第10話 メフィスト




「凄い……メフィスト。これは期待以上だよ」


暗い部屋。

大きな水槽。

いくつもの配管と不気味な標本が立ち並ぶ部屋で、緋月は白衣を纏って試験官と硝子板を顕微鏡を見ながらつぶやいた。


「左様でございますか緋月様。そのように嬉しそうなお顔は久しぶりに見ます」


緋月の近くに体長60センチ程度の、人間ではない――――やたらに目や頭の大きい生き物が小さな燕尾服に身を包み立っていた。

メフィストと呼ばれたその生き物は緋月の持っている試験官の中身の物体に目を凝らした。


「これなら……いけるかもしれない」

「ついに長きにわたる悲願が叶われると?」

「そう願うよ。智春君のおかげで『こっちの問題』は少し進展を見せたね」

「ふむ……もう一方の問題の『イヴ』の方の足取りは掴めましたか?」

「大体の目星はついているんだけれどね……決定打がないと。疑わしきは罰せずだよ」

「お優しいのですね」

「ははは、皮肉はやめてくれないか」


真剣な面持ちの緋月の集中力を裂くように、時計が朝の時刻を告げた。


「あ……もう。いいところなのに。もう仕事の時間?」

「左様でございます」


緋月はいくらか乱暴に白衣を脱ぎ捨て、首に録画媒体を取り付けた。


「メフィスト、後の始末と研究は任せたよ」

「かしこまりました緋月様。いってらっしゃいませ」


緋月は厳重に閉ざされた扉を開けて出て行った。


「さてさて……交代のお時間でございます」


メフィストは一つ隣の部屋に移動し、そこで横になっている者に対して声をかける。

部屋の中には6枚の翼を持った赤い髪の少女と、銀色の髪が肩まである男性が横たえられていた。


「シャーロット様、起きてください」


『シャーロット』と呼ばれた白い髪の長い女性は何度か瞬きするように目を覚ます。

着ている服も真っ白だった。特記すべきことは、それが法衣であるということだ。


「メフィスト……もう朝ですか……」

「お疲れの様子ですね」

「ええ……緋月はもう行ってしまったのですか」

「左様にございます。彼のお方はいつも多忙にございますので」

「そうですか……」


メフィストは黙ってシャーロットにお茶を差し出した。


「ありがとうございます」


彼女はまだ開ききらない目をこすりながら、その差し出されたお茶を飲んだ。




◆◆◆




「えー、なに。黒旗が赤紙に対し抗議声明と……あとは赤紙が黒旗に傷害? 黒旗が怪しげな実験? はー、もう嫌だ。最近黒旗関係の件多くない? もう面倒くさいなー!」


緋月様は書類の確認をおざなりに、椅子に深くもたれかかり干し肉のようなものを食べていた。

僕は渉さんとの稽古の合間で、緋月様の誰に問いているとも解らないその呼びかけはよく聞こえなかった。

渉さんが容赦なくて気をそらしたら手痛い一撃を入れられる。使っているのは竹刀とはいえ、思い切り叩かれたらミミズ腫れになってしまう。


「そうじゃねぇよ! もっと渉に打ち込んでいかねぇと勝てねぇぞクソガキ!」


僕の腹部を殴ったあの後から、光さんは僕に対して意欲的に武術について意見してくれるようになった。

緋月様に上手く諭されたのだろう。

にしても、意見を言うのは簡単かもしれないが、感覚的な問題があるのでそんなにいきなり武術が上達したりはしない。


「おい、渉。俺に代われよ」

「駄目です。あなたは加減というものが解っていません。怪我をさせるのが目的ではないのですよ」

「はっ、もうてめぇがこいつを満身創痍にしてるだろうが」


光さんは渉さんから竹刀を奪い取ろうと手をやった。そこにすかさず渉さんは光さんの手をはたこうとするが、光さんもそれをうまくよける。


「てめぇとの決着をつけてから、俺が勝ったらこのクソガキに教えるってのはどうだ?」

「これは遊びではないのですよ、光」


光さんは有無を言わさず僕から竹刀を奪い取った。

光さんと渉さんが互いに竹刀を構えてにらみ合う。

僕は緋月様の顔を見たが、緋月様は僕の視線に気づいてもヒラヒラと手を振って「放っておいていいよ」と言わんばかりで書類の処理に追われていた。


「後悔しますよ、光」

「後悔するのはてめぇだ!」


光さんが素早く渉さんの間合いに走り込み、下段から顔を狙って振り上げた。

それを受ける止めるわけでもなく、渉さんは後ろに跳び避けた。

そして光さんのがら空きの脇腹に竹刀を振り下ろすが、光さんは竹刀をひるがえしそれを受け止め、はじき返す。

激しい攻防で目にも止まらない速さで打ち合いが始まる。

竹刀と竹刀がぶつかり合うたびに『パァン!』という鋭い音が鳴った。


光さんが突き攻撃をした瞬間、渉さんはそれを横から思い切りはじき、竹刀を飛ばした。

竹刀が緋月様の方向へ飛んでいきぶつかるかと思いきや、緋月様は血の裁量で受け止め何事もなかったかのように竹刀をその辺に置いた。

緋月様は全く意に介していない様子で書類に目をずっと通している。


武器を失った光さんは素手で渉さんを殴ろうと、右腕で渉さんの顔を狙う。

