第17話 どうしても……わからなくて……
基本的に区代表がいるべき場所は、赤紙本部に連なる各区の大門の手前に構えている事務所だ。そこが一番問題が起きた時に対応しやすい。
1区は善良な市民ばかりなので、特例的に大門の前の事務所を使わなくてもいいことになっているらしい。
6区の監査は比較的早く終わった。
代表の蓮一さんはまじめな性格で、仕事に関しては特に問題がなく、人格的にもそう問題を抱えているようには見えない。
しかし彼は男でありながら、自分の性別に違和感を感じている。渉さんと同じ、性同一性障害を持っているらしい。
華奢な身体に、ユニセックスの服を着て、猫耳のついた長いフードを被っている。その猫耳フードは何種類か持っているようで、お気に入りのようだった。
眼鏡をかけ、サラサラのまっすぐな髪を垂らしている。
「蓮一のところはいつもすぐ済んで助かります。昨日は葉太のところだったのですが、もうメチャクチャで……」
「ははは、僕は葉太の報告書見たことないけど……そんなに酷いの?」
「んん……報告書もさることながら、葉太は四六時中女を
「渉ちゃん、まぁまぁ」
蓮一さんと渉さんは仲が良いようだ。
他の区代表に対しては“様”をつけるに対して、蓮一さんには特に敬称もなく呼び捨てにしているし、蓮一さんも渉さんに対して親しみを込めて『渉ちゃん』と言っているようだ。
「葉太は葉太なりに試験をパスして赤紙になったんですから、実力はありますよ。緋月様に憧れて区代表にまでなったクチですけど」
「区代表になってから、目的が仕事ではなく緋月様を口説くことになっていませんか……」
「ははは、そうだね。でも、5区は葉太のあの性格もあってそこそこうまく回ってると思うけどね」
渉さんはひとしきり葉太さんへの不満を吐き出し終えてから、僕を連れて6区を後にした。
「また今度お茶でもしましょう。蓮一」
「もちろん。佳佑や琉依も呼ぼうか?」
「時間が合えば」
僕とはほとんど会話を交わすことはなかった。
僕もそうであるのと同じくして、蓮一さんも人見知りがあるようだった。
「仲が良いんですね」
「ええ。蓮一と……私は同じですから……」
同じ、と言っているのは性同一性障害のことだろう。
詳しくは聞いていないが、自分の性別に違和感があるというのはどういったことなのだろうか。
そんなデリケートなことを、僕がずけずけと聞いて良いわけもなく、言葉に困る。
「そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ。性同一性障害なんて、別に珍しいものでも何でもないですから。そう気を遣われると私自身困ってしまいます」
「いえ……やっぱり、僕も自殺しかけたということはかなり言いづらいですし」
「普通の人にはやはり、奇異と目に映りますからね。それでも緋月様はそういった差別がなくなるようにと努めていらっしゃいます」
「なくなる日がくるのでしょうか……」
「来ますよ。緋月様に頼りきりにならずに、僕らが変えていかないといけません」
「ふふ……そうですねそれでは7区の佳佑のところへ行きましょうか」
渉さんは満足げに笑いながら、6区から7区へ向かう列車に乗り込んだ。
◆◆◆
7区ともなると、扉の頑強さが違う。
此処からは重犯罪を犯した者が入れられるのだから。
――ここに父がいる……
事務所は特に飾り気のない、掃除も最低限がされているだけのように見えた。
その物々しい外観の事務所に僕と渉さんが入り、区代表の佳佑さんのところへ向かう。
部屋に行っても佳佑さんはいないようだった。代わりに佳佑さんの側近の人が書類の整理をしているのが見える。
「こんにちは。緋月様の使いで監査に参りました。佳佑様はいらっしゃいますか?」
「おぉ、これはこれは。渉様。申し訳ございませんが、佳佑様は具合が
「具合と申しますと、お身体の方でしょうか?」
「いえ、お身体の方ではございません」
「そうですか……」
『お身体の方』ではないということは、精神的な意味で具合が悪いという意味であろう。
それを具体的に何とは渉さんも言わなかった。
ガチャ……
奥の部屋が開き、顔色の悪い若い男性が顔をのぞかせた。
「佳佑様」
「渉…………ごめんなさい……ちょっと起きられなくて……」
「いいんです。そうご無理なさらないでください」
「仕事なので……」
佳佑さんはものすごく顔色が悪く、やっとのことで椅子にたどり着いた。
椅子にたどり着いたものの、書類に向き合うのは困難なようで目が中々書類を追っていかない。
「佳佑様、お薬は飲まれましたか?」
「はい……最近薬を変えたのですが、あまり合っていないようです」
「判断力が戻るまでご療養されてください。緋月様も責めたりしません」
「いえ……緋月様に……失望してほしくないので……こんな僕を区代表にしてくれましたから……」
7区の代表とまでなれる佳佑さんは、かなりの実力者だった。
