29.異世界少女は沼を焼く
マコトが走り出すのを見送っている間に、『迷い家』の門は閉じていく。
ついで、門が霧に隠れ、マナの流れが絶たれたのを感じる。
『迷い家』のあった空間と、この森の間にあった『道』は絶たれた。わずかな残滓に似たマナは、しかし、夢散するわけでもなく、一塊のままゆっくりと移動し始める。
マコトから聞いた話では『迷い家』の入口は、どこかの森に開くのだという。
このマナの塊は、次に門を開く場所まで移動していくのだろう。
マナの塊を見送っている間に、マコトの背は見えなくなった。マークした位置を探れば、もう大分離れた場所にいる。
「じゃあ、行きましょうか」
マコトへの暗示は、拠点にしている街への帰還。
その後を辿って、街まで移動するつもりだった。
*
「ここはどこかしら」
目の前には沼が広がっている。
時折、ぽこりと泡が出る沼は、泥というよりも毒のような色だ。元々は藻などの草の緑である可能性もある。だが、ドロドロの沼の水に緑が混ざると、得体の知れない毒の沼に見えるのだろうか。いや、緑とも言い切れない。時折、反射する光が虹色にぬめりと変化する。
マークをしたマコトの反応はこの沼の先にある。
だが、マコトは真っ直ぐには移動してはいなかった。
魔物と戦っているのか、通りやすい道なりに進んでいるのかと、あまり気にはしていなかった。森の中に街道があるわけではなくても、歩きやすい所と歩き難いところはあるものだ。多少の蛇行は仕方ないといえる。
離れてついていく分には、そのあたりの事情までは分からない。
だからその都度、マコトのいる方向に向かって進んでいた。
別に急いで追いつく必要はない。多少歩き難くても構わないし、度を越えて歩き難ければ飛んで行けばいいだけだ。
そう思っていた。その結果が、この沼だ。
真っ直ぐに飛んで行こうか。それとも迂回しようかと考えながらも、マコトの位置を探る。
彼女は、沼の方向から斜め向きに遠ざかっていた。
それは正面の沼を飛び越しても、後で方向を変えなければならないということ。
「迂回しましょうか」
そう呟いて、沼を回り込むように歩きだす。
コポコポ。
音を立てる沼の縁を歩いていくが、一向に沼の終わりはまだ見えない。
沼の周囲には樹が、沼の上には薄い霧があって、奥が見通せない。
どこが沼の果てか分からないまま、ただ、沼の脇を歩いていくだけだ。
コポコポ。
そのうち、泡が多く湧き出ている場所があった。
沼の中に横穴でも開いているのだろうか。それとも中に生き物が潜んでいるのか。
いつだったか、川の側を通ったときに、泡が出るのが不思議で見ていたことがある。そのときは、水が高低差で落ちるときに、空気を取り込んで、泡になっていた。そして、しばらく見ていると別の泡が近づいてきて、中から魔物が襲い掛かってきた。
見た所、この沼には流れがない。
であれば、中に生き物が隠れているのだろうか。こんな汚い沼に。私だったらごめんだが、こんな沼を心地よく感じる生き物がいるのかもしれない。
見ているうちに、水面がぐにゃりと揺れる。
数歩、沼から身を離す。
『スラッジ・スライム。沼の中に潜む粘体生物の一種。毒性が強く、食用には向かない。むしろ、その粘液も核も、毒として使われることが多い』
出て来たのは魔物だった。
ドロドロとして、泥そのものが動いているような体。鑑定によると、この世界のルールでは、粘体生物と呼ばれるものらしい。
(毒、ね)
毒といえば、槍の穂先や矢じりに塗るものだ。
致命傷には程遠いかすり傷でも、毒が縫ってあれば動きを鈍くしたり、あるいはそのまま死に至らせることもある。
かつての世界でも、毒を塗った武器は、格上と戦う上では定番の武器だった。何度か、毒を無効化するのに苦労した覚えもある。
(そういえば)
と思い出す。
毒は武器に塗るだけではなかった。
かつては食事に興味はなく、口にすることはなかった。贈り物と称した品物の一つに、毒入りの飲み物があったことは覚えている。その後に入り込んできた賊の言葉は「なんで飲んでないんだ」、だったか。
今となってみれば、どんな種類の毒だったのか気になりもする。しかし、送られた品物は賊と共に焼いてしまった。
(少し調べてみようかしら)
這うように近寄ってくるスライムを焼く。
残ったのは二つ。鑑定によると『粘液』と『核』だそうだ。
粘液は地面に落ちた液体のようで、地面に染み込んではいないものの、入れ物なしでは回収は難しい。これは刃物に塗って攻撃するためのものだと説明に書いてある。
もう一つの核は指の先ほどの大きさで、歪な球体だった。真球とは程遠い。でもどんな形かと問われれば球体とした言いようがない。こちらは粉末になるまで砕いて、飲食物に混ぜて使うとなっている。追加の説明では、これを使った薬も存在していた、らしい。これも無駄に手間を掛けるためだけの、この世界のルールだろう。
