第14話 強迫性障害
緊張のせいか、僕はかなり早く8区の大門の前に到着した。
緋月様に対してあれだけ食って掛かっていた達美さんは、噂通りの厳しい人柄であると僕は感じる。
アダムはというと紫のツヤツヤした毛並み猫の姿で僕についてきていた。目の部分が空洞で、首に大きな数珠を下げている。
時間は6時半だった。
にも拘わらず、達美さんはイライラした様子で大門の前で、自分の指をかじりながらすでにいた。
よく見ると目の周りのクマが酷い。まるで目の周りに黒いアイシャドウをしているかのように見えた。唇も血色が悪く、かなり痩せてしまっている。
達美さんは僕を見るなり、カツカツと近寄ってきて
「遅いぞ!」
と声を荒げる。
無茶苦茶だ。30分前に到着しているにもかかわらず、遅いと叱責された。
「ごめんなさい……お約束の時間は7時でしたよね……?」
「1時間前行動を心掛けろ!」
達美さんは「早くこっちにこい」と先頭を歩いて行ってしまう。僕も置いていかれないようについていった。
――緋月様には15分前行動をしろって言ってたのに……1時間前行動って……
確か、達美さんは強迫性障害だと緋月様に教えられていた。
何度も何度も『確認』をしないと気が済まないと言っていた。自分の部屋の鍵を閉めたかどうか10回以上確認しているらしい。
「緋月のところの」
「は、はい」
「今日は重要な仕事だ。ヘマをやらかしたら緋月に対して、側近につけていることに異議申し立てをするからな」
「はい……絶対に過ちがないようにします」
「俺も今回の作戦が失敗したら、相当やばいからな」
達美さんはプレッシャーを淡々と僕にかけてくる。
僕が返事に困っていると「聞いているのか!?」と怒り気味で聞いてくる。
――やっぱり、区代表の人って個性的な人なんだな……
達美さんは大勢が待機している場所に僕を連れていって、ピタリと整列している最後尾に僕を並ばせた。
正方形四方に整列されているその赤紙の人たちは、制服をきっちりと身に着けて一糸乱れることなく同じ姿勢で立っていた。
首の角度まで同じだ。
なんなら、髪型までもが統一され、坊主の人ばかりだった。
――本当に昔あった『軍隊』みたい……
「いいか! 今日の違法薬物の取引現場を必ず押さえるぞ! どこで作っているのか、どこに流通させているのか、全部押さえる! これは全区の命運を握っている作戦だ! 解ったか!?」
「「「はい!!」」」
全員の呼吸が完全に一致している様子だった。
「抵抗したら手荒にしても構わない! 今日は緋月のところの新人も参加する! 実力の差を見せろ!!」
「「「はい!!!」」」
「緋月のところのあの悪魔も来ている! 失敗したら、全員悪魔に喰わせるからな!!!」
「「「はい!!!!」」」
全員がぴったりと呼吸を合わせて返事をし、達美さんの指示に従って一糸乱れぬ動きで車に乗り込み、8区の重い扉を開いていた。
「緋月のところの、お前は俺と一緒に来い」
「わかりました!」
先ほどの勢いに乗せられ、僕も声が大きくなる。
「うるさいぞ! 隠密行動なのだから静かにしろ!」
「え……は、はい……」
あんなに声を張り上げていたのに、急に静かにしろと言われて困惑する。
「まったく、緋月のところのが使い物になるか分からないな……」
「……すみません」
不安でいっぱいになりながら、僕は達美さんの運転する車の横に乗り込んだ。
アダムは車の上に飛び乗ったようだった。
◆◆◆
僕が何をするでもなく
あっという間に、達美さん率いる8区の赤紙は違法薬物の取引現場を押さえてしまった。
数人の8区収容の男たちが大金と違法薬物を取り交わしている現場にさっそうと入り、男たちの抵抗も虚しく組み伏せて金品と違法薬物を差し押さえる。
これでは作戦が失敗する方が難しいようだった。
しかし、達美さんは失敗することをかなり神経質に気にしていた。おそらくそういう性分なのだろう。
「おい、緋月のところの」
達美さんには名前を呼んでもらえず『緋月のところの』と呼ばれていた。
「ぼさっとするな。死にたいのか」
「はい、すみません」
ぼさっとしているつもりはなかったが、達美さんにはそう見えたようだ。
