第22話 殺したのは私じゃない




【黒旗 教会内】


黒旗の教会の中で雪尋がお祈りをしているさ中、いつも疑問に思うことがあった。

教祖様はあまり謁見しない。具合が優れないことが多いらしく奥の部屋にいて、稀に特定の人物が来たときだけいつも必ず謁見することに気が付いた。

それはフードを被っていて見るからに怪しげな男だ。

その男は大きな鞄を毎回持ってきている。雪尋はそれに気づいた。

その男は毎月、月の終わりの日に現れることにも。しかし、その男は雉夫と謁見するときは決まって教会が閉まるギリギリの時間にきて、その後の足取りが全く掴めないでいた。


その男は医師なのだろうか? 何の話をしているのだろう?


以前教会に来たあの神童が神経毒がどうのこうのと言っていた。もしかして、緋月を殺す手立てを秘密裏に立てているのだろうか。

だったら俺にも参加させてほしい。

その欲望から雪尋はいつも男がくる時間に合わせて教祖との謁見を申し出た。時間がギリギリだった為、断られるかと雪尋は緊張していた。


「許可が下りた。入りなさい」


雪尋は雉夫のいる謁見の間に入った。

不思議な匂いの香が焚いてあり、なんだか頭がクラクラした。香を焚いていたり、いなかったりするのは何故だろう。

そんなことを雪尋は考えた。


「雉夫様、お身体はよろしいのですか?」

「あぁ……大分いい。ありがとう……」


しわがれた老人の声。


「どうしたんだ……雪尋……」

「俺は緋月を殺せるのなら、命は惜しくはありません。どうにかならないのでしょうか。いつでも黒旗の為に命を散らす覚悟です」


雪尋がそういうと、雉夫は息苦しそうに笑った。


「ははは……若いのに殊勝な心掛けだ……。しかし、赤紙に強い怨恨があるようには……見えないが?」

「俺は……子供区にいたときから自分の居場所がなかったんです……。国の教える『平和』や『正義』に疑問がありました。でも周りの誰もそれを理解してくれませんでした」


雪尋は幼少期から少し浮いていた自分を思い出し、苦い気持ちを押し殺す。


「俺が赤紙を憎む理由は……母さんの件です。母さんが一生懸命働いていて、苦労をしているのは知ってました。周りの人もそれは解っていたと思います。でも、誰も母さんを助けようとはしなかった……俺の兄も結局何もできずに母さんは死んだ。俺は母さんが生きていたときに赤紙に訴え出ました。でも、赤紙は取り合ってくれなかった」


雪尋の拳は震えていた。


「当然と言えば当然でした。事件性もないですし……俺が父さんに戻ってくるように言っても何の効果もありませんでした。でも、母さんが死んで、兄が自殺未遂をしたときに……緋月はやっと出てきた。そんなの……! 俺が言ったときにはなにもしてくれなかったのに、どうして兄が自殺しかけて今更動いてくれたって…………母さんは戻ってこないのに! それに、区間移動になって、会うのに制限がついて……つらい思いをしている人を何人も見てきました。こんな政治、おかしいです。ただでさえ人口は極限まで減っているのに、こんなこと続けていたら、今度こそ人類は滅びますよ!」


雪尋の目から涙が零れそうになっていた。それを必死にこらえている。


「そうか……それはつらかっただろう……助けてあげられなくて悪かったな……」

「雉夫様のせいではありません!」

「私も……大切なものを奪われてきた……憎しみで我を忘れそうになることもある……」


雉夫がそう口からこぼすと、扉がノックされ門番の男が中をのぞいてきた。


「雉夫様、例の者が参りました」

「通せ」

「はっ。雪尋、外に出ろ」


ついに接触できると思っていた雪尋は、明らかに肩を落とした。


「構いませんよ。私は」


外からその男と思しき声が聞こえてきた。透き通るような声をしていた。


「私もかまわん……話の途中だったからな……」


門番は雉夫に一礼し、男を中に入れて扉を閉じた。その男は背が高く、フードを深々とかぶっていた。


「おや、お若いのにご熱心だ。赤紙についに戦争を仕掛けると聞き及んでおりますが、この少年もでしょうか?」


――赤紙に戦争? やっぱりそうなんだ


黒旗は水面下でずっと赤紙と闘う準備をしていたんだ。そう雪尋はその言葉を聞いた瞬間に沸き立った。

そう言った男はフードで顔は見えない。

マスクもしているようで、更に顔が見えなくなっていた。


――こんな怪しい男が雉夫に謁見している理由はなんだ?


