第19話 思い出せない方がいいのかもしれない




「おい! 緋月のところの! ファイルを散らかすな!」


8区の監査に訪れた僕と渉さんは、達美さんに怒号を飛ばされながらも監査を実施していた。

監査など必要がないほどの徹底的な整理ぶりと仕事ぶりで、こちらが申し訳なくなってくる。

達美さんは赤紙の制服を、一糸の乱れもなくビシッと着ていた。


「違う! 順番が違うだろう!? 俺の仕事を増やしに来たのか!!?」

「ご、ごめんなさい!」

「達美様、お仕事にお戻りください。私が責任をもっておきますので」


気が散ってファイルの中身が見れないのか、渉さんも少し苛立ち気味だという印象を受ける。


「信用できるか!! 緋月が監査に来たときなど、順番もめちゃくちゃにして帰って行ったのだぞ!? わざとやってるのだとしたら許さないからな!!?」

「……それは考えすぎです。達美様。緋月様の件は申し訳ございませんでした。今回はきちんと戻しますので。どうかお仕事を――――」

「いいか? 俺に何度も何度も確認させるなよ!? 解ったな!? 皐月さつき、こいつらがきちんと元に戻せるか見張っていろ」

「はい!」


達美さんは怒りながら出て行ってしまった。

皐月と呼ばれた坊主頭の、達美さんの側近の方は切れのある動きで頭を下げる。


「渉様、智春様、失礼いたしました! 私がきちんと戻しますので、ご安心を!」


頭をあげると右手で敬礼し、そして敬礼した手を素早く後ろ手に組み、まっすぐに立った。

洗練された動きだった。


「智春君、早く済ませましょう。達美が戻ってくると監査が進みませんから」

「はい!」

「……話し方が移ってますよ。元気がいいのは良いことですけど……」


苦笑いをする渉さんにそう言われ、恥ずかしく思った。

その羞恥心を振り払い、僕はファイルの中身に目を通し始めた。

達美さんの神経質な字がびっしりと書いてある。文字にも性格が表れているようだ。


「智春様! 初めてのご様子ですので、恐れ多くも言わせていただきますが」


皐月さんが僕の名前を呼んだので、僕はファイルを持ったまま振り返る。


「紙に折れ目、汚れなどをつけられますと、達美様がそのページ全て1枚書き直しすることになってしまいますので、お気を付けください!」


唖然とした。

確かに書き直した形跡すらも見当たらない。しかも完全に綺麗な状態で保存されていた。

5区の葉太さんとは全然違う。葉太さんのところはぐちゃぐちゃに書類は散らかっていたし、整理もされていなければ、書類に関しても間違えたところをグルグルと塗りつぶしてあるところもあった。

達美さんは、一度間違えたら初めから何度も何度も書き直しているか、あるいは絶対に間違えないようにしているのだろう。


「わ、わかりました……」


そう緊張すると、僕はページを掴むのもはばかられた。


――折ってしまったらどうしよう……


皐月さんは僕らの手元が見える位置に整然と立って僕らを監視していた。

誤魔化すことは出来そうにない。妙に冷や汗が出てくる。

そんな中、気になる報告書を見つけた。


――黒旗関連の報告書だ


『報告書 1200年 寅の月 第15の日 午後7時頃

黒旗の信者2人、さとし(62)と健太けんた(65)が「れい様のご遺体を返せ」と赤紙本部に対して火の矢を放ち、赤紙職員1名を殺害し、5名に怪我を負わせた。10区への移動前にして事情聴取を行ったが共に供述内容は同じ。「麗」という女性の遺体を返さないからという動機であった。「麗」とは、700年に246人を殺した殺人鬼の名前である。その遺体が1200年の今、残っているわけがないと説明するも、「赤紙に奪われた」というばかりだ。緋月に確認したが、やはりそのような事実はない。精神病院行きも検討されたが、緋月は10区への移動を決定した』


――246人を殺した殺人鬼の遺体?


詳しくは知らなかったが、歴史の勉強で習ったことがある。

700年、最愛の人が死刑を言い渡され絶望し、拘置所を単独で強襲、強奪。

そしていかれる殺人鬼と化した……――――

という話の筋だったはずだ。


――どうして黒旗が麗と呼ぶのだろう……関係性がわからない


確か黒旗の教祖は雉夫じおという名前だったはずだ。

それにしても700年と言えば500年もの前の話。遺体が残っているとも考えられない。

統合失調症やパラノイアのような妄想だろうか?


