8.異世界少女は水に沈む
コロンは部屋から出てくるなり、クエストを手伝ってくれた友人に報告しようと声を上げる。
「アリスさん、合格しましたよ! あれ? アリスさん?」
料理人への転職クエストに無事に合格したところだ。
途中で討伐イベントが発生したときには、今日はもう料理人になれないかと思った。だけどアリスさんの、ものすっごく強力な魔法で討伐も終わって、無事に転職が出来た。それについては感謝している。
変な食材ばかり持ち込むし、宿でログインしたら隣で寝てたりするし、魔法使う前に変な呪文唱えてたし、見た目は美少女なのに変な人だけど。
転職クエストの最後は、港の近くにある料理屋だった。
この街一番だという料理屋の料理長を相手に、目の前で一品作って見せるのが試験だ。
そうは言っても、見習いから料理人への試験だ。そこまで高度はことは求められていない。攻略サイトの情報だと、バフがついた料理を作れば合格するということだった。
そして、コロンは手持ちのレシピの中から、比較的短時間で作れるものを選んで、無事合格したのだった。
転職を手伝ってくれたし、不本意ながらも、アリスさんが持ってきてくれた食材でスキルレベルの一気に上がった。
待っていてくれているアリスさんに、一番に、お礼と一緒に報告しないと。
でも、いくら見渡してもアリスさんがいない。
待ってててくれるって言ったのに。
「アリスさーん!」
店の従業員や客のNPCが何人もいるお店だ。見えないところにいるのかと声を上げてみる。
しかし、呼んでみても、誰も答えてくれない。
どっかいっちゃった?
探しても探しても、居ない。だんだんと腹が立ってくる。
合格した喜びと、手伝ってくれた感謝は苛立ちに塗りつぶされていく。
「もー、なんなのあの人は!」
NPCは定められたルーチンで動くだけ、コロンの叫びには答えてくれない。
*
船というものは面白い。
海の上を移動する乗り物。その移動は走るというよりは、波を乗り越えるという感じがする。
波が船にぶつかって、その上に船が乗り上げ、押し潰すようにして前に進む。
波を一つ乗り越える度に、船は大きくゆれる。
波を一つ押し潰す度に、水しぶきが舞う。
潰しそこねた波は甲板に這いあがっては、不意に水だということを思い出したように勢いを失い、流れ落ちていく。
水しぶきがかかるのは、霧雨の中にいるようで少しばかり不愉快だ。それでも、この珍しい体験の楽しさが勝る。
(乗りたがるわけよね)
ファーストの街の側で出会った、細長い女性を思い出す。
歩いてすぐなのだから、乗ってしまえばいいのにとも思う。それとも、彼女が言ってた「海に出る」というのはまた違うのだろうか。
海から甲板に目を移せば、数人のプレイヤーが目に映る。
コロンの料理を買っていったプレイヤーだ。
料理を買ったあとは、討伐イベントに参加して、気づいたら死んでいたという。何があったかわからないという彼女らには「そう」とだけ言っておいた。
そんな彼女たちは、討伐の途中で死んでしまったために、稼ぎが少ないのだと言った。稼ぎ直すために、船に乗ってダンジョンに行くという。
それに便乗して、ついてきてみたのだ。
コロンはクエストがあるというから、終わった頃に戻ればいい。
船は程なく島についた。
振り返れば、出発した街が見えるほどの距離。もう少し船の上で揺れを楽しんでいたかった気もする。
そこは小さな島だった。
船がついた場所から、石で出来た階段を登るだけで、そこは島の頂上だ。歩きまわるまでもなく、島の端、その向こうに広がる海が見える。
そんな小さな島にあるのは小さな
枠組みだけの、扉もついていない門の向こうにある社は小さすぎて、三人も入れば座る空間にすら事欠くだろう。
同じ船に乗ってきたプレイヤーたちは、その社に向かう。
『壊れた鳥居。外界と神域を隔てる結界の要であったが、長い年月の中でその機能は失われ、形だけが残る』
『海神の
社の中には下り階段だけがあった。
船から社に上るのと同じだけの階段。そして階段の先には泉。
岩肌に囲まれた洞窟の中の泉は、泉に見えはするものの、高低差を考えれば、海水が入り込んだものである可能性は高い。
