第13話 性別を超越した存在
渉さんと共に1区の娯楽街にやってきた。
僕は来たことがなかったけれど、ここと金色区は唯一『お酒』というものの提供を許している区域だ。
それに、唯一の風俗店の営業許可がおりている。
街を行き交う人々は、なにやらそわそわとした様子で店を選んでいるように見える。
街は赤やオレンジを基調として、やけに視覚を刺激的な色で刺激してきていた。
「…………」
渉さんはその街を抜けていく途中、なんだか機嫌が良くなさそうだった。
こういう場所は嫌いらしい。
「智春君はまだ成人しておりませんから、こういうお店には入ってはいけませんよ」
「え……あぁ……はい……」
何とも言えない気まずい気持ちになった。
男性用の風俗店から、女性用の風俗店も並んでいた。
「優輝様はこのあたりのすべての風俗店に許可を与えています。もちろん申請をして、衛生的に許可が下りなければ勝手に風俗店を営業してはいけないことになっていますが……無許可で営んでいる者が後を絶ちません。緋月様は片端から摘発しています。キリがありません。最近随分減ってきましたが……」
「僕の父の不倫相手も、無許可営業をしていた人でしたね」
「まったく……汚らわしい……」
心の底から蔑視を込めた声で、渉さんはそう言う。
何と返事をしたらいいか解らなかったので、僕はただ渉さんの後をついていった。
「優輝さんは緋月様と……その……そりが合わないのですか?」
「……優輝は緋月様をひがんでいるだけです」
「ひがんでいる? あんなに綺麗な人なのに……」
「だからですよ」
「?」
解らなかったが、それを訪ねる前に優輝さんがいるという事務所についた。
娯楽街の真ん中に事務所を構えているようで、1区の支部から少し歩かなければならない。
入口も中も花やら飾りやらでやたらと豪奢に飾り付けられていた。
「渉様、どうされたんですか?」
入口付近の受付に座っていた男は見目麗しく、華やかな男性だった。
突然の渉さんの来訪に戸惑っているような様子を見せたが、すぐに眩しいほどの笑顔を渉に向ける。
「監査に来ました」
「監査ですか。どうぞ、お好きなだけご覧になっていってください」
にこやかに笑うその男性に僕らは軽く会釈をする。
渉さんは中にどんどんと入って行って、迷うことなく優輝さんのいる部屋へとたどり着いた。
扉をノックして中から返事があると、渉さんは扉を開ける。
「優輝様、失礼します」
優輝さんは豪奢な椅子に座って、大きな机に向かって緋月様のように書類に目を通していた。
その姿は男だと知らなければ、女性にしか見えないほど美しかった。
化粧もしており、睫毛はマスカラやらつけまつげやらをしているようで、瞬きをするたびに長い睫毛が大きく揺れる。
唇に真っ赤な口紅をさして、頬にも明るい色のチークをしている。目鼻立ちはくっきりしていて、改めてみると誰もが見とれる容姿だと僕は思う。
大昔からある伝統の『着物』というものを着崩して、なだらかな白い肩を露出させていてやけに色っぽい。
「渉じゃないの。あと新人の……なんて言ったかしら」
「あ……智春と申します」
深々と僕は頭を下げた。
男性なのか、女性なのか、そんなことはこの美しさの前にはどうでもいいことのように感じた。
「あぁ、そうだったわね。智春」
優輝さんは立ち上がってゆっくりと僕らの前に現れた。
「何の用かしら?」
「監査です。少し仕事ぶりを確認させていただきますよ」
「監査? あっそう」
「どうぞ」と言わんばかりに上品に手を翻し、書類に渉さんを誘導する。
「緋月の監査は必要ないのかしら?」
「緋月様は眠る時間を削って仕事されています。今度見に来られたらいかがですか?」
「嫌よ。あたしだって昼も夜も忙しいのよ」
「…………」
渉さんは机に置いてあった書類に真剣に目を通していた。
「智春、緋月のところはどうなの? 大変?」
優輝さんに突然話しかけられて、ビクリと僕は身体を震わせた。
「仕事は大変ですけど、やりがいはあります」
「ふーん……緋月って最近やけに側近を雇いたがるけど、なんでなの? 智春は渉みたいに優秀なのかしら?」
「僕は……まだ全然です。どうして側近にしてくれたのか、今でも考えちゃうくらいですし……」
