ホムラと私
ホムラと私1
この砂漠はきっと毎日のように雨が降っているのだろう。雨の降る度黒いバラが砂の上に咲き誇り、風が吹けばずっと全ては乾き果て、枯れた黒いバラが塵になってまたこの砂の海を作り出している。わずかに残されたバラの残骸の上にまた新しい黒い花が開いているのを見ながら、私はそんなことを想っていた。
「探せぇ……!!」
「女を見つけろ……っ!!」
「……ろせ……ロネコを殺せっ……!!」
たくさんの声に心を脅かされながら鉄骨の瓦礫に寄りかかり、ちょっとでも雨を避けようと体をピタリと貼り付ける。砂漠に点在するこの崩れたビル群はいったいなんなのだろう。誰が建てて、いつからここにあるのか、そもそもここはどこなのか、結局何もわからないまま私は逃げ惑い、隠れ、ずっとこの火星のような砂漠で同じことを繰り返している。石の悪魔たちから逃げられたときには少しだけ気持ちがポジティブになったけれど、結局は何を待っていても事態は好転していない。そろそろ心身が限界だった。
目を閉じて、手のひらに銃の感触を確かめる。
深呼吸。
なぜかはわからないけれど、私の手にはまだ銃がある。こめかみの位置に銃口を当てながら、はーっと大きく息を吐いた。変な話だけれど、こうすると少しだけ落ち着くのだ。まだ自分で自分を撃つって選択肢があると思うだけで、生きる気力が少しだけ湧いてくるというか、もうちょっと頑張ってみようって思えるというか……。
我ながら、限界だと思う。そろそろ本当に、私はこの銃で何をするべきかも考えなくちゃいけないかもしれない。
ガシャンと、何かが炸裂する音がして、ガラガラと建物が崩れる震動がそれに続いた。私が背を預けているビルの、ちょうど反対側だ。否応無しに緊張感が高まる。
「これはこれは……ホムラの飼い犬ども」
雨音に混じって、低い声がする。
「こんばんは。私の女はどこかね?」
「クロネコ……野蛮な野良猫め」ぐるぐると唸るように、おそらくは狼の姿をしたあの悪魔たちの一体が答えた。「今度は我らから女を奪いに来たか、痴れ者め。前の女は逃したのか? あいも変わらず間抜けだなクロネコ。智将ホムラ様の深謀遠慮とは比べるべくもない」
「ああ……全く恥ずかしいことだがね。しかし悲しきかなホムラの犬たる貴様らはその私よりも愚かで、間抜けで、そして弱い生き物だ。私は学び前進する。尋ねよう、飼い犬ども。統率と奇襲のみを売りとする貴様らがなぜこんな廃墟の一箇所に集まって私を睨んでいる? 手分けして女を探さないのか?」
沈黙。
雨音だけが打ち付ける。
「……そこにいるのだな、女が」
ジワッと、寒気が這い上がった。
手に持ったままの銃を意識する。
番犬が闖入者を警戒するような唸りが、ブルブルと空間を満たし始める。
「コソコソと女を囲んで拐うか……全く、主に似て卑俗な生き物だな、犬どもよ」
「ものども! かかれい!!」獣の咆哮。「クロネコを殺し、女をホムラ様へと届けるのだ!!」
私は、一も二もなく走り出した。辺りを確認する余裕もなく、力を振り絞ってただ走った。
ガシャアンと、背後でガラスが幾つも割れる音。
「女を逃がすな!!」
犬の鳴き声。
それを上書きしていくような、猫の唸り。
背筋がゾクッとして、
突然、耳をつんざく轟音が鳴り響いた。
震動。
突風になぎ倒され、私は倒れ込む。
転がるままになんとか地に手をついて振り返った先で、さっきまで私が隠れていたビルが支柱ごと音を立てて崩れ去っていた。しばらくは噴煙と震動で立つこともままならなかった私は、込み上げてくる咳の
噴煙の真ん中に、そのブルドーザーほどはありそうな瓦礫の塊を片腕で持ち上げている黒いシルエット……クロネコの姿が垣間見えた。
狼たちがまた吠える。
クロネコは長い腕をしならせて、手に持っていた瓦礫を投げ込んだ。
二つ目のビルが倒壊し、また砂塵が雨の中を土砂のように渦を巻く。
桁外れの力と迫力に、改めてこの世界の男に恐怖する。やっぱりだめだ、こんな世界でこんな奴らと子どもを生むなんて、怖すぎる。弱いのはきっとムラサキだけ……でも、あんな奴二度とごめんだ。顔も見たくない。
ここから逃げなきゃ……どこか、どこかへ……。
ブワッと、煙の中に巨大な影が差す。
瓦礫の塊が私の頭上にぶっ飛んできた。
思わず頭を庇う。
爆音に混じって、獣たちとは違う新しい悲鳴を聞いた。石の悪魔だ。
仰向けに転がった私は、背後にあったビルの廃墟が破壊され、その瓦礫が私に降り注いでくるのを見た。
それから先は何も考えていない。
ただ必死だった。
恐怖だけを感じながら、這うように立ち上がり、なんとかビルの足元にまで飛び込もうとしていた……と思う。途中で何も見えなくなり、何かにぶつかり、転び、体を丸めで何かに耐え続けていた。
まるで映画のようなスペクタクル。
悲しいほどに面白くない。
ガランガランと上下左右で崩れた石材が鳴る音を聞きながら、怖いときに目を開けることのできない自分を呪う。
「クロネコを追え!!」
「逃がすな!!」
「女はどこだっ!!?」
「捕まえろ……っ!」
叫びが
いつしか不気味なくらいの静けさが周囲を満たしていた。
自分の呼吸。
濡れてる体。
気がつけば、目を開けていた。瓦礫に包まれているものだと思ったけれど、砂煙の奥に空が見える。奇跡のように生きていた。意識がぼんやりとしていて痺れている。もう無理だ……こんなこと長くは続けられない。だって私は弱くて、自分じゃ何もできなくて……。
浅く胸で息をしながら、頭上に差した影を見る。
「お母さん……」
つぶやいた私を、丸い2つの目が見つめ返す。
獣の瞳孔。
狼の目だった。
「なあんだ? クロネコの間抜けめ、結局女を逃したのか」
ハッとした。
毛むくじゃらの腕が伸びてくる。
とっさに右腕を突き出した、その手にまだ私の銃が握られていたのは果たして幸運だったんだろうか、それとも不幸だったのだろうか。
少なくとも、引き金を引いた指は、先のことなんて何も考えちゃいなかっただろう。
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