第8話・魔界樹
オルテナスが見つけた魔界樹の根本に到着すると、枝には多くの果実が実っていた。
中を覗くとムカデやゲジゲジ、昆虫型などの魔獣たちが、1つの実に数体以上詰まっているのが見える。
「かなり前に侵食を受けた端末樹ですね。すでに根を切られてネットワークから独立しております」
「オフラインか……そういえば樹王って世界樹のオペレーターだったよね? それならスペアとはいえアタシゃ魔王なんだから、この魔界樹を操作できるんじゃないかなあ?」
「かなり機能が限定されていると思います」
「それでも何か情報が掴めるかもしれないよ?」
歩み寄って幹に手をかけるランチュウ。
「……どうすりゃいいのかわかんない」
「そこにコブがあるでしょう? 小さなウロが空いておりますので、シッポの先を接続すればよいのです」
「このシッポ、接続ケーブルだったんだ……」
魔界樹の幹に背中を向け、お尻を突き出すランチュウ。
「お尻届かない……」
思ったより高い位置にある。
「もう1つありました。こちらを使いましょう」
根本に椅子のようなコブがあった。
上向きの窪みに小さな穴が開いている。
「これって便器じゃん」
「バチ当たりな事をおっしゃらないでください」
どこか下に抜け穴でもあるのか、それとも誰かが定期的に掃除をしているのか、窪みには水やゴミがまったく溜まっていない。
「シッポを刺すって……こりゃ座らないと穴に届かないよ」
「便器なら座っても問題ないでしょう?」
「自分でバチ当たりって言っときながら調子のいい事を……」
文句タラタラながらも便器風ターミナルに腰かける。
「うまく刺さらないなあ」
シッポが短すぎて中の奥まで届かない。
「パンツとベルトが邪魔になっているようです。お脱ぎください」
「ええっ⁉ いや殿方の前でそりゃダメでしょ!」
「ランチュウ様は子……いえ男性ですから」
「アタシが男だって、たったいま思い出したろ」
そう言うランチュウも忘れていたのだから、お互い様である。
「毛布をどうぞ」
昨日使ったのとは別の、幼児用の毛布を渡された。
「お気遣い感謝するよ。でもこれココちゃんのじゃない?」
「お古です。一応洗ってありますが、ココナナの粗相がたっぷりと染み込んでおります」
汗とか、おしっことか、うんちとか。
「それって天国じゃん!」
「変態だーっ⁉」
ランチュウのショタBL趣味は世界樹から聞いてはいたものの、さすがにランチュウがここまで頭おかしいとは思わなかったようだ。
「そ、それなら問題ありませんね。その間に私は別邸を探します。お弁当と水筒を置いて行きますので、適当なところでお召し上がりください」
魔界樹から離れ、別邸探索に出るオルテナス。
スタート地点の魔界樹もそうだったが、魔界樹近辺に必ずあるはずの別邸まで、多少の距離があるはず。
この魔海樹と共に本来の位置から移動しているはずなので、探し出すのは時間と手間がかかりそうだ。
「さてと、じゃあこっちも始めよっかね」
ランチュウはパンツを半脱ぎにして便座もとい魔界樹ターミナルにお尻を埋めると、奥の接続端子にシッポを刺し込んでみる。
「便座を上げた便器に座る感触だ……」
お尻がスッポリ奥までハマって、どうにも気持ちが悪い。
「お……おおっ!」
刺した瞬間、視界に起動画面のようなモノが現れた。
「うんうん、こーゆーのを期待してたんだよ!」
次々と開かれるウィンドウ。
「思った通り日本語表記になってるねえ」
ヘスペリデスは国内メーカーのゲームなので、侵食を受けた魔界樹のシステムは日本語か英語、あるいはその両方が使われているとランチュウは予測していた。
画面構成もヘスペリデスのメニュー画面そのもので、更紗には使い慣れた形式である。
「はてさて、こいつは本当にオフラインなのか、それとも他の魔界樹と繋がってるか……」
検索すると、接続状態にある魔界樹は存在しないと出た。
しかし――
「おほっ、なんか接続できそうな魔界樹あるじゃん!」
視界にマップが表示される。
光点の位置情報を見ると、スタート地点の元・端末樹だった。
「ちょいと根っこを伸ばすだけで届くんかい……いやこれ、あっち側も伸びてるから届くのかな?」
どうやら中枢樹が、あらかじめ根を伸ばしておいてくれたらしい。
しかも切られたはずのスタート地点とナーナたちのいる別邸を繋ぐ地下茎が再接続されていた。
「こりゃありがたいねえ。今度会ったらお礼言っとかないと」
端末を操作して再接続を試みる。
「よしよし、うまくいったぞ……うんうん、やっぱスペアボディの製造データあったわ。これでリスポーンのアテが確保できるってもんよ」
スタート地点の魔海樹は、ここからでもある程度の操作を受けつけるようで、生産リストを覗く事ができた。
見るだけでなく、遠隔操作でスペアボディの生産も可能らしい。
浸食の影響なのか、製造用の複製データが樹王ではなく魔王に変化しているものの、これを元に予備の肉体を作っておけば、ランチュウが死んでも即座に再エントリーが可能となるはず。
いやランチュウは人間の魂とプレイヤーアバターが混ざっているので、本当に復活できるのか不安だが、それでも作っておくに越した事はない。
「コイツはアタシのスペア以外の使い道もあるな……」
この先どこかで魔王パルミナと出会ってしまえば、その時は間違いなく戦闘になるだろう。
探し人を見つけたら殺し合いは必定。
矛盾もいいところである。
だがパルミナを蘇らせる手段さえあれば、まかり間違ってぶっ殺す口実に使えるのだ。
