第28話 死ねないって難儀だね
緋月様が戻ってくると、一人の女性を連れてきた。
ラファエルの人の誰かでもなければ、区代表でもない。
――誰かの側近?
そう一瞬考えたけれど、僕は病的なまでに寄せ細ってしまっている彼女を見たことがなかったと記憶を振り返る。
細いまでならそう印象に深くないが、彼女は肌の色がものすごく白かった。
血管まで透けて見えてしまうのではないかと思われるほど白い。緋月様も白い方だけれど、輪をかけて彼女は白かった。
女性にしては背が高く、緋月様とどことなく雰囲気が似ている。
短い髪は少し癖があった。
「今日は見学の人がいまーす」
そう言って緋月様はそのフラフラと歩いている女性を僕と渉さんに披露する。
「鬱陶しいんだけど……」
「ごめんごめん」
緋月様に対して辛辣な物言いをする彼女に対して、「光さんと同じタイプかな」と考えた。
しかし光さんのように勢いがない。
「緋月様、こちらの方は?」
「れい華。職場見学だよ」
見るからに不健康そうな状態の人だと僕は思った。顔色も良くない。
僕を見るなり少し緋月様の後ろに隠れるようにして、距離を取ろうとする。
「……
――苗字……?
もうずいぶん前に撤廃されて、よく自分の苗字が解るなと僕は思った。
僕は自分の苗字なんて知らない。
「どういう字を書くんですか?」
「……日の光の“日”に、上下の“下”、部落とかの“部”で
「解りました。日下部さん。僕は智春です」
「…………」
できるだけ愛想をよくしてみたのだが、日下部さんは僕とあまり目を合わせてくれない。
どうやら目を合わせるのが苦手らしい。
「日下部さん、お久しぶりです」
「渉……ひさしぶり」
「お知り合いなのですか?」
「ええ。以前に同じように緋月様に連れられていらっしゃいました」
「緋月とはときどき会って話してる。友達みたいなもの」
緋月様の友達と聞いて僕は驚いた。
仕事以外では全く誰とも付き合いがないと思っていた。
「まぁ、そんなところ」
――友達っていうと……何か同等の何かを日下部さんは持っているのだろうか……
医師と患者はあくまで医師と患者だ。
感情の転移はあっても、結局医者と患者の関係は変わらない。
上司と部下も、結局は上司と部下だ。
――仕事仲間じゃないってこと……だよね? 見学って言ってるし……
そこまで考えて違和感を覚えた。
赤紙の機密情報などが沢山あるこの部屋に入れて見学などさせて大丈夫なのだろうか。
そう考えると、彼女はやはり赤紙の人間?
しかし、僕はその疑問を聞かないでいた。緋月様がいいというのなら大丈夫なのだろう。
「今日は雨だけど、9区行くよ。私とれい華とアダムで行く」
――え?