「ここは8区だぞ。10区のような疲弊しきっている死刑囚どもとは違って狂暴だ。しっかりしていろ」
8区の街の中は荒れていた。
そこかしこが壊れていて、それでいて神経質に修繕されて、それでまた壊されている様だった。
嫌な臭いがする。それに昼間なのに高い建物が多く日が差さないため薄暗かった。
沢山の視線を感じた。
恐らくこの大人数での赤紙の違法薬物取締について、疎ましく思っているのだろう。
あるいは、恐怖に顔を引きつらせているに違いない。
「違法薬物……まったく、どこから作るのやら……おい。持っていけ」
達美さんが白い粉の入った袋を僕に手渡してきた。
僕がそれを鞄にしまおうとすると、急に首を腕で掴まれ後ろに引っ張られた。
「俺のもんだ! 返しやがれ!」
赤紙がこれだけ沢山集まっている中に飛び込んでくるなんて、無謀だ。
僕が渉さんに教わった術で素早く男の腕から抜けると、そのまま軽く金属武装した右手の拳で男の下顎を殴った。男はのた打ち回り痛がっていた。
こんな風に自分が暴力を振るう日が来るとは思わなかった。父を殴ったときとはまるで違う。
達美さんはそれを見ていて、少し感心している様子だった。
「やるじゃないか。渉の指導のお陰だな。そいつを9区へ移動させる手続きをしろ」
「はい」
僕が専用拘束具を男につけようとしたら、廃ビルのような中から数人の男たちが襲い掛かってきた。
「うぉおおおおおおお!!! 赤紙ぃいいいいいいっ!!!」
「全員押さえろ!」
赤紙の人たちが次々と応戦するが、数が多く、その廃ビルの構造に精通している相手の方が有利だった。
男たちの動きを素早く見極めてかわすけれど、さすがに複数人相手にしたことがなかった為に僕は顔を殴られて倒れた。
脳が揺さぶられ、激しい痛みで視界が定まらない。
達美さんも何人かに襲われていたが、次々と男たちを持っていた刀で切り捨てていた。
先日のSG《すいみんガス》の導入にはまだ至っていないのが手痛く感じる。
太った男が僕に馬乗りになってきた。
その巨漢の重みで僕は動くことができない。
その男が鉄のパイプを振り翳した瞬間、僕は死を覚悟した。
しかし、次の瞬間鉄パイプはなくなっていた。
正確に言うと、鉄パイプを持った男の腕ごとなくなっていた。
「ぎゃぁあああああああああああッ!!!!」
けたたましい叫び声と、そしておびただしい血液が僕にふりかかる。
僕はおぞましく均衡を失った男を押しのけ立ち上がった。胸の衣服にべったりと血がつく。
目の前にアダムがいた。
猫だった姿が変異しており、はるかに大きな獣の姿になっていた。
先ほどの男の腕を食べている。骨の折れる音と、肉の潰れる嫌な音がアダムの口から聞こえてきた。
「ともはる……」
そんな状態のアダムが僕を呼び、緊張が最高に高まった。脈が速く、視界が恐怖に揺れる。
「だいじょうぶ……? けが……してない?」
僕はその口から滴る血が恐ろしく、言葉の意味はすぐには解らなかった。
その意外な言葉に僕は呆気にとられていて、返事をすることができない。
「ボケっとするなと言っているだろう!? 悪魔、こいつらを全員9区へ連れていけ!」
達美さんはアダムの姿に物怖じせずに命令した。
達美さんの刀はアダムの口の周り同様に血で真っ赤になっていた。自分の服の返り血についてかなり気にしている。
「ひづき……ともはるの……そばにいろって」
「じゃあこいつも連れていけ。緋月のところの、記録はちゃんと取っておけよ。違法薬物についてもな」
「は、はい!」
アダムは目にも留まらぬ素早い動きで、襲ってきた男たちを全員長い尾で絡めとった。
その巨体から想像できないほどの素早さだった。
「ともはる……せなか……のって」
「あ……うん」
アダムは僕に乗りやすいように頭を下げた。頭をよじ登り乗れということだろう。
僕はアダムに対して恐怖心を抱きながらも、背中に乗った。
「きゅうく……びょういん……いく。つかまっていて……」
アダムは翼を形成し、飛び立った。
正直、アダムの背中は掴みどころがなく、アダムの頭部の角に捕まるしかなかった。
「ひづき……いってた……ともはるが……あぶなくなったら…………すぐたすけるようにって」
「あ、ありがとう……助かったよアダム……」
