ムラサキと私3
「怒った!」
「女が怒った!!」
「チサトが怒ったよ!」
「逃げろ!!」
脱がされたシャツを振り回してヒステリックに暴れる私から逃げながら、妖精たちは大騒ぎで草むらの中へと走り去っていく。私はただ金切り声を上げて、目に溜まる大粒の涙を感情のままに絞り出していた。
もう、頭の中がめちゃくちゃだった。わけがわからない。自分が何をしたいのか、何を考えてるのかも全然わからない。わかるのは、今の私は最悪の気分で、そして過去最高に怒っているっていう、ただそれだけだった。
ドロドロの感情が止めどなく沸き立って、溢れかえって……。
ムカつく。
ムカつく。
ムカつくっ!!!
慌てて逃げ惑いながら、それでも面白がるように私に小さな木の実を投げつけて笑う妖精たちを追いかけ回して、濡れた服を叩きつける。一回も当たってないと思うけど、それでも泣きながら振り回す。
なんて……なんて嫌な気分だ。
最悪だ!!
「どうして?」どうして?
頭の中と外で、同時にムラサキの声。
「なんで」
そんなに、
「怒ってるの?」
僕らが
「ほんとは」
弱かったから?
「じゃあもし僕らが」
強い男だったなら、
「悔しくないわけ?」
……やっぱり女はズルいね。
「うるさいっ!!!!」ムラサキの声を振り払うように大声で叫びながら、私は木の上から私の頭にしがみついてきた一体の小さな妖精を振り落とした。
「いてっ!! はは、いたいいたい!!」
笑っているチビを掴もうとして、取り逃して、それでも勢いのまま木の幹へと追い詰める。
腕を振り上げ、妖精を見下ろす。
そいつは頭を庇いながらも片目だけで私を見上げて、まだ、笑ってる。
「アカを、叩くの?」
腕が、指先が、喉が震えてる。
「殴るの? 痛いことするの? 女の子なのに?」
呼吸が荒くなる。
色々と、言いたくなる言葉はたくさんあったはず。
何かを言おうと口は動いたはず。
でも……。
突然、裸でこんなことをしているのが嫌になって、私は濡れて汚れたシャツを急いで頭から被った。
「ええ、服着ちゃうの?」
「濡れてるでしょ?」
「僕らのドレスもあるんだよ?」
「うるさいっ!!!」一喝して腕を通そうとしたら、首につながったままの蔦がつっかかった。リードみたいに伸びた緑の蔦の先をムラサキが掴んで笑ってる。小馬鹿にした妖精たちの笑い声。私は怒りを噛み殺しながら、首の蔦を手で無理やり引きちぎった。
「……行っちゃうの?」
ムラサキの声。
シャツに腕を通して、ムラサキを睨む。彼は足を伸ばしてだらんと座りながら、ムカつくほどきれいな顔で私を真っ直ぐに見つめていた。
「わかってるだろ? 君は本当はここにいたほうが安全なんだ。言っちゃ悪いけど君は弱いし、バカだよ。今まで捕まえた女で、バカ正直におっぱいまで見せてくれたの君だけさ」
叫び返そうとした声が、胸のどこかにつっかえる。
「約束したよね? チサトは僕の言うことをなんでも聞くって。約束破るの?」
……約束?
約束だって?
どうしてお前らがそんな言葉を使えるんだ?
誠意なんて一つも持っていないくせに……っ!!
いろんな怒りの言葉が喉元までグラグラと蒸し上がって、もう爆発寸前だったはずなのに、私はただ涙で一杯の目でムラサキをにらみ続けることしかできなくて……。
ああ、気持ち悪い。
私はなんでこんなところに突っ立っているんだ?
もう嫌だ、全部なかったことにしてしまいたい。
こんな奴らの顔なんて、もう、二度と見たくない。
結局、私は何も言わないまま妖精たちに背を向けて走り出していた。
背中を突き刺す笑い声。
「走れ!!」
「頑張れチサト!!」
「弱虫!」
「呪いの森には入るなよ!!!」
「アハハハハハ!!」
クソ……クソぉっ!!!
首に巻きついたままの蔦の首輪が、ジリっと震える。
「うっ……!?」
だから、クソとか言うなって、チサト。
後悔するよ。
もう手遅れなんだ。
君は必ず、僕のものになる。
必ずね。
「黙れッ!!!!」叫びながら、蔦に爪を食い込ませて力いっぱい引きちぎる。
はは……ははは……。
頭の中の笑い声が遠くなる。
覚えといてよチサト……戻ってきたら……僕を裏切ったことを絶対忘れさせないからさ……。
ブチッ。
蔦が剥がれると同時に、ムラサキの声もどこか遠くへ途絶えていった。
まだ、走る。
濡れたシャツが肌に張り付いて、不快だ。
草や小石が裸足の足を傷つけて痛い。
寒いのに、雨上がりの日差しだけがジリジリとヒリつく。
それでも、走り続ける。
嫌いだ。
こんな世界、大嫌いだ……。
こぼれ続けていた涙があふれ、次第に前が霞んで見えなくなり、私は膝をついて顔を覆った。
そして、大声で泣き始めた。
「うあああああああああああん!!!!!!!!」
今更になって、何もかもが本当に悔しくなってきた。
騙されたこと。
好き放題言われたこと。
頭の中を覗かれたこと。
服を脱がされたこと。
ムラサキにキスをされたこと。
最悪で、最低の体験だった。裸を見られたくなかったとか、キスされたくなかったとかじゃない。そういう扱いを受けたことが、何よりも不愉快だった。謝らせたかったわけじゃない。あいつらが私を誤解してるってことを何一つ理解させられなかったのがどこまでも悔しかったのだ。
ちくしょう……ちくしょう!!
何が女はズルいだ!! ズルかったのはお前らじゃないか!! お前らはズルいくせにただただ堂々と悪びれないで!! 最低でっ!!
それを……私は、男はズルいなんて考えないのに。
私があの妖精を叩かなかったのは、私が女だからじゃないのに……。
私は、私だ。
体は女かもしれないけど、心は、私だ。
弱くてもありふれていても、いつだって自分の頭で考えてきた。
私は……私なんだ。
私だったんだ……。
涙が止まらない。こんな世界に放り投げられて、嫌な目にたくさんあった私は、今更自分が本当に望んでいたことがわかり始めていた。
ひどい目に遭いたくない。
そう願うことは、生きたいって気持ちと変わらないものだった。
ああ、お母さん。
私、家に帰りたいよ……。
「……さいあくだ」嗚咽の中に、言葉がにじむ。
私は、気がついた。気づいてしまった。自分がまだ生きていたかったことや、こんな扱いを受けたくなんてないこと。セックスは嫌なこと。子どもなんて産まされたくないこと。明日を夢見ていたこと。やりたいことがあったこと。
最悪だ。
こんなこと、まだ気がつくべきじゃなかった。
涙を拭い、なんとか立ち上がろうとした私の頭上で、何かが羽ばたく音がする。石の鳴るような笑い声と暗い影、悪い予感。
見上げた空に、悪魔が浮いている。
石の体で、真っ赤な瞳の、悪魔たちが群れ。
「女だ!!」
「女を見つけた!!」
「ミョウジョウ様への捧げものだ!!」
そう叫んで、私を見下ろしてる。
……ほらね?
今の私には、余計に辛くなる未来しか、残っていないんだ……。
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