と雪尋には疑問に思った。


「はい、俺も戦います!」

「ふふふ、そうですか。では『毒』を彼に持たせるというのはいかがですか?」


やはり神経毒の話は本当だったようだと、雪尋は一層緊張した。


「それは……最も危険だと思うが……」

「いえいえ、逆です。緋月は子供になら警戒心が薄い。いかがです?」

「まだ若い……子供な上に――――」

「……やりますよ」


震えた声が響く。


「俺にやらせてもらえるなら、やらせてください!」


フードの男が雪尋の顔をまじまじと見つめる。とても冷たい眼差しだったが、雪尋にはその男の目は見えなかった。


「…………君は、緋月が最近赤紙にいれたという子供の弟の……?」

「えっ……何故知って……」

「……余計に気に入りました。緋月は身内に甘い。手が出せないでしょう」


フードの男は鞄から5本の注射器と、金属の容器に入っている箱のようなものを雪尋にわたした。


「おい、勝手に……」

「よいではないですか。子供の方が大衆の心を打ちますよ」


フードの男は気にする様子もなく説明を始めた。


「ではこちらをお渡しします。貴重なものなので、どうかお取り扱いにご注意ください。その毒を注射器1本うてば、完全に動きを封じることができます。ただ、それは緋月やあの悪魔用のこの世で最も強力な毒ですので、くれぐれも人間にご使用なさらないでください。ほんの微量を吸い込んだり、液体が皮膚についただけで死んでしまいます」


雪尋はそう言われ、渡されたその金属の箱を持つ手が震えた。


「注射器に入れるのは直前でなければいけません。変に空気に触れてしまうと化学反応が起きてしまいますので開けたりしませんように。私も当日は参戦させていただきます。またご連絡ください」


フードの男はそう告げて去って行った。

雪尋は怪しく光る銀の箱を持って立ちすくんだ。


――本当に、殺せるのか……これがあれば……


躊躇いももちろんあった。しかし、それ以上にやっとこの恐怖政治から逃れられるという期待感が胸に膨らむ。

“殺す”ということに強い抵抗感がありながらも、雪尋は「俺の手で終わらせる」と、強い覚悟を抱いた。




◆◆◆




朝起きると、もう9時を回っていた。

部屋の中には朝日が差し込もうと必死にカーテンを押しのけようとしているように見える。

わずかな隙間から光が差し込んできた。


「…………」


目を覚ましても、僕は身体を中々起こすことは出来なかった。

日々の肉体的な疲れに加え、精神的な疲れで僕は天井を暫く見つめたまま動くことができない。


――佳佑さんも……こんな感じで動けないんだろうか……


意を決して僕はベッドから起きると、顔を洗って寝癖を軽く直し、歯磨きをしてから食事を摂ることにした。

緋月様が持ってきてくれたサンドイッチがまだ残っている。

冷蔵庫からサンドイッチを出して、包みを向いて食べようとすると、ポロポロと端から崩れる。

口に含むとパサパサになってしまっているようだった。


――冷凍しておけば良かったかな……


モグモグとそれを食べながら、枕元に置いておいた『崇高なる理念』と『ウロボロスの指切り』に視線をやるが、もう僕は食べ物を持っているときに本を触るのは辞めようと固く誓ったばかりだ。

そのパサパサになってしまったサンドイッチを食べきり、僕は手を洗ってベッドへ再び身体を放り出す。


「……あ……」


食人の話が出てくるから、食べる前の方が良かったかなと食べ終わった後に思った。


――食人の話が出てこないところを読もう……


僕は前に気分が悪くなってしまったであろうページを目を細めてなんとか読まないようにした。

そこから数ページめくったページは、もう食人に関する供述ではなくなっていた。


――この辺りは殺害動機に関しての話だ……


『弁護士「なぜ木村冬眞を殺したのですか?」

麗様「もう、終わりにしなければならなかったから」

弁護士「何を終わりにしなければならなかったのですか?」

麗様「冬眞の苦しみを、終わりにしなければならなかった。ずっと統合失調症の妄想や幻聴で相当に苦しみを抱いていたし、世の中の彼への理不尽なまでの憎しみを彼は受け止めきれない。私が三日三晩説得し、一緒に死のうって話で冬眞は渋々納得してくれた」

