第3話 食事




円卓を囲んでそこに五人が座っていた。

僕と、緋月様と光さんと渉さんと、そして第三者委員会の龍さん。


赤紙本部の食堂に僕はいた。あまり広くはない個室に回転する木製の装飾の細かいテーブルと、水が見たこともないような豪華なグラスに入っている。

一口水を飲むと、今まで飲んだことがない程のおいしい水だった。


「第三者委員会のりゅうと申します。よろしくお願いいたします」


龍さんは僕に丁寧に挨拶してくれた。

体格のいい彫の深い顔立ちに、顎鬚を蓄えているスーツ姿の屈強な男の人だ。肌が褐色に日焼けしていて、目は二重で澄んだ目をしている。


「初歩的なお話ですが、第三者委員会の役割についてはご存知ですよね?」

「はい、学校で勉強しましたから……」


第三者委員会は赤紙と国ともう一つの国の秩序を維持するために設けられている法の番人たち。

赤紙を見張っている組織と言えば解りやすいだろうか。

赤紙がやりすぎないように見張っている組織だ。裁量を間違えていると判断されれば赤紙側を阻止する役目を持つ。

そしてそれは赤紙の上層部に報告され、行き過ぎた処罰と認められたら罰が下る。


しかし……緋月様が最終決定を下しているのだから、実質彼女は法そのものだった。

そんな緋月様を阻止できるような人がいるとは到底思えない。


「はい、では説明は割愛させていただきます。しかし、緋月様の場合は特例です。緋月様が作った法を自身が犯すことはないという前提です。私は抑止力として加勢するわけではなく、第三者委員会の記録係として同行します」


龍さんがそう言って、緋月様と目を合わせて互いに頷き合う。

記録係など必要だろうか。と僕はふと思う。

赤紙の人たちは全員首のところに記録デバイスをいつもつけることを義務付けられている。

記録はそれを見ればいいのに……と、思ったが一応赤紙と第三者委員会は別の組織という建前がある。


――子供区にいたときにそれなりに勉強したつもりだったけど……結構忘れちゃってるな


そんなことを僕が考えている中、緋月様が書面を見ながら僕に説明を始めた。


「智春君、まずは君の身辺調査の結果を読み上げるから間違っているところがあったら言って」

「はい」

「えーと……1182年 寅の月 第6の日に出生。父は亮太りょうた、母は佳苗かなえの間の血縁であり、現在18歳。2つ下の弟の雪尋がいるがあまり交流はなく、家にあまり帰ってこない。父である亮太が豪遊するために金貸しから借金をし、その負債はすべて母の佳苗に押し付け、自身は愛人を作り家に帰ってこなくなった。佳苗は亮太の借金の返済に追われて仕事を何件も掛け持ちし、休む間もなく働いたがそれが原因で過労死した……ここまでで間違っていることはある?」

「いいえ……ありません」


僕が息も詰まりそうな想いでやっと口を開いてそう言った。


「これはもう、更生の余地はないと思うけど、どう思う? 龍君」

「そうですね。私も更生はしないと思います。この手合いは必ず同じことを繰り返しますからね」

「私は7区に移動が妥当だと思うんだけど、どう?」


緋月様はテーブルに運ばれてきた食事を食べながら話していた。上品ではあるけれど、淡々と食事を身体に取り込んでいる。


「7区なんて温いこと言ってねぇでさっさと殺せよ、そんなやつ」


光さんが肉を頬張りながら興味なさそうに言う。


「光、依頼人の親御さんですよ。口を慎みなさい」


渉さんは目の前の食事に手を付けようとしない。

目の前にあるのは小さなゼリーのようなものだけだ。摂取制限をしているのだろうか。

体型のことを気にしているのかもしれない。


「お前はどう思ってるんだよ、渉」

「私は7区か、8区でもいいと思っています」

「大して変わらねぇだろ。7区も8区も」

「まだ7区と8区の違いも頭に入っていないのですか?」

「んだとてめぇ!」


光さんが急に立ち上がり渉さんの胸ぐらを掴もうとしたが、渉さんはそれを素早く払いのけて、手元に合った小さいスプーンを光さんの眼球と寸でのところで止めた。

それと同時に光さんも持っていた食事用のナイフを渉さんの首元につきつける。


「目を抉りだされたいんですか?」

「喉元かき切るぞ」


2人が喧嘩しているところを、まるで気にしない緋月様が仕方なく仲裁に入る。


「こらこら2人とも。やめて。龍君と智春君がびっくりしているでしょ」


緋月様の言った通り、僕は突然のことでびっくりして硬直していた。

龍さんも少し驚いているようで苦笑いをしていた。


「ごめんね、あまり反りが合わなくてよく喧嘩するんだ。仕事に関してはプロだから心配しなくていいよ」


緋月様は笑いながら食事を続けていた。

渉さんと光さんはお互い舌打ちしながらも席についた。

確かに先ほどの動作から見るに、相当の手練れであることは見てうかがえたけれど……本当に大丈夫なのだろうかという不安を感じなかったわけではない。


僕は、車の中で聞かれていた希望をずっと考えていた。

そして、10区でも構わないと僕は思った。

あんな父親、生きている価値がない。

緋月様の悪魔の人喰いに喰われてしまえばいいんだ。

僕は緋月様の方を見た。

そして意を決し、それを口に出す。


「緋月様……父を10区に入れてくれませんでしょうか」


緋月様は僕をじっと3秒程見つめ、そして再び食事の皿に目をやって丁寧に分厚い肉を切っていく。

他の人たちも僕をじっと見つめていた。


「それって『殺してほしい』ってことかな?」


何の屈託もなく、緋月様はそう言った。


「あんなの……あんなの死んだ方がこの世の為です。でなければ……母が浮かばれません」


僕の目には涙が浮かび、そしてこぼれ落ちて行った。

まただ。

恥ずかしい。

でも懸命に働く母の姿を見てきた。僕も勉強に熱心になって早く働けるようになろうと思っていた。


それなのに……それなのに……――――


「……智春君、君がそういうのなら考慮してもいい。でも、それは父親に実際に会ってみて決めたほうがいいよ。これから一緒にお父さんのところへ行ってもらう。10区に移動になったら、もう永遠に会うことはできない。それに、君には弟さんもいるんでしょ? 弟さんと話し合わなくていいの?」


