世界にたった一人の私

世界にたった一人の私1

「お母さん……?」

「うん……」

「私が?」

「きっと、絶対そうだ」彼女の手が、ぎゅっと私の手を握る。いつの間にか、そこに銃はない。「多分、私を生む前の……今の私と同い年の、お母さん」

「私が……あなたの?」

「うん、うん……」何度も、頷く。

 私は、そんな話あるわけがないって思いながら、でも、なんだか全部が腑に落ちるような、すべてを理解できたみたいな不思議な納得も覚えていた。

 ずっと疑問だった。

 なんで、特別でもなんでもないグズの私なんかがこの世界にいるのか。

 それはきっと私なんかじゃない、もっと特別で大切な誰かのために……。

「私が、お母さん……」

 うわ言のようにつぶやく。

「生めたの?」

「生まれてるよ、ほら」ぎこちない笑顔が、私に応える。

 握られた手を、ゆっくり握り返す。私が私同士ですら避けたそれが、今はなんでだろう、ちっとも怖くない。

「私……ちゃんと、お母さんだった?」

「いいお母さんだった」

「ウソつき」くすっと笑みがこぼれた。「どうせすぐ死んじゃったんでしょ?」

 その言葉を聞いた途端、何か言おうとした彼女の顔がどんどんくしゃくしゃになっていって、こらえきれなかった大粒の涙が目から滝のようにあふれ出した。

 倒れるようにゆっくりと抱きつかれて。

 震えてる。

 泣いている。

 静かに、だけど激しく嗚咽を漏らして、すがりつく。

 私はその背中に、なんとなく腕を回した。

 なんとなくだ。

 だって……わかんないよ。もし本当に目の前の彼女が私の娘なんだとしたら、私にとって彼女はまだ生まれていない、未来から来た知らない人だ。涙の一つもこぼれない。ただただ不思議というか、私が分裂しているのを知ったとき以上に、何がなんだかわからない気分だ。

 でも、悪くない。

 全然悪くない。

「ごめん、ごめんね……」彼女は鼻をすする。「こんな泣かれてもわからないよね、まだ同い年だもんね……でもさ、でもさあ……」

「……うん」

「私、お母さん死んじゃったときすごい悲しくて、周りのこと全部嫌いになって……私、話し相手がお母さんしかいなかったんだって気がついて……」

「うん」

「やっぱりお母さんはすごい人だったよ……私は、あんなに迷わず自分のこと撃てないもん。さっきまでみんな私なんだって思ってたから、もう、わけわかんなくて……」

「褒められたことじゃないよ」背中を撫でながら、鼻でため息をつく。「子ども生むのを人に押し付けて、嫌いな男と心中しただけなんだから」

「ほら、やっぱお母さんだ」ゆっくりと、彼女は私から離れる。大泣きしたあとだけ顔に残して、満面の笑みで私を見てる。「押し付けられてもいいって思ってなきゃ、自殺なんてできないよ」

 この言葉には、ちょっとビックリした。

 しげしげとその顔と体を眺める。

「……似てるなあ」

「でしょ?」片手で涙を拭いながら、頷く。「昔っからよく言われたけど、同い年で並ぶと全然見分けがつかないね。お母さん、このころの写真全然ないから」

「ああ……久しく写真撮ってないね」

「せっかく可愛いのに」私を見つめて、いたずらっぽく笑う。「私、めっちゃモテるよ? 高校入ってから5回くらい告白されてるし」

「付き合った人数は?」

「0人」

「似てるね」

「知ってる」

 二人で、笑った。

「……ねえ、私が死んだのって、いくつの頃?」私は訊いた。

「私が、9歳の時かな」

「やっぱりか……」なんだか心底呆れて、ため息をついた。「無責任だなあ」

「そういうこと言うと思ってた」また、手を掴まれる。「だから、絶対違うって言いたかった! だってお母さん、今の私と同じ歳で私生んだんだよ!? そもそも体も弱かったし、生めたのが奇跡なくらいだし、そもそも生みたくて生んだ子じゃないし……」声がしぼんで、どこか悲しそうな顔で私のお腹を見つめる。「……もしかして、今、私、そこにいるのかな?」

「え?」

「だってお母さんが私を妊娠したのって、きっとこの世界で……」

 ハッとした。

 私は大慌てで彼女の手を握り返す。

「わ、な、なに!?」ぎょっと身をこわばらせて彼女は私の言葉を待ったが、やがて私の鬼気迫る視線で察したのか、ブンブンと首を横に振った。「ああ……だ、大丈夫だよ、私は妊娠してない。何もされてないし」

「そ、そうなの? だけど……」

「やっぱそう思うよね……私も思ったし、一瞬パートナーのことまで疑っちゃったけど、パートナーは正真正銘私の味方で……」

「パートナー?」

「うん、パートナー」

 振り向いた彼女の後ろに、透けるように佇んでいる影がある。ゆっくりと輪郭が浮かび上がり、現れたのは、落ち着いた雰囲気の幽霊のような老人だった。

 澄んだ瞳と、白い髪。

「……久しぶりだね、チサトちゃん」

 パートナーは、私に向かってそう呟いた。

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