見学なのに、9区の中に行くのかと僕は日下部さんを見た。
特にこれと言った感情もなく、彼女はボーッ……としているようでそれを聞いていた。
「緋月様、彼女を同行させるのは危険なのではないですか?」
僕の感じていた疑問に対して、渉さんが代弁してくれる。
「え? あー……アダムの上に乗っていれば大丈夫だよ」
「しかし……足元も悪いですし……」
「渉、大丈夫だから」
日下部さんは覇気なくそう言った。そしてアダムの方に向き直って、駆け寄ってアダムに埋もれるように抱きしめた。
アダムは丸くなっていた身体を起こし、日下部さんをその目のないくぼんだ深淵で彼女を見る。
「れいか……そとでて……だいじょうぶ……?」
「うん、今日はまだ調子がいい方。アダム、空飛びたい。背中乗せて」
「いいよ……」
アダムは寛容にその要望を受け入れ、頭の上に日下部さんを乗せた。
日下部さんはアダムの角を掴み、首のところの数珠のところに器用に乗った。脚を引っかけ、落ちないようにバランスを保っている。
「アダム、れい華、室内で暴れないでね」
緋月様がそう言うが、二人は聞いていないようだった。
「はぁ……れい華が楽しそうで何より」
「無表情で乗ってますけど……楽しそうなんですか?」
「楽しそうだよ。ベッドでぐったりしてるときよりはね」
なにやら複雑な事情があるようだったが、僕は聞けなかった。
人それぞれ、立ち入ったらいけない複雑な事情がある。
自分の首の傷を押さえながら、アダムにつかまって「早く行こう」と言っている日下部さんを僕は見ていた。
◆◆◆
それから緋月様が帰ってくるまで、僕は渉さんに久々に武術の稽古をつけてもらっていた。
「身体がなまっているようですね、智春君」
「はぁ……はぁ……!」
渉さんは相変わらず強い。
全然僕は歯が立たなかった。僕が仮に、本気で殺すつもりで立ち向かったとしても渉さんには勝てないだろう。
とはいえ、本当に怪我をさせてしまったらいけないので、僕は本気でそうすることは出来なかった。
悠然と立ち、行きひとつ乱さない渉さんはなぜこんなにも強いのだろう。
「基礎体力がないですね。赤紙の中にはジムもありますから、活用してください」
「ジムですか?」
「そうです。光はいないときはときどき仕事をしているか、ジムにいます」
――ときどきジムにいて、ほとんど仕事をしているのではないのか……
比重が逆でも光さんは許されているらしい。そんなことを考えている間に、緋月様がいつも通り窓から帰ってきた。
その姿を見て僕は絶句する。
ビショビショに雨に打たれて濡れていることは別にしても、服に血のようなものがついていたからだ。
「緋月様……血が……」
「あぁ……私の血じゃないから」
ずぶ濡れの緋月様は背中の翼を身体にしまう。
「日下部さんはどうされたのですか?」
「れい華はアダムと一緒に今空飛んでるよ」
「この雨の中ですか?」
「そう。あぁ、これれい華の血でもないから」
ならば、9区の誰かの血なのだろう。
「はぁ……気分転換に外に出そうとしたのに……結局息をつまらせることになっちゃった」
緋月様は奥の部屋に歩いて行って、扉を閉めた。あんなに暗い顔をしている緋月様は初めて見たかもしれない。
そう考えているとすぐに緋月様は奥の部屋から出てきた。
着替えた緋月様はなんだか見慣れない派手なTシャツと派手な短パンをはいていた。
Tシャツは中央にフリルが幾重にもついていて、腕の部分は肩のところで一度切れて空いている。普段理沙さんが来ているような服に似ていると思った。
短パンから見えるその細くて白い太ももに、僕は視線のやり場を失う。
「…………れい華が帰ってきても、構わないであげてね。とやかく言われるの、嫌がるから」
「はい……」
「まぁ、色々あったわけよ」
緋月様はそれ以上は日下部さんのことは言わなかった。
それから僕らは黙々と稽古を続けることとなった。緋月様は黙って書類を書いている。
僕は何とも言えない気まずさを感じながらも、渉さんは「聞かないでください」と無言の圧力をかけてくる。
その中、部屋の大窓を開けてびしょ濡れのアダムと日下部さんは戻ってきた。