「渉さん、聞いてもいいですか?」

「なんでしょう」

「黒旗と、大昔に大量殺人をした麗という人物はどんな関りがあるのですか?」

「麗とは……水鳥麗のことですか?」

「水鳥? あぁ……緋月様が撤廃した“苗字制度”ですか。そうです。その水鳥麗のことです」


苗字制度とは、家系に連なるものに対し、“苗字”という名前とは別の名前を、共通でつけさせていた制度だったはずだ。

家系による束縛を廃止するために、緋月様が1012年に撤廃してしまった。


「黒旗とは、いまでこそ“黒旗”という名前ですが、当時は水鳥麗を崇拝するただの理念の集合のようなものでした。『精神疾患者を有罪にするなら、そもそも私たちのような欠陥品が生まれないようにしたらいい』という当時の彼女の裁判での発言を受け、ゲノム編集を活発に研究し、人間に対しても行う様になりました。結局弊害が多く発生してゲノム編集は再度禁止されましたが、今でもそれは逆に尾を引いています。まだ技術もろくになかった時代ですから、結果として身体奇形、精神的な脆弱性の増悪、発癌性についても悪化したとか……」

「ゲノム編集って……遺伝子操作ってことですよね?」

「そうです。黒旗はとどのつまり、ゲノム編集推進派の集まりですから。精神疾患者や身体疾患者はこの世にいらないという極端な優勢思想を持っています、緋月様と対立するのは当然。水鳥麗は精神疾患者であったにもかかわらず、崇拝されています。皮肉な話ですね。まぁ……内部分裂もあるらしいですけど」

「つまり……水鳥麗が黒旗ができた大元の人物……ってことですね」

「そうです」


僕はそのリングファイルの報告書をしばらく見ていた。


――宗教だし……でも、前に行ったときは詳しいことは解らなかったけど……


「まぁ、もう設立してから大分経ってしまったのもあって、今は雉夫が乗っ取ってるような状態ですけどね。雉夫が教祖になってからは過激派になっています。それまでの教祖は赤紙に明白に対立するのは避けてきましたが……」

「…………気になりますね」

「智春君、あまり黒旗にのめり込まないようにしてください。偵察に行くときは慎重にお願いします」


それを聞いて、本当に光さんと同行でいいのだろうかと疑問が浮かぶ。


「解りました」


不安に駆られながらも、僕は書類を読み進めた。

幸いにして、達美さんのところの報告書を汚したり、折ったりすることはなかった。

しかし、ファイルを戻す位置は合っていたが戻すが整っていなかったらしく、後で僕は達美さんに怒られた。




◆◆◆




【れい華】


もう無理だ。


私はもう、無理だ……

早く終わりにしたい。


終わりっていつくるの?

どうしたら終わりになるの?

どうして私はこうなってしまったの?


――会いたい……


声を聞かせてほしい。


――私の名前を呼んで……


笑ってほしい。

そばにいさせてほしい。

でももう、いないんでしょう?


――それすら私には…………――――


コンコンコン……


私の考えが乱される。

真っ暗な私の部屋の扉をノックする音だ。


「れい華、私。開けていい?」


緋月の声だった。

ぐちゃぐちゃになった自分の感情が一度片付けられて、頭の中に静寂が訪れる。


「いいよ」


私が返事をすると、扉が開いた。そこから闇を裂いて閃光がなだれ込むように入ってくる。

銀色の髪が眩しいほどに感じる。


「緋月……」

「やぁ、れい華。また随分具合が悪そうだけど?」

「……………………」


決まって、私がぐちゃぐちゃになってると緋月が来る。

もうだめだって思うたび、緋月はやってくる。


「今度はフグ毒か。どこで出に入れたの? 今度こそは助からないかもって思ったよ」

「私は助からない方法を選んだのに……」

「それは嘘なんじゃない? だってもし助かっても後遺症が残らない毒を選んでる」

「……緋月がしつこいから、保険をかけておいただけ」

「そうだね……押し付けがましいようだけど、死んじゃったらもうこうやって話すことすらできないよ」

「……嫌な思いもしなくて済む」


誰にも会わずに、こうして引きこもっているけれど

それでも誰かに会わなければならないときは、いつも嫌な思いをする。

些細な事なのに、まるで剣で切り付けられているかのように感じる。


「そうだね。投げ出したいときは……私もあるよ。私も色々、つらいことがあってさ」

「死ねないこと……とか?」

「死ぬ方法を探してるんだけど、まぁ見つからないよ。ははは」


緋月は全然明るくない話題を軽薄に話している。


「その冗談、全然面白くない」

「そうかな? 渾身こんしんの自虐ネタなんだけど。れい華は優しいね」

「……優しいわけじゃない」


私は、自分の鳴らないようにしている携帯を握りしめた。


「また動画、見てたの?」

「うん……やっぱり、よく思い出せない」

「そうか……思い出せないのは、やっぱりつらいかな」

「思い出せない方がいいのかもしれない」


うつろな目で、真っ暗な虚空を見つめる。

緋月の姿はうっすらとしか見えない。


「会いたいよ……」

「……そうだよね。私も、何人も見送った友人たちに会いたいよ」

「…………200年も生きてたら、沢山の人を見送ってきたんでしょ」


緋月がどんな顔をしているのか解らなかったけれど、きっと寂し気な顔をしているのだろう。


「そろそろ仕事に戻ったら? 私は大丈夫だから」


嘘だ。


「帰ってほしそうだから、そうしようかな」


大丈夫なんかじゃない。


「感謝してるよ」

「別に……」


でも独りになりたい。


「死にたくなったら言ってよね」

「……死にたい」

「ははは、じゃあもう少しここにいようかな?」

「早く行って。鬱陶しい」

「解ったよ」


緋月は出て行った。


また静寂と闇だ。


私は携帯を手に、少しの間左手の親指で左手の薬指をカリカリと何度か掻く。

私の癖だ。


「…………解らない」


私はいつまでも解らないままだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る