蝙蝠。どうです? 流石に分かりますよね?」

「……」


 やべぇ、全く分からん。攻撃をしてこないのは舐め腐ってるからで、血に飢えた蝙蝠の件は気持ち悪いという感情しか湧いてこない。


「おーい、まだ生きてるよね? 体重が乗ってないあの一撃じゃ死なないよねぇ?」


 遠くで少女が呼びかけてくる。


 ……なんで、あいつは蝙蝠を飛ばして俺に追撃をしてこないんだ?


 舐め腐ってるにしても、流石に待ち過ぎだ。


「……」


 少しだけ、コシュアの話を参考にしてみる。


 俺の当面の目標はあんころ餅を食べること。今の状態であいつを倒すのはどう考えても無理だ。そして、あいつは蝙蝠で追撃をしてこない。もしかしたら、出来ないのかもしれない。コントロールできる射程が決まっているとか。


 ……もしも、もしもそうだとしたら、あんころ餅に辿り着く方法が一つだけあるかもしれない。

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