第11話 神童
「遅ぇんだよグズ」
急いで支度をして走って向かって、確実に10分以内であったと思ったが光さんは僕にそう言い放った。
光さんは長い方の髪を帽子の中にしまい、黒淵のメガネをかけて服装もいつも光さんが着ないような恰好だった。
地味なパーカーに当たり障りのないズボンと靴。刺青を隠すために包帯を巻いているようだ。
その姿はまるで別人だった。僕は素直に誰か解らなかったほどだ。
「あの……一瞬誰かと思いました」
「じゃなかったらへんそうの意味がねぇだろうが。このバカ」
僕はいつも通りの恰好で来てしまったが……大丈夫なのだろうかと不安を感じていたところに、頭に乱暴に何かをのせられた。
僕の視界が茶色になる。
「カツラだ。あとマスクでもしとけ」
光さんは僕に少し長めな茶髪のカツラと、大きめのマスクを渡してさっさと一人で先に行ってしまった。
――なんだろう……意外だな……
緋月様に何を言われたか解らないけれど、出逢った頃のような敵意むき出しの暴言は言わなくなったように感じる。
言ってくることは相変わらず酷いけれど、それが彼自身の対話の仕方なのだろう。
僕は光さんの後を追いかけ、1区の列車に乗った。
何を話すわけでもなく、お互いに無言だった。何か話そうかと思ったが、光さんを見る周りの視線を感じると、どうしても何か話す気になれなかった。
光さんが睨み返すと、見ていた人たちは視線を逸らす。
視線は光さんだけではなく、僕にも容赦なく突き刺さった。理沙さんと一緒に列車に乗っているときと同じ、奇異なものを見る目。
――光さんは……これをずっと耐えているのか……
列車から降りてしばらく歩くと、黒旗の法衣を着ている信者と思しき者が何人か集まって立ち話をしているのを見つける。
極力民間人と変わらないように、自然にふるまうように要求されたが、そんなことを言われたら余計に緊張してしまう。
「いいか。俺たちは赤紙にうらみがあって、キョウダンに入りたいって感じでいくからな。おどおどするなよ」
特別な作戦もなしに、行き当たりばったりでそんな……と、僕が思っている内にも光さんは信者の方に近寄っていく。
「あんたら黒旗だろ。俺も仲間に入れてくれ。赤紙の連中にヒドい仕打ちを受けた。許せない」
僕が見ても酷い大根役者だった。
そんな軽い言い方はないだろうと僕は冷や汗が出てくる。その大根役者の光さんの言ったことに対し、信者たちは顔を見合わせて、こう言った。
「なら、本部の
「解った」
光さんは、僕がじっとりと嫌な汗をかいていることなど全く意に介していないようで、颯爽と本部へと向かって行った。
「待ってください、何か身分証明を求められたらどうするんですか?」
光さんに小声でそう尋ねる。
「あぁ? そんなもんもってねぇって言えばいいだろ」
僕の引き留めも虚しく、光さんはどんどん歩いていって本部の前の人間に話しかけていた。
――もう駄目だ、やるしかない
僕が真っ青になっていると、門のところに立っている信者と光さんは朗々と話し始める。
「なぁ、俺たち赤紙にひでぇめにあわされたんだ。教祖が今日セッケンしてるんだろ? センレイを受けさせてくれよ」
「同士か……まず教会の中で祈りを捧げよ。教祖様への接見は希望者が多い為、順番待ちになる」
「はぁ? なんでだよ。ニュウシンしてやろうって言って――――」
「あ、あの! 解りました。すみません。この人赤紙への攻撃性が強すぎて、本当にすみません。待たせてもらいます」
光さんの言葉を遮って僕は早口で門番にまくし立てた。門番の人も少し怪訝な顔をしていたけれど、僕の言葉に納得してくれて中に入れてくれた。
「なんだよクソガキ。お前この仕事向いてるんじゃねぇか?」
「……ありがとうございます」
「あなたが向いていないだけです」と言うと喧嘩になるので、黙っていた。
中に入ると大きな極彩色のガラスの絵が特徴的で、そのガラスから差し込む光で教会の中は色鮮やかに色が反射していた。
横に長い椅子がたくさん置いてあって、何人もの信者たちがそこに座って手を合わせて祈りを捧げている。
「しかしザルだな……まぁ、俺はとびらのところで立ってるから、テキトーにジョウホウシュウシュウしてこい」
光さんは小声で僕に言って、僕の隣から去って行った。なんて自由で横暴な人なんだと僕は思ったが、それは今更のことだった。
光さんに頼っているわけにはいかない。
僕ももう赤紙の一員なんだから、きちんと仕事をしなければ。
