第20話 愚行としか言いようがない



僕は、ついに9区の監査に訪れた。

昨日は達美さんにものすごく怒られて、肩を落とす結果となった。


「今日で監査は最後ですから。頑張りましょう」

「今日で10区も回るんですか?」

「10区の監査は必要ありません。10区代表は処刑のときしか出てきませんし、処刑に関する全権限は緋月様にありますから」


その言葉を聞いて、ゾワリとした。


「処刑というのは……アダムを使って食べさせるというものですか……?」

「それだけではありません。時折、アダムを連れ立って10区代表が直接手をかけに行っているのです」

「…………」


そんなことが本当に許されていいのだろうか。

いくら10区の人間と言えど、実際に手にかけるというのはどういう心境で行っているのか。

良心の呵責に苛まれたりしないのだろうか。

様々な疑問点が僕の中で湧き上がる。


「渉さんは見た事はあるんですか?」

「いえ……ただ、最近就任されたようです。公式発表は小規模的にありましたが……とは言っても緋月様が引き続き行っているのでは? という説が有力だと思います」

「確かに……それなら納得がいく部分もありますが、どうしてわざわざそんなことを?」

「実際に形式的に処刑を行うのは区代表で言うと10区代表だけですから、殺人というのはデリケートな問題ですし、国民に誰なのか解らないようにした様です。まぁ……緋月様が全指揮をとっているのですから、誰を使うと決めても責任の所在は変わらないんですけどね」

「最近就任というと、いつ頃なんですか?」

「そうですね……2年前くらいだったと記憶しています。緋月様が話したがらないので、あまり深く聞くこともないですね」


――渉さんや光さんを雇ったのも最近だし……なにか目覚ましい変化が緋月様の中であったのかな?


