第1話 YES!ロリータ NO!バイト

 目の前には闇が広がっていた。

 それはじいさんに会った時と同じ景色だったが、一つだけ違う点があった。

 身動きが取れないのだ。


 丸まった姿で押し込められたような状態で全く身動きが取れない。

 どうにかこうにか手足を伸ばそうとして動くが、一向に行動範囲が広がらない。


 何故なのか。考えているうちにだんだんと息が苦しくなってきた。

 時間的猶予はほとんど残っておらず、とりあえず脱出の手がかりを模索する。


 すると頭越しに一筋の光が差していることに気づいた。

 俺はがむしゃらに、そこを目指して全力で頭突きをかました____






















「あのジジイ、あんころ餅の時もわざと説あるだろ……」


 そうつぶやく俺の頭の上には、ゴミ箱の蓋が乗っていた。


 アルミバケツから顔だけを出して辺りを見回すと、そこは光の届かない淀んだ裏路地。


 ゴミを集めるには最適な場所である。


「……っと! ……生ゴミも入ってんじゃねぇか……」


 何とか這いずり出て、服に着いたゴミの数々を取ってはポリバケツに戻していった。


「ここが……三百年後の地球?」


 今のところはテレビで見た東京の裏路地と大差ない。やっぱり三百年後なんていう、非現実的なことが起きるわけがないか。まあ、寝て起きたら東京の裏路地でしたっていうのも、十分に非現実的だけど。


 とりあえずこの湿しめっぽい裏路地から抜け出そう。


 そう思って大通りの方へ一歩目を踏み出した時、逆光に照らされた一つの小さな影が行く手を阻んだ。


「おにーちゃん、何してるのぉ?」


 小首を傾げてこちらを見つめるのは、綺麗な桃色髪の少女。肌にまとう、黒いドレス調の服は、顔の幼さと刺激的なコントラストを生んでいる。


「いや……うん。何してんだろね? 俺」


 本当に何でここにいるんだろうか。あのジジイのことを言ったって信じてもらえるわけがない。第一、俺もあいつのことをこれっぽっちも信じていない。


「ふーん、へんなの」


 少女はそう言って立ち去る……のではなく、俺がいる方にトコトコと近づいてきた。


 手が届く位の位置までやってきた少女は、そこで足を止めて俺の方に目一杯手を伸ばしてきた。そして一言、


「だっこ」


 ……何で?


 俺がただ固まっていると、少女は再度だっこを要求してきた。


 依然として脳内フリーズした状態で立ちすくんでいると、少女はほっぺたをぷくーっと膨らませた。そして、


「うえぇえ!?」


 少女は思いっきりジャンプして、俺に飛びついてきた。


 首に手を回され、少女が俺にぶら下がる。いくら少女とは言え、一人の人間。首だけで全体重を支えられるはずもなく、かといって振り落とすのもあれなので、そっと少女の腰に手を回した。


 あれ? これって普通なのか? 東京では良くあることなんですか?


 そんなわけがない。いくら大都会東京でも、年端も行かない女の子を裏路地で抱きしめていたら、警察のお世話になりかねないはずだ。


 それでも、やっぱり振り払うのは気が引ける。どうしたもんだろうか……。


「痛っ……ぁあ!?」


 突如、首筋に鋭い痛みが走る。


「なにっ……すんだ!!」


 少女はいつの間にか俺の首に噛みついていた。首に小さい八重歯が食い込んでいる。


 首に回されている手を乱暴に振りほどくと、宙に取り残された少女はくるりと縦にまわってふわりと着地した。こちらを見る顔は、さっきの可愛らしい少女と打って変わって、完全に俺を蔑んだ笑みを浮かべていた。


「ほんっとに何も知らないんだねぇ、おにーちゃん?」

「うわああああ‼」


 俺は逃げた。


 さっき出てきたゴミ箱や、そこたら中に転がっている空き瓶などをなぎ倒して、がむしゃらに逃げた。



 ――――気づいたときには、俺は壁に寄りかかって座っていた。


 どれだけ走ったかは覚えていない。大通りに出ないようにしていたので、終始裏路地の汚い景色しか映らなかった。それでも、少女とはかなり離れられたと思う。


 噛まれた首筋を撫でる。小さな歯が刺さっているおかげ?で、幸い血は垂れていない。


「なんなんだよ……」


 流石に東京どころか世界中探したって、首筋を噛んで歯を刺してくる少女はいるわけがない。


 本当にジジイの言う通り、三百年後の地球……なのか?


 疲れた頭でそんなことを考えていると、遠くから衝撃音と共に少女の声が聞こえてきた。


「おーーい! 隠れても無駄だよ。私に噛まれた時点でおにーちゃんはもう逃げられないんだ!」


 まずい……。見た目は人間の少女でも、中身は完全に化け物だ。


 見つかったら殺される……!


 てかさ、なんであのジジイはこんな危険な場所に俺を飛ばしたんだよ。手持ちは潰れたあんころ餅一つ。「ピンチになったらあんころ餅を天にかざしてワシの名を呼べ」と言っていたが、そんなことをしたってこの状況を打開できるとは思えない。


 いや、そんなことを言ってる場合じゃないか。あんころ餅にでもすがりたい、そんな状況だ。


「……そういえば、あのジジイの名前知らないな」

「神様でいいですよ」

「それでいいのか……って、だれ!?」


 俺の独り言にナチュラルに参加してきたのは、目の前に浮いている一匹の生物。背中から四枚の羽根が生えた手乗りサイズだ。


「コシュアです」

「いや、名前よりもさ、もっと根源的な情報くれないか? 種族とか」


 少なくとも、俺の人生の中で初めて見た生物だ。見た目は妖精っぽいけどさ。


「あのですね、初対面の乙女に個人情報聞きまくるとか、変態なんですか? まあ、妖精ですけど」

「前半の言葉絶対にいらなかったよね!?」


 おっとりとした目と口調で辛辣な言葉を突き刺してくる妖精、コシュア。ただ、よく考えたら、今はこんな漫才を繰り広げている場合じゃない。


「なぁ、コシュアは何しに来たんだ?」

「何ですかその物言いは、失礼ですね。あなたが吸血鬼女に殺されかけてるから出て来たって言うのに」

「やっぱあの少女は人間じゃないよな……」

「当然です。魔力を隠してたとはいえ、密着しても気づかずに興奮してたのはどうかと思いますね」

「興奮してねぇよ! 全くもって興奮してない!」


 大事なことなので二度言いました。


「そんでさ、助けに来てくれたのはいいとして、どうすんの?」

「魔法を使えるようにしてあげます」

「マジで!?」

「んぎゅっ!? ……ふぅ、本当です。……お願いですから潰さないでくださいね?」

「おっと……すまん」


 『魔法』という単語に興奮して、思わず目の前を漂うコシュアを掴んでしまった。


「それで、どうすればいいんだ?」

「まずは神様からもらったあんころ餅を食べてください」

「……マジで?」

「まじまじのマジです」


 あれを、食べるのか? 商品名にしたら『ひしゃげたあんころ餅~ベッドの足に付着した埃を添えて~』になりそうなくらいに汚いあれを?


 しばらくの間思い悩む。魔法を使えるのは魅力的だが、ゴミに近いそれを食べるのはどうしても気が引けた。


 だが、残念ながら俺にそんな余裕は無かった。


「みぃ~つけた! こんなところにいたんだね!」


 振り返った先にいたのは、先ほど抱きついてきた少女。ただ一つ違うのは右手に握られた赤黒い鈍器。


 音もなく背後に現れた少女は、手に持つ鈍器を俺に向かって振り下ろしている最中だった。

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