僕が座る場所を探していると「こっち空いてるぞ」と小声で手を振ってくれた人がいた。
僕はドキッと心臓が大きく跳ねた。
その人物は僕の弟の
しかし、ここで不審な動きはできない。僕はばれたらどうしようという思いで、首の傷痕と顔を髪で隠した。心臓が張り裂けそうになりながら雪尋の隣に座る。
「見ない顔だな、ってもマスクでよく見えないけど。入信したいのか?」
雪尋は小声で僕に話しかけてきた。
「そうなんです……」
なるべく地の声とは違う声で話そうとして、おかしな声が出てしまう。
「なんだ? 風邪でも引いてるのか? 声が……」
「そうなんですよ、うつしたらごめんなさい」
「そうか。具合悪いんだな。あんたも赤紙に恨みがあるのか? 俺とそんなに歳も変わらないように見えるけど……」
「えぇ……親族が最近、区間移動になって……」
「……何区?」
「……7区です」
「俺のオヤジも7区に最近移動になったよ……腕と顔の骨も折られていたって……こんなのが正当化されていいのかよ……」
雪尋は握りこんだ自分の拳と声を震わせた。現場にいた僕は赤紙のそのやり方よりも、父さんに問題があったとしか思えない。
話し合いもなくいきなり緋月様たちに殴りかかるなんて。
――……しかも、新しい母さんだなんて……
僕はその時の光景を思い出して暗い気持ちになった。
父さんは今どうしているだろうか。面会の申請をすれば面会することもできるが、僕にはまだその覚悟はなかった。
「一緒に戦おうぜ」
雪尋はその後、黒旗の活動内容を親切に教えてくれた。
街の掃除をしたり、お年寄りの介護施設にボランティアへ行ったりしていると。黒旗は確かにそういった活動をしているのを僕は知っていた。
「あの……黒旗では緋月様……あの化け物を殺すための計画を立てていたりするのですか?」
「は? そんな話聞いたことねぇけど……なんでだ?」
「い、いえ……その、幹部の方が神経毒がどうのこうのと話しているのを聞いたので……もしかしてそういう計画もあるなら知りたいなぁと……」
雪尋は難しい顔をしながらなんか考え事をしていた。僕はそもそも自分の正体がばれるのではないかという不安でひやひやしていた。
「そういえば……変なフードの男がたまに教祖様に会いに来るけど……それが関係あんのかな……」
フードの男? 僕は疑問に思っていると、雪尋は奥から出てきた幹部らしき人間に呼ばれた。
「あんたも来いよ。俺が口きいてやるからさ」
「あ……ありがとう」
雪尋は全く僕が自分の兄だということが解らない様だった。
確かに……あまり弟と仲良くやっている兄弟とは言えない上に、僕の顔を正直あまり認識していないのだろう。
助かったのだが……それはそれで少し寂しい気がする。
僕が雪尋についていくと、幹部の人と思われる人に僕のことを紹介してくれた。
「雪尋の知り合いか? 雪尋は熱心だな」
「あぁ、俺はさっさと赤紙の恐怖政治を終わらせたいんだ」
「…………」
僕はそんな雪尋の真剣な表情、今まで見たことがあっただろうか。
複雑な気持ちと、黒旗の教祖に会うということで僕は緊張が入り混じった感覚に陥っていた。
厳重な扉をくぐり、中に入ると半透明なカーテンの奥にそれらしい人物が座っているのが見えた。
法衣のようなものを着ているのは解るのだが、顔は見えない。
「雉夫様は体調がすぐれない。あまり長い間話すことはできない」
「はい。雉夫様、入信したいと言っている者を連れてまいりました。洗礼をお願いいたします」
雉夫と呼ばれた教祖は消え入りそうな声で話し始めた。
「雪尋……熱心だな……」
「はい! ありがとうございます!」
生き生きとしている雪尋の姿を見ていたら、居場所は違えども生きる目的や目標があるのは良いことだと感じた。
別に、それが赤紙でも、黒旗でも幸せでいてくれるなら。
「ではまず、こちらの紙に名前と国民番号を記入してくれ」
幹部の人から申し込み用紙を受け取った僕は、嫌な汗が噴き出したのを感じた。名前なんて書いたらすぐにばれてしまう。
偽名を使うにしても、国民番号もでたらめに書いたらすぐにばれてしまうだろうし……。
「記入は……後でもいい。今日は人が多い……洗礼を先に」
「はっ、かしこまりました」
雉夫のその言葉に、僕は難を逃れたと心底ほっとした。
「では、この服に着替えて。特殊な水で身体を清めるから」
真っ白の白装束を渡された。
特殊な水とは何のことだろうか。
――聖水……のようなものだろうか?