鑑定で知った内容と合わせて考えれば、この先の海中のどこかに海神と呼ばれる何かがいるのだろう。
不思議と明るい洞窟で海面を覗き込んでみれば、水の中にはあまり広くない通路が続いている。その通路はすぐに曲がり、その先は見えない。
「お先に!」
プレイヤーの一人がそう言って、口に何かを含むと泉の中に身を躍らせた。
盛大にあがる水しぶき。
「ああーあの娘ってば。すいません、ごめんなさい」
残り二人もそそくさと口に何かを含んでは、泉の中に入っていく。
洞窟に残されたのは、海水を滴らせるアリスだけになった。
*
「ぜったい怒ってる!」
「そんなことないって。あの人だって水に入るんだもの」
「だからって水を掛けていいわけないでしょう?」
「怖かった」
水の中でパーティーメンバー同士言い合う。
言い合いに使っているのは、パーティーメンバー同士でやり取りできるメッセージだ。
水の中では口を開いて話すわけにはいかない。そんなことをしたら酸素アメを口に入れていたところで溺れてしまう。
酸素アメは水中で呼吸するためのもので、口の中に含んでいると酸素が発生する。ポコポコと。
水中にいる間は、アメから発生した酸素を吸って行動するのだ。
とはいっても、このアメからの酸素で呼吸するのは結構難しい。外から吸うのではなく、口の中で発生するのだから。空気を吐くのはいいとして、口を閉じたままで吸うという動きなんか、ゲームの中じゃなきゃやるはずもない。
そして空気を吸おうとして水を飲み込んでしまいパニックになって溺れる、という人が続出する。というか、誰もが一度はやる。
解決方法は3つある。
一つは慣れること。人間、繰り返していれば意外と慣れるものだ。
二つ目はスキル。何度か水を飲んで苦しい思いをすると、スキルの取得が出来るようになる。『水中呼吸』というスキルで、取得すれば酸素アメを使った呼吸が意識せずに出来るようになる。酸素アメなしには出来ない。私も含め、パーティーメンバーはこのスキルを取得している。
最後の三番目は道具を使う。酸素マスクというかガスマスクというか。マスクで顔全体を覆うのだ。そうすれば口を半開きにして呼吸するだけで、酸素アメの空気がマスクの中に充満する。
マスクをするのはどうしてもスキルポイントを節約したい人で、マスクの代金を気にしない攻略組くらいのものだ。
水を通さないようにするためには、結構手間がかかるらしい。マスクのお値段は高い。無理すれば買えないほどでもないが、武器や防具との比較になってしまう。
「今度会ったら、ちゃんと謝ってよね!」
「敵発見」
「誤魔化すな!」
通路の先に敵の陰が見える。
薄暗い水の中では細部が見える距離ではないが、何かがいるのは分かる。
水中ダンジョンで現れる敵は、海に住んでいて、泳ぐ生き物になる。その中でも、ここは初心者でも来れる位置にあるため、あまり強い敵は出て来ない。それでも、水中の動き難さを考えれば強敵にも思える。
出てくるのはサンマかイカか。このダンジョンで出る敵は二択で、見た目がそのままだから、そう呼ばれている。通称であって本来の名前は別にある。一応、魔物という扱いで、敵であって食べ物ではない。
サンマは秋刀魚とも書くように、刀のように長く尖っている。攻撃方法は体当たり。というか突き刺さり。一直線にやってきて、刺さる。
もう一つのイカは、サンマと違って一直線ではない。水中に漂っていたと思ったら、急に動く。そして刺さる。イカの耳とかエンペラとか言われる三角の部分で、刺さる。
動きは違っても、どちらも体当たりで突き刺さってくる。
ゲーム内の魔物という扱いでも、大きさはそうでもない。サンマもイカも片腕ほどの大きさだ。現実のスーパーに並んでいる物と比べたら倍くらいだろうか。
現実に置き換えるなら、武器だけを投げ付けられるようなものだ。
気持ちを切り替えて、敵の動きに注目する。
直線か、折れ線か。まだ影にしか見えない敵は、それで区別できる。
「サンマよ。刺さらないでね」
直線の動きを確認し、メッセージを送る。同時に魔法を選択。
詠唱ゲージが溜まっていくのを横目に、あくまでサンマの動きに注意する。
