第8話 弱者




僕は緋月様の部屋へ戻ってきた。

帰ってきたらアダム以外は誰もいなかった。緋月様はあんなことがあったにも関わらず楽しそうにしている。

いつも険しい表情をしているようなイメージがあったが、緋月様はよく笑う方らしい。


「達美はあんなだけど、8区をまとめているだけあって妃澄の次に凄腕だし、本当はいいやつなんだよ。誤解しないであげてね」

「はい……」


僕にはただ派手な見た目の怖い人にしか見えなかった。

8区は達美さんがまとめているだけあって、ある意味9区よりも厳しい場所だと聞く。まるで軍隊かのように人々は扱われるらしい。

軍隊なんて緋月様がとっくの昔に解体して廃棄した制度だ。


「何か聞きたいことある? ある程度なんでも答えるよ。個人情報は話せないけどね」


葉太さんが言っていた人体実験の話が僕はずっと気になっていた。

7区以下の人間には人体実験を行っているのだろうか?

人体実験の話は1区にいた時に弟からちらっと聞いたことがある。


「あの……実験で7区以下がどうって葉太さんが言っていましたけど……あれは?」

「……智春君は鋭いところをついてくるね」


緋月様はソファーの背もたれにもたれかかり、天井を見た。


「残酷だと思うかもしれないけど、動物実験でいくら実験しても、結局人間の身体に対応していないと意味がない。人間を救うには、人間に実験しなければならない」


人体実験を行っているという噂は嘘ではなかったのか。

弟が赤紙を悪魔の組織と言っていたのも少しは解るような気がした。


「勿論、7区以下の人間であっても、無理やり実験をしているわけじゃないよ」

「そうなんですか?」

「7区と言えど人権がまだあるからね。とはいえ、医療機関の受診ができないから不調を訴え出れば、通常の治療ではなく新薬を試したり、新しい機械を使って治療をすることになる」


確かにそれは人体実験と言われても仕方のない事象であった。


「それに自ら選択を与えているから強要しているわけじゃない。まぁ……言い訳に聞こえるかもしれないけど、赤紙は常に『弱者』を『弱者』でなくするために非情にならなければならない。それは覚えておいてほしい」

「弱者とは……?」

「まっとうに生きている人間のことだよ」


僕はその意外な返答に驚いた。

社会的弱者とは、身体障害や知的障害、精神疾患がある者のことを指すのではないのだろうか?


「罪を犯す奴らは、真っ当に生きている者につけ込んで奪う。でも、奪われたからといってその被害者が別の人の何かを奪っていいことにはならない。奪った人間は得をして、奪われた者は損をするけど、一度奪われた者は奪われたものが仮に返ってきたとしても、少なからず心に傷を負う。でも加害者はそんなこと次の日には忘れてしまう。被害者の人はそれを永遠に覚えているのに。それって表面上の被害の度合いとは関係ないと思わない? まして、それが命だったら二度と返ってはこない。だから『奪わない』『傷つけない』という当たり前の選択をして生きている人たちは『弱者』だと私は思う」


そんなことを僕は考えたこともなかった。僕は机を見つめた。


父さんのことを思い出す。

母さんのことを思い出す。

弟のことを思い出す。

母さんは父さんを責めたりしなかった。父さんの帰りをずっと待っていた。

母さんは父さんに奪われた。そして僕は母さんを奪われた。

そして自殺することを選ぼうとした。


そうだ、僕は『弱者』だったんだ。


「私の考えには国民も賛否両論だけど、私はこう思っているっていう事を覚えておいてほしい。私の下で働くならなおさら」

「はい、緋月様のおっしゃったことは……痛いほどわかります」

「君に不本意な実験を課すことはないよ。だから嫌なことは嫌だって言ってほしい。レイみたいに我儘放題言われるとちょっと困っちゃうけどね」


緋月様は苦笑いをしていた。




◆◆◆




僕が実際に働き始めたら、かなり過酷な毎日だった。

まだ数日だというのに、午前中は法律の勉強、午後は渉さんからの仕事の引継ぎ、そして息抜きという名目での武術の稽古。

他区からの各区への区間移動の手続きのやり方や、本当にいろいろなことを教わった。

予想以上の激しい稽古に、当然身体中筋肉痛になり、光さんとは相変わらず馴染めない。

肉体的にも精神的にも物凄く過酷に感じた。


「あの……」

「なんでしょう?」

「光さんも同じことをしてきたのですか?」


光さんのことが気になって、僕は遂に渉さんに聞いてしまった。


「光ですか? んー……言っていいか解らないので、あまり詳しくは言えませんが……こういった細かい業務面のことはしておりません。法律の勉強は緋月様が教えていますし、武術に関してはアダムと稽古をしたりしていますよ」