弁護士「あなたは生きていますが?」

麗様「そう……私は冬眞を騙した。冬眞は私の腕の中で死んだ。考えられる限り、それが当時の冬眞にとって無難な死だった」

弁護士「どうして騙してあなたは生き残ったんですか?」

麗様「裁判で、冬眞を無罪にするべきだって話をするため。もう十分彼は苦しんだ。不名誉な有罪を取り消してもらいたい」

弁護士「彼を殺さない選択は出来なかったのですか?」

麗様「だから…………いや、いくつか条件が揃えばそうしなくて済んだ。この事件自体も起こさずに済んだ」

弁護士「その条件とはなんですか?」

麗様「冬眞を心神喪失と認めて無罪にして、病院にて適切な治療を受けさせること。私との面会の制限がつかないこと……その後の彼の人生を、誰も糾弾しないこと……それが揃っていたなら私は200人以上も殺すようなことは絶対になかった」

弁護士「絶対になかったと言い切れるんですか?」

麗様「言い切れる。私はそんなことしても、なんの利点もないから」

弁護士「少し話を戻しますが、あなたの腕の中で死ぬということが、木村冬眞にとって“無難な死”というのはどういう意味ですか?」

麗様「冬眞は私のことを……誤認している部分もあったけど、信じてくれていたし、少しは私のこと好きでいてくれていたと思う。独りじゃなくて、2人で一緒に死を選ぶということは彼にとっては最高に幸せとは到底言えないけど……でも最悪にツライ今からの解放という意味では“無難”だったと思う。私は冬眞を助ける時にすでに何人か毒殺していたから、捕まれば死刑は免れなかった。そうしたら私たちは永遠に会えなくなってしまう。だから一緒にいられる“今”、終わりにしようと」

弁護士「三日三晩説得したと言っていましたが、説得するのは大変でしたか」

麗様「それはそう。冬眞は微塵も“死にたい”なんて思ってなかったんだから」』


読んでいて、なんだか胸の中がざわざわと落ち着かない気持ちに襲われる。

ページをめくって行き、僕は続きを読み進めた。


『弁護士「それで、どのように殺したのですか?」

麗様「神経毒を使った。できるだけ苦しみがないように、睡眠薬を飲ませて強制的に意識を朦朧もうろうとさせ、その間に私はさばいたフグを彼に食べさせた」

弁護士「あなたもそうしたのですか?」

麗様「フリはしたけど……私は睡眠薬は飲まなかった。最期まで冬眞の姿をしっかりと焼き付けなければならなかったから」

弁護士「場所はどこでおこなったのですか」

麗様「どこか解らないけど、誰も来ないような静かな……海の見えるところ」

弁護士「なぜ海の近くにしたのですか?」

麗様「食べきれない分は海に還そうと思っていたから」

弁護士「つまり、初めから食べようとしていたわけですね」

麗様「そう。私と一つになった」

弁護士「依然遺体は見つかっていませんが、本当に殺したのですか?」

麗様「しつこいなぁ……好きに推測したらいいでしょ? 冬眞が生きていても、死んでいても、もう二度と私は会えないんだから……」

水鳥麗様は、木村冬眞に関することをこたえる際に、声を詰まらせることが何度もあった。246人を殺害した殺人鬼と呼ばれる麗様は、木村冬眞に対してだけはまるで別人のように接していた。もう二度と会えないと語ったその言葉は正しく、麗様が拘置所で死刑を執行されるまで、二度と最愛の者と出逢うことはなかった』


やはり、理解できない気持ちと、部分的には理解できる気持ちが入り混じった。


――できるだけ苦しまないように殺すという選択を、どれほど迷いながらしたんだろう……


ページをめくっていると、そのことに関する記述もあった。


『検察「木村冬眞を殺したのはいつですか?」

麗様「自首するほんの少し前……そうだな、3日くらい前じゃないかな」

検察「それまでずっと共に殺人をしていたのですか?」

麗様「いや、違う。殺していたのは私。冬眞に手を汚させることは一切なかった」

検察「木村冬眞は脱走し、次々と殺人をあなたと共謀して行っていたのではないですか?」

麗様「それはないよ。冬眞は毒の知識なんて全くなかったし、植物の見わけもつかない。矢毒を作るのは無理。それに、被害者の殺し方も統一されているでしょ? 必ず太い血管に刺さるように私は針を刺していた。医学の知識もない冬眞には無理だよ」

検察「あなたが教えれば可能なのではないですか?」

麗様「知識として知っていても、実践するのは訳が違う。首を折れば人は死ぬと解っていても、的確に首を折るのは難しい。それと同じ」

検察「毒針で殺すのは、そう難しいことではないように思いますが?」

麗様「じゃあやってみたら?」

麗様は尋問をする者に対して度々衝突する場面があった。それは弁護人も例外ではない。麗様にとっては法の裁きなど恐ろしいことでも何でもなかった。一番恐ろしかったことは、愛する木村冬眞の不幸だけだった』


