第9話
教室に入ると、ほとんど給食の用意は整っていました。気味の悪い微妙なピンク色のテーブルクロスが僕の机も含めて、きっちりと敷いてありました。そしていつも元気な楠田君が、たしかにしょんぼりとしてスプーンを見つめていました。僕は、おぼんをとり、おかずを取りにまわりました。今日のおかずは……八宝菜です。きのう食べたばかりだったので、せっかくグーグーとないていたおなかが、急にしぼんでいくのがわかりました。
おかず少なめにして、と給食係に伝え、牛乳を取り僕は席に着きました。
「山田君、だいじょうぶ?」
むかいあって座ると斜め前になる村井君が言いました。すでにシャツは半分だけズボンの外にでているようです。僕は、笑顔を見せ、うなずきました。大きな音を立てて、ドアが開きます。先生です。先生はいつも、教室でみんなと一緒に給食を
食べます。と、言っても、だれと話をするわけでもなく、ただ食べて、食べ終わったらさっさと職員室へと帰っていきます。一緒に食べるというよりは教室を見張っている。そんな様子です。そしてたしかにさっきの小町の言葉どおり、先生の顔は憮然としていました。小町に目を合わせると、小町は大きく二回、うんうんとうなずきました。
「手をあわせてください。いただきます」
「いただきまーす」
全員が手を合わせて、あいさつをすると、食事のはじまりです。八宝菜を口に入れます。これは、おいしくありません。母の八宝菜のあとではやむをえませんが、おなかのすいている人間にすら、おいしいとは思わせない、給食とは、なかなかのつわものだと感じました。
「保健室、どうやった?」
村井君が僕に質問します。なんだか昨日の一件以来、村井君との距離がとても縮まった気がします。
「うん、寝心地よかったよ。めっちゃ寝た。元気になった。あの保健の先生も優しい感じやったし」
もう、保健の先生の名前を忘れてしまっている自分を、とても情けなく感じて、思わず持っているスプーンをおいてしまいました。
「ああ、上山先生。いい人やで。笑ったら、えくぼ、でる」
ああっ、そういえば小町にえくぼのことを言うのを忘れていました。それにしても村井君は、上山先生のえくぼをなぜ知っているのでしょうか。
「いや、ぼく、ぜんそくやから、よく保健室に行くから」
こうやって、村井君は僕の知らないことを、たくさん知っているのかもしれないなあと思いました。そしてあのことも村井君なら知っているかもしれないと思いました。
「なあ、村井君。どうしておなかがへるのかなっていう歌、知ってる?」
村井君は一瞬困った顔をしましたが、すぐ笑って答えました。
「けんかをするとへるのかなって、いうやつ?」
僕は嬉しくなって、つい大きな声を出してしまいました。
「そう! それ! んで、その後、ナニナニしててもへるもんな、やんか。そのナニナニって何やった? 昼寝やっけ?」
村井君は、頭を両手でポリポリと頭を掻きました。隣の女の子は、あからさまにいやな顔をしていました。僕はそんなことおかまいなしで目をらんらんとさせて、村井君の答えを待ちました。
「昼寝……じゃない、と、思う」
そう言うと、村井君は、口をパクパクさせて、また黙りこみました。どうやら、自分の中で、もう一度、初めから歌っているようでした。僕は期待で給食を食べることすら忘れていました。そして、村井君はついに、頭を掻いていた両手をポンと打ちました。
「分かった!」
「なに?」
「マラカス!」
「は?」
「マラカスしててもへるもんな」
「なんで? マラカス?」
「いや、シャカシャカ、おなか、すきそう、と思って」
村井君は顔を真っ赤にして言いました。僕はこらえきれず、大きな声でガハハハと笑いました。
その時でした。
「山田! ええかげんにせえ!」
教室中が、一気に静まりかえりました。驚いて牛乳をひっくりかえす者もいましたが、それを片付けることさえ許されない空気が流れました。
「山田! おまえは、何や、保健室から帰ったきたと思ったら、ペチャクチャと、しゃべりやがって! お前の家では、食事中、ペチャクチャしゃべれという教育をうけてるんか!」
僕の家では、食事中にテレビをつけることはありません。食事中にしゃべるという教育、そういう教育をうけているのかと聞かれれば、答えはイエスだと思いました。
「はい、うけてます」
先生の顔がゆがみました。ミルクの雫が落ちる音だけが教室の中に響きます。次に先生の雷が落ちるであろうことはクラスメイト全員、そして、もちろん僕にも容易に想像できました。ところが、次にあらわれた先生の言葉は、雷よりも恐ろしいものでした。
「あとで……あとで、職員室に来なさい」
先生はゆっくりと、あくまで冷静にそう言うとほとんど食べていない給食を残し、教室を後にしました。あまりにも拍子抜けなことばとは裏腹に、今まででは想像もつかない展開に戸惑っている僕がありました。ようやく、牛乳を片付け始める音とともに、全員が静かに食事の続きを始めました。すっかり、食べる気を失った僕は、すぐに職員室に行こうと思いました。この教室に今、僕がいることはいけないことだとも、悟りました。一緒にしゃべっていた、村井君は顔を伏せて、僕と目を合わせようとはしません。それも仕方のないことだと、自分に言いきかせ、僕は教室を後にしました。
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