そんな話をしながら、9区の事務所に到着する。

なんだか禍々まがまがしいのは、9区だからではない。区代表の妃澄さんの趣味だ。

ドクロや十字架、悪魔の像など、メタルな趣味というか、パンクな趣味の妃澄さんはそう言うものが好きらしい。

事務所内にはメタルの音楽が響き渡っていた。


「妃澄様、監査に参りました」


椅子もやけに刺々しい椅子に座っている。座る部分はフカフカのクッションがついているが、圧倒的に金属の割合が多い。

オフィスの椅子には全く相応しくない椅子だ。

物語に出てきそうな魔王が座っているような椅子にすら見える。


「好きにしろ。見られて困るようなものはない」


少し低い声で、妃澄さんはそういった。髪の毛で右目の側を隠し気味で、赤紙の制服の他にもネックレスや厳つい指輪などをつけていた。

ピアスも痛々しいほどいくつもついている。

その風貌とは別に、達美さんとは違うベクトルの威圧感を感じた。

色々な意味で近寄りがたい雰囲気が漂っている。


「智春と言ったか。少し俺の話し相手になってくれないか。いいだろう渉」

「結構ですよ。智春君、妃澄様とお話されてください」

「は、はい」


呼ばれた僕は緊張しながら机を挟んで妃澄さんの前に立った。


「まぁ、座れよ」


おかれていたソファに腰かける。ソファは普通のソファだったので、僕は安心して腰を下ろす。


「緋月様から、智春と親睦しんぼくを深めるようにと言われているんだが……正直俺は話が上手い方ではない。何か質問があれば受け付けるが、俺に聞きたいことはあるか?」


突然質問があるかと聞かれ、僕は困惑を隠せない。

聞きたいことはたくさんあるけれど、何を聞いたらいいか解らない。

その髪型のセットに何十分かかっているのかとか、そんなにアクセサリーをつけていて重くないのかとか、指輪をそんなにつけていて書類を書きにくくないのかとか

どうしようもない質問が浮いては消えていく。


「その……お仕事をされていて、一番大変なことってなんですか……?」


間が持たず、就職面接で聞くようなことを聞いてしまう。


「大変なことか? そうだな、緋月様の要望に応えるのは大変だな。それは智春も同じだろう?」

「僕は……そう……ですね。黒旗の偵察に行ってほしいと言われたときはどうしようかと思いましたけど」

「何? 黒旗の偵察だと……そんな大義を任されたのか?」


妃澄さんは驚いている様で、目を少し大きく見開いた。


「僕は黒旗のことをもっと知らないといけないんですけど……不勉強で」

「そうか。まだお前は若いし、赤紙に入ったばかりだからな。知らないのも無理はない」


見た目の厳つい様子とは異なり、妃澄さんは優しく僕に接してくれたので驚いた。

達美さんの後だからか、やけに優しく感じる。


「俺の知っていることなら教えるぞ」

「えっと……つい先日、水鳥麗という人物についてのことを知りました。当時の事件のことを知りたいと思っています」

「事件当時の話か。それなら当時の事件をまとめた本がある。俺はもう読み終わったから持って行って読むがいい。とってくるからその間に監査をすませておけ」


そう言って妃澄さんは席を立ち、事務所から出て行ってしまった。

驚いて僕が座ったまま少しの間だけ唖然としていたが、立ち上がって渉さんと同様に棚にしまわれている書類を手に取って目を通し始めた。


「なんだか……意外でした。最初は怖い人かと思ってましたけど……」

「妃澄様は厳格な罰を与えることで有名ですしね。でも、9区の代表と聞いても誰もが納得するでしょう。達美と違って気性も荒くないですし」


渉さんは1冊のファイルにもう目を通し終わっていたようで、閉じて一息ついていた。


「黒旗に関する本なら緋月様もお持ちですが、物を貸し借りすることによって親睦も深まるでしょう。良いことですね。失くさなければ」

「気を付けます」


僕が思ったよりも早く妃澄さんは帰ってきた。

まだ書類は半分程度しか見終わっていないくらいのときに戻ってきて、僕に真っ黒な本と真っ白な本を2冊渡してくれた。


「これが黒旗に関する、黒旗が出している本と、こっちは第三者が書いた本だ。誰が書いたのか明らかにされていないが、あの事件に別の未来があったらという願いが書かれている。まぁ……フィクションだが」


頭を下げて、僕はその2冊の本を受け取った。

黒旗が出しているという本は真っ黒の『崇高なる理念』という分厚い本と、第三者が書いているという白い本はそんなに分厚くもなく『ウロボロスの指切り』と書かれていた。


「俺がこんなことを言うのもなんだが、こうなってくれたらよかったのかもしれないな」


妃澄さんは白い本の方をトントンと指でさしながらそう言った。


「ありがとうございます。わざわざ持ってきてくださって」

「世の中のことを知るのは大切なことだ。まして、緋月の付きとなれば尚更だ」


2つの本を受け取った僕は、その表紙を目で追った。


「智春君、先に戻ってその本を読んでいて構いません。妃澄様は優秀な方なので、私一人での監査でもそう時間はかかりませんから。緋月様の意図としては、区代表との顔合わせでしょうから。大体は済みましたね?」

「は、はい。2区代表と3区代表には会っておりませんが……」

「琉依と薫か。まぁ、いずれ関わることになるだろう」

「本当に良いのですか?」

「ええ。大丈夫です。先に帰って大丈夫です」


そう言われるのは寂しいと感じたが、僕は渉さんと妃澄さんに一礼してから9区を後にした。


9区の扉は8区よりも厳重である上に、ものすごく嫌な感じがする。

9区の食事の配当は1日1回だけだ。常に飢えと戦わなければならない。しかし、人を喰おうと手にかければ一時的な飢えはしのげても、10区に移動となって死が訪れる。

8区と9区では全然違う。8区は1日2回食事が摂れる。

たった1回だけしかない食事の機会が与えられるというのは、飢餓に苦しむだろう。


――でも……自業自得だ……


苦しめられた人の分も、ずっと苦しみ続けなければならない。それは緋月様のご意向だ。

僕だって反論の余地はない。


そう思いながら、僕は緋月様の部屋へと戻った。




◆◆◆




部屋に訪れると、緋月様はいなかった。アダムもいない。光さんもいなかった。

誰もいない部屋に、破れているカーテンが揺らめいている。


――緋月様はいないのか……


僕は窓際の明るい場所に椅子を持って行って黒い本を先に開いた。

細かい文字でびっしりと書いてある。

歴代の教祖の言葉や、水鳥麗の事件の詳細についても書かれていた。


『事の始まりは700年、一人の妄想型統合失調症の患者が殺人を犯したことに起因する。

名前は木村冬眞。

裁判では妄想型統合失調症と診断され、心神耗弱が適応され減刑が適応されるも、最高裁で一転、一審を破棄して死刑が言い渡された。

その木村冬眞を深く愛していた水鳥麗様は悲しみ、絶望し、苦しみ、ついには凶行に走らせた』


ページをめくる。


『木村冬眞のいた拘置所を女一人で強襲し、成功したのは理由がある。彼女は毒に関する知識が豊富であった。昔から矢毒に使われるクラーレを用いて、次々と刑務官を殺害し、木村冬眞を奪還した。

