第23話 林檎食べる?




外は快晴なのに、僕の気持ちは曇天だった。

いや、曇天というよりも、嵐が来たかのように感情が揺れ動いていた。


――ただ妄信的に緋月様が正しいとばかり思っていた……


身体疾患者も、精神疾患者も、分け隔てなく接し、生活できるように手厚く福祉を充実させ、共に生きられるようにしてきたはずだ。

しかし、それは健常者こちら側の理屈だ。

実際の疾患のある人は、生きる事すら苦痛を感じることもある。

自殺は減ってきているが、完全になくなったわけじゃない。自殺未遂だってまだまだ改善の余地があると思われる数字だ。

それでも完全になくなるわけではない。いつの世も、死にたいと思っている人はいる。


――僕も、ただ生かされただけだったら……


何の希望もなく、ただ生かされるだけだったら、どんなに苦痛を感じていたか解らない。

明日の見えない恐怖がずっと付きまとっていただろうか。

それとも、歳月が過ぎれば気持ちも晴れていくのだろうか。


――でも……目の前に希望がなければ生きていけない……


そもそも生まれてこなければ、苦しむこともなかった。

全く持って否定できない考え方だ。それが黒旗の考え方。生まれてくるのなら完璧な姿で生まれるべきという考え。


そして、


今いるを完全に排除するということ。

赤紙を解体し、精神疾患者や身体障碍者を徹底的に排除する。

それが黒旗の理念。


――優生思想か……


大昔は、強制不妊手術をしてそれが大問題になった時期もあった。

今もそれは許されていない。

しかし、民主主義だった当時にそれが一時的にでも許されていたということは、国民は暗にそう願っていたからだ。それが当然だとすら、思われていたからだ。


僕は膝を抱えて丸くなる。


――今は……? 今はどうなんだろう……? 僕は許されてる? 他の……区代表たちも……?