渉さんも竹刀をその辺に捨てて、その攻撃をいなしてかわす。光さんの腕を掴み上げて背負い投げをした。

光さんが背中を強く打ち付けるかと思いきや、そのままうまく着地して渉さんの手を振りほどいた。


――凄い……互角だ……


とても僕にはできそうにもなかった。


「けっ、クソ野郎が」

「その程度ですか」

「ぬかせ!」


光さんが渉さんに向かって行き、攻撃を加えようとするが渉さんには一向に当たらない。渉さんの身体能力に僕は驚くばかりだった。


「これならどうだ!」


光さんは自分の上着を渉さんに向かって投げ、一瞬自分の姿をその上着の死角に隠した。

渉さんは間合いを取ろうと後ろに下がったが、そこはすでに壁際で逃げ場はなかった。上着が落ちる前に光さんは渉さんの横に抜けてそのまま拳を顔面に向かって打ち込んだ。


ガンッ!


という鈍い音が聞こえた。だが、痛がっていたのは光さんだった。渉さんが避けたから思い切り壁を殴ってしまったのだろう。

その隙をついて渉さんは光さんの腹部に膝蹴りをいれた。光さんはお腹と手を抑えて後ずさった。


「まだやりますか、光」

「……ちっ……すかしたツラしやがって……」


光さんは常備しているナイフに手をかけた。

そんなものを出したら本当に殺し合いになってしまう。僕がそう思って緋月様の方を見たら、相変わらず難しい顔をして書類の整理をしていた。

渉さんもそれを察して落ちていた竹刀を拾い上げ、本気の目をしてにらみ合っていた。部屋に緊張感が漂う。


「レイ」


その緊張を払う様に、緋月様は光さんを呼んだ。光さんは怪訝けげんな顔をして緋月様の方を見る。


「なんだよ」

「稽古はそのくらいでいいから、智春君と一緒にこの件の黒旗の様子見てきてくれない?」

「はぁ? なんで俺がコイツと……」


緋月様が光さんに、胸の辺りを指さしてトントンと軽く叩いた。すると光さんは自分の首飾りを握りしめ、顔をそむけた。

この前まではつけていなかったのに、新しいアクセサリーがついている。


「ちっ……わかった」


光さんは緋月様から資料を乱暴に受け取った。


「智春君、記録係よろしくね」

「はい」


光さんは僕にその資料を、少しだけ目を通したあと、乱暴に押し付けてきた。


「おら、行くぞクソガキ。資料読んでおけ」


僕は戸惑いながらも、光さんについていった。


「緋月様、大丈夫なのですか……光と智春君を一緒に行かせて……しかも黒旗のところへなんて」


渉が心配そうに緋月に問いかける。


「過保護だね、わ子は。大丈夫だよ。アダムをつけさせてるから」

「いえ……そうではなく……」

「光は意外と世話焼きなんだよ。知ってた?」

「…………とてもそうは見えませんが」


緋月は笑いながら書類の処理に戻った。




◆◆◆




『報告書 1200年 辰の月 第18の日 午後5時頃

1区にて黒旗に不審な動き。赤紙の人間を威嚇する行動はいつも見られていたが、赤紙の者を見るたびに、まるで何かを隠し避けるように集団で移動。手には怪しげな箱を所持していたのを確認。それは何だと尋ねると口論に発展し、見せるように指示すると抵抗したため、赤紙に連行し尋問を行おうとした結果暴力に訴えてきた為、止む無く応戦し相手を過失致傷。更にその箱の中身の一部を零し逃走。その液体らしきものを持ち帰り調べたところ、神経毒の一種であることが判明した』


――神経毒……? そんなもの黒旗は何に使うんだろう


医療にも麻酔として使われている一面はあるってことを考えれば、一概に悪い方面ではないのかもしれないけど……。


「おいクソガキ。ちゃんと報告書読んだか?」

「はい、読みました」

「かんたんに内容を教えろ」

「あ、報告書読みますか?」


僕が紙を渡そうとすると、光さんは全く受け取るそぶりを見せなかった。


「かったるい。お前がかんたんに俺に教えろ」


仕事で使うものなのに、かったるいと言って断っても許されるなんて滅茶苦茶だと僕は思ったが、僕は簡単に内容を光さんに伝えた。


「黒旗のチョウサか。部屋で私服に着替えてこい。黒旗の中入るぞ」

「ぼ、僕もですか?」

「なんだよ、できねぇとか言い出すんじゃねぇだろうな?」


潜入して毒に関する情報を仕入れてくるなんて、そんなこと僕にできるのだろうか。

しかも光さんと一緒に……。


「あの……黒旗の中で僕が赤紙の人間だとばれたらどうなるんですか……?」

「あぁ? そんなヘマするんじゃねぇよ。10分で支度してこい。俺は1区のとこ行ってるぜ。遅れんなよ」


「なんて滅茶苦茶なんだ」と僕は呆気にとられた。

頭と胃が痛くなってきたような気がする。ずっと色々教えてもらっていた緋月様も渉さんもいない、光さんと二人きりの仕事。


――今緊張感が高まっているこんなときに黒旗で赤紙が騒動を起こしたら……


僕は絶対に失敗できない緊張感を感じた。




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