このゲームの魔法が詠唱なしでよかった。そうでもなければ水中では一切の魔法が使えないところだ。
選んだのは『水弾』という水の初級魔法。どういう理屈なのは知らないが、水中で打つと弾速が上がりダメージが増える。
数が多ければ『水壁』で、突き刺さることしか出来ないサンマの動きを止めるのも有効だ。
詠唱ゲージが溜まり切ったのを確認して、狙いを定め、打つ。
ボフンという感じで塊が水中を走る。
衝撃でサンマの動きが止まる。
パーティーメンバーが剣を構えたまま近づいて突く。
サンマは腕くらいの太さしかないから、突くには的が狭い。それでも水中で剣を振っても、あまりダメージは出ない。
剣はうまく突き刺さり、サンマが掻き消える。
ついでドロップしたのは、サンマ。こっちは食材のサンマで、スーパーでよく見るサイズに縮んでいる。どうせなら、元のサイズでドロップすればいいと掲示板では話題になったことがあった。料理人からの「火が通り難いだろ」の声で鎮静化したが。
水中の戦闘は、手段が減って面倒だけど実入りはいい。
魔法は火とか土とか、無理に使っても威力がなくなるものがいくつもある。武器だって剣で突くことは出来ても、切るのは難しい。槌なんてもってのほかだ。
そしてドロップ品。このサンマも料理に使えば攻撃のバフ付きになるし、イカは回避のバフが付く。使い勝手がいい料理なのに、水中ダンジョンまで集めに来るプレイヤーは少ない。その分だけ他のドロップ品よりも高く売れる。
「よーしどんどんいこうぜ」
討伐イベントで稼げなかった分はここで稼ぐ。そのために沢山倒さなければいけない。いっそ雷系の魔法で一網打尽にしたくなるが、ここは水の中だ。自分たちまで感電してしまう。
幸い、敵は弱いから水魔法で止めて、武器で殴れば簡単に……。
「あれ?」
「え?」
「どうして?」
視界が暗転したと思ったら、街の広場に座り込んでいた。
三人共だ。
「死んだ?」
「え? なんで?」
「でもログに死亡ってある……」
ダンジョンにいたはずが、街の広場。死に戻りの復活地点にいる。
まただ。
討伐イベント中もなにかドーンとしたら死に戻ってた。今度はそれすらもない。一瞬で死に戻った。
「なんでよー」
「バグってんじゃねーかよ」
「船代かえせー」
サンマ一匹では、三人分の船代にもならない。
*
泉の前、アリスは水を被って重くなったフードを下ろす。
髪の毛もじんわりと湿っぽい。
「
傍らに火の塊を作り出す。
赤い光が、泉の白を塗りつぶす。
火の塊をゆっくりと移動させ、体の周囲を温めれば、髪の湿った感じも消える。その代わりになにかゴワゴワした感触が残る。
乾き切ったところで火を消し、改めて泉を見る。
プレイヤーは水の中に入っていった。つまり水の中がダンジョンなのだろう。
手段を考える。
風の結界を纏えば、水に触れずにいることは出来る。今までのダンジョンや街の外と同じように魔物が出るのであれば、風の結界だけというのも心許ない。
では水と同化するか。同化しながらも個を保つのは意外に面倒だ。水の流れによっては手足がどこか別の所に流されてしまうことがある。
ならば元の姿のまま水に入り、呼吸だけをどうにかするか。呼吸のために空気を留めるのも、呼吸そのものをマナで代用することも出来る。だが、髪のゴワゴワした感触を思えばやりたくはない。
(面倒ね)
別に便乗してついて来ただけで、このダンジョンを最深部まで行く理由はない。
だが、何もせずに帰るのも何か違う気がする。
だから呪文を唱える。
「
最後の一言と共に、洞窟に光が満ちる。
スケルトンと船を消し飛ばしたその魔法は、泉に突き刺さり、余波で水面がはじけ飛ぶ。洞窟の中に雨が降る。
光が消えた後、下がった水面が急激に元の水位を取り戻す。そんな中、私は一人でずぶ濡れの姿を晒していた。
「おかしいわね。水面に雷を打ち込むと、魚が浮いてくると聞いたのだけれど」
水面は元の水位に戻っても、浮かぶものは何もない。
釈然としない顔のまま、アリスはもう一度火の塊を作り出して、服と髪を乾かした。
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