「ともはる……ぼくのこと……こわがってるから……いいところみせて……あんしんさせてあげてって……」
感情の起伏面で乏しいアダムは、緋月様の意図が解っているのだろうか。
緋月様に言われたから僕を助けただけなんじゃないか。そこに、人間のような感情があるのだろうか。
「にんげん……ぼくをこわがる……なんで? ひづき……おしえてくれない」
アダムに言って良いのか解らなかったけど、僕は言葉に詰まりながら正直に言う事にした。
「…………人間を食べているからだと思うよ……同じ人間が食べられているっていうのは……やっぱり、恐ろしいって思う」
「たべているから……? でも……かちく……にんげんをこわがらない……たべるの……あたりまえ……なのに?」
僕はその問いに答えるのを躊躇った。
「にんげん……ともぐいする……なのに……にんげんはこわくない?」
「それは……10区だけだと思うけど……」
「じゅっくいけば……にんげん……こわい?」
僕はアダムの尾に巻き取られ、必死に抵抗している人たちを見た。
そして10区でアダムに食べられた人たちを思い出した。
『怖い』と感じるのは、何故だろう。
「……ごめん。解らない」
「……にんげん……むずかしい」
アダムとこんなふうにきちんと話をするのは初めてだったが、人間よりも純粋さを感じた。
見た目は勿論怖いけれど、動物に近い純粋さがあった。
ただ、解らないことを理解しようとしている姿勢が、ある意味人間よりも人間らしいと僕は感じた。
人間は、知ることをやめる。知ることは怖い。知らなければ良かったと思う事も沢山ある。
そのうちに人間は知ることに怯えて、道を閉ざしていくのかもしれない。
◆◆◆
僕が9区の妃澄様に報告と手続きを済ませ、緋月様の部屋に帰ったのは夕方になってのことだった。
これから報告書をまとめなければならない。アダムはまた猫の姿になって僕の後をついてきていた。やはり目がなく物凄く暗いその深淵を見ると恐ろしく思う。どうして造形自在なのに目だけがないのだろうか。
緋月様の部屋にたどり着き、扉を開けると複数人の人たちが集まっているのが見えた。
「智春君おかえり、今日は大仕事だったそうだね。達美から報告受けているよ。お疲れ様」
緋月様が僕に声をかけると、その場にいた全員が僕の方を向いた。
光さん、渉さん、理沙さん……あと見たことのない2人がいた。
一人は髪の毛が不ぞろいに切られている顔中傷だらけの男性と、その中にいると特に特徴のないセミロングの地味な女性。
「この方が智春さんですか?」
顔が傷だらけの男性が緋月様に問う。
その傷は線状のものが集合している傷が殆どだった。よく見ると首にも手にもついている。
その傷は見たことがある。深さは違えど、僕の首の傷と同じ、鋭利な刃物によってつけられた傷だ。
その彼が透き通った声をしていたことに、なんだか意外だなという印象を受ける。
「そうだよ。紹介するね。悪魔細胞の完全適合者の智春君。智春君、こっちは
僕は会釈した。
理沙さんのように背中に翼が生えていないんだなと僕は思った。
「初めまして、智春です。よろしくお願いします」
「あぁ、よろしくな」
「…………よろしく」
「丁度いい、智春君も話を聞いて」
緋月様に呼ばれた僕は、緋月様の周りに集まっている人たちの輪の後ろについた。
「この前、私が会議で使用した睡眠ガスの使用承諾が出たから、全員分ガスマスクとあとは現場に行く人にはSGを一つ渡すね。誤って発動させないように安全装置がついているから、暴発するってことはないし、ここぞってときに使ってほしい。正直まだ量産ができないから数は少ないけど」
そう言って、緋月様は渉さんと光さんと僕にSGを一つ渡し、全員にガスマスクを渡した。比較的小型で口と鼻を最低限覆える程度のものだった。
「やっぱり現場の仕事だと、今回の智春君みたいな危機的状況になることもあるから、人数が多いときとかに使ってほしい」
緋月様はその説明をざっと行って解散とした。
全員がSGについて独自の感想を述べながら出て行く。その中、渉さんと光さんに声をかけられた。
「智春君、大丈夫だった?」
「はい、なんとか。アダムに助けられました」
