第4話 人喰いアダム
「すぐに後を追うから、智春君の弟さんのところまで行っててくれるかな。わ子もレイもうまく姿を隠していったほうがいいよ。黒旗は赤紙と犬猿の仲だからね」
「けっ、んなこと解ってらぁ」
どうやって10区まで行くのだろうと僕は思っていたが、嫌な予感は的中した。
緋月様が黒くて大きなコウモリの翼を広げた。いつも緋月様がそうしている方法だ。
「飛んでいくから、暴れないでね」
僕の意見を言う間もなく、僕は緋月様に抱えられ、そしてその漆黒の羽ばたきと同時に身体が宙に浮かび上がっていくのを感じた。
そしてあっという間に高度があがり、僕は怖くて周りが見られなかった。
「怖い? すぐ10区につくから少し我慢して」
「はい……!」
僕が目を閉じて緋月様の服を震える手で必死にしがみついていた。
風が心なしか冷たい。
緋月様の翼の羽ばたく音が聞こえる。僕の身体をしっかりと抱えてくれていた為、僕が落ちるということはなかった。
僕がやっと恐怖感が薄れて、うっすらと目を開けた時に見えた景色は、息をのむほど美しかった。
街を上から見た時の景色。
そして外に広がっている広大な青い海。
僕がそれに見とれていると、緋月様は僕に話しかけてきた。
「10区がどんなところなのか、よく見ておくといいよ。実際の10区はイメージとは多分全然違うだろうから。多分、気が変わるよ」
「……………………」
容易に僕の気が変わるほど、僕は生半可な気持ちで父を憎いと思っているわけではなかった。
僕が返事をしあぐねていると、
「もうついたから降りるよ」
と緋月様は降下し始めた。
「もうついたんですか……?」
「飛ぶと早いからね。障害物は空気抵抗くらいしかないから。あと……たまに鳥とぶつかるかな」
そんな話をしている間に、10区についた。
10区の中だ。見学で来たことがあるのは外側の金網の外側までだった。そこからはほとんど中の様子は解らない。
そもそも1区の人間が10区に入ること自体が異例のことだった。
「私から離れない方がいいよ。共食いが
僕は一気に恐怖で顔が引きつった。
10区の人口はけして多くはない。しかし食事を少量しか与えられない為に、そういった凶行に走る人間が多いと聞いたことはあったが、本当にそのようなことになっているとは知らなかった。
緋月様が翼を身体にしまって、そしてアダムを下に置いた。
「アダム、いつもの姿になっていいよ」
「うん……」
アダムは蛇の姿から膨張し、4メートルとはあろうかという大きな巨体の紫色の巨人になった。
見た目は太っていて、首の周りにやはりあの数珠をつけている。角が生えていて大きな口がギザギザについていて、巨体に釣り合いな小さな翼があり、尻尾が生えていた。
緋月様は僕と歩調を合わせて歩き出した。そして僕らにアダムも続く。
荒廃とした町だった。
ボロボロの平屋が連なっているだけで、1区のコンクリート作りのような建物は一棟もなく、なんとか建っているような木造の小屋のようなものしかない。
そしてそのどれもが、扉のところに木の板が内側から当てられていて入口が閉ざされていた。
そんなことよりも、乾いた血だまりのようなものがそこらじゅうにあり、そして何の骨か想像もしたくないような骨がいくつも落ちていた。
肉片のようなものも落ちていて、虫がたかっている。
「今日はこの辺かな。アダムのそばにいて」
僕はアダムと二人きりになるのが恐ろしくてガチガチに緊張してた。
アダムは僕の方をじっと見つめていた。冷や汗がダラダラと出てくるのを感じる。
「……ちがう」
アダムはそう言って僕を見るのをやめた。
――違う? なんのこと……?
