第9話 記念日




『報告書 1200年 辰の月 第2の日 午後2時頃

1区の南部にある工場施設の事務所にて統合失調症の十歳の少女 浅葱あさぎが顕著な病理の悪化にて刺傷事件を起こした。

刺傷者は3名。いずれも軽症でこれに起因する後遺症などはないという診断が下りた。

状況は工場会社員の一人が浅葱が迷い込んできたのを確認し、保護しようとしたところを隠し持っていた包丁で左大腿部を刺傷。その後悲鳴を聞きつけた会社員2名を次々と切り付け、右腕や腹部に四針を縫う怪我を負わせた。その後、赤紙の人間が到着するまでに『私の書いた設計図を返せ』『私の頭に語りかけるのはやめて』『私の命をつけ狙うのはやめてほしい』と興奮した様子で糾弾し人質を取って立てこもり、赤紙に対して要求を示した。

しかし極度の栄養失調で気絶し、そのまま精神病棟に強制入院することとなった。立ち会った緋月の言葉に対し、真剣に身の上の状態を訴えていた。

精神科医、及び緋月は妄想型統合失調症と診断を下し、治療と経過観察を施す結果となった』


「初めての報告書にしては上出来ですね。解りやすいです。この調子で頼みますよ」


後日、報告書をまとめたものを渉さんに内容を確認してもらい、褒めてもらった。初めての仕事にしてはなかなか大変だったけれど、これなら現場の仕事も僕にもできそうだと感じた。


「おいガキ」


同じく緋月様の部屋で光さんがそれを見て、不機嫌そうに僕に近寄ってきた。

背が高い上に表情が怖かった。僕は委縮してビクリと身体を硬直させる。

赤紙に入ってから毎日のように顔を合わせるのに、相変わらず光さんは僕に対しては酷く辛辣だった。


「その程度で現場の仕事ができると思いこまねぇことだな。例えば……」


光さんが素早く動いたのを視界に収めた瞬間に、僕は痛みと苦しさで床にのたうち回っていることを自覚した。

腹部を強く殴られたことを理解したのはその後だ。


「光! なんてことをするのですか!」


渉さんの声が良く聞こえない。

痛みと苦しさでそれどころではなかった。


「けっ、こんなのも受けられないようじゃ、10区ですぐ犬死にだな」

「智春君、大丈夫ですか?」


渉さんが僕の状態を確認する。声は出なかったが、僕は頭を縦に振った。


ガチャリ。


扉が開いた音は聞こえたが、そちらに視線を向けられる余裕はなかった。


「ん? えっ、どうしたの智春君!?」


緋月様の声だった。僕に駆け寄ってきて僕の容態を確かめる。


「どうしたの?」

「光が智春君の腹部を思い切り殴りました」


それを聞いた緋月様は立ち上がり、光さんに「こっちにきて」と光さんを連れて別の部屋に消えていった。

僕は痛みが治まってからなんとか立ち上がった。


「大丈夫です……。すみません、稽古の成果が出せなくて」

「何を言っているんですかこんなときに。あれは光が悪いんです」


やっぱり、光さんとうまくやっていける気がしなかった。

僕のことが気に入らないんだろう。でも光さんの言う通りな部分もあった。こんな様では緋月様の下で働くのは難しい。

緋月様が消えていった扉の方を見つめた。まだ痛みは引かないものの、この重い空気を変えようと異なる話題を振ってみる。


「緋月様は今日はどちらへ行かれていたのですか?」

「あぁ、研究室でしょう。仕事の合間に、いつも研究室に行かれていますよ。中には入れてくれませんが……」


そういえば少し前に僕の髪の毛や唾液や汗などを採られたのを思い出した。


「それから黒旗の偵察に行くと言って変装をして出て行ったり……いつお休みになっているのかと伺ったことがありますが、緋月様はもうずっと眠っていないようです。眠らなくてもいい身体らしいですが……本当に大丈夫なのでしょうか」


