第27話 監獄実験っていうのがあってね




緋月様の部屋に戻ると、渉さんだけがいた。

書類の整理に追われているようで、僕を一瞥して「おかえりなさい」と言った後にすぐに書類に目を通す作業に戻る。


「浅葱ちゃんの様子はどうでしたか?」

「担当医にまだ面会は早いと言われました。今は……えっと、陰性症状……が出ているとか。良くはなってきているようです」

「統合失調症の陰性症状ですね。わかりました………話は変わりますけど、帰ってきたところ悪いのですが、智春君も怪しげな報告書の分別を手伝ってくれませんか? 結構多くて……」

「解りました」


僕は山積みになっている書類の半分ほどをもらい、その書類をチェックし始める。


「今更なんですが、どうして紙として出すんですか? データの方が紙もゴミにならずに済むと思うんですけど」

「パソコンにしないのはコンピュータウイルスや不正アクセスを防止する目的があります。時代に逆行してると思われがちですが、赤紙内の情報を漏らさないために紙を使っているのです。抜かれるとまずい情報も多いですから。データだと一度漏れると手が付けられないですし」

「区代表がまとめた報告書が毎日、緋月様しか開けない特殊なケースに入れられて運ばれてくるんです」

「特殊なケース?」

「これですが……」


渉さんは緋月様の席の隣に置いてある、長方形の立方体のケースを指さした。

酷く重そうな金属ケースだ。

いつも緋月様が物をちらかしておくので、特に僕は気にしていなかったがこんな箱があったのかと感じる。


「これは鍵が複雑で、普通の鍵ではないんです。緋月様の血の裁量で中の金属突起を回さないと開かないんですよ。かなり重いので、これを持って逃げることは容易ではないですし、GPSもついてます。レーザーカッターやチェーンソーなどでこじ開けられそうになるとセンサーが作動して中の書類が燃えます」

「そ……そうなんですか……なんというか、すごいですね……」

「あと、断っておきますが紙は再生されてますからね。資源は有限ですから。赤紙のお抱えの再生所に細断された状態で送って処理しています」


僕にそう話す間も渉さんは報告書に目を通していっている。


「聖ラファエル病院はパソコンを使っていましたが、カルテは紙なんですか?」

「ええ。精神科と脳外科では紙のカルテを使ってますよ。医師からは電子化してほしいという要望も強くありますが、やはり緋月様は首を縦に振らないですね。他の内科や産婦人科などのカルテは一応電子カルテを使っているのですが……精神科と脳外科だけは紙のカルテを厳重保管してます。特に精神科は厳重ですね」

「そうなんですか……」

「ふふ……笑ってしまうのですが……逆に他の科の医師から“精神科だけ手厚すぎるのでは”と声があがったとき、緋月様は何て言ったと思いますか?」

「“精神科は特別だから”……とかですか?」

「“うるさい”、“それ以上言及したら、患者の診察の最中にアダルトビデオ見てる医者の名前を全部言うよ”と、“それともアダルトビデオ見てた人たち全員2区に移動してもらおうか? 病院の経営ひっ迫するよ”と……。医師たちはその傍若無人ぶりに唖然としてしました」


渉さんはおかしそうに笑う。


「私が小声で“それは大丈夫なのですか?”と聞いたときは“私が許している間は大丈夫”と言っていました。それでいいのですかと思わず失笑してしまいました」

「やっぱり、医師というと貴重な人材だからですかね……?」

「いえ、そうではないですよ。優秀な人材でも、不正があれば緋月様は厳格です。が、職務中のアダルトサイトの閲覧が明確に不正というのは弱いです。でも、性的なことを仕事中に考えていたというのは相当な羞恥心だったでしょうね。仮に処分は免れても、名前が公表されたらその医師の今後の進退に大きくかかわる。弱みを握ったわけです。それを緋月様は面白がっていましたから」

「恨まれそうですね……緋月様は弱みとかつかまれていたりするんでしょうか」

「仕事に関して言うなら、第三者委員会に“過激”だと批判されることはありますけどね。緋月様ご自身が病気になることがないので、医師に弱みを握られることもないでしょう」