「え、アダムとですか!?」

「ええ。……光のこと、気になりますか?」

「…………どうして緋月様が光さんを傍に置いているのか気になります。恋人……だったりするんですか?」


渉さんは顔をしかめた。


「まさか。光は緋月様に恋愛感情を持っているようですが、緋月様からしたら光は子供のようなものです。光は事情が事情だったので、緋月様が引き取ったのですよ」

「事情ですか?」

「それは私の口からは言えません。個人情報になりますからね」


それ以上聞いてくるなという釘刺しに、僕は口を閉じた。しかし、アダムと稽古だなんて光さんはどれほど強いんだろうか。


「アダムについては怖くないのですか?」

「別に怖くはないですよ。人間の5歳程度の知能は備わっていますし、緋月様に従順です。過去に暴れた事があったらしいですが……私はそんな兆候は見たことがないですね」


赤紙内部の壁の傷痕などは、アダムが暴れた時についたものなのだろうか。


「緋月様のあのお顔の傷は、その昔アダムが暴れるのを鎮めるために戦い、その時についた傷なのではないかという説が有力ですが……緋月様はお顔の傷のことは頑なに教えてくれません」


やはりアダムは危険な存在にしか感じなかった。

見た目も不気味である以上に、人を食べる生き物であることであるというだけで恐ろしい。


「光が緋月様の子供なら、アダムは緋月様の兄弟のようなものです」

「兄弟ですか?」

「緋月様が幼少のころからずっと一緒にいるそうです。私など足元にも及ばない年月を共に過ごしているのですよ」


渉さんと休憩の合間にそんな話をしていると緋月様が部屋に入ってきた。


「2人とも、1区で手が付けられないのが暴れてるらしいから一緒にきてくれない?」

「はい、緋月様」

「は、はい」


緋月様はなにも言わず、大窓を開けて僕と渉さんを『血の裁量』で抱きかかえた。

赤い触手のようなものが僕の身体をがっちりと緋月様と僕を固定する。

合図もなく緋月様は翼を広げて飛び立つ。みるみるうちに地面が遠くなっていき、緋月様に抱えられている血の裁量に強くしがみついて目を閉じて、なるべくその風景を見ないようにしていた。


「どのように手が付けられない人が暴れているのですか?」


渉さんが冷静に状況確認をする。


「んー、どうも統合失調症の女の子が、何人か刺して人質を取ってるらしくて……優輝が手を焼いているみたい」

「あの優輝様が緋月様に助けを求めたのですか?」

「あはは、そうだよ。驚くでしょ? 相当手が付けられないみたいだね」


――統合失調症?


病名に僕は考えを巡らせた。


――たしか……ありもしない妄想を抱く病気だったような気がする


自分が大きな陰謀によって攻撃を受けている等の妄想を抱く場合や、知り合いでもない異性に恋愛妄想を抱いたり、誰かに命を狙われている妄想など、抱く妄想は人それぞれだ。

詳しいことは解らない。


「優輝がいる。あの辺だね。降りるよ」


緋月様は羽ばたきを調節しながら着地し、僕と渉さんを降ろした。降ろすと血の裁量は緋月様の身体へと戻っていく。

渉さんは僕に記録係の仕事をキチンとするようにと、書類と書くものを手渡してきた。

周りを見渡すと、人だかりができている。赤紙の人間と、第三者委員会の人間と民間人が入り混じっていた。


「優輝、どうなってる?」

「今あの中で女の子が刃物を持って、人質をとっているわ」

「誰かわかる?」

浅葱あさぎね。まだ10歳よ」

「10歳? ……統合失調症だって聞いたけど?」

「そうよ。そんなことよりも、3人くらい刺されてるし長期化したら命が危ないわ」

「要求はなにか言っている?」

「『私は度重なり国から、重大な人権侵害を受けている。私の発明した電子映像化装置の設計図を私に返しなさい。私の頭に常に命令を下している声を消しなさい。私の命をつけ狙うのはやめなさい』とのことよ」