奇襲が成功したのは刑務官の数が少ない時期、時間を狙った計画的犯行であったということもあげられる』


――毒……今は緋月様が麻薬と同様に禁止しているものだ……0区には生えているらしいが、所持に関しては申請が必要だったはず……


法律の勉強を随分行ったのもあって、僕はある程度細かい法律も覚えていた。

何の気なしに違法になる草持っていて処罰を受けるわけにはいかない。


僕は続きを読む。


『木村冬眞と水鳥麗様はなかなか逮捕されなかった。その期間は実に半年ほど。半年の間に水鳥麗様は次々に殺人に手を染めた。民家を強襲し、手際よく毒殺していった。稀に見る凶悪犯罪者として国は緊張に包まれた。それでも、最終的に水鳥麗が自首をするまで逮捕には至らなかった』


写真があった。

顔の部分は白黒写真で不鮮明だったが、髪の長い、華奢な女性であることはうかがえる。華奢というよりも、かなり痩せているといった方が的確かもしれない。

顔も写真は不鮮明なりに、綺麗な女性であることはうかがえた。


――どうしてこんなことを?


『一番の特記事項としては、水鳥麗が木村冬眞を殺して食べたということがあげられる』


「!!!」


全く理解が追い付かなかった。

絶望し、拘置所から強奪したまでしたのに、殺して食べたという全くの反対の行動に対して「どうして?」という気持ちが先行する。

僕はその黒い教典をはやる気持ちを押さえながら読み進めていいく。


『裁判は大荒れだった。被害者は実に1000人を超え、裁判も1年と半月も続いた。人類史上初の殺人鬼に世界中が注目した。検察側は死刑を求刑。弁護側は心神喪失で無罪を主張。弁護側の弁護については“愚行としか言いようがない”と水鳥麗様本人も感嘆に暮れていた』


いくらなんでも、無罪は無理だ。

しかし、弁護側もこれだけの殺害の事実に、減刑の余地があるとしたら心神耗弱か心神喪失で刑事責任能力なしとするほかない。

だが、これだけ計画的犯行を重ねているのだから、刑事責任能力を問わないことは不可能だったろう。


それからしばらく、裁判の様子について記述が続いた。

水鳥麗は終始落ち着いた様子だったようだ。

幼少期からの希死念慮があったらしく、死刑になることを望んでいた。そのような発言もあったと記述してある。


『麗様「私は冬眞を殺して、食べた。たったそれだけで私は死罪に値する。この世の誰よりも愛していた彼を殺した私は、その遺体を誰にも渡したくなくて、彼の身体を食べ始めた。でも、私は少食だから冬眞が腐る前に食べることは出来ないと解っていた。だから心臓と、腕、顔、脳を食べて、他の部位はバラバラにして海に還した」

弁護士「死体は見つかっていませんが? あなたは本当はそんなことしていないのではないですか?」

麗様「食べた感想が聞きたい? 脳はかなり抵抗があったし、美味しいとは言えなかったし、何度も吐きそうになったけど……頭蓋骨を割って出した脳は思っていたよりも柔らかくて、脂身みたいだった。私は脂身は嫌いだから、飲み込むようにして食べた。心臓はそれに相対して弾力があって噛みづらく――――」

その供述を聞いていて法廷では、吐くものもいたらしい。生々しいその供述に対して裁判官すらも気分を害したようで、特にそれは午後、食後には尋問しない決まりになっていた』