無表情だったが、行く前よりも暗い表情をしているように見えた。濡れた身体を気にするわけでもなく、髪の毛からボタボタと水がしたたり落ちている。
「………………緋月、部屋に来て」
「解った」
緋月様は見慣れない派手な服を着たまま、日下部さんと一緒に出て行った。
「…………何があったんでしょうか」
「……詮索しないでくださいね。緋月様がお話にならないことは、私たちが知る必要のないことです」
机の上にある先ほどまで緋月様が書いていた書類を見れば、解るだろうか。
そう思いながらも僕は渉さんに止められて見ることは出来なかった。
「緋月様の普段着、派手ですね」
黙っている気まずさに僕は耐えられず、渉さんにそう言ってみる。
「あれは昔、達美様がデザインした『クライム・クラウン』の服です。達美様が作った試作の服を緋月様に差し上げたものなのでしょう。緋月様は結構気に入っているようですが……滅多に着ませんね」
「達美さんと緋月様は実は仲が良いんですか?」
「……そうは見えませんが、それなりのようです」
とりとめのない話をしながら、僕は緋月様の帰りを待った。
◆◆◆
【れい華の部屋】
れい華は緋月に背を向けながら、塗れた服を脱ぎ捨てていた。
下着も簡単に脱ぎ捨て、裸になる。そして身体を拭くでもなく、代わり映えのない服を、服の山から取り出して着た。
「出るんじゃなかった」
そのれい華の声には落胆が色濃く出ている。緋月は黙ってその言葉を聞いていた。
軽薄な言葉は出てこない。
「緋月は、まだ私を生かしておくつもり?」
「まぁね」
「なんで……? 自殺は悪だって言うつもりなの?」
怒っている訳ではないが、酷くがっかりしている様子だ。
「……悪いとは言わないよ。自分の意思でそうするなら、止めるのも野暮だと思っているけど……でも、苦しみを取り除くことができたら、もしかしたら“生きていてよかった”って思える日がくると信じたいんだよね。その苦しみを取り除くってことを私がしたいと思ってる」
「いつそれが現実になるの? 私がそんなこと思うわけないでしょ」
「本当に? 昔のことを思い出せればそう思うかもよ?」
「かもって……いつまでその可能性の話してるの? 過去の記憶なんて戻らないよ。現実のつらい記憶が積み重なっていくだけ。もう、終わりにしたい」
絞り切るように、れい華はそう言った。
緋月様はそう言っている彼女に、なんとか生きる希望を持ってほしく、話を続ける。
「自殺するときの大半ってさ……もう駄目だって思って、苦しみの中にいると思うんだよね。そんな気持ちのまま死んでほしくないよ。死んじゃったらさ、もう本当にそこで終わりだから」
「だから、本当に終わりにしたいんだって」
「脳が作り出した電気信号なだけだと思ってるんだよ。私たちって。脳が壊れたら、その人の世界そのものが壊れるほど、脳っていう本体に拘束されてる。魂とか、幽霊とかあれば面白いかもしれないけど、実際そういうものってないじゃん? それをまざまざと突きつけられて……やっぱり死んじゃったらそこで何もかもが終わりなんだよね。それをどう考えるかってことじゃないかな。苦しみを断つ為に死を選ぶのか、目いっぱい生きて、抗って、たくさんの幸せを得て死ぬのかって」
そう力説されても、れい華の心には響かなかった。
「…………あくまで、私の死を望まないってことだね。緋月は。私の気持ちを無視してでも」
「れい華は私の気持ちを無視して死にたいわけだ」
切り返された言葉に、れい華は自信のない返事を返すしかなかった。
「人の気持ちなんて……解らないよ……緋月の考えていることも……」
「私は、ずっと一つの理念でしか行動してないよ」
「……何?」
「この世を……生きていてもつらくないようにすること」
「そんなの、永遠に来ない」
「絶対実現する」
緋月は立ち上がり、れい華に背を向けた。
「つらくないかどうかなんて、個人の裁量でしょ……無理に決まってる」
「諦めちゃうのは簡単だけど、それでも目指し続けるしかないんだよ」
そう言い残して、緋月はれい華の部屋を出る。
扉が開くと、れい華の暗い部屋に一筋光が差す。閉められた後の部屋はシン……と静まり返った。
