45.異世界少女は追いかける
男は躾けの厳しい家庭で育った。
そこでは全ての行動が管理されていた。起きる時間、寝る時間、食事の時間、勉強の時間、お風呂の時間。
ルールは全て両親が決めたものだった。歯磨きは何秒、食事中は会話をしない、お風呂は何分、読んでいい本はこれとこれ。
とても、とても小さな、子供だった頃のことだ。
だから、男はルールには従うものだと思っていた。
幼かった男にとって完全に見えた世界、それが崩れ去るのは早かった。
学校に通い出し、社会の一端に触れた。
たったそれだけで数々の理不尽に突き当たった。
赤信号は渡ってはいけないと言いつつ、自分は渡る大人たち。意味のない校則を押し付けながら、自分は関係ないという教師たち。言ったことがすぐに変わる同級生に、優れているわけでもないのにたった一年の差を偉いと勘違いしている先輩たち。
そして、ルールとは意味のないものに貶められた。
そんな中で男は、ゲームの存在を知った。
プログラムで作られた、厳然としたルールに支配された世界。
ルールからの逸脱を許さない仮想世界。
それは世界の理不尽さに嫌気がさしていた男にとって、福音となるものだった。
男はプログラムを始めた。
変わらずに両親が課した厳しいルールの家庭では、ゲームをすることは出来なかった。
それでも「将来のためにプログラムの勉強がしたい」という男の主張は通った。折しも世界有数のIT企業の名前が、成功者の代名詞となっていた時期だったからだ。
そして男はプログラムに、ゲーム作りに、いやルールが絶対の世界造りに邁進した。
バグ一つ。ウイルス一つ許さないほど真剣に。
学生から社会人に立場が変わっても、変わらずに。
才能があったのか、真剣に取り
あるとき男は、ユーザーがログインしている時
普通に考えればルールの不備だ。
ユーザーの操作が、想定していたルールの穴をついただけのこと。
だが、そうではなかった。いくら調べてもユーザーの操作は想定内のものだった。
男は執念深く原因を探した。男にとって仮想世界のルールは絶対であるべきだからだ。
そして見つけ出した。
それは不定形のエネルギーというべきものだった。
電力、火力、風力、水力。現実世界で利用されているエネルギーにだって形はない。
エネルギーはエネルギーでしかないからだ。
例えば水力は、水が流れる力のことだ。だが、物質としては水でしかない。流れようと留まろうと、水は水だ。
だが、男が見つけた不定形のエネルギーは、一定の経路を流すことによって変化する性質を持っていた。流れ落ちる水が、下流では氷になり、岩に変わり、空高く飛んでいく。そんなデタラメなエネルギーだった。
人がログインしている時だけ発生するエネルギー。それはもしかしたらゲームの中だけではなく、現実世界でも存在するエネルギーだったのかもしれない。だが男にとって、理不尽な現実世界の価値は低かった。現実世界よりは、自らが作り上げた仮想世界の価値のほうが高かった。
だから男は、当然のように仮想世界の中で不定形のエネルギーを使用しようとした。
不定形のエネルギーが持つ
新しい会社ではVRMMOの開発を行っていた。
男はそこで開発チームを率いる立場を得た。目的はもちろん、完璧なルールの世界を作るためだ。
男がほぼ一人で作り上げたメインプログラムは、一般的なコーディングルールを無視した奇妙な、スパゲッティコードだったが、不思議とバグもなく動いた。
*
「くそっ、どういうことだ」
開いたままのウィンドウの中で、また一人、開発チームの座標が広場へと移動する。
最初の一人が倒されてからたった数分。その場で他のメンバーには集合の指示を出したものの、まだ誰とも合流出来ていないほどに短い時間。
たったそれだけの時間で、開発チームのメンバーが更に一人、倒されていた。
ゴーレムの回収に向かった開発チームのメンバーは、街の中に散らばっている。
ゴーレムと判断出来なくても石像があれば回収するように指示してあるからだ。
どこに誰がいるのかなんて、指示を出した男ですらログを確認するまで分からない。それなのに居場所を知っているかのように、短時間で倒されていく。
「
集合場所に指定していた路地を飛び出しながら、集合場所を変更する。
合流しやすいのは、領主の館を見張っていた二人だ。忍者のカスミと、魔法使いのプリティ☆ミカだ。カスミは身軽で屋上にも潜めるし、隠蔽のスキルを持っている。どうやったのか、
領主の館へ走る。
大通りにはプレイヤーの姿もチラホラとあるが、そんなものを気にしている余裕はない。
「チッ」
走っている間にも開発チームの一人が広場に座標を移す。
これで残っているのは、領主の館の見張りについていた二人だけだ。仮に赤い眼の少女に襲われたとしても、二人ならそう簡単には倒されないはずだ。そう信じてはいても不安は拭えない。
それに二人も、こちらに向かっているはずなのに、合流が遅い。
気になりながらも二人のいる座標に向かって、大通りを走る。
大通りを中程まで駆けたところで、開発チームの二人の姿が見える。
忌々しいことにそれ以外もだ。
