第17話。ショウタ君と百手巨人ランチュウ
「今日も明日もヘスペリ三昧~ッス♡」
ムチプリンとの密談を終えて仕事と仮眠と夕食を挟んだ但馬祥子(17)は、ボディーガードと使用人たちを遠ざけてゲーム専用部屋に入ると、車椅子の肘かけを倒してPCデスクの前で車輪にロックをかけた。
PC本体は仕事用と別に用意した最高級品で、画面は量子ドットのウルトラワイドモニターと、バックミラーを兼ねた液タブを併用、入力機器はキーボードとジャイロスコープマウス機能のついたゲームパッドを愛用している。
「できればもっと入力デバイス増やしたいッスけど、手と指が足りないッスよね。アイトラッカーの視線誘導は、更紗さんみたいにブラインドタッチができないと使えないッスし」
20本の指全部と両目まで使いこなす更紗と違って、祥子は不完全型ながらも下半身不随で足が使えない。
いや、だからこそヘスペリデスにハマった。
ゲームの中なら走るも跳ぶのも思いのまま。
そして何より、必ずしも戦闘に参加しなくていい自由度とゲーム性の高さが性に合った。
数年前、黒塗りの高級車に乗ろうとしたところで追突事故に遭った祥子は、自らの手で他人を傷つけるなど、たとえ非現実であろうとも受け入れがたいものがある。
しかし健常者に対する黒い嫉妬と欲望は絶えず、他人が傷つくところは間近で、ただし現実だと怖いのでバーチャルで見たい。
そこで選んだ道が実況プレイ動画の配信、しかもソロで他人の対戦を物陰からこっそり覗く、奇妙なプレイスタイルであった。
気分はスパイか忍者、いやニンジャである。
ショウタ君の動画は好評でフォロワーは激増、撮られたプレイヤーからも称賛を浴びた。
女装ミニスカ美少年アバターを使っているせいか、女性ファンも多い。
思う存分走り回って承認欲求も満たせるヘスペリ最高。
祥子とショウタ君は、たちまちゲームの虜になった。
だが、ある日の事である。
「それ楽しい?」
いつも通りPvPの覗き見をしていると、いきなり後ろから小声ボイス入力で話しかけられたのだ。
どこかで見覚えのある紅白模様にネコミミ&ネコシッポの美少年アバター。
殺られたあとで尻踊りを見せつけられるなど、よくも悪くも大評判の称号持ち【百手巨人】のランチュウである。
「らっ……ランチュウ…………さん?」
有名プレイヤーなので、対戦勢でないショウタ君でも百手巨人くらいは知っていた。
それどころか熱烈なファンで、当然ながらフォローしているし、ランチュウの尻踊り動画はもちろん、彼(中身は女性らしい)にキルされたプレイヤーたちの動画も必ず視聴している。
もっとも相手視点ではランチュウの姿など、ほとんど見えはしないのだが。
「よっほー♡」
フォローがあるし至近距離なので、こちらのボイスメッセージはランチュウに通じているはず。
しかしランチュウの声まで聞こえるのは、相互フォローになっているからで……。
「覗き見たあ、いい趣味してるねえ」
心臓が飛び出るかと思った。
「いっ、いえ……そのアレで……ッス」
たちまち、しどろもどろになるショウタ君。
「非難してる訳じゃないよ。アンタの動画、いつも楽しく拝見してっからねえ」
「それは……嬉しいッス……」
もう恥ずかしさでいっぱいである。
「でも物陰から見てるだけって飽きない?」
ランチュウはショウタ君の盗撮行為ではなく、プレイスタイルに不満を覚えたらしい。
「アンタがショウタ君だね。どうせならもっと近づいて撮影しない? 相手に気づかれずにさあ」
「いや接近したら見つかるッスよ⁉」
人外魔境に人外な事を言われても、普通の人間には通じない。
「ふ~ん……アンタならできると思ったんだけどなあ。とりあえず一時登録しよ?」
「アッハイ」
設定を野良パーティー限定チャットに変更すれば、ただいま絶賛戦闘中のプレイヤーたちの中にランチュウたちのフォロワーがいたとしても、こちらの声は届かない。