違う。

完全に許されている訳じゃない。黒旗という組織が僕らを何もかも否定してくる。


――違う……許されるとか、許されないとかじゃない。生まれてきたことを、その人の人生を否定することなんて、誰もできやしないんだ……


僕は『崇高なる理念』の本を閉じて、1区の街へと繰り出した。




◆◆◆




【1区 某 カウンターバー】


そこは昼間なのにも関わらず、薄暗く怪しげな雰囲気が立ち込めていた。

地下1階。

照明は最低限にしてある。

カウンターにはたくさんのお酒が並んでおり、そこにはお酒を飲んでもいいという“許可証”を持って入ってきた者だけがそれを飲むことができる。


「おい緋月、なんでお前がここにいるんだ?」


いつものきっちりとした赤紙の制服とは違う、派手な装いの達美がカウンター席に座っていた。

髪の毛はいつも通り片方はパーマがかかっていてウェーブしている。黒く長い髪をワックスで盛っていて、やはり制服をしっかりと着ているときとは全く異なる印象を受ける。

緋月は長い髪をまとめて縛っている以外はいつもと同じ格好だ。首に録画用デバイスがないだけで、いつもの動きやすい赤紙の制服を着ている。

それをみたバーの店員や客は緊張した面持ちで酒を飲んでいたに違いない。


「あぁ、達美、やっほー」

「今日はオフだぞ。俺にかまうな」

「そんなこと言わないでよ。私もたまの気分転換なんだからさ」

「……ちっ……いつまでそんなところに突っ立っているつもりだ。座れ」


顔が少し紅潮している達美は、まだカクテル2杯目だった。

あまりアルコールに強いクチではないらしい。


「達美、『クラクラ』の調子どう?」

「『クライム・クラウン』だ! 略すな!!」

「はっはっは、そう怒らないでよ。リンゴジュースくれない?」


店員は緋月の要望にすぐさまリンゴジュースを差し出した。


「リンゴジュースって……お前、ガキか?」

「酒は嫌いでね」

「…………あぁ!? 何見てやがる!? 見世物ではないぞ!!!」


達美さんが突然、大きな声で周りの客に向かって怒鳴る。

「あーあ」と、声には出さないが緋月はストローでリンゴジュースを飲んでいた。


「お前がいると俺までジロジロみられるだろう!?」

「解ったよ。ちょっとみんな、悪いけど出て行ってくれない? 30分だけ。マスター、少しの間貸切らせてくれないかな?」


スッ……と、緋月様はポケットから大金をマスターと呼ばれた男性に提示する。


「は、はい。かしこまりました」


それからあわただしく客が出て行った。

達美は心底面白くなさそうにカクテルをあおっている。そうして誰もいなくなったバーはシン……と静まり返った。

「マスターもちょっと表に行っててくれない?」と、完全に人払いを済ませ、そこには緋月と達美だけになった。


「それで? 俺に何の用だ緋月」

「オフレコで頼みたいんだけどさ……この前達美のとこで黒旗の連中が“麗様の死体を返せ”って言って死傷事件起こしたでしょ?」

「仕事の話か……休みの日だってのに……」


ぶつぶつと達美は面白くなさそうにぼやく。


「まぁまぁ、そう言わないでよ。『ゲルエレ』のときの恩があるでしょ?」

「『ゲルセミウム・エレガンス』だ!! 喧嘩を売っているのか!? いつまでもそのことで俺をゆするな!!!」

「ゆするだなんて、人聞きが悪いなぁ。ま、誰も聞いてないんだけどね」

「それで!? 本題をさっさと話せ!」


カンッ! と、グラスが割れる勢いで達美はグラスを置く。


「ははは、ごめんごめん。でね、それって、他に言ってる人いた?」

「他とは? 10区に移動させたその2人だけだ」

「ふーん。なんかひっかかってね。“麗様”って、あの黒旗の崇拝してる水鳥麗のことでしょ? あるわけないのにさ」

「確かにお前と同じでおかしなやつらだったが……どうせパラノイアか統合失調症かなんかだろ」

「にしても、2人で同じ妄想を持つのは変だと思わない?」

「変だろうが、そうでなかろうがどうでもいい」

「ま、そうか。何か達美は知ってるかなと思ってさ」

「そんなこと、休日に聞きに来るほどのことか? 報告したのも少し前だろう。それに詳しい話は俺ではなくて、10区の移動させたやつらに聞け」

「最近、どうにも黒旗の動きが怪しくてね……その10区のやつらは10区代表が始末しちゃったからきけなくてさ。ていうか、私が直接聞いても絶対教えてくれないでしょ」

「…………」


緋月は出されたリンゴジュースを飲み終えて、カランカランと片手で氷を転がす。


「黒旗の動きが怪しいって言うのは、近々何か仕掛けてくるかもってこと。黒旗の人間の徹底的な洗い出しをしたいんだ。1区から10区までの黒旗の人間たちは独自のコミュニティを持ってる。それをまず絶つ」