僕は疑問を拭いきれずにいたが、指示された部屋の一角にある仕切りのある部分でその白装束に着替えた。
「その円形の模様の真ん中に立ちなさい。少し冷たいかもしれないが、我慢してくれ」
部屋の床に描かれているタイル製の床の中心に僕は立った。
突然、背中の方から水のようなものをかけられる。水よりほんの少し粘度が高いような液体。とは言ってもドロドロというわけではなく不思議な感じのする液体だった。
非常に気持ちが悪い。
「よし、それではこれで少し指先を傷つけてくれ」
幹部の人が小型のナイフを僕に渡してきた。
指先を傷つけるという行為に戸惑いを覚えた僕は、幹部の人の顔を見返した。
「大丈夫、貸してみろって」
雪尋が僕のナイフを奪い取って、自分の指先を少しだけ傷つけた。
「これ、すげーんだぜ? 見てろよ?」
雪尋が僕の濡れている白装束に、その傷つけた部分をつけて血を少しにじませた。そして雪尋が指を引くと信じられない光景を僕は見た。
僕の白装束についていたその液体が、雪尋の指に誘われるようについていくではないか。
それはまるで緋月様がいつもしているような『血の裁量』に似ている気がした。
「すごい……どうなってるんだこれ……」
「だろ! 俺な、黒旗でもこれができるのはかなり限られた人間だけなんだぜ?」
雪尋が得意げに言って、その水のようなものをはじくと床に散らばった。
雪尋が触れた僕のその白装束の部分は乾いていた。
「あんたもやってみろよ。これができるかできないかで、幹部になれるかどうかが決まるんだ」
僕はイマイチやり方が解らなかったが、ひとまず自分の指をナイフで少しだけ傷つけた。僕は赤紙との契約のときのように、また痛みでナイフを落としてしまった。
カランカランと床に落ちて音を響かせる。
やはり、痛いのは苦手だ。
「なんだよあんた、痛みに慣れてな――――」
ビシャッ!
雪尋が話している最中に、僕の白装束についていた謎の液体が、全て部屋に飛散した。
あっという間に、服が肌に張り付いている不愉快感から解放されたが、一体何が起きたのか僕には理解できなかった。ただ、僕の周りの人間全員がその液体で濡れていたし、部屋のいたるところにその液体が飛び散っていた。
「え……」
僕は自分の切った指を見た。大して出血している様子はない。僅かに滲む程度だった。
「なんだ…………」
雪尋は驚いて僕の方を目を見開いてみていた。
「もう一度やってみよう……」
幹部の人が、どこからともなく持ってきた謎の液体を僕の背中からかけてきた。やっぱりなんだろう。これ。気持ちが悪い。
「血を混ぜて、操ってみてくれ」
僕は少しまだ血の滲んでいる指先を、濡れている白装束につけた。
すると、白装束と僕の肌についていたその液体はすべて下に落ちた。僕を避けるように円形に液体が溜まっている。
そして白装束は綺麗に乾いてしまっていた。
「……それでは、その散らばっているのに指をつけてやってみてくれ」
僕もなにがなんだかわからないまま、でも部屋を汚してしまったことに対して申し訳なさを感じながらも、僕はその液体に自分の傷の部分をつけた。
すると今度は液体が一気に集まった。部屋に飛び散った分も全部その液体がまるで粘度でカスを集めるように集まって、ゼリーのように床に立方体を形成した。
「素晴らしい……神の子……」
教祖様が僕にそう声を震わせながら言った。
雪尋も驚いたまま目を見開いていた。他の幹部の人も僕を凝視していた。
「すげえよあんた! 俺よりずっとすげえ! 名前教えてくれよ!」
雪尋は僕に名前を興奮気味に聞いてきた。どうしよう、名前なんて……
「えっと……僕の名前は……――――」
僕が言葉を濁していると、外の方が騒がしいことに気づいた。
「おいお前! 今洗礼中だぞ! 許可なく入ってくるな!」
「あぁ? 俺の連れがいるんだよ。いいだろ」
光さんが、けだるげに無理やり部屋の中に入ってきた。
「おいクソガキ、そろそろ帰るぞ……って、なんだよその恰好。だっさ」
「無礼者! 即刻たちされ!」
「あ、……えっと、はい! 帰りますから!」
僕は慌てて、光さんの名前を呼んでしまうところだったが、かなり強引に誤魔化した。自分の服を掴み、慌てて仕切りのある場所に飛び込み着替える。
着替えている最中にもどんどん騒ぎが大きくなってきた。
「んだよ、別にいいだろうが」
「なんだその口のきき方は。あの化け物が連れている光とかいう素行不良と同じだな」
僕はその言葉を聞いてドキッとした。