刃物に塗るという粘液は、この世界のルールから考えれば、魔物を攻撃するためのものだろう。ならば、あまり興味はない。
もう一つの、飲食物に混ぜるという核の粉末は、誰向けの毒だろうか。薬にもなりえるという説明からは、プレイヤー、正確に言えば、プレイヤーが使っている人形に効果があると推測できる。いや、魔物に食べさせるような方法もあるのかもしれない。
手の中で核を弄ぶ。
考え事をしている間に、沼からは更に数体のスライムが這いよってきていた。
「もう少し、拾っておきましょう」
核一つ分の粉末で、どれだけの効果があるのか分からない。実験に使うには、いくつか確保しておくのがいいだろう。
「
火種を一列に、スライムの出て来る沼の淵に配置する。
「
沼に、火がついた。
*
その日は毒沼までアイテム調達に来ていた。
いつもはクランメンバーとダンジョン攻略をしている。最近入っているダンジョンは、何度か入ってもまだボスの居場所どころか、最後のフロアが何階層なのかも分からないくらいに、深い。
そして今日は、メンバーの都合が悪く人が少なかったことで、ダンジョン攻略は休みになっていた。
そうなると、次にやるのはアイテムや資金の調達だ。
ダンジョンで消費するポーションや料理などの消耗品は、拠点にしている村でも買える。だが、中には売ってる数が少なくて、自分たちで調達したほうが早いものもある。
その一つが「スライム毒」だ。
これは仲間内での通称で、毒の沼に出現するスラッジ・スライムの粘液のことを指す。
なくても戦えはする。戦いが長引くと、回復アイテムや魔力の消費が多い。それを補うのが「スライム毒」だ。
これを武器に塗って攻撃すれば、短時間で倒せる。
その代わり、ドロップアイテムの中から食料になるドロップは消えてしまうが。
ドロップ品の値段と、攻略時間との取引だ。
ダンジョンに入ってすぐは、ドロップ品の値段も安いし、収納の容量にも限りがある。奥まで行くなら、どっちにしても拾う意味はない。
「釣ったぞ」
「あいよ」
仲間の一人がスラッジ・スライムを沼から離れたところまで誘導してくる。
戦いはそこから始まる。
スラッジ・スライムには武器での攻撃は効きにくい。魔法でも風などの斬撃系はダメだ。一番効くのは、火の魔法。でもここに一つ落とし穴がある。
毒には、油が浮いていて、テラテラと光っている。
スラッジ・スライムがまだ沼に近い時に、火で攻撃すると、沼にまで引火するのだ。
仲間がスラッジ・スライムの攻撃を防いでいる間に、万が一にも引火しないように、横から初級の火魔法で攻撃する。
この方向なら、もし外しても、沼には引火しない。
そうやって数発当てれば、スラッジ・スライムは消えて、目的のスライム毒が落ちる。
別に強い魔物でもない。
簡単で単調な狩りを続けている時に、それはおこった。
遠くでドーンと強い音がしたと思ったら、沼が一面、炎に包まれる。
「誰かやりやがった」
慌てて沼から離れ、木の影に隠れる。
この木のオブジェクトは魔法が当たったところで、燃えることはない。大工や樵のように、斧で切り倒しでもしない限りは、信用出来る防御壁だ。
「うっわ。半分減った」
釣りに行っていた仲間が、俺より数秒遅れて木の影に飛び込んできた。
パーティーウィンドウでステータスを見れば、HPが半分を切っている。沼の炎で削られたんだろう。
どんな設定なのか、火がついた瞬間に爆発するような風も発生する。沼に近いほどダメージを負うのだ。
「誰だよもう。これじゃ狩りにならないぜ、どうする?」
「帰ろうか。火が消えるまで何時間もかかるんだろ。いくつ集まったっけ」
「16個。ちょっと少ないよなぁ。1、2回で使い切りそう」
狩りは中途半場になってしまった。
火が消えれば再開は出来るが、火が消えるまで待っていたらログアウトの時間だ。このままここにいても仕方ない。
俺たちは、どこの素人が火と付けたんだと、愚痴を言い合いながら村に引き上げた。
*
「酷い目にあったわ」
一気に燃え上がった沼の炎は、それでいて周囲の森に燃え移ることもなく、数刻の後に自然と消えた。
火がついた瞬間は爆風がおきたのに、森が無事なのはどういう仕組みなのか。
「ふう」
身だしなみを整えて、周囲を見る。
思った以上に時間を無駄にしてしまった。
マコトの位置を探る。
マークは、沼を正面に見てほぼ右にあった。
(沼を越える必要はなさそうね)
いくつか拾った核を仕舞って歩き出す。
余計なことをするのではなかったと思いながら。
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