クロネコと私6

 銃声が一発鳴り響いて、私の命がまた一つ消える。

 叫び声のような反響が砂に染み込んで雨の雫に消えていく中……この砂漠の全てを飲み込まんばかりに膨張していた赤い雷の塊がバラバラに、どこかへ放電されて散っていく。

「なぜだ……どうして……」

 ミョウジョウという、あの石の悪魔の親玉の虚しい声。堕天使のような姿で膝を付き、その白い羽根で、自殺した私の死骸を包んでいる。まるで美しい大理石の彫像のように神々しく、おそろしく、空虚だった。

「俺は最古の雄……子を残せないなら俺は……俺の部下どもはなんのために……」

 頭がくらくなっていた私は、自分の手にある銃を見つめる。

 ……思った通りだ。

 この銃はやはり、自分で自分を撃つためのものだった。

「哀れなものだな」クロネコの呟く声が、私を夢みたいな現実に引き戻す。「だがおかげで助かった。あの雷が落ちてきては打つ手がなかったろう。少なくとも君は死んでいた。立てるかね?」

 私はへたるように座りこんだまま、クロネコを見上げた。彼は蛍光ペンで描いたよう目を油断なく周囲に這わせながら、膝を折り、私の手を握る。ぐぐっと、喉元に恐怖が這い上がってきた。こんなどうしようもないときにでも消えてくれない、過去のトラウマ。

 この恐怖も、ここにいる私たちみんなが戦ってきたものなのだろう。

「チサト。私はここでミョウジョウを殺し、あのセツと戦わなければならない」

 クロネコの目線を追う。対面の舞台に、真っ白な角を持った鹿の頭の悪魔が立っている。豹柄の毛皮のコートを肩に羽織り、獣の顔に戯画のような人間臭い笑みを貼り付けた牡鹿が、私たちを値踏みするように見下ろしている。

 あれが、セツ……。

 クロネコから逃れようとした私を森にいざない、危うくさらいかけた森の王。

「セツは危険だ」クロネコが私の肩を抱く。「奴の存在は呪いの森そのもの、全ての死をつかさどる肉みの牡鹿だ。ここで私が奴と戦わない限り、セツは君を狙うだろう。何があっても奴には近づくな。できるだけ遠くへ逃げるんだ」

 私を見据えるセツの瞳。まだ遠くにいるはずなのに、渦を巻き怪しき光るピンク色の瞳の形がなぜかハッキリと見える気がして心底寒気がした。

 でも、その両手を肩に置かれているのも、私。私と同じ心で、私の知らない物語の中を歩いてきたもう一人の私だ。

 セツは自分の前にいる彼女に、何か耳打ちをする。向こうの彼女の顔が曇って、少し泣きそうな目で私を見つめた。

 二人で、見つめ合う。

 クロネコに捕まった私と、セツに捕まった彼女。

 不幸だったのはどちらだろう。

「一人で、逃げられるね? チサト」クロネコの低い声。

 立ち上がり、頷いた。「……うん」

「いい子だ」

 ぽんっと、頭に大きな手のひらが乗り、そして離れる。

 風が舞い、スカートがなびいた。

 クロネコが消えた。

「……すまない」小さな小さな、ミョウジョウの声が聞こえた気がして。

 直後、上で何かがぜた。

 石の欠片。

 血と肉片。

 隕石のような衝撃とともに空から降ってきたクロネコが、ミョウジョウの体を粉々に吹き飛ばした。

 私と同じ心を持っていた彼女の体も一緒に弾け飛ぶ。

 粉塵。

 轟音。

 足元に何かが転がってきた。

 手首だった。

 私じゃない私の肉片と生首がテニスボールのように空を跳ねて、落ちて、砂丘の上にゆっくりと沈んでいく。

 ……赤い血だ。

 ほんの一分前までは生きていたあの私は、トラウマも何も拭えないまま、このどことも知れない世界で自害した。

 さっきまでミョウジョウがいた場所で、クロネコが鳴いている。威嚇する猫のように甲高く凶暴な鳴き声を轟かせ、私の血を被りながら吠えたけるその姿はやっぱり、あのセツと変わらないくらい恐ろしい化け物のそれだった。

「セツよ!! 肉みの牡鹿、呪いの森に潜む白き角の兄弟よ!!」クロネコが叫ぶ。「我らも決着をつけるときが来た!! お前も他の兄弟と同じ木のうろに眠るがいい!!」

「威勢が良いな……流浪の凶兆クロネコ、同じ森で生まれた同胞はらからよ……」セツの声。独特に嗄れていて、耳に響きが引き残る。暗く絶望的な声音だった。「おお……聞こえる、吾輩には聞こえるぞ、森の恨みが、死者の嘆きが……女も知る前に貴様に殺されてきた、哀れな雄たちの慟哭が」

 沈黙。

 静寂。

 突然の、悪寒。

 私は本能的にきびすを返して階段を駆け下りていた。

 やばい。

 よくわからないけれど、とにかく、やばいことが起きるって、わかった。

 猫の鳴き声。

 無数の悲鳴。

 不意に大気が震え、階段にヒビが入る。とっさに体勢を整える間もなく全てが崩れ落ちて、私は瓦礫に巻き込まれながら砂の山へと転げ落とされた。

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