――まずい、ばれる。だって本人なんだから
光さんが挑発に乗ったら、そこで何もかもがばれてしまう。
――雪尋に僕が兄だと知られたら……
と、様々なことが頭をよぎる。
「あぁ、あの男前で仕事のできる男か。緋月にお似合いだろ?」
何を言っているんだこの人は。
と思いながらも僕が着替え終わって、慌てて白装束を雪尋に渡した。また来ますと、かなり慌てながら告げた。
「あの残虐行為を容認する気か!? ここはあの化け物によって家族を失った者たちの集まりなのだぞ!!」
幹部の人が声を荒げる。
僕は光さんのことを連れ出そうと腕の裾を掴んだが、光さんは僕の手を簡単に振りほどいた。
「じゃあなんでお前ら、そいつが罪を犯す前になんとかしてやらなかったんだよ。被害者づらしてんじゃねぇよ。てめぇらはただボウカンしてただけだろうが。手の平返したみたいに緋月のこと責める資格あんのか?」
「なんだとこいつ……!!」
「すみません、すみません! 帰りますからごめんなさい!」
僕は、収拾がつかなくなってしまった光さんの腕を懸命に引っ張り、出口へ向かった。
「気安く触んな。自分で歩ける」
光さんは腕を振り払って、自分で出口まで向かって行った。後ろから幹部の人たちは追ってきてはいなかった。
教会の中から出て、暫く歩いて黒旗の本拠地からかなり離れた場所に来たとき、光さんは人通りのない路地裏に入り、僕もそこに引き入れた。
「で、シュウカクはあったんだろうな?」
「えーと……黒旗にフードをかぶった不審な男が、出入りしてるらしいってことくらいしか……」
「ドクの話は?」
「それは一般の宗徒には知られていないみたいです」
「んだよお前、全然出てこねぇからどうかしたのかと思ったぜ。おくで変な服着せられて何させられたんだよ」
そんな言葉を光さんが言うと思わなかったので、僕は驚いた。
光さんなりに心配してくれてのことだったのか……しかし、もう少し穏便に済ませるということを知らないのだろうかと、僕は呆れた。
「特殊な水のような液体に自分の血液を少し滲ませて、それでその液体を操れるか……みたいなことをしました」
「はぁ? 何言ってんのお前。クスリでも盛られたか?」
「盛られていません!」
「けっ、ならいいけどよ」
変装道具を全部外して、光さんはいつもの片方だけ長い金髪を帽子から出した。上に着ていた服を脱ぎ捨て、包帯も全部外していつも通りの恰好になった。
そしてそれを、当然のように全部僕に持たせて来る。
「報告書まとめておけよ」
光さんはそう言って赤紙本部へと歩き始めた。
傍若無人ぶりに言葉も出なかった。僕もカツラを脱いでマスクも外し、服も上だけ脱いで全ての荷物をまとめて光さんを追いかけた。
「光さんは僕が中にいる間、なにされてたんですか?」
少しくらいは情報収集をしてくれているという、希薄な望みで光さんに聞いてみた。
「あぁ? 女が話しかけてきたからそいつと少し話したな」
「何か情報はありましたか?」
「そうだな……別に。しつけぇ上にめんどくせぇから、適当に流した」
光さんが情報収集能力が皆無なのはよくわかった。
僕らが1区を歩いていると、光さんの目立つ容姿に、それが光さんだと気づいた人たちがざわざわとし始める。
女性たちが光さんを見てキャーキャー言っているのも聞こえた。それを光さんは全く気にしていない様子だ。
それを見ていた僕は、少しでも彼のことを理解し、仕事がもっとスムーズにできるようにと考え、他愛もない話を光さんに振ってみる。
「光さんは一般人女性から結構人気なんですよ? 知っていましたか?」
「人気? キョーミねぇな」
光さんは心底興味なさそうに、左手をヒラヒラさせる。
「……緋月様以外の女性には興味がないんですね」
「ねぇよ。緋月よりキレイな女なんかいねぇからな」
「確かに、緋月様の顔立ちは綺麗ですよね」
「ちげぇよ。見た目の話じゃねぇ。中身の話だ」
今日、何度光さんの言葉に驚いたことだろうか。
僕に突然暴力を振るって罵詈雑言を吐きかけるような人間が中身がどうとか言いはじめるとは思わなかった。そしてそう言った後に僕の方を向いてこう言った。
「いいか。あいつは俺のもんだ。手ぇ出してみろ。殺すぞ」
そう言って、また興味なさそうに僕の前を歩いていた。
その背中はいつもの光さんの背中とは少し違うように見えた。
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