カスミは赤い眼の少女と対峙していた。劣勢だ。片腕を失っている。刀を突き付けて牽制するのが精一杯のように見える。
もう一人のプリティ☆ミカはセイウチの石像とがっぷり四つに組んでいる。カスミを助けに行く余裕はなさそうだ。
マズい。
助けに行こうかと一瞬考えるも、
そして男は開発チームの二人を置いたまま走り去った。
「はあ、はあ、はあ」
走り去った男が辿り着いたのは、街の広場だった。
広場の中央、リポップ地点には、開発チームのメンバーが倒れたままになっている。それは先の三人以外にもだ。
ゴーレムの回収を指示してあったフォルテ、風見鶏、ぺろりすと。領主の館の見張りを指示してあった、ついさっき大通りで戦っていたカスミ、プリティ☆ミカ。全員が広場に倒れたままの姿を晒している。
男は広場の中へ駆け込む。
こうなれば他のプレイヤー相手に目立つも目立たないもない。
倒れている人数が増えたことで、困惑しているプレイヤーを押しのけて、開発チームのメンバーへと駆け寄る。
「起きろ! どうしたんだ!」
手近な一人を揺すっても目覚める気配はない。
別な者の頬を打ってみても同じことだ。
そんな男の思惑とは裏腹に、倒された開発チームのメンバーは起き上がって来ない。
赤い眼の少女が、
その時、男には他のプレイヤーの声が聞こえた。
「MP切れってやつか」
「全員がか? バグの頻度が上がってるのでもなければ、あんなに一度に倒れたりしないと思うが」
「でもさ。食事せずに狩り行ってたとかさ……」
MP切れ、バグという言葉で思い出す。
サポートチームから調査の依頼が来ていたはずだ。
(まさかアレも
そうであれば、この倒れたままの開発チームも、MPポーションで起きるのではないか。男はそう考えた。
手持ちにはない。誰かから買い取るか、もしくは屋台区画まで行くか。
そう考えながら立ち上がったところで、広場の入り口に赤い眼の少女が居ることに気づく。
「アリスさん、倒れてる中にストーカーも居るんで、近づかないほうがいいっすよ」
誰かが赤い眼の少女に声を掛ける。
アリス。それが
(マズいな)
開発チームのメンバーは全員倒れたままだ。
同等のスペックを持つ開発チームが倒された相手に、一人で勝てるどおりもない。
(逃げるか)
開発チームを起こす手段に可能性が見えてきた。ならば必要なのは時間だと、男は逃げることを選ぶ。
とは言え、大通りでの戦いからすぐに広場につく素早さ。集合をかけたにも関わらず、その前に各個撃破された理由。
男がログで居場所を確認していたように、
男はメニューから「ログアウト」を選択した。
*
ブーンという低い音が聞こえる。
普段は気にもならないファンの音がやけに耳障りだと思いながら、男はヘッドセットを外した。
賃貸ビルのワンフロア、その一室であるこの部屋にはモニタの載った事務机が並んで居る。
一か所だけある窓は、ずっとブラインドが下りたままで開けられたこともない。開けたところで隣のビルの壁しか見えないからだ。
空調の動く音、ラックに収められたサーバーのファン、どこもかしこも低い音が充満している。
その部屋には、今、ヘッドセットを外した男の他に、8人の姿があった。
8人全員がヘッドセットを被っている。ただし、その姿は椅子に座っている者もあれば、机に突っ伏している者も、床に転がっている者もいる。
その姿は打ち捨てられた人形のようだが、わずかに上下する胸が呼吸をする生きた人間だと示している。
「ふんっ」
その姿を一瞥しただけで、男は鼻を鳴らす。
開発チームのメンバーは、向こうの世界でいくつもの縛りをかけておいた。「ログアウトするな」というのもその一つだ。
あるいは、
だが、メンバー全員が
なんなら、復旧の手間はかかるが、全てのサーバーをシャットダウンして世界を消滅させてもいい。
IDと人形のデータが保存されているプレイヤーたちと違って、異物である
それを行わないのは、知識を欲したからだった。
不定形のエネルギーにはまだまだ謎が多い。男が解き明かし、利用しているのはほんの一部なのだと分かっている。
「どうするか」
男は腕を組み、考えを巡らせる。
男が使っていた体は、広場に打ち捨てられている。ログアウトした人形の体だ。
ならば新しい体を用意して、ついでに所持品にMPポーションを設定するか。それとも、NPCの人形を操って開発チームのメンバーを起こしにいくか。いや、NPCを使うならば、いっそ戦闘能力を持たせて、数で攻めるか。
男が考えを巡らせていると、不意に、肩に手が置かれた。
白い。真っ白な手。
細い指先はたおやかで、幽霊のように儚い。
「な゛っ」
男は後ろを振り返ろうとするが、体は金縛りにかかったように動かない。
「思わず追いかけて来てしまったのだけれど、どうしようかしら」
少女の声が無機質に告げる。
「こんな時はどう言えばいいのかしら、コロンがいろいろ教えてくれてはいたのだけれど」
少女の声が艶やかに告げる。
「ああ、思い出したわ? 確かこうね。『私アリス、今、あなたの後ろにいるの』」
男の叫びは、声にならないまま消えた。
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