「ま、緋月が何考えてるかなんてわからないし。解りたくもないわ。あたし、緋月のこと嫌いだし」
優輝さんは渉さんに聞こえるようにわざとそう言った。渉さんはピクリと指を震わせる。
「嫌いでも結構ですが、仕事はきちんとしているようですね」
「当たり前でしょ? 緋月のことは嫌いだけど、あたしは不正が大嫌いなの」
「そうですか。緋月様があなたを1区を任せているのは、それ相応の期待があってでしょうから、異論はありませんよ」
「渉自身はあたしに対して不満があるんでしょ?」
少し黙ったあと、渉さんは優輝さんを睨むように見る。
「当然です。風俗店に許可を出しているまでは仕事ですし、解りますけど……ご自身が風俗店を経営し、あなた自身も身体を売る行為をされているのには異論があります」
「別にいいじゃない。渉もあたしを買ってみたら良さが解るわよ」
「ふざけないでください」
より険しい表情で渉さんは優輝さんを睨む。
「緋月様が
「堅いわねぇ渉は……緋月と正反対」
優輝様ははだけている綺麗な細い首を片手で掴み、ため息を吐いた。
「智春はどう? あたし、買ってみない? 初回は安くしておいてあげるわ」
「えっ……」
バンッ!
僕が戸惑った矢先に渉さんは机を強く叩き、座っていた椅子から立ち上がった。
それは鬼の形相だ。
その衝撃に、机の上に置いてあった花のいけてある花瓶が倒れるかと思った。
「智春君は未成年です!」
「あら、そうだったの……じゃあ成人してからね。渉が怖いから、あたしは報告が上がっている問題がありそうな店に行ってくるわ」
華奢な綺麗な手をひらめかせ、優輝さんは出て行った。
「まったく、これだから優輝は……」
「なんというか……個性的な方ですね……」
「はぁ……だから監査は嫌なんですよ。監査となるとどうしても話をしないといけませんから。これでも優輝はまだマシな方です。葉太や薫なんて……もう……」
渉さんは机に肘をついて頭を抱えながら悩んでいる。
「えっと……5区と3区の代表の方ですよね……」
「特に葉太のところには行きたくないです……」
――確か……区代表との顔合わせのときに、達美さんと言い争ってた人だったっけ……
「行きたくはないですが、行かないといけませんね。緋月様に任されている大切な仕事ですから」
それから一緒に1区の書類を一緒に確認した。その作業を行っているうちに、もう日が暮れてしまってきていた。
1区は些細な迷惑行為も報告が上がるため、かなりの人員が割かれている。1区は全区画の中でも人口が一番多い。
黒旗の拠点もあるので、その黒旗の動向の書類も沢山上がっているようだった。
その一つに僕は目を奪われる。
――秘密裏にされていたゲノム編集……施設差し押さえ……
遺伝子操作は大昔によく行われていたけれど、その弊害が出始めたことで禁止になったはず。それを秘密裏にしていたという記述だ。
「渉さん、黒旗ってゲノム編集推進派でしたよね?」
「そうですね。彼らは『
「……緋月様と対立するわけですね……」
「精神疾患者に対する福祉を手厚く行っている緋月様とは相いれないのです」
僕はそれを聞いて肩を落とした。
――だったら、僕も排除対象なのかな……
自殺しようとした僕は、どちらかと言えば精神疾患者寄りの人間だろう。
「黒旗はどちらかというと宗教なので、緋月様も真っ向から弾圧しないのでしょうけど……緋月様に対する反乱分子をどうして野放しにしているのか、やはり解りません。住む区分を分けて、別の国として立国させてやればいいのかも知れませんが、もう外は放射能汚染が酷くて住めないですしね」
「宗教ですか……なにやら怪しげなのは間違いないですけど……」
僕らは再び書類に目を通した。
黒旗関係の書類がまとめられているファイルがいくつもあって、僕は読み疲れてしまった。
優輝さんは全部の報告書に目を通しているのだと思うと、並大抵の努力ではできないことだと感じる。
「もう帰りましょう。真面目に仕事はしているようですし、明日は2区へ行きましょうか」
「2区の区代表は
「そうです。ある程度まともなのでそう苦労はしないでしょう」
その「ある程度」という部分に引っかかりつつも、僕は優輝さんの事務所を後にした。
「渉様、遅くまでお疲れ様でした」