「こりゃ便利だねえ。可能な限り量産しとこう……って、もう作ってるじゃん!」
スタート地点の魔界樹に、スペア培養中の表示が出ていた。
生産開始から1日近く経過している。
おそらく中枢樹が先の展開を見越して、ランチュウ放出後に再設定したのだろう。
魔界の侵食を受けるまで数分しかなかったはずなのに、よくそこまでやって見せたものだと感心するランチュウであった。
「こっちの魔界樹は無理か。魔獣の生産予約でいっぱいだよ」
死んだ住民や生物の魂を集めて再生産し、生態系を維持するのが、世界樹ネットワークの持つ本来の役割である。
生産予定表を見ると、どうやら小動物なら1つの果実で複数の生産が可能らしい。
履歴によると生産スケジュールは常に限界ギリギリで、数年先まで埋まっていた。
「うっわー火の車じゃん」
ただの1本も枝が休んでいない。
プレイヤーたちが魔物を殺しまくっているため、最大効率で生産しても追いつかないデスマーチと化している。
「ありゃりゃ、保存中の魂魄リストに魔獣人が結構いるなあ」
結界の外まで逃げずに意地を張って森に残り、プレイヤーたちにキルされた住民がいたらしく、それなりの犠牲者が出ているようだ。
マニュアルを開くと、魔獣人は魔獣人にしか転生できないと書いてある。
「知的生物が後回しになってるんだ……」
魔王と違って記憶を引き継げないため、本能で動く虫型魔獣ならともかく、魔獣人は未成熟の赤ん坊状態で排出されるのが望ましい。
だが生まれたての赤子を育てる大人の魔獣人がいないので、いまは生産を止めているのだろう。
「道理で最近は虫系魔獣ばっかりだと思ったよ」
卵から生まれて本能で活動を始める節足動物なら里親を必要とせず、用意に大量生産できるからだろう。
ただし少数ながらも大型哺乳類っぽい魔獣も生産ラインに乗っている。
「さてさて、お次はアタシの入力設定だねえ」
ヘスペリデスのメニュー画面をと共通しているなら、キーエディットモードもあるに違いないとランチュウは推測する。
「思ったよりいろいろできそうじゃん。やったね!」
脳内に仮想空間を設定し、アバターとして更紗の身体データを組み込んだ。
その仮想アバターでランチュウを仮想PCの仮想入力機器で操作し、旧ランチュウと同じ要領で動き、戦い、喋ってテキストを表示させ、尻踊りを披露する予定である。
「うん、これでいつでも仮想キー入力モードに切り替えられる」
いまは戦闘時だけの使用を前提としているが、できれば普段から使えるように試行錯誤を重ねようとランチュウは思った。
「おっ、やっぱりあったか戦闘モード」
もちろん封印した。
あんな物騒なだけで使い勝手の悪いチートはいらない。
「あとはこのオプションパーツだけど……」
常時ランチュウの背中に浮いている4つの塊である。
「やっぱり翼だったかあ。まあパルミナも飛んで逃げてたからねえ」
必要な時だけコウモリ状の翼を展開できる便利オプション。
2.3倍の密度と重量があるので機敏には飛べないだろうし、パルミナも逃走時しか使わなかったが、速度はありそうなので長距離移動に使えそうだ。
「これ、どうやって動かそっか……?」
手持ちの入力機器をフル活用しているので、入力キーに余分がない。
「すぐ使う訳でもないし、あとでいっか。先にこのチートな腕力と防御力を何とかしないとね」
体のデチューンを始めるランチュウ。
樹王は世界樹のオペレーターであると同時に、世界樹の付属品、分身のようなものとランチュウは推測している。
それなら魔界樹を使って、ランチュウの肉体をステータスごと再設定できるかもしれない。
そしてヘスペリデスは、総合値を越えさえしなければ、街の宿屋など定められた場所でなら、いくらでも能力値を途中変更できる。
非レベル制ならではの利便性であった。
「うっわー魔王って総合値高いわ~高すぎるわ~」
そんなズルは断じて許せない。
「こうなったら減らして減らして減らしまくってやろーじゃん!」
再設定の操作はヘスペリデスと多少異なる部分があるものの、あちこちいじくっているうちに端末樹のサポート機能が働いたのか、しばらくすると素人のランチュウでも簡単にステータスを変更できるようになった。
もちろん旧ランチュウと同じ数値に設定する。
「乙女の体重も何とかするよ!」
もはや乙女ではないのだが。
過剰な防御力を生贄に捧げたので、軽量化は割と容易らしい。
「魔界樹って便利だねえ。こっちの求めに応じて、いままでなかったアイコンを即座に作ってくれるんだから」
中枢樹と違って自我はなさそうだが、かなり高度なサポート機能があるらしい。
これなら専門知識のないランチュウにも扱える。
ただし新設されたアイコンは消さない限り増える一方なので、たまに整理する必要がありそうだ。
「おやまあ結構かかるっぽいねえ」
さすがに肉体改造は時間がかかるらしく、画面上に長大なプログレスバーが表示されていた。
こうなるとゲージが一杯になるまで便座から動けない。
「弁当でも食うか」
中身はサラダとハムのサンドイッチであった。
あと断じて便所メシではない。
「うん、おいしい」
食べたら眠くなった。
『……枯れ木女』
「ひゃああああああああっ‼」
飛び起きた。
「はあっ……げほげほっ、しまった寝ちまったよ」
眠ると過去の悪夢が蘇る。
そして目の周りが涙で腫れ上がっていた。
記憶には残っていないが、もう何度も寝てはうなされ飛び起きるを繰り返しているのかもしれない。
「やