第2話 常識

先程定義した様に、自分ルールとは個人の拘りであると言える。

それに対して、法律とか慣習は集団に共有され、肯定されていると言う前提の違いがある。


なるほど、個人の拘りを、法律の様に他人に押しつければ嫌われる。当然の事だ。

私も昔はそう思っていたので、自分ルールを他人に押しつけてはならないと思っていたし、そう言ってもいたと思う。


それが変わっていったのは、常識と言うもののあやふやさを知ったからである。


常識と言う言葉は、英語のコモンセンスの訳語である。コモンセンスは普遍感覚とか訳した方が良かったのではないかと思うが、もう通用してしまっているので仕方がない。常識と言われると、センス・感覚と言うよりも、知識の方を連想してしまう。日本の常識と言う言葉と、英語のコモンセンスは最早違う捉えられ方をしているかも知れないなと思う事もある。


さて、脱線したが、本筋に戻ろう。あなたは常識を知っている人だろうか。

私は自分が常識を知っていると思う事もあれば、自分には常識が全然ないと思う事もあった。それと言うのも、常識は知っていないと恥ずかしいものだと考えられているからだ。私は常識を知ったかぶりしていたと思う。


笑うだろうか。あなたはどうだろう。自分が常識を理解している、全ての点で十分に分かっていると言えるだろうか。では、常識の内容を定義し、あるいは列挙して欲しい。


私には出来ない。


私が言おうとしている事が分かって貰えただろうか。

常識とは、実は自分ルールであるかも知れないのだ。


もちろん常識は自分ルールではないし、そうであって良い筈がない。

常識は普遍感覚である。だが、自分ルールは個人の拘りである。

意味は正反対と言って良いものが、何故まぜこぜになってしまうのだろうか。


私が言いたいのはそれである。

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自分ルール ななし @invisible1984

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