僕も想像したら気分が悪くなってきた。


――本当に食べたんだ……じゃなかったらここまで詳細に言えるわけがない……


一度本を閉じると同時に、大きな扉が開いて緋月様が入ってくる。


「あれ? 智春君、監査終わったの?」

「いえ……ごめんなさい……気分が悪くて……」


口元を押さえて込み上げるものを必死にこらえる。それを見た緋月様は僕に駆け寄ってきてくれた。


「ちょ、ちょっと、大丈夫? 横になりなよ」


冷や汗が出てきて、僕は粗が得もせずに床に横になるしかなかった。

緋月様が奥から水を持ってきてくれるが、とても飲む気にはならない。


「どうしたの? 病院行く?」

「ちょっと……本を読んでいて……気分が悪くなっただけですから」

「本?」


僕が持っていた2冊の本を緋月様は見つける。


「あぁ……『崇高なる理念』か。こんな本、どこから持ってきたのさ? 刺激が強すぎるってこれは」

「妃澄さんから借りました……黒旗のことを勉強する為に」

「うーん……でもこれって、食人の話も出てくるし……人を殺す話のオンパレードだし……気分のいいものじゃないでしょ。現に気持ち悪くなってるし。あ、でもこっちの『ウロボロスの指切り』の方はフィクションだからそんなに生々しくないよ。現実と違ってバッドエンドじゃないしね」


緋月様は僕が落ち着いたのを見て、自分の机に戻った。


「監査は、渉さんが一人でいいからと僕を先に帰してくれました。本を読んで勉強するようにと……また僕は黒旗のところに行くじゃないですか。だからって」

「そうなんだ。まぁ、妃澄のところは問題ないと思うからいいけど、こんな本渡すなんて妃澄も意地悪だね」


僕は吐き気がおさまったので、身体を起こして緋月様の方を見る。『崇高なる理念』をパラパラとめくって呼んでいる様だった。


「妃澄さんは親切でしたが……」

「そう? 妃澄は厳しいよ? 親切っていうか……志が高いから求めるものも多いんだよね。妃澄のところに榎並かなみっていう優秀な子がいてね、ものすごく優秀だったから私のところじゃなくて妃澄のところにつけたんだけど……それでも妃澄からしたら駄目駄目なんだってさ。妃澄もかなり切れるからね」

「区代表と顔合わせしたときに、達美さんが言ってた人ですよね?」

「そうそう。優秀なんだけど、榎並は薫に似ていて、こう……なんていうか……信者って感じだから、ちょっと問題児なんだけどね」


問題児と言われて、僕は「会いたくないな」と心の中で思ってしまう。しかし、仕事とあればずっと会わないわけにもいかない。

パタンと『崇高なる理念』の本を閉じて、緋月様は机に置いた。そして妃澄さんがしていたのと同じ動作でトントンと人差し指で本を軽く叩く。


「妃澄はこの本をどのくらいで智春君が読み終えて、どんな状態で返してくれるのか見てるんだと思うよ。借りたものをすぐに返すっていうのは基本だからね。それも汚してシレッと返したりなんかしたら、妃澄に一生認めてもらえないよ。多分。怒りはしないだろうけど」


そういう意図があったのかと僕は『ウロボロスの指切り』の表紙を見つめた。確かに保存状態はいいようだ。汚したり、破ったりしたらすぐに解るだろう。


バタン。


「なんだ? お前まだカンサ行ってんじゃねぇのかよ」


光さんが両手に料理を持って現れた。持っているのはハンバーガーらしき包みと、ポテトだ。どちらも大量にある。緋月様が食べる分だろう。


「本を読んで勉強するようにって先に帰されたって。わ子が今妃澄のところにいるよ」

「けっ……あのいけすかねぇドクロ野郎か」


緋月様の机にそれらの食事を置くと、光さんもハンバーガーを食べ始める。


「智春君も食べる?」

「あ……えっと……」


先ほど食人の下りで気分が悪くなったのに、パティが挟まっているハンバーガーをどうしても食べる気にはならなかった。

お腹が空いていたはずなのに、すっかり食欲を失う。


「僕はいいです」

「ダイエットでもしてんのか? 遠慮すんなよ。ほら」


ポイッ……と光さんがハンバーガーを投げてよこす。僕はそれを受け取った。


が、


包みから出てしまって、ケチャップやらパティやパンがバラバラと零れてしまって『ウロボロスの指切り』の白い表紙に落ちてしまった。


「!」


慌てて本からハンバーガーをどけるが、その表紙にはしっかりと油やケチャップがついてしまった。


「なーにやってんだよお前。どんくさ」

「ちょっと、レイ! 食べ物を投げたら駄目じゃない」

「はぁ? 受け取れねぇ奴が悪いんだよ」

「レイ」

「んだよ、そんな怒んなよ……」


その声は僕にはやけに遠く聞こえた。

僕の頭の中には、本を汚してしまったということへの焦りしかなかった。



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