渉さんが心配そうに光さんが連れていかれた部屋の方を見つめていた。




◆◆◆



【光】


緋月にこの部屋に連れてこられるときは、いつもおこられる時だ。とは言っても、別に俺をなぐったり、バトウしたりしない。


「光、どうして智春君に暴力を振るったりしたの?」


おこっているときは『レイ』じゃなくて『光』とよぶ。

いつもより真剣な口調。明るくない部屋。でも緋月の目の赤さも、銀色のカミの色も俺にはよく見える。


「あいつが調子乗ってるから、ヤキいれてやっただけだ」

「光……すぐに暴力はダメだって言っているでしょう。法律の勉強もしているから解るはずだよ。私の傍にいる以上は、尚更こういうことはしたらいけない」

「…………」

「光の気持ちは……少しは解るけど、仕事なんだから――」

「俺の気持ちがわかるって? ならなんであんなのそばに置くんだよ。俺と渉と、あとラファエルのやつらだけで十分だろ」


なんでだよ。俺の気持ちわかるんだろ? ならなんであんな弱っちい男を置くんだよ。

俺だけに手を焼いていればいいのに。

俺がいれば本当は渉だっていらないのに。

ならどうしてお前は俺にやさしくするんだよ。


「前にも言ったでしょう。貴重な完全適合者だからって」

「俺がテキゴウしてないからか? ……なら俺のこといらないだろ。それに実験するだけなら協力させるだけでいいのに、なんでそばに置くんだよ!?」


緋月はいつも通りの困った顔をした。まるであわれむような目。

俺はその顔が大きらいだった。


「光が要らないなんて思ったことないよ。それにあの子は自殺しかけた子だから。放っておいたらまた死んでしまうかもしれない。生きる理由があの子には必要だって言ったでしょう」


そんなたいそうな名目を言われても、俺はナットクできねぇよ。

ナットクできなくても、けっきょく緋月の思い通りになっちまう。おこるというよりも、言いくるめる感じだ。

そんなのずるいだろ。


「お前はいつも俺を言いくるめようとする。俺の意思なんてムシかよ」

「光……ここに始めてきたときはよく暴れていたでしょう。でも、それは昔のことがあるから仕方ないと思って譲歩していた。今もまだ感情の制御がきかないことがあるのは解る。それを私は責めたりしない。でも、気に入らないからって暴力に訴えるのはいけない。それは光も解っているはずだよ」