でも何にしてもアダムの関心が僕から逸れたのはよかった。僕は本当にアダムが恐ろしかった。緋月様の指示を無視していつ自分に襲い掛かってくるかわからない。
緋月様が一つの家に近づき、その木の板で塞がれているところに手にかけ、それを毟り取った。
凄まじい音とは裏腹に、木の板はいとも簡単に壊されていった。
ものすごい怪力だ。
そして中から断末魔に近い悲鳴が聞こえてくる。その直後に大きなものが家から飛び出してきた。はっきりとわかる。人間だ。
無造作に2人ほど、悲鳴と共に外に放り出されてくる。地面に転がり、アダムを見るなり叫びながら逃げようとするが、ことごとくアダムの素早く鋭い尾に巻き取られ捕まった。
2人とも汚れた服にやつれた顔。やせ細ってしまっていた。
まだ若い女と初老の男性。アダムはその二人が叫んで許しを乞うその人たちを見ていた。
口々に「助けてくれ」とか、「許してくれ」とか、「食べられたくない」とか必死に叫び始める。
「静かにしなよ」
緋月様がそう言うと静かになった。
泣いて緋月様に慈愛を求めるような目で見つめる。
「今『やめてくれ』とか『助けて』とか『命だけは』とか言っていたと思うけど、君たちは加害者だからここにいるのは理解しているよね?」
「緋月様、助けてください。お願いです」
「私を助けて! お願い!」
2人は必死に緋月様に向かってそういった。
喚きだすと、アダムは尾の締める力を強め黙らせる。二人は苦しそうに声を絞るように懇願していた。
「君たちはさ……被害者がそう言った時にやめてあげたの?」
ものすごく冷たい声と目をしていた。
そう問いかけたとき、反論する者はいなかった。
「食べていいよ。アダム」
それを合図に、アダムは初老の男性から口の中に放り込んで食べ始めた。
僕は見ていられず目をそむけた。
まさしく断末魔の悲鳴と、そして骨の折れる嫌な音や、肉のつぶれる音、そして嫌な匂いがした。
「10区に移動させるってことはこういうことだよ。智春君」
緋月様が涼しげな顔でそう言った。
異臭と叫び声が混じる中、その美しい銀色の髪が風になびいていた。
◆◆◆
僕はすっかり気持ちが悪くなり、さっき食べた肉を全て吐き戻してしまった。
僕が落ち着いてから緋月様は僕を運んでくれたけれど、衝撃的な場面に立ち会ってしまって僕はものすごく衝撃を受けていた。
アダムは食事が済んでから、緋月様とは別で自分で飛んでいる。
僕はアダムを見ると気持ちが悪くなってしまう為、なるべくアダムを見ないようにしていた。
人が食べられるところなんて、当然だが見たことがない。
その異様な光景に僕は震えた。父さんがあぁなる可能性を考えたとき、僕は僅かな情と良心が怨嗟とせめぎ合った。
「この辺かな……」
緋月様は降下し始め、地面に足をつけた。僕も緋月様に降ろされて地面に足をつけた。
それと同時に僕はまた崩れるように膝をつく。アダムは再び緋月様の服の中に蛇の姿で入って行って身を隠す。
「平気?」
「はい……大丈夫です……」
全然平気ではなかったが、僕はなんとか立ち上がって緋月様について行った。
ここは……恐らく1区だろう。
しかし、僕の生活していた場所から結構離れているところで、黒旗が拠点を置くあたりだ。文字通り、黒い旗がはためいていた。
「放せっつってんだろ! おい! ふざけんな!」
僕がやっとの思いで緋月様について行くと、聞き覚えのある声が聞こえた。光さんに腕を掴まれ、成す術無くしている長い髪を頭頂部でまとめた少年。耳のピアスが光を反射して何度か煌めいた。その少年は僕の弟の雪尋だった。
「雪尋……?」
「!」
雪尋が僕に気づいた。
一瞬穏やかな顔に戻ったかと思われたが、隣にいる緋月様を 見て顔を一層こわばらせた。
「お……お前。俺を赤紙に売りやがったのか!?」
「雪、違うよ。母さんが……――」
「母さんが死んだのは俺のせいだっていうのかよ!!」
雪尋は興奮していて、まともに話ができる状態ではなかった。
暗闇に呑まれ始めた街のわずかな灯りが灯り始める。その弱い灯りでも目が血走っているのは見えた。
「落ち着いて。君をどうこうしようって話ではないから。君に君の父親の処遇を話したいと思っているだけなんだ。レイが乱暴なことをしていたらごめん」
緋月様が光さんに雪尋を放すように言うと、乱暴に雪尋から手を離した。
「父親? 好きにしたらいいだろ。どうでもいい」
「本当に? 10区への移動もあり得るよ。そうしたらもう二度と会うことはなくなる。本当にそれでいいの?」
「しつけぇんだよ、この化け物!」
雪尋がそう言った瞬間、渉さんが雪尋の腕をねじ上げ、そして首に鋭い刃渡りの長いナイフを当てた。
雪尋が痛そうにうめき声をあげる。
僕は咄嗟に弟を庇おうと身体が少し動いた。けれど、弟の前に駆け寄って庇うことは出来なかった。
「緋月様をそんな風に呼ぶのは許さない。今すぐにでも侮辱罪で3区へ移動させますよ」
「わ子、いいから」
緋月様がヒラヒラと手を振ると、渉さんは渋々と雪尋から手を離した。
「君の意見は解った。じゃあお父さんの処遇は智春君と決めるから、もう行っていいよ。手間を取らせたね」
雪尋は僕の方を睨んだ。
「お前、自殺しようとしたんだって? 弱虫野郎が。二度とツラ見せんな」
そう言って雪尋は暗闇に消えて行った。
僕はその背中をただ見つめていた。
どうすることもできなかったし、何と言ったらいいかもわからなかった。
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