「なるほど……」


――緋月様は病気にならないのか……


僕は緋月様のことをよく知らないままだ。

それはおろか、この国のことも、歴史すらもよく知らない。

学校で勉強していたはずだが、僕は歴史は苦手で大まかなことしか知らない。


――もう少し歴史の勉強もしないと……緋月様のお付きとして恥ずかしくないように……


そう考えながら、僕は報告書を見ていた。

緋月様が国を統治してからもうかなり経つのに、まだこんなに罪を繰り返す人がいる。

1区から2区に移動しただけで生活がガラリと変わってしまう。

その生活に自分の行ったことを反省し、1区に戻りたいと思っている住民が殆どだ。しかし、2区に移動してからが分岐点だ。

そこから堕ちていくか、あるいはまた1区に戻ってくるか。

2区の報告書には「構成更生の兆しが見えない」や「反省していない様子」などという言葉が書き連ねられている。


――まして7区に堕ちた父さんは……もう1区に戻ってくることはない……


僕は時間が少し経って、複雑な気持ちだった。

多分、しばらくはこの違和感を拭うことは出来ないだろう。




◆◆◆




浅葱ちゃんの様子について報告書を書いている中、緋月様はすっかり元の姿で戻ってきた。もう日も落ち始めている夕方だった。

緋月様は珍しく疲れ切った様子で少しぼーっとしている様だ。


「ちょっと疲れちゃった」

「お疲れ様です」


緋月様に口頭で先に報告すると「そう」と言って自分の椅子に腰かけ、腕を組んでボロボロのカーテンの方を見つめる。


コンコンコン……


「失礼します。お食事をお持ちしました」

「あぁ、その辺置いておいて」


ロングのメイド服を着たその人物は、ガラガラと大きな食事の入った銀のカートを押して、入ってくる。

病院で患者に配膳しているようなカートだ。ものすごく重そうに運んでくる。

部屋に置いて、そのまま一礼し、出ていった。


「さて……と」


緋月様は血の裁量を伸ばし、いとも簡単に重い軽々とカートを自分の近くまで引き寄せた。

その中から適当に引き出して食事を出して、カートの扉を閉める。

出したものはドーナツだった。色とりどりのドーナツが綺麗に並んでいる。


「普通の子供みたいに……学校で教育を受けさせてあげたいんだけど、まだ無理そうだね」


血の裁量を操って器用に机の上にドーナツを置いて、僕との話を続ける。


「はい。まだ面会も早いと言われてましたから」

「そう……智春君は学校、どうだった?」

「学校ですか? そうですね……可もなく不可もなく……って感じでした。こんなことを緋月様の手前言うのも気が引けますが、勉強はあまり……」

「ははは、別にいいんじゃない? 勉強なんて私も好きじゃなかったよ。大人になって必要だから色々勉強したけどさ」


笑いながら緋月様はドーナツを手に取って食べ始める。


「ドーナツ食べる?」

「あ……報告書が終わったらいただきます」

「ふふふ、報告書を書き終わるまでドーナツが残ってたらね」


その言葉に僕は苦笑いをする。

緋月様の子供時代はどんな子供だったのだろうか。ふとそんな疑問が浮かぶ。

疑問を口に出そうとしたときに、緋月様は先に話し始めた。


「大昔は、学校っていうと軍隊育成所みたいだったらしいよ。各家から通わないといけなかったし。教師の言うことは絶対って風潮があったみたい」

「どのくらい前ですか?」

「えーと……500年前かな」

「それはかなり前ですね」

「私が区を分けたときはもうそういう風潮なくなってたけど、怖いよね。逆らえないっていう状況を作り出して、あくまで従順に従わせるようにしてたらしい。大義名分は“個性を尊重する”なんて言って、結局個性なんてものはつぶされていくだけ。ダブルバインドな状況ってわけ」


チョコレートのついているドーナツを緋月様が食べる。


「ダブルバインドってなんですか?」

「ダブルバインドっていうのは、言っていることとやっていることが違う……みたいなことかな。Aにしろって言っているのに、AにしたらBにしろって言われるような。“おいで”って言われていくと、突き飛ばされる、みたいな。された方はどうしていいかわからなくなってしまう。そういう教育はしたらいけないと思うんだよね」