それを差し引いても、佳佑さんは努力家で懸命に仕事をされている。区代表たちはそれぞれアイドルかのようにファンがついているが、佳佑さんは綺麗な顔をしているし、天才的でかつ努力家で、ひたむきに頑張っている姿が人気だった。
しかし、光を強く浴びるほどに佳佑さんの闇が深くなっていっているようだ。
「智春君……でしたよね。こんな姿を見せてしまいまして……」
「いえ……」
必死に書面に目を通しながら、佳佑さんは言葉を続ける。
渉さんは分厚いリングファイルを持って中身を確認していた。僕は佳佑さんを見つめ、言葉が出てこなかった。
「僕は……お恥ずかしながら……鬱病で…………君と同じく自殺しようとしたこともあります。何度も……そのたびに緋月様に支えられてここまできました」
「…………」
「智春君もそうだと伺いました……僕は……緋月様のお付きになれませんでしたが……こうして区代表をして緋月様のお役に立とうとしています……」
「………………」
「……厭味ではないですよ……そう緊張しないでください……」
物凄く、具合が悪そうだと思った。
佳佑さんはあのときの僕と同じだ。もしくはそれ以上に悪い。
母さんが死んだ日、病院で目覚めた後、僕はどうすることもできずにこうだった。
身体の具合が悪い訳でもないのに、気持ちがついていかない。
頭では理解していることも、気持ちがそれを阻んでくる。
「僕は……何も緋月様に恩返しができていませんが、それでも頑張ろうと思います。彼女に見合わないのは……解っているんですけど……」
「……緋月様は……お元気ですか?」
「ええ……」
「そうですか……相変わらずお忙しいようですから……最近はろくにお話もできなくて……」
それ以上、言葉はなかった。
厭味を言っているわけではないと言っていたが、佳佑さんは「どうして僕じゃなくて君なんですか?」という口ぶりで話していた。
ふと彼の視線の先に気づく。僕の首の傷跡を見ていたようだった。
僕は着ている服の襟を引っ張り、さりげなくそれを隠す。
「あぁ……ごめんなさい……僕も傷跡が沢山あるからか……見ちゃって……」
そう言って佳佑さんは襟を片手で少し引っ張り、僕に傷跡を見せた。
僕と同じだとは言えない。
首には塗った痕がいくつもあったし、首をぐるりと巻くように擦れたような痕があった。
「頸動脈を狙ったつもりでも……なかなかそう簡単にはいかないですね……首を吊ったときも……結局僕は死にきれなかった……」
また襟を正してその傷口を隠す。
「今でも……どうしても……わからなくて……」
「佳佑様、お仕事は結構ですから休まれてください。お薬を変えるように医師に伝えますので」
「…………そうですね……」
佳佑さんは側近の人に連れられて、再び元の部屋へと戻って行った。
区代表をしているから相当にストレスがかかってそうなっているのではなく、あの様子だと元々患っている鬱病なのだろう。
何かきっかけがあったのか、あるいはそうではないのか、僕と同じだという部分はただ自殺未遂をしようとしたということだけだ。
「随分、具合が悪そうでしたね……」
「佳佑様は何でも完ぺきにこなしています。緋月様への忠誠心も人一倍ありますし……責任感が強すぎるのも原因になっているのでしょう」
――そんなに……そんなに頑張ってるのに、どうして緋月様は佳佑さんではなく僕を……? 完全適合者だから……?
僕は仕事をしなければとファイルを持っていたが、内容が頭に入ってこなかった。
――「どうしても解らない」とは……やはり僕のこと?
僕が、「どうして緋月様に選ばれたのか解らない」という意味だろうか。
僕だって解らない。
偶然なのか、必然なのか、運命なのか、奇跡なのか――――。
◆◆◆
【黒旗 内部】
どこまでも陰気な雰囲気だ。
ジメジメしているし、日も差さない為に、カビのような苔のようなものが端の方に群生していた。
「数日前に来たあの神童ですが、血液情報から誰なのか解りました」
黒旗の研究室でフードを深々と被った男と黒旗の幹部の一人が話をしていた。
「1区の智春という者で間違いありません」
「ともはる? 緋月の側近に最近なったという彼と同じ名前ですね」
「……まさに、その智春で間違いないようです」
幹部の男は実験机を強く叩いた。
そして怒りをあらわにして「赤紙の人間がふざけやがって!」と激しい憎悪を爆発させていた。
「確か、彼の弟が黒旗におりましたね?」
「そうです。あいつが手引きしたんです。見せしめに……」
「まぁまぁ、待ちなさい。考えがあります。大丈夫です。私に任せてください。くれぐれも彼の弟さんにはご内密に」
フードの男は不気味な笑い方をしながら部屋を後にした。
「ふふふ……完全適合者……ついに見つけた。新しい器……」
その独り言は闇に溶けて消えていった。
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