顔立ちの整っている受付の男性はまだ残っているようだった。彼も書類の整理をしている様だった。
「いかがでしたか?」
「問題ないようです。性病が萬栄しているとの報告もないようですし」
「これはこれは……手厳しい」
僕らは日が沈んだ娯楽街を歩いて戻った。
街の中はカップルが多い。若い女性の肩に男性が手を回しているのが見える。
「平和そうに感じていた1区でもやっぱり色々報告が上がってるんですね」
「そうですね……人格障害者が事件を起こす場合もありますし……緋月様も精神疾患者と人格障碍者の線引きに対して悩まれている様です」
「難しいですね……僕も頑張って勉強しないと」
「私も日々勉強ですが、200年生きられている緋月様のお考えを容易に理解することは出来ませんね」
そんな話をしながら、僕らはようやく緋月様の部屋に戻ってきた。
身体を動かしていたわけではないが、書類にずっと目を通していた僕はくたくただった。
――緋月様も区代表の人たちも……よく毎日書類の山と向き合っていられるな……
僕らが部屋に入ると、緋月様は相変わらず食事をしながら書類に目を通していた。
今はグラタンを食べている様で、美味しそうな匂いが部屋に充満している。
「あ、おかえり。遅かったね。食べてきた?」
「いえ、食事はまだです」
「食べる? グラタン」
――そういえばお腹すいたな
緋月様の食べているグラタンの皿はかなり大きく、裕に3人前はあるようだった。
その隣に別の味付けのグラタンの皿が2つほど置いてある。
――本当によく食べる人だな……
「私は結構です」
本当は食べたかったけれど、渉さんが遠慮しているのに僕だけ食べるわけにはいかない。
「僕も大丈夫です」
「そう? 美味しいのに……」
少し残念そうな顔を緋月様はしたが、グラタンを自分の口に運んで食べてひと呼吸おいてから話し始めた。
「今日はお疲れ様。あのさ、わ子は明日引き続き監査に行ってほしいんだけど、智春君は8区の達美の手伝いに行ってくれない? なんか違法薬物の取引現場を押さえるから人員がほしいってさ」
「それなら逆の方がよろしいのでは? 8区ですよね? 危険だと思いますが……」
「アダムをつけるから大丈夫。まぁ、達美が智春君をご指名だからっていうのはあるけどね」
――え?
達美さんが僕を指名しているという意味が解らなかった。
「達美は私の側近になった智春君のこと見定めたいんじゃない? 達美は神経質だからなぁ」
「僕、大丈夫でしょうか……? 8区となると相当に凶悪な人ばかりでしょうから……」
「私としても、そう危険なことに駆り出したくないんだけどさ。達美がもううるさくて仕方ないから、1回智春君の実力を見せてちょっと静かにしてほしいんだよね。私もどうしても無理そうなら行かせないけど、武術の特訓にも励んでるの見てたし、行けると判断したのよ。荒っぽい仕事はしないって話だったのに、ごめんね。でもアダムがついていれば大丈夫」
一区切り話し終わると、緋月様はもぐもぐとグラタンを口に運んで咀嚼する。
「そうですか……わかりました。頑張ります」
「いいね。その意気だ」
本当は怖かった。
赤紙になってそう経っていない僕は、まだ罪人というものにきちんと向き合えていない。
父が7区に移動したのもまだ実感がわいていなかったし、父に向き合う気にもなれなかった。
「明日早いから、もう休んで。明日は7時に8区の大門の前に集合らしい。達美は時間にうるさいから、早めに行ってあげて」
「解りました」
緋月様に一礼して、僕は自分の部屋に向かった。
部屋についた僕はベッドに身体を投げ出す。
――監査も大変だけど……違法薬物の取引現場を押さえるなんて、僕にできるのかな……
そこで、昼間に渉さんが優輝さんに言っていたことを思い出した。
――緋月様があなたを1区を任せているのは、それ相応の期待があってでしょうから
緋月様も僕に期待をしてくれているのだろう。
いまだに自殺しようとしたときのように、自分に自信が持てない。自分の人生に自身が持てなかった。
「よし、明日も頑張ろう」
僕はシャワーを浴びて、適当に食事を済ませ、アラームをかけ、すぐに眠りについた。
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