暗い中でも、れい華は薄く差し込む光で周りの状況は見えていた。ベッドの横に置いてある大量の本の中から『崇高なる理念』が目に付く。
「…………崇高なる理念ね……」
再びぐったりと横になると、まだ濡れている髪が顔に張り付いた。
「死ねないって難儀だね」
その言葉は緋月に届くことはなかった。
◆◆◆
僕は渉さんが先に帰った後も、緋月様の部屋に残っていた。
なんだか、落ち着かない気持ちでいっぱいだった。あんなに暗い顔をしている緋月様を僕は初めて見たから。
心配だったのかもしれない。
滅多に落ち込む様子を見せない緋月様が態度に出すなんて、よほどのことがあったのだろう。
それほど、日下部さんとは仲が良いのかもしれない。
――どうやってそんな仲良くなったのだろう……
そんな考えが浮かぶ。
それが見当違いな考えだということは理解している。
僕がそんなことを考えてもやもやとしながら緋月様を待っていると、間もなくして帰ってきた。
相変わらずその細くて長い太ももを見ると、落ち着かない気持ちになる。
「あれ? 智春君、どうしたの?」
いつもの調子の言い方で緋月様は訪ねてくる。
何と答えようかずっと考えていたのに、いざ緋月様を見ると言葉が出てこない。
「暗い顔をしていたので……なんだか心配で」
素直にそう答えてしまった。
その言葉に面食らったのか、緋月様は驚いたような表情を一瞬する。
「私が? 大丈夫だよ」
手をひらひらとさせて緋月様は自分の席に向かって行く。
「揉めるのなんていつものことだし、れい華があぁなのもいつものことだから」
「友達……なんですよね?」
「みたいなもの、かな」
“みたいなもの”とはなんだろうか。
頑なに友達とは認めようとはしない。ただ気恥ずかしいからそう言っているだけなのだろうか。
「そんな心配そうな顔しないで?」
「……今日、あったことをうかがってもいいですか……?」
渉さんに詮索するなと言われたけれど、僕は緋月様に尋ねてしまう。
「あぁ……黒旗の人のところに行って、最近頻発してる“麗様の遺体を返せ騒動”について聞いてたんだけど……収穫なくてさ。れい華って傷つきやすいから、怒鳴り散らす9区の人を見てショックうけちゃったって言うか……」
髪をかき上げながら緋月様はそう言う。
「誰がそんなデマを流したんだか……それに、死体を取り戻してどうなるっていうんだろうね。生き返らせるのかな?」
「生き返るなんてこと、あるんですか?」
「どうかな……クローンは作れるけど……でも短命だったり、うまくいかなかったりがあるから」
悩まし気にため息を吐き出す。
「そもそも、生き返らせることが本当にできるとしても、生き返ったその人は生前のままのその人なのかな……?」
真剣な面持ちで緋月様はそう僕に問いかける。
僕はどうこたえていいかすら解らなかった。そんなこと考えたこともなかった。
「わかりません……そうだといいですね」
「……死んだら生き返ったら駄目だよね。それが世の中のルールなんだから」
そこまで言ってから、緋月様は笑う。
「お葬式を何十回もしなきゃならなくなっちゃうよ」
緋月様はそう言って笑っていた。
でもなんだかその表情は悲しげだった。
今まで見送った人のことを思い出しているのだろうか。200年の間に、どれほどの人を見送ってきたのだろう。
僕には想像もつかない数の人間を見送ってきたはずだ。
「僕は……生き返ってくれたらいいなって思います」
「そう……私も、思うときはあるよ」
僕は胸が締め付けられるようだった。
緋月様の気持ちを思うと、僕は悲しかった。僕は何人も何人も送ることなんてできそうにない。
親しい人が自分より早く老いて死んでいくのを見送り続けないといけない、そのつらさを思うと、けして「大丈夫」などではないと思った。
――いつか、僕に話してくれる日はきますか……?
今は言ってくれなくても、いつかその苦しみの一端に触れることはできるのだろうか。
そう思いながら、僕は悲哀を浮かべる緋月様の顔を見ていることしかできなかった。
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