「じゃあ行って来るねー♡」
その瞬間、ランチュウはショウタ君の視界から忽然と消え去った。
「ええっ⁉」
「こっちこっち!」
ランチュウは戦闘中の斧戦士アバターの背後に立っていた。
その場にいる全員の死角に入っているのか、誰にも気づかれていない。
みんな戦闘に夢中とはいえ、周囲には8人もいるのに……である。
「ほらほら、こんな事もできちゃうんだよ~?」
人から人へと渡り歩き、時には背後だけでなく真正面まで通り抜けた。
おそらく斧戦士は1人称視点かVRゴーグルを使用しているのだろうが、いくら身長差があるとはいえ無茶苦茶すぎる。
そのうち明らかに3人称視点と思われる魔導士の周囲をクルクル回り始めたので、ショウタ君は我が目を疑った。
「魔法の発動エフェクトを目くらましに使ったのさ」
ヘスペリデスの魔法は規模や威力に応じた複雑なコマンド入力で発動するため、プレイヤーが操作に集中し、警戒がおろそかになっていたのも理由の1つである。
「人間の視覚はねえ、意識しないと見えない角度やタイミングがあるんよ」
振られる剣や杖の陰、視点操作の瞬間などを利用して、ランチュウは外法な挙動を繰り返す。
「意識の隙間と死角を通り抜けるのがコツさ」
視線を把握しておけば、相手のPCモニターに映っても発見されない。
せいぜい目の錯覚と思われる程度だろう。
「人間技じゃねえッス……」
ヘスペリデスで数人しか認定されていない称号持ち【百手巨人】。
入力機器の量が半端ないとは聞いていたが、ここまで常軌を逸したセンスの持ち主とは思わなかった。
道理でキルされた相手の動画にランチュウの姿が映っていない訳だ。
いや、ひょっとしたら画面の端くらいには映っていたのかもしれない。
ショウタ君を始めとする視聴者の意識から外れていただけで。
「しかも
アバターの最高速度は、どんなに素早さ重視で設定しても、たとえ課金強化アイテムを使っても限度があるはずなのに。
ランチュウの服は課金で作れる特注品だが、どう見てもステータスの強化機能はない。
遠目なら何とか動きを追えるのが、その証拠。
スピードが速いのではない。
スティック操作が果てしなく細かく、かつ正確なのだ。
あと判断と発想が異常。
「ひょっとしてオイラにアレをやれって言うッスか……」
つまり人間やめろと?
「ショウタ君なら、そのうちできるようになると思うよ? さて、もう見物は飽きちゃったし、そろそろ殺っちまおうかねえ」
カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカッ‼
ハルバード装備の重戦士アバターが力なく崩れ落ちる。
懐に入って短剣の超高速連打で装甲を貫通したのだが、ショウタ君にはその瞬間が見えなかった。
そして重戦士が倒れた時には、すでに魔導士が息の根を止められている。
あっという間に8人分の死体が転がった。
PvPの真っ最中だったプレイヤーたちは、いまごろ地縛霊になってプカプカ浮かんでいるはずだが、何が起こったのか理解できた者はいないだろう。
「デュフフ~ッ、デュフフフフゥ~ッ♡」
そして戦闘終了で近距離フリーチャットが可能となり、ヘンテコリンな高笑いと尻踊りを見せつけられた瞬間、初めて百手巨人の悪戯と知る事になるのだ。
ただの通りすがりの悪ふざけでキルされた地縛霊たちの青ざめる顔が目に浮かぶ。
「こっ、これは……」
ショウタ君の、いや但馬祥子の黒い衝動が沸き上がる。
他人を傷つけるのも傷つくところを見るのも嫌いだが、バーチャルな殺戮を鑑賞するのは死ぬほど好き。
そして、その願望を叶えてくれる怪物が目の前にいるのだ。
これを見逃す手はないだろう。
「ランチュウさん……オイラを仲間に加えてくださいッス!」
「いいよ!」
「土下座でも何でもするッスからパーティーに入れて……はい?」
あまりの即答っぷりに思考がついて行けない。