「なるほどね……誇大型と被害型が混じっているのかな」


優輝さんと緋月様が話をしているさ中、中から血まみれの男数人が理沙さんのような恰好をした女の子を担ぎ出してきたのが見えた。

10歳くらいの少女だ。今言っていた浅葱さんだろうか。

それを見た緋月様がすぐさま駆け寄って男たちの傷の状態を確認する。


「無理しないで、出血が酷い。すぐに止血しないと」

「緋月様……来てくださったんですね」


緋月様は浅葱さんを受け取り、その身体の様子を見た。

かなり病的に痩せている。それに血色もかなり悪い。髪の毛は滅茶苦茶に切られており揃っていない。


「外傷はないね。どうやって気絶させたの?」

「勝手に倒れたんです。見たところ、栄養失調じゃないですか?」

「…………わかった。優輝、ひとまず精神科病棟に連れていくから。あとは任せていい?」

「ええ。解ったわ」


緋月様は渉さんに優輝さんの手伝いをするように言った。緋月様がその場を預かる以上、第三者委員会の人にも説明をする必要があった。


「智春君、私と一緒に精神科病棟に行こう。頼んだよ、記録係」

「解りました」


緋月様は1区にある、大型の精神病棟に浅葱さんと僕をつれて飛んだ。

飛んでいる最中、浅葱さんの顔を見たが、かなり具合が悪そうだった。


緋月様は精神科病棟について、そこにいる医師や看護師に事情を説明して入院の手続きをしていた。

結局その子は、細い身体をベッドでベルトに巻かれ点滴を打たれることとなり、僕と緋月様は浅葱さんの意識が戻るまで待った。僕は真剣に浅葱さんを見つめる緋月様の顔を時折見ては、その真剣な面持ちに僕も緊張した。

浅葱さんが目を覚ましたのは病院についてから30分程度たった頃だった。

目を開けたと思ったら目いっぱい見開いて、拘束から抜け出そうともがく。


「落ち着いて浅葱。君に危害を加えたりしない」

「また私に脳実験をする気なの!? 人権侵害よ! こんなことをしていいと思っているの!?」


浅葱さんは折れそうな程の細い身体を力いっぱい動かしていた。


「脳実験なんてしないよ。大丈夫、私は君を助けたいんだ」

「私を助ける……?」

「そう。君は命を狙われているんでしょう? 私が守ってあげるよ。あと、君の頭に語りかけてくる人たちも私が止めるし、君が書いた設計図も取り返してくるから」


浅葱さんは暫く緋月様を見て、そして力の入っていた身体をぐったりとベッドにもたれさせ、泣き出した。


「やっと……やっと解ってくれる人が……うぁあああ……」


泣き出した浅葱さんの頭を緋月様は撫でた。


「誰もわかってくれなくて苦しかっただろう。大丈夫。解っているから」

「ううぅ……っ……みんな……私のこと、信じて……ヒクッ……くれながっだ……」


人を何人も刺し、意味不明なことを言うその子は、その時だけはわずか10歳の少女にしか見えなかった。


浅葱さんが泣き止み、疲れ果てたのか眠ってしまった後に緋月様は何とも言えないつらそうな表情をしていた。


「彼女の処分はどうされるんですか……?」

「子供だし、統合失調症となれば……罪は問えないよ。問いたくもないしね。幸い死者も出てないから、この子はしばらく措置入院だね」

「治るんですか?」

「まぁ……投薬をして様子を見ないと何とも言えないけど、徐々に良くなっていくよ」


緋月様は看護師や医師と少し話をした後、精神病院を後にした。




◆◆◆




黒旗の拠点が置かれる1区某所にて。


「精神疾患者がまた騒動を起こしたそうですね……」

「幼い少女とはいえ、傷害事件には変わりないですし。何故あの化け物は精神疾患者を擁護するのか……!」

「精神疾患者など、先天性の欠落……治りはしない。赤紙の面々も精神疾患者だらけだ」

「精神疾患者に殺された遺族の気持ちは、あくまでもないがしろにするつもりなのか」

「ゲノム編集をまた再開しなければ……」


ザワザワと黒装束に身を包んだ者たちが口々に囁く。


「人間的欠落者を上に置くなど正気の沙汰ではない。我々こそがこの国の統治に適している」

「そのために、やはりあの化け物を始末するしかないですね……」

「もう準備が整いつつある。雉夫じお様には秘策があるらしい」

「あの怪しい男に関係が?」

「あぁ、そのようだ」


黒装束の者たちは闇に消えていった。



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