僕の弟は、母さんが亡くなる少し前から家に帰ってこない。連絡の取りようすらなかった。


「弟は両親のことなんか、どうでもいいんだと思います。母が亡くなった時も、どこにいるのか、どう連絡していいのかすら解りませんでした。家にも帰ってきていません……」

「…………そう。渉、智春君の弟さんがどこにいるか探すように手配しておいてくれるかな。確認をとらないといけないから」

「承知しました」


渉さんは席を外してその個室から出て行った。


「君のお父さんの場所はもう調べがついているから、わ子が戻ってきたら行こうか」


緋月様は淡々と食事を勧める。

龍さんも目の前の食事を食べ始めた。

僕はあまり食べる気にならない。食欲がない。あんなことがあった後だ。食べ物がのどを通らない。


「智春君食べないの? 退院したばかりには少し重いかな」

「いえ……なんだか、食事を摂る気になれなくて……」

「無理に食べる必要はないけど、体力を戻すのにも食べておいた方がいいよ」

「食わねぇなら俺によこせ」


光さんが僕の前にあるステーキの皿を横取りしようと手を伸ばした瞬間、緋月様の服の袖から得体のしれない数本の赤い触手のようなものが出て、すばやく光さんの手を掴んで動きを封じた。

間近で見るのは初めてだった。

自在に己の細胞を変化させることができる緋月様の悪魔の能力。


「いつ見ても見事な『裁量さいりょう』ですね」


龍さんはその触手のようなもののことを『血の裁量』と呼び、感心していた。

血液と細胞を自在に操ってそれを時には防御に、時には攻撃に使用することができると聞いた。


「レイ、食べたりないなら私の分もあげるから。やめなさい」

「そうじゃねぇだろ。こいつが食べ物を粗末にしようとするから俺が代わりに食ってやろうってだけだ」


光さんはその血の裁量を払いのけて、また深く背もたれにもたれて緋月様に抗議する。

その血液は緋月様の身体に戻って行って姿を消した。


「粗末にしようとしているんじゃなくて、食べたくても食べられないんだよ。レイ」

「結果は同じだろうが」

「あ、あのっ……ごめんなさい。食べますから」


緋月様と光さんが言い争いを始めたので、僕はあわてて謝罪をした。

そして目の前にあるステーキにナイフとフォークを入れていく。


「嫌々食うなら粗末にしてんのと同じだろうが。けっ」

「ほら、レイが好きなチョコケーキあげるから」


緋月様が差し出したチョコレートケーキを、光さんは奪い取る形で自分の前に置き、そして乱暴にフォークを刺してそれを食べ始めた。


「ははははは、緋月様のご側近の方は実に個性的で面白いですね」


龍さんが笑い出す。

それを聞いて光さんは龍さんを睨みつけ、不機嫌そうにしていた。


――本当になんでこんな人が緋月様の側近なんだろう……


そうこうしている間に渉さんが戻ってきた。


「緋月様、居場所の特定いたしました。1区の黒旗の集会所にいるようです」

「よりによって黒旗のところか……行きたくないな」


緋月様は食事の手を止めて、椅子の背もたれにもたれかかる。


「赤紙のやり方に異論を唱えている組織ですからね。緋月様が行ったら何を言われるか……」


龍さんもいぶかしい顔をしていた。


「ひづき……いやだ……あそこは……」


どこからともなく、何とも言えないような音程の声が聞こえてきた。

まるでいくつもの音声を無理やりに合成したかのような安定しない声。そして、緋月様の服の中から大きな蛇が顔をのぞかせた。

しかし、それは普通の蛇ではない。

紫色の表皮に、鱗のようなものはない。そして何より、眼球がなく目の部分はどこまでも暗い深淵をのぞかせている。


緋月様の服の襟から顔を出したその蛇は、その全容を現した。

全長3メートルはあろうかという大蛇だった。太さは半径3センチ程。透明な玉の中に赤い模様のある数珠を身体に巻き付けていた。

赤と紫の派手な配色。


僕は恐ろしくて椅子から立ち上がり、少しでも間合いを取ろうとした。


「大丈夫だよ。アダムは私が指示しなければ人を食べないから」

「こちらが人喰いの悪魔のアダムですか? 以前見た時は巨人のような姿でしたが」


龍さんはその蛇、アダムを興味深そうに見つめた。

龍さんの言う通り、人喰いの悪魔はもっと大きく、巨人のような見た目をしているはずだ。


「私と同じで、姿はいくらでも変えられるから。目立たないようにこの姿になってもらってるんだ。アダム、依頼人が怖がっているから私の身体に戻って」

「………………」


そして首をもたげて僕を見る。僕は恐ろしさで壁に背中を付けた。

僕を食べると言い始めるのかと思って震えた。


「…………? ……??」


アダムは僕をそのどこまでも暗い空洞で見つめてきた。首をかしげながら。


「じゃあちょっと、智春君と10区の見学に行くついでに『食事』に行くから」

「10区で……食事……?」


僕が身じろぎして言うと光さんが口を挟んだ。


「そんなもん、決まってんだろ」


チョコレートケーキを食べ終わり、フォークとナイフを乱暴に置く。


「10区で人をアダムに喰わせんだよ」



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