「……それは、急務なのか?」

「そう。休み明けてからでいいよ。この話は区代表一人ひとりにオフレコでするから、達美からは何も言わなくていい。私が正式に発表するまで、黙っていてくれない?」

「全員を集めて一気に言えばいいだろう? こんなわざわざ休みの日に……」

「区代表全員が信用できると思う? 私は信用できる順番に話をしていくつもりだよ。ちなみに……達美が1番目だよ」


1番と言われ、悪い気がしなかった達美はそれ以上文句を言わなかった。

カタン……と緋月は達美の隣の席から立ち上がる。


「たまには達美に、また服を仕立ててもらおうかな。いつも制服と研究服ばかりだからさ」

「ふん……いつも服に無頓着なお前が珍しいな」

「『ゲルエレ』も『クラクラ』も好きだよ。着る機会はなかなかないけどね」


カツカツと鉄板の敷かれる床を、出口の方へと緋月は歩いて去って行く。


「略すなと言っているんだ!! おい、緋月! おい!!」


結局言いたいことを言いたい放題言って出て行った緋月に対し、達美は苛立ちを隠せないでいた。

パキンッ……と、達美が力を入れすぎてグラスの柄が折れてしまう。

折れた硝子の破片が達美の細く、長い指を傷つけた。


「…………ゲルセミウム・エレガンスなど……」


達美は過去のことを、割れたグラスと溶けた氷に映すように思い出していた。




◆◆◆




【達美 9年前】


クマはそう濃くなく、髪の毛も少し長い程度で、装いもそう派手という訳でもない。

と、いうよりはよもや浮浪者のような恰好をしていた。

達美は同じようにカウンターバーで酒をあおっている。

しかし、その量は桁違いだった。強いわけでもないのに、吐きつぶれるまで酒をあおる毎日だ。


「畜生……」


冷たい大理石に顔をうずめるようにして、現実のすべてから逃げるように酒におぼれる。


「達美さん……飲みすぎですよ」


まだ若い、金髪の男は達美に対してそう呆れながらつぶやいた。


「うるさい!! もっとカクテルを出せ!!」

「……解りました」


もう味など解りはしない。

何もわかりはしない。

達美はこのまま溺れ死んでしまおうかとすら考えていた。

そのときに、カツカツと音がして、店の中がざわめいたのを達美は感じた。


「赤紙でーす。お酒の“許可証”がない人にお酒を出してるって聞いたんだけど? マスター?」


おもむろに酔いつぶれている空いていた達美の隣に座り、マスターと呼ばれた男を見つめた。

達美はその銀髪の女性を見たことがあった。


「も……申し訳ございません!! 緋月様!! お許しを……!」


――ひづき……?


ゆらゆらと揺らぐ視界で、達美はその銀色の髪の女性を見つめる。後ろにスーツ姿の男が仁王立ちで立っていた。

それが第三者委員会の男だとは、達美は酒を飲みすぎて解らなかった。


「駄目じゃない。一緒に来てもらうよ」

「緋月様! 申し訳ございません!! どうか……どうかお許しを……!!」

「ふーん? 実はね……君が“許可証”のない人にお酒を出したばかりに、暴力事件にまで発展してるんだよね? しかも、殴られた方は顔の骨折れてるし、片目が潰れちゃって戻らないわけ。事の重大さ解ってる? こういう事件を防ぐために、お酒は許可制をとってるんだよね。学校で習ったでしょ?」