「だからおいでって。仲間に紹介してやっからさあ。ムッチさんじゃアタシの動きについて来れなくてねえ、専門のカメラマンを探してたのさ。戦闘に巻き込まれずに無傷で全貌を盗撮できる腐れ配信者なんて、ショウタ君しか候補いなかったんよ」
ショタ専門のBL趣味まで知られていた。
どうやらランチュウとの遭遇は偶然ではなく、最初からショウタ君をスカウトするつもりだったらしい。
「ただしアタシゃアンタに何も教えない。ショウタ君はショウタ君なりのスタイルを開発して、全力でヘスペリを楽しみゃいいのさ。それでいいかい?」
「もちろんッス!」
今度はショウタ君が即答した。
「オイラはランチュウさんのプレイを真似したいんじゃないッス! ランチュウさんのデストロイな殺戮を、最高に興奮するシチュエーションと構図で撮影したいッスよ!」
「なかなか最低な動機じゃないか。よっしゃ気に入った!」
「ランチュウさんほど外道じゃないッスけどね!」
まだ撮影対象を視界に収めきれていないショウタ君の道のりは長く、ゴールも遠い。
いや、きっとゴールなど存在しないのだろう。
たとえそんなものを見かけても、無視して先に進んだ方がいいに決まっている。
なぜなら人間が作ったゴールを目指してたところで、とっくに人間をやめているランチュウには決して追いつけないから。
「じゃあ街に行こう! ムッチさんが待ってるよ! あと呼び名はもうちっと馴れ馴れしく行こうよショウちゃん!」
なんだかシュワちゃんと空目しそうなアダ名であった。
「わかったッスよランチっち!」
森の中を駆け出す2人。
どちらも軽装備なので、ただの移動ならランチュウに置いて行かれる心配はない。
……置いて行かれないはずだった。
「ちょっと待ってショウちゃん初仕事!」
道中で見つけた通りすがりの集団に吶喊するランチュウ。
「ええっ⁉」
祥子は慌ててPCを操作し、ショウタ君を走らせながら実況生配信の準備を整える。
どうやら大物の討伐クエスト依頼を受けた大規模クランか複合パーティーらしく、山の向こうに上級者以上と思われる30人以上のプレイヤーが、隊列を組んで移動しているのが見えた。
当時はまだ対戦拒否機能が実装されておらず、対魔獣勢の隊列は対戦勢の餌食になりやすく、高ランク対戦派プレイヤーたちの護衛は必須だったのだ。
これでは大人数を集めないとボス級の魔獣討伐ミッションが成立しないため、この数か月後には運営のアップデートで改善されている。
「無茶苦茶っスよ!」
ショウタ君のカメラ&マイク設定された鉢金は、まだ素早いランチュウを視界に収めきれていない。
それどころか盗賊アバターで敏捷性重視なショウタ君の方が移動力は高いはずなのに、撮影で多少なりとも足が鈍っているとはいえ、戦闘をしながら移動しているランチュウとの距離は離される一方である。
「とんだけ効率よく走ってるすッスか……」
もはや画面にランチュウの姿はなく、峠道に転がる死者の群れとすれ違うだけであった。
「信じられません。まったく信じられません。いまやランチュウの通過したあとは死者の山と化し、見渡せば森の北西部からハナタチ川、トモリ山、コゴチの谷はまったくの血の海です……」
すでに惨憺たる有様である。
走っているうちに開けた場所に出て、ようやくランチュウが死体を次々と量産する様子が窺えた。
「これって近くに寄ったら、オイラの腕じゃフレームに収めきれないッスね……」
蜂のように飛び交い、蜂のように刺す。
数十人もいる敵集団を、とんでもなく複雑な機動で翻弄し、一方的に狩っている。
ああ……あれこそが本物の、バーチャルだけど本物の殺戮!
「ランチっち最高ッスよー‼」
あの怪物に一生ついて行こうと思った。
そして祥子はモニターの前で滂沱していた。
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