「…………」


僕はページをめくって読み進めていく。


『検察「それで、逃亡していた間のほとんどは何をしていたのですか?」

麗様「喫茶店行ったり、水族館行ったり、観光地行ったり、色々」

検察「なぜそのようなことをしたのですか?」

麗様「冬眞が今までできなかったことをしたいと思ったから。普通に友達として一緒にいろんなところに行って、買い食いしたり、天体観測したり……冬眞に笑っていてほしかったから」

検察「あなたが殺した、木村冬眞を除く245人に対しては笑っていてほしいとは思わなかったんですか?」

麗様「思わないよ。だって大半がろくでもない奴らだったし。私に声をかけてきて、私に対してわいせつな行為をしたがっていた人がほとんどだし、路地裏の吹き溜まりみたいなところで違法薬物をしてるような人間とか、泥酔して車に乗ろうとしているようなやつとか。できるだけそういうやつを選んだ」

被害者家族の出廷は、パーテーションを立てて行われた。それは被害者家族が自分たちに対して負い目を感じていたからに他ならない』


――被害者は犯罪者が多かったのか……?


その一文を読んだだけで、僕は水鳥麗に対する考えを少し改める結果となった。

いわば、正義のヒーローのように民衆の目に映ってもおかしくはない。

水鳥麗はどこまで解っていて殺したのだろう。


――でも……殺すまでの大罪人だったわけじゃ……


そう考えて、少しはっとする。

赤紙は微罪でも、罪を犯し続けていけば最終的に死を与える。

それが当然だった。

僕にとっては何の違和感もないことだった。それが今、わずかな罪悪感の波紋が広がり始める。


『検察「わいせつな行為をしようとしていたと、どうして断言できるのですか?」

麗様「確かに証拠はないけど、座り込んでいる私に対して“お嬢ちゃん、帰る場所ないの?”とか“よかったら俺の家にこない?”とか、言うのは他にどんな目的があるのか……解らないけど」

検察「親切心で言ってくれていた人もいたのではないですか?」

麗様「はははっ……親切心? バカげた質問だね。あなた……自分の好みの女が道端で塞いでいたら声をかける? 何の見返りもなく? ホームレスなんて腐るほどいるのに、汚いおっさんのホームレスには“俺の家に来ない?”なんていわないのにさ」

検察官も墓穴を掘ったとしか言いようがない。男性の検察官に変わり、女性の尾検察官が畳みかけるように質問をした。

女検察「殺すほどの悪いことをしたわけではないと思いますが?」

麗様「ばかばかしい。そういう輩は、死ぬまで性癖が治るわけがない。性犯罪者が何度も再犯をすることに、目を背けるようなことを検察側が言うのか?」

女検察「それはあなたが勝手に決めて、勝手に殺していいことではないでしょう?」

麗様「じゃああんたらが代わりにやってよ。私がやった200人そこそこじゃ、世直しなんてできないよ」』


――これは……緋月様の思想と被ることなのでは……?


その後、ずっと読み進めて行ってもやはり緋月様の思想と被ることが度々書かれていた。

そして、渉さんが言っていた言葉がついに出てくる。


『ここが、一番の重要な点である。心して読むように。

麗様「優勢思想には賛成だよ。もうこんな悲劇を繰り返さないでほしい。冬眞も、ゲノム編集まではいかずとも、染色体に異常があるって生まれた時に解っていたら……どんなふうに対応すればよかったかあらかじめ傾向が解っていたら、統合失調症を発症しても適切に対応できたかもしれないのに。冬眞を殺したのは私じゃない。この国の人間全員。どうして身体疾患や精神疾患を後から対処しようとするの? 生まれなければいいんだよ……そんなの! 私だって生まれたくなかったのに!! 私はんじゃない、んだ! 愛しているからなんて親の言い訳でしょ!? 生まれた子供の苦しみを考えろクソ野郎どもが!!!」

このお言葉が黒旗の起源。思想。理念そのもの』


僕は、パタリ……と本を閉じた。

それ以上は、僕は読み続けることができなかった。


「こんなの……どっちが正しいかなんて……わかんないよ……」


緋月様が正しいのか。

水鳥麗が正しいのか。

それとも2人とも正しいのか。

それとも2人とも間違っているのか。


僕には解らなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る