緋月が近づいてきて、俺に手をかざす。

なぐられないと解っていても、俺は怖くて目を強くつむった。

じっとりとイヤな汗が出てくる。

呼吸もあらくなってくる。


――やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろやめろ……――――


ポンポンと俺の頭をなでた。まるで犬でもさわるみたいに。


「はぁ……仕方ない子だな。今夜また私の部屋に来て。解ったね? レイ」


再び『レイ』と呼ばれて、俺は安心した。同時になでられていることに、はずかしさを感じて緋月の手をふり払った。


「気安く触んなって言ってるだろ……」

「本当は嬉しいくせに」

「うるせえボケ緋月!」


緋月がヘラヘラ笑いながら出て行ったのを確認して、俺は緋月になでられた自分の髪の毛を触った。

俺をそうやってなでてくれるのは緋月だけだ。


過去も、今も、そしてこれからもずっと緋月だけだ。




◆◆◆




俺が言われた通り夜に緋月の部屋に行くと、アダムはいつも通りうずくまって眠っていた。

緋月はロウソクの火の明かりで、本を片手にケンビキョウを真剣にのぞいてそれを何かに書いていた。かなり部屋の中が暗い。


「おい、来たぞ」

「うん。少し待っててレイ」


緋月は夢中でケンビキョウをのぞいては何か書くという作業をくり返していた。


――なんなんだよ、呼び出しておいて


俺がソファに座って緋月を見ていると、数分して緋月は作業を終えたのか俺の方を見た。


「レイに渡したいものがあるから、少し目閉じていて」

「なんだよ……ガキじゃねぇんだぞ俺は」

「いいからいいから、ほら」


本当にこいつはわけが解らないと思いながら俺は目を閉じた。

緋月が部屋の中を歩く音が聞こえた。そのまま30秒程度がたとうとしている。


「いつまで待たせるんだよ緋月」

「ごめんごめん、目開けていいよ」


俺が目を開けると、目の前に切っていない大きなチョコレートケーキが置いてあった。

ロウソクが突き刺さっている。

『あの時』と同じチョコレートケーキだった。


「レイ、少し早いけど赤紙入った記念日だから、早めにお祝いしようか」

「……は?」


――赤紙入った記念? なんだそれ


「1年目は何もなかったぞ」

「1年目はバタバタしていてそんな余裕なかったからね。ごめん。あと、レイの誕生日解らないから、今年の誕生日祝いも同時にしようか」

「いいかげんかよお前」

「誕生日はこの蝋燭の火を、お願いごとをしながら吹き消すんだよ。ほら、やってレイ」

「そんな恥ずかしいことできるか!」

「えー、やってくれないの? じゃあ私が消しちゃうよ?」

「………………」


俺が呆れてるうちに、緋月はケーキのロウソクの火を吹き消した。部屋が一瞬暗くなったが、緋月が新たに机のロウソクに火をつける。


「レイおめでとう!」


パチパチと一人ではくしゅをしながら子供っぽい笑顔を向けてくる。

マジで子供かよ。


「………………………」

「あ、もしかして感動しすぎて声も出ない? そんなに喜んでもらえてよかったー」

「お前の訳の分からなさにゼックしてんだよ」


緋月はケーキを切り分けて俺に渡してくる。

俺は何も言えないまま、それを受け取った。


――喧嘩してても仕方ないし、仲直りしようか

――これ、わ子には内緒だよ。チョコレートケーキっていうんだ。美味しいよ


『あの時』のことがセンメイによみがえってくる。俺がケーキを見て思い出にふけっていると緋月は自分の後ろから何かを取り出した。


「レイにプレゼントもあるから、これ」


緋月は俺に小さな黒い箱を渡してきた。赤いリボンでつつまれている。

なかば呆れながら緋月を見ると、開けていいよという顔をしていたので俺はそれを受け取り、開けて中身を見た。

そこには、銀の十字架の中心に赤い宝石のようなものがはめられている、細いチェーンのついたものが入っていた。


「なんだよ、これ?」

「見ての通り、首飾りだよ。レイがあまりにも妬くからね」


緋月は苦笑いしながらグラスに入っている水を飲んだ。


――首かざり? 9区のヒズミがつけているようなものか?


「なんでそんなの俺にくれるんだよ」

「そうだね。基本的に私から誰かに贈り物ってしないんだけど、だからレイは私にとって特別な子だってことだよ」


――俺が、緋月にとってトクベツ?


「レイ、もう先輩なんだから、智春君や聖弥たちに色々教えてあげないと駄目だよ。レイは特別なんだから妬かないの。そういう時は、それを見て落ち着いて」


緋月はその銀の十字架のクサリの留め金を外して、俺の首にうでを回した。

緋月の顔が近い。俺はとたんにこうちょくしたように動けなくなった。

なんでだ、いつも緋月に抱きかかえられたりしてるじゃねぇか。

こんなの、今更――――


「ほら、レイ。鏡見て? 綺麗だよ」


緋月がそう言ってはなれたことになごりおしさを感じながらも、俺は緋月の部屋の一角にあるカガミに自分の姿を映した。首に短い鎖で銀色と赤い首かざりが光っていた。


「仕事には少し邪魔かもしれないけど、レイの腕なら仕事も問題ないでしょう? 似合っているよ」


俺は緋月の方を見て、なんて言って良いか解らず口をつぐんだ。

いや、解らなかったわけじゃない。

「ありがとう」と言えばいいだけだ。

しかし、その言葉が出てこない。


「……ふん、お前がくれるっていうなら、もらっておいてやる」


やっとでた言葉がそれだ。緋月はそんな俺を笑って受け入れてくれる。

少しだけ俺はもどかしくなった。素直に言えない自分がもどかしい。しかし、ありがとうと言うのも恥ずかしく、口から出てこない。


「仕事、キチンと教えてあげてね。レイ先輩」

「ちっ……わかったよ」


緋月か俺に初めて食い物や金じゃないものをくれた。それがうれしかった。

他のやつとは違う。緋月は俺のことトクベツ扱いしてくれている。

だが俺のことをトクベツ扱いしているのはわかっていた。緋月と2年もいっしょにいてわからないはずがない。

こいつはいつも俺のこと心配してくれる。

俺のこと甘やかしてくれている。

今俺が緋月のとなりにいられるのは緋月が俺のこと見捨てないからだ。


俺は緋月に助けられた。

緋月のそばにいることが当たり前で、緋月のために生きているようなもんだ。緋月がいなくなったら、俺が生きている理由そのものがなくなってしまうほど。


――なのにお前は死ねない身体で、この先俺が知るはずもない未来もお前は何を目的に生きていくんだよ


胸が急に苦しくなった。

俺もテキゴウシャなら、ずっと緋月のそばにいられるのに……。


「緋月……俺は本当にテキゴウシャじゃねぇのか……?」

「悪魔細胞のってこと? そうだね、レイは適合してない」

「渉もか?」

「そうだよ。適合できる方が珍しいんだから」

「でも、ラファエルのやつらは適合してるんだろ?」

「あれは……私みたいに適合しているわけじゃなくて、部分適合者だから定期的に注射を打って悪魔細胞が活性化しないようにしないといけないんだよね」

「……それって、注射打たないとどうなるんだよ」

「どうなるか解らないけど、多分ろくなことにならない」


それについて俺が更に聞こうとしたとき、緋月は先に口を開いた。


「レイ、実験には関わらない方がいい。危険だよ。私みたいにはなりたくないでしょ」

「俺はお前といっしょでいい」

「…………そっか、ありがとねレイ。でも幸いにも適合していないから大丈夫だよ」


『幸いにも』テキゴウしてないと言われ、俺は苦しかった。

ケーキを口に入れるたびにその胸の苦しさは大きくなっていった。しかし、むずかしいことは俺にはわからない。

なんで俺がダメなのか、なんで俺はテキゴウシャじゃないのか。緋月の説明はわからない。


俺がケーキを食べ終わった頃に緋月は帰るように言ってくる。


「レイ、もう遅いし帰りなよ。また明日仕事で会おう」

「あぁ……」


俺はもどかしさから逃げるように自分の部屋に戻った。

首かざりをしている重みを感じながら俺はベッドに入ったが、ナットクできない俺はなかなかねつけなかった。



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