ドーナツをひらひらとたなびかせながら、緋月様はそう言う。


「監獄実験っていうのがあってね、全員優劣のない集団に対して、役割を与える。看守役と、囚人役に分かれて行うの。まぁ、昔あった拘置所とか刑務所の再現だよね。看守役の人間は“看守らしく”、囚人約の人は“囚人らしく”なるんだよ」


粉砂糖がふってあるドーナツを緋月様が食べる。


「要するに、看守役の人は横暴になって囚人を暴力すらふるって痛めつけて、囚人側はそれを抵抗できないと思って抵抗できなくなる。『学習性無気力』と少し話が似てるかな?」

「学習性無気力ってなんですか?」

「犬を使った実験だったらしいんだけど。犬を逃げられないようにつないで、電気ショックを与える。初めは逃げようとするけど、逃げられない。それを何度か繰りかえす内に、犬は拘束から解放されて逃げられるようになっても、逃げようとせずにただじっと電撃の痛みに耐え続ける……っていうね。逃げられるのに、逃げることが無駄だっていう思考パターンに陥って逃げることができなくなる。個人差はあるだろうけどね」


可哀想な実験だと僕は思った。その犬は永遠にそのトラウマを抱えて生きていかないといけないのだろう。

電気ショックに怯えながら一生を全うするのだろうか。

何度も何度も行うことで、相手を逃げられないと追い詰めることができる。

緋月様は生クリームのたっぷりついているドーナツを食べる。


「私は……今は今の体制にできて本当によかったって思ってる。子供同士のイジメ行為が横行してた頃と比べるとね。逃げ場所なんてどこにもなかったんだよ。今はそういうことがあれば子供であっても子供区の中で分けてるからね。イジメがあって自殺しちゃう子が減ってくれて私は嬉しいよ」


次はイチゴクリームのドーナツだ。

僕がその中の一番食べたいと思っていたそのイチゴのドーナツは緋月様の口に何の迷いもなく運ばれていく。


「仮説にすぎないけど、母親の胎内にいるときに男性ホルモンに過剰に晒されると、性別が女でも攻撃的になるんだって。物を壊したり、粗暴な性格というか、男児が好むようなことを好むようになるらしい」

「母体にいる間にですか?」

「そう。そんなの子供にはコントロールできようもない。それから…遺伝子的に、とある酵素が作られない疾患が元々ある家系の人間は、暴力的になるとかっていう研究もある。系譜で追っていくと、傷害事件や暴行事件を起こしている人が多かったりね」


緋月様はイチゴのドーナツを口に入れるのをやめて、再びお皿に戻した。


「そういうの、ゲノム編集で防ぐっていうのは現実的な解決だと思うけどね。でも、もう根底から消し去るっていうのもリスクがあるし、弊害もある。解析して対策をするって方法は取ってるけどね」