緋月はそうまくし立てると、袖の中から赤い触手のようなものを素早く出し、金髪のマスターを素早くとらえた。


「うぁああああっ!!」


まるで子供のように暴れ、マスターは恐れおののいている。


「緋月様、強引すぎでは?」

「そう? じゃあ恭平きょうへいが連れていってくれない?」

「……かしこまりました。本人の自供もとれましたし、非を認めているようですから」

「私は無許可で酒飲んでる人を洗っていくから」

「なら、暴力的なことはされませんようにお願いします」

「大丈夫大丈夫、しても腕の骨を折るくらいだから」

「…………連れてゆきます」


恭平と呼ばれたスーツの男は、ガチガチと歯を鳴らして怯えているマスターを連れて出て行った。


「さて……君は? 許可証持ってる?」


緋月は達美に対して話しかけた。

達美はポケットを探って、飲酒の許可証を見せる。見せるが、ぽとりとそれは床に落ちた。

達美はそれを拾うことすらできない。


「飲み過ぎじゃない? ……あれ? 達美?」


自分の名前を、赤紙の代表に呼ばれたことに驚いて達美は顔をあげて何度か瞬きをする。


「『ゲルエレ』のトップデザイナーの達美でしょ? あの派手な感じの服、好きなんだよね。着る機会はないんだけどさ」


『ゲルエレ』と略されたことに、達美は怒りが爆発する。


「『ゲルセミウム・エレガンス』だ!!!」

「あはははは、やっぱり『ゲルエレ』の達美じゃん。こんなところで何酔いつぶれてんの?」

「人の話を聞け!!!」


怒り心頭の様子の達美を差し置いて、緋月はお腹を押さえて笑う。


「はははははは、ごめんごめん」

「まったく……なんなんだ……」


達美は再び暗い顔をする。歯を食いしばって、悔しさを滲ませた。


「俺は……もう『ゲルセミウム・エレガンス』のトップデザイナーじゃない……」

「え? 譲ったの?」

「譲るわけがないだろう!? 奪い取られたんだ……」


ガンッ! と達美がカウンターに拳を打ち付けると、近くにあったグラスが揺れて波紋を起こす。

カクテルの上の小さなさくらんぼが氷の中で凍えていた。


「奪い取られた?」

「そうだ! 俺は……やってもいない汚職の嫌疑をかけられて、『ゲルセミウム・エレガンス』の上層部何人かに落とされたんだ……」

「へぇ? なんか嫌われるようなことしたの?」

「…………俺が、気に喰わないとか……そんな理由だ……ちょっと他人と違うからって……!!」


ガシャン! 達美が再び振り下ろした拳は、グラスをたたき割った。

さくらんぼや、その中のカクテル、氷、すべてが飛び散った。


「…………血、出てるよ」


緋月はそっとポケットから赤いハンカチを取り出して達美に差し出す。

一向に受け取らない達美に対し、緋月は達美の怪我をしている手を無理やりに掴む。


「俺に触るな!」


緋月の手を乱暴に振り払うと、達美は自分の手をにぎりしめる。


「……ごめん。でも、ガラスの破片が刺さってる。抜かないと」

「自分でできる!」

「そうかな? 結構深く切れてるよ。止血しないと」

「うるさい!」


その押し問答を、他の客は唖然としながら見つめていた。

こっそり抜け出そうとする客もいる。

が、ガンッ! と緋月の身体から『血の裁量』がでてバーから出ようとしていた男の前をふさぐ。


「出て行っていいとは言ってないよ」

「ひっ……ごめんなさい」

「全員許可証を額の上に掲げろ! 持ってない奴は連行する!」


急に手際よく許可証を持っているかどうかを確認する緋月に、達美は目を奪われた。

キビキビと確認しては許可証を持っている者と持っていない者を分別していく。

その間に達美は痛みで酔いが醒めてしまい、急に手の痛みがリアルになってきた。

硝子の破片を抜こうとするが、痛みでとることができない。


「くそっ……」


血がポタポタと流れる。

その血が気になって達美は緋月に渡された真っ赤なハンカチで何度も何度もカウンターを拭く。

それに気を取られ、更にガラスの破片を抜く作業がはかどらない。


「とれた?」


緋月は分別を終えて、許可証を持っている人間を外に出した。

達美の横に座り、触れることなく手の状態を確認する。


「俺にかまうな!」


ズッ……


一瞬の痛みだった。

緋月の細かな血の裁量は、一瞬にして達美の手に刺さっている硝子片を総べて引き抜いた。


「うっ……」

「触ってないよ。ほら」


あっという間に達美の手に血の裁量がハンカチを結び、ギュッと止血した。赤いハンカチが更に赤くなっていく。


「達美、グラスを壊した件についてはマスターが捕まって所有者がいなくなったことで不問とするよ。でも、自分の手をそんな風に傷つけたらいけない。達美はすごいデザイナーなんだから」


