ムラサキと私2

「言ったろう? 石頭もクロネコもただの間抜けさ。女なんか待ってれば勝手にやってくるし、ちゃんと罠を張ればどうってことないのさ」

 ムラサキが、私の首に巻き付いたままの蔦を犬のリードのように手に持ったまま、背中からするりと抱きついてくる。冷たい体と、冷たい手。近すぎる顔。言いようのない不愉快さが背筋を走ったけれど、私はわずかに身をよじる程度の抵抗もできなかった。心を人質に取られてしまっては、人間はなんて脆いんだろう。

「あはは、すごいよリトルズ……女の体ってやっぱ面白いや」

「ねえムラサキ、どうしてこの女の足はカサカサなの?」妖精が私の顔も見ずにムラサキに尋ねる。

「裸足で歩き回ったから傷んでるのさ。女は脆いんだ」

「ムラサキずるいよ、アカも女触りたいよお」小さな手が、私をつねる。

「アオもほしい」

「オレンジも!」

「ミドリも!!」

 騒ぐ子どもたち。色で自分を呼ぶ彼らは皆、私の目からは一様に白く見える。ただ、頭のてっぺん、蕾のような先端の内側にわずかに色がかすんだ花弁があって、そこにうっすらと染まった色で、彼らは自分たちを呼び分けているようだ。

「うるさいなあリトルズ。これはムラサキのなの」ムラサキはクスクスと体を揺らしながら私のシャツの隙間に手を入れて、お腹を撫でる。「すぐに孕ませてもいいんだけど、その前にさ……ねえ、チサト、なんかできることある? 歌が好きなんだっけ?」

「…………」

 ねえ、好きなんでしょ?

「っ……」胸にひどい怖気おぞけを感じて、私は怯えるまま真隣のムラサキを睨んでしまった。心の中で自分以外の声がするのは、本当に最悪な気分だ。

「いやだなあ、そんな目で見ないでよ」意地の悪い笑顔を浮かべたまま、ムラサキは私の目元の涙を指で拭う。「元はと言えば僕を無視したチサトが悪いんでしょ? 自分の立場わかってる?」

「……はい」声を絞り出す。しゃべった瞬間またじわっと上ってきた涙を必死に堪えながら、私は虚ろな気分でただ目を伏せた。

「で、ほら、チサトって歌が好きなんでしょ?」

 頷く。

「なら歌ってよ、ほら」

 ドンと背中を押され、草原の中の少し開けたくぼみできた水たまりに突き出された。そういうシンプルに雑で乱暴な扱いもすごく傷つく。膝立ちで顔を上げれば、リトルズと呼ばれている小さな妖精たちがみんなムラサキにそっくりのニヤケ顔で私を見つめていた。

 どうしようもないほど、憎たらしい顔。

 胸が痛い。

 気分が悪い。

 当然、歌なんて歌えるわけがない。

「どうしたの? はやく歌ってよ」

 ほら、好きなんだろ?

 Sing a Song my baby?

 いつかきっと?

 あなたの歌を?

 だっけ?

 ほら、お前の歌を歌う番じゃないか。

 …………。

「おい歌えよ!」

「歌わねえの?」

「ツマンネ」

「ひっこめえ!!」

「脱げ!」

「脱げっ!!」

 口々に罵倒が重なる。私は多分、ひどい表情で泣いてたと思う。不思議だ。どうして他人にこんなひどいことができる? ひどいことを言える?

 私、なんでこんなところでこんな目に遭ってるんだろう……。

「もー、使えない女だなあ」

 また、ムラサキが私の耳に細い糸状の何かを指し入れた。全身にアルコールのような刺激が走る。

「ひゃっ……!?」

 思い出がめぐる……考えたくもないのに、勝手に……高校のこと、中学のこと、迷子の思い出、お母さんの顔……小さい頃に見た夢……。

「……はは、なに、チサトって人の前で歌ったことないの?」

 あぁ……くっそ。

「女の子なのにクソとか言うなよ、可愛くないな……ん?」

 ビリっと、脳裏に痺れが走った。

 私の部屋。

 ペンタスの青い花。

 そのシルエット。

「あれ、これは……」ムラサキの声が曇る。「なんか、見たことある気が……」

 ……見たこと?

「変だなあ」ムラサキはつぶやく。「チサトって……僕と会ったことある?」

 そんな……バカな……。

「もういいよムラサキ、さっさと脱がそうよ」

「裸見せろ!!」

「女見たい!!」

「わかったわかった、しょうがないなあ」耳から糸が抜かれ、私は強張った体に息を継ぐ。ムラサキが私の髪に指を絡ませて、脚を撫でる。「ほら、言われてるよ、チサト」

 スルスルと、狼たちに縛られていた手首のロープが解けていく。縄が食い込んでいた場所がジンジンと痛んだ。

「自分で、脱げるよね?」

「…………」

「できない? ほら、こうやってさ……」ムラサキの手が私の両手に重なり、優しく、強引に服の裾へと導いていく。「僕らにその温かい肌を見せてくれ」

 硬直。

 諦め。

 衣擦れ。

 歓声。

 何も見たくなかった私は、空を見上げる。まだ夜ではないはずだけれど、薄ら青い空には小さな星がいくつも瞬いていて、その美しい天蓋を空気の読めない灰色の雲が泥のように濁していた。また雨が降るのだろうか。服が濡れてるのって、最悪だ。脱いでしまえるのならそれでいいか……なんて、思ってもない言葉を雑になぞりながら、私は浅ましい声や手のひらが肌を撫でるのを遠くに感じていた。

 私、なんのために生きてるのかな?

 服を脱がされ、ぬかるんだ土に仰向けに寝かされた私は、小さな妖精たちに手足を掴んで押さえつけられる。

 また、空。

 ムラサキの陰った顔が星をさえぎる。

 白い顔につゆが走っていて……。

 それは汗だった。

「……チサト」ムラサキの声が、本能に震えてる。「そうだ、思い出したよ……僕はやっぱり、君を知っている」

 ハッと思ったその瞬間に、ムラサキの唇が私の唇に噛み付くようなキスをした。

 冷たい舌の、ぬるりと嫌な感触。

 苦い香り。

「っ……」

 体が強張って、息が止まって。

 すべてを受け入れようとした、その瞬間、ムラサキの手が私の手を握りしめた。

 発汗。

 トラウマが悲鳴を上げる。

 私は叫び声を上げて、ムラサキを力いっぱい振り払っていた。

 猿みたいな甲高い叫び声。

 ムラサキが吹っ飛ぶように私の体から転げ落ちた。

 それくらい、彼の体は軽かった。

 バシャッと飛沫が跳ねる。

「……え?」

 突然、冷たいシャワーを浴びたみたいに頭が冴えた。

 静かだ。

 何も聞こえない。

 ついさっきまであれだけ騒いでいた妖精たちの声が消え去って、ただ風が草葉くさはを揺らす僅かな囁きだけが場を満たしている。

 呆然としたまま、慌てて体を起こす。腕にわずかな重り。私を押さえていた小さな妖精が私の手首にぶら下がっていて、バツが悪そうにニコッと歪んだ笑みを浮かべている。正面では私に突き飛ばされたムラサキが頭をさすりながら、ノロノロとゆっくり体を起こしている最中だった。起き上がったムラサキは私の顔を見て、私の手にぶら下がっている小さな妖精そっくりの笑みを浮かべた。「……バレた?」

 バレた?

「バレたかな?」

「バレちゃった?」

「ムラサキがバレたの?」

 深呼吸。

 バレたか、だって?

 そりゃ、うん、バレたよ。

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