5 もしも生まれ変わるなら



 絞り出すような、喚くような声が放課後の教室に響いた。


 泣きそうな三峰の顔と相まって、それがあまりに悲痛な叫びに聞こえたから、俺まで視界が歪んでくる。


 それでも、俺よりも痛みを感じている彼女の前でそんな姿を見せるわけにはいかないから。


 俺は必死で目から何かを溢さないように瞬きを堪え、三峰と初めて出会ったときのように無表情を装って口を開いた。



「…………そうだよな、ごめん」


「別に、謝らなくてもいいけど」



 大丈夫だ、偽れてる。三峰の反応からそれは分かるのに、頬が濡れていないことでそれが確認出来るのに、自分が今どんな顔をしているかが分からなくて不安で堪らない。


 三峰と出会ってからほぼ1週間ぶりに聞いた、『死ぬ』という言葉に、身体の奥の方から冷たくなっていくように感じる。


 今の俺は確実におかしい。普段ならどれだけ友達から『死にたい』なんて聞いたって、こんなことにはならないのに。「分かる、俺も〜!」と軽く返して、日常の愚痴を吐き出すだけなのに。


 それが何でかなんてもうとっくに分かってる。きっと、三峰の熱量が本物だからだ。そこに込められている想いの重さが、違うから。



「いや、完全に無神経だった俺が悪かっただろ」


「……何それ。急にそんな顔されたら調子狂うんだけど」


「……」


「そんな気にしなくてもいいよ。どうせ私、あと3日で死んで君のことも忘れちゃうんだし。だからA君も、もうすぐ死ぬ人間のことを考えて煩わされる必要なんてないからね」


「……そうか」



 どうしてお前は、こんな時まで俺のことを。


 口から、涙の代わりに溢れ落ちそうになった言葉を、慌てて飲み込む。


 そのとき、後ろを向いた三峰がどんな顔をしていたかは分からなかった。平然とした様子で言ったその言葉に、どれだけの意味が籠もっているのかなんて、それこそ死ぬほど分かってる。


 この先の人生で、人生ゲームでやったこと全部叶えよう。今日みたいに一緒にゲームをして笑いあおう。どうでもいいことを言って、馬鹿騒ぎしよう。


 なぁ三峰、お前が生きてさえいてくれたら、俺が横で、うるさいぐらいお前の人生を賑やかすからさ。


 いくらでも言いたい言葉は思い浮かぶのに、何から言っていいのか分からなくてついつい黙り込んでしまった。


 彼女と何の関係でもない俺は、あまりにも無力だった。そんな自分が嫌で苦しくて、いっそズタズタに切り裂かれたくなる。


 それでも俺は、俺に背を向けて黙り込んだ彼女がこの人生に、人生ゲームのように、少しでも生きる意味を見出してくれることを祈るしかなかった。















 こうして金曜日が終わる。


 明日からは2日間の休みに入るが、その間に三峰に死なれたら元も子もない。それに、まるで泣いているような、儚くて脆くて崩れそうな三峰を1人にしたら、本当に消えてしまいそうだったから。


 俺は覚悟を決め、ぎこちなくなった空気に気がつかないふりをして、家で必死に考えてきた、三峰と休日に出かけるための秘策を頭から引っ張り出した。



「ところで三峰。綺麗な魚とか見たくないか」


「何がところでなのか分からないんだけど、逆にAくんには私が魚を見たいって思ってそうに見えるの?」


「めちゃくちゃ見える。三峰、照れてるんだろ。大丈夫、俺はちゃんと分かってるって。よし、水族館行こうぜ! ほら、明日って祝日だからさ。ちょうど男女で行くと300円安くなるみたいなんだよ」


「うっざぁ……。いや誘導下手すぎじゃない? ここまで下手くそなデートの誘い始めて聞いたんだけど」


「約束な。明日の10時に駅前集合だぞ」


「話聞いてないでしょ。……まぁ、死ぬ前に見た海があれっていうのも嫌だし、全部Aくんの奢りなら行ってもいいけど」


「は? 死ぬのに残金の問題気にしてどうするんだよ。使う時はむしろ今だろ!」


「はぁ? そんな風に言われるのは心外なんだけど!! ほんと、そういうところだからね。だからA君は彼女出来ないんだよ」


「み、三峰……なかなか言ってくれるじゃん……」



 こうして、傷を負いながらも三峰を休日も約束を取り付けた俺は当日、出来る限りのオシャレをして駅前に向かった。するとそこには、「モデルをやっています」と言われたら信じてしまいそうなほど綺麗な女の子が立っていて、話しかけるのを躊躇ってしまう。


 待って、俺の好きな子ってこんなにかわいいのか。


 そりゃあ分かってはいたが、憧れていたときと近くで知って惚れたときでは心の感じ方が違う。


 それに、圧倒的な存在感を放つ三峰は、自殺しようとしているようになんて見えなくて、彼女に向かって踏み出す一歩が踏み出せなかった。



「ッ、ちょっと。何、突っ立ってんの! 遅いんだけど!!」



 すると、ついにキョロキョロと周りを見渡していた三峰に見つかり、遅いと怒られて結局水族館のチケットを奢った。懐が寂しい。



「さよなら、俺の来週のお菓子代金……」


「そんなものよりよっぽど有意義なものにお金を使えてるんだからいいでしょ。ほら、早く行こ」



 そう言って三峰は、鞄から取り出した水族館のパンフレットを開いた。嫌々そうに見えて、ちゃっかりパンフレットまで準備しているところから察するに、ノリノリである。



「どこから回る?」


「やっぱシャチからだろ!」


「却下。場所遠いから、マニュアル通りペンギンからね」


「決まってるなら何で聞いた!?」



 相変わらず、自己中である。


 俺はやれやれと笑いながら、俺の返事も待たずに歩き出してしまった三峰のことを追いかけた。


 そして一通り水族館を回った後に、併設されているカフェへ入って昼食休憩を取ることになった。俺はアザラシさんのホワイトグラタンを、三峰はシャチさんのブラックカレーを頼み、空いていた席に座る。



「水族館ってこんな楽しいんだね。正直、こんなに楽しいと思ってなかったかも」


「三峰、終始うるさかったもんな」


「Aくんも人のこと言えないけどね!?」



 三峰は俺に突っ込んで、クスクスと笑っている。確かに、お互い水族館に来るのが久しぶりだったこともあって、海の生き物達の一挙一動に大騒ぎしていたことは否定しきれない。


 カフェの水族館特別メニューも美味しくて、本当に大満足である。


 俺は、アザラシの顔が描かれたグラタンを口に運びながら、ぼんやりと思ったことを溢した。



「俺、生まれ変わったらアザラシになるわ」


「なんで?」


「ゴロゴロしてるだけで可愛がられる人生を歩みたい」



 怠惰の極みのようなことを口にした俺を、三峰は信じられないものを見るような目で見ていた。



「馬鹿なの? 野生のアザラシはみんな生存競争に怯えて生きてるんだよ。Aくんみたいな貧弱なアザラシなんて、すぐ淘汰されるに決まってるでしょ」


「じゃあ水族館のアザラシで」


「水族館のアザラシだって、可愛がられないと生きていけないんだからどちらにせよ息苦しいでしょうに。可愛いいだけじゃ生きていけないし、何か相手の意に沿わないことがあったら攻撃され放題だし、周りからは羨ましいって言われるし……アザラシだってゴロゴロしてるだけじゃ生きてけないんだからね」


「ふーん……そっか」



 思いつきで口に出したことだが、妙に実感のこもった話を三峰から引き出すことができてしまった。


 なぁそれ、お前もそう思って生きてんの?


 

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