そう言うだけ言って、緋月は許可証を持っていなかった連中を連れて出て行った。

そこには達美しかいなかった。

割れたグラスをぼんやりと見つめて、ギリギリと怒りを滲ませるが

もう手を叩きつけることはなかった。



数日後、驚くべきことが起きた。

『ゲルセミウム・エレガンス』の現トップデザイナーたち――――達美を貶めた奴らは区間移動することとなったのだ。

滅多にインタビューに応じない緋月が、記者に対して面倒くさそうに答えている姿は瞬く間に全区に流れた。


「いい? 『ゲルエレ』のトップデザイナーは汚職なんかしてない。区間移動になったやつらに貶められただけ。現に、ここに証拠がある。達美が潔白だっていう証拠がね」


そこには、達美がかけられた嫌疑を晴らす証拠が移っていた。

達美をはめた奴らの汚職の証拠は大々的に報道される。

それを見た達美は憤慨した。


「ゲルエレじゃない! 『ゲルセミウム・エレガンス』だ!!!」


その文句を一言いう為に、そこから達美は赤紙を目指した。

試験を受け、合格し、そして赤紙内にて再び緋月と会いまみえることになったのだ。


「おい、緋月!」


廊下を歩いていた緋月に対して、達美は大声で話しかけた。


「おい、あいつ、緋月様を呼び捨てなんて……」

「恐れ多い……なんてやつだ……」


廊下にいた他の赤紙員がそう口々にそう言う中、緋月は振り返って達美を見た。

その手にはかじりかけの林檎があった。


「あれ? 達美じゃん。赤紙入ったんだ」

「いいか!? ゲルエレではない、『ゲルセミウム・エレガンス』だ!」

「え?」


緋月は呆気にとられながらも林檎をかじる。


「林檎を喰うな!」

「達美も食べる?」

「いらん!!」

「あはははは、そう」

「だから林檎を食べるな!!」


騒ぎを聞きつけたのか、達美の上司が達美に駆け寄って頭を無理やりに下げさせた。


「申し訳ございません! 緋月様!」

「え? 何が? 別にいいよ。林檎食べる?」

「おい! 俺に気安く触るな!!」


上司の腕を振り払い、達美は再び緋月に食って掛かる。


「いいか!? 俺は『ゲルセミウム・エレガンス』なんて捨ててやった!」

「そうらしいね。残念」

「その代わり! 『クライム・クラウン』というブランドを新規に立ち上げて独立する!!」

「おぉ! そうなの? それは楽しみだな」

「そうしたら! この赤紙のだっさい制服は俺がデザインし直してやるからな!!」


人差し指を突き立て、緋月に向かう達美に迷いはなかった。


「そっか。楽しみにしてるよ達美。『クライム・クラウン』じゃ、『クラクラ』だね」

「略すな!!!」


それは、赤紙の中で今も語り継がれる一つの伝説だ。




◆◆◆




【達美 現在】


「ふん……緋月は馬鹿だから……長い名前を覚えられないんだな」


傷ついた自分の手を、ポケットから取り出した少しほつれた赤いハンカチで血をふき取り、握りしめる。

達美は代金を大目に置いて店を出た。

外には立ち話をしていた客が、口々に緋月の話をしていた。


「緋月様がここにきたなんて、すげー」

「8区代表の達美様が来ていななんて、俺気づかなかったよ」

「いいなぁ。緋月様が使ってたグラス、俺に買わせてくれないかな」

「絶対スゲー値段で売れるぞ!」


達美はカチンと来て男たちの中に割り込んだ。


「おい」


達美に声をかけられた男たちは「ひっ」と短く悲鳴を上げた。達美は背が高く、立ち上がると威圧感がある。


「そういう行為は禁止されていると知らないのか?」

「ご、ごめんなさい!!」


男たちは蜘蛛の子を散らすように解散していった。


「ふん……」


達美は帰り際に黒旗のことを考えていた。


――ひと悶着あるのか……緋月がいつになっても解体しないせいだ……


酔っていても達美の姿勢はまっすぐに保たれ、モデルが歩くような姿勢で歩いている。

出たバーからまっすぐ歩くと、1区の優輝が経営している風俗店がある。娯楽街の一番大きい店だ。

その店の出先に優輝がなまめかしい服装をして出てきたところ、ばったりと達美と会う。


「達美じゃない。顔が赤いわよ。また昼間から酒飲んでるの?」

「……面倒なのに今日はよく会うな……」

「ちょっと、聞こえてるわよ」


優輝は怒りながら手を腰に掛け、その華奢な身体をくねらせる。


「ねぇ、今日はあたしで遊んでいかない?」

「……俺がそんなことするわけないだろ。そういうのは葉太に言え」

「嫌よ。葉太なんて絶倫すぎて。ていうか、葉太は異性愛者ヘテロセクシャルよ? 無理無理」

「…………気色の悪い話をするな」


達美は再び歩き始める。


「達美、『クライム・クラウン』の新作、またあたしに卸してよね」

「『クライム・クラウン』だ!」


振り返って思い切りそう言った後に、ハッ……と達美は、更に顔を紅潮させる。


「だからそう言ってるでしょ? あんた、もう一人の“面倒なの”って緋月のこと? あんなのと一緒にしないでよね」

「…………ふん」


再び達美は優輝に背を向けて歩き始めた。


「『クラクラ』なんて言うの、緋月だけよ」


聞こえない程度の声で、優輝は毒づく。

優輝から見て、心なしか達美の口角がいつもよりも上がっているような気がした。



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