僕の方にスッとイチゴのドーナツを置いた皿を差し出してくれた。


「ドーナツ食べていいよ」

「あ……ありがとうございます」


僕が受け取ろうとすると、ヒュッ……と緋月様はそのドーナツを僕が取れないように動かした。

ドーナツを取ろうと手を伸ばして僕の手は空を掻いて「え?」と、間抜けな顔をしていたと思う。やっぱりくれないのかという気持ちになった。


「これがダブルバインドだよ」


ニヤリと笑って緋月様はドーナツを皿に戻す。


「………ほ、本当にもらっていいんですか?」

「そう、そういう気持ちになっちゃうからダブルバインドは駄目なんだよねー」


そう言いながら、緋月様は僕にイチゴのドーナツをくれる。

なんだか、食べていいのかどうかわからない後ろめたさを感じながらも、僕はそのドーナツを食べた。

口の中にイチゴの味が広がって美味しかった。




◆◆◆




【れい華の部屋】


その部屋は暗く、日は射さない。

れい華は相変わらずぐったりとしていた。横になると、色々なことが頭の中を巡って眠ることもできない。

寝るときはいつも睡眠薬を服薬していた。

短く切られている髪は不ぞろいで、れい華が寝返りを打つと、細すぎると言って差し支えのない首を短い髪が撫でる。


「…………」


そんな彼女を心配そうに見つめる人物がいた。


「最近、ますます具合悪そうだね。また痩せたんじゃない? もうこれ以上痩せたらまずいよ」


緋月はそう言いながら、差し入れのサンドイッチを置く。

1つ、2つ程度。


「最近、全然食事ができてないって聞いてるけど、サンドイッチ食べられる?」

「……1つなら」

「少食だね。それじゃ動けないでしょう」

「動けなくなっても、点滴つけられるでしょ」

「食べたいものないの?」

「ない。食事は面倒……」


れい華はサンドイッチを手にもって、その味を確認する。


「ハムのサンドイッチだけでいい」

「お腹空かないの? 私なんて四六時中食べてるのに」


そう言いながら緋月もサンドイッチの包みを破いて食べ始める。

それを怪訝そうな顔で見つめながら、れい華もサンドイッチを剥いて、食べ始める。緋月は次から次へとサンドイッチを食べているのに対して、れい華は全然食事が進まない。

少し食べては少し噛んで、やっとのことで飲み込む。


「なんで……こんなに具合が悪いのか解らない。薬も飲んでいるのに」

「私も、できることならどうにかしてあげたいんだけど」

「……そう言い訳をする為に私のところに通っているわけ?」


まだ5分の1も食べきれていないサンドイッチを持って、れい華は緋月に問うた。


「れい華は鋭いね。そうだよ。死なせてやれないことに対しての言い訳をしにきてるわけだ」


あまり悪びれている様子でもない緋月のその言葉に、れい華は何を感じるわけでもなく、暗闇を見つめた。


「そんなの、別に望んでない。私に言い訳する時間があったら、仕事にでも戻ったら?」

「手厳しいな。そんなに邪険にしないでよ。時々は外に出た方がいいんじゃないかな。気分転換になるし、私が付き添うからさ」

「……外に出ると……変な目で見られるから嫌だ」

「そっか。じゃあ人気のないところならいいかな?」

「……行きたくない」


サンドイッチを口に運ぶたびに、パンとハムとレタスの味が口の中に広がっていく。

味気のないサンドイッチだ。ますます食欲が出ない。


「まぁ、無理にとは言わないけど……」

「緋月は……光に付きまとわれて鬱陶しくないの?」


率直に思ったことをれい華は緋月に聞いた。


「少し困るときはあるけどね……鬱陶しいとかはないよ」

「……そう。緋月みたいに寛容になりたい」

「寛容……ね。そう寛容じゃないよ。私、根に持つ方だし」


「どうだか」とれい華はつぶやいて、

懸命に、選択的に、能動的にサンドイッチを口に運ぶ。


「……緋月の仕事の付き添いなら出てもいいよ。今日はサンドイッチも食べられたし、まだ調子がいい方だから。外も雨だし」

「仕事の付き添いか……」


緋月は考え込むように少しの間黙ってしまう。今日は9区内に行く。

黒旗の人間の1人に話を聞きに行くというものだ。危険性が高いと緋月は考えていた。


「アダムと空飛びたい……光がいないときに……」


れい華は光が苦手だと思っている。

光は何でも遠慮なく言う為、その言葉の端々に嫌悪感を感じてしまうからだ。

れい華の言葉を聞いて緋月は笑った。


「あははは、そう。いいよ。レイは今1区で起きたもめ事を確認しに行ってるし」

「……その、“レイ”って呼び方、なんとかならないの。私と被るじゃん」

「んー、今更変えられないよ。“光”って呼ばれるの、レイ嫌がるから」


「はぁ……」とため息をついてれい華はあきらめた。

緋月は譲らないと解っていたからだ。


「……他の人たちはいない……? ラファエルの人たちは?」

「いないよ。わ子と新しい子……智春君っていうんだけど、その子たちはいるけどね」


れい華は少し考える。

渉は余計なことを言わないから、無害だ。


「……渉は害がないからいい。その……智春さんって、どんな人?」

「うーん……18歳で……人畜無害というか。優しい子だよ。多分、会っても問題ないと思うけど」

「……駄目そうな人なら、すぐに帰る」

「うん。いいよ。じゃあ行こうか」


れい華は立ち上がると立ち眩みを感じた。フラフラと力なく緋月に支えられてしまう。


――本当に大丈夫かな……


緋月はれい華と同時に不安を抱えた。




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