「だっせぇの。俺たちがケイコつけてやってんだから、シャキッとしろよな」
「はい」
「報告書は明日でもいいよ。もう遅いから」
「今日書いて提出します。達美さんに「承認の日付が違う!」なんて言われそうですし」
僕が苦笑いすると、「無理しないでね」と言い残して2人は出て行った。
アダムはいつもの位置に行って身体を丸めて眠ったようだった。
「達美に『1時間前に来い!』って怒られたって? ははははは、面白いね」
「ちょっと驚いちゃいました」
「本気で怒ってるわけじゃないから許してあげて」
「……仕事熱心なのはわかりました」
「そうだね。まぁ、報告書の日付は私が適当にやっておくから本当に明日でもいいよ?」
「いえ、今日のことを忘れないうちに……」
「そう。私もまだわ子の報告書も読まないとだからここにいるよ」
僕はパソコンに向かって30分程度で報告書をまとめた。
――できるだけ要点をまとめて短く……
随分渉さんに添削されて短く書けるようになってきた。初めは全然ダメダメだったけど、毎日書いていると慣れてくるものだ。
書き終わって保存し、印刷したものを緋月様に報告書を手渡す。
「本当に危ない目にあって怖かったでしょう。アダムをつけていて本当に良かった」
「はい、死ぬかと思いました……」
「SGの導入が進めば、こんなことも少なくはなくなるから。危ない目に遭わせてごめんね」
緋月様が悲しげな眼をしながら僕の方を見る。紅い瞳の輝きがわずかに曇っているように見えた。
「いえ、そのために渉さんに稽古をつけてもらっていますから」
「そうだね。達美から『なかなかいい動きをする』なんて聞いているから、かなりいい筋になっているんじゃないかなと思うよ。私やアダムとも稽古してみる?」
「そ、それは絶対に勝てないですから」
「ははは、勝つとか負けるとかじゃないよ。動きの練習だから」
緋月様やアダムと稽古をするなんて、全然想像できなかった。
それこそ死んでしまうのではないかと僕は考える。
「そう? ねぇ、まだアダムのこと怖い?」
「え……あぁ……何と言いますか……今日話してみて、意外なところがあって。そんなに怖くないのかもって思いました」
「そっか」
緋月様は少し嬉しそうに笑った。
「智春君、先入観や固定観念みたいなものって、本当に恐ろしいんだよ。印象だけで全て自分の中で憶測が立ってしまう。でも、実際にソレに触れてみないと結局解らないものなんだ」
「はい。もう少し、アダムと普通に話をしてみようと思います」
「そうだね。アダムも喜ぶよ」
『全てが悪いものも、全てが良いものもないんだ』という、昔読んだ本の一節を僕は思い出した。
良い部分と、悪い部分が必ずあると。
「お疲れ様。達美は事細かに書面だしてくるから事の顛末は解ってるんだけどね」
「第三者委員会に映像記録と同じく提出するんですよね?」
「そうそう。私が良いと思っても審査が必要だからね」
緋月様はその細い指を組みながら僕に対して話をする。
「にしても、達美が“俺の服が血で汚れたから”って3回分クリーニング代請求してきてさ。はははは、1回じゃダメなの? って聞いたら“ふざけるな”だってさ。今回はお手柄だったから3回分の支払いを許可したけど、3回もクリーニングしろってクリーニング屋さんに言うのかと思ったら面白くってさ」
――達美さんらしいな
と、僕もつられて笑ってしまう。
「他の区代表ともきちんと話をしてみたいです」
「あぁ、構わないよ。この前は優輝のとこ行ってきたんでしょ? 話せた?」
「はい、少しですけど」
「そう。まぁ、わ子の監査もまだまだ2区と3区が終わったとこだし、行って来たら?」
「ありがとうございます」
部屋に帰ると、昨日と同じようにベッドに身体を投げ出した。
――死ぬかと思ったな……アダムがいなかったら死んでた……
あの時僕は再び死を覚悟したけれど、僕は死にたくないと思っていたに違いない。
その感情は、あのとき死んでいなかったからこそ抱ける感情だ。
僕は自分の心臓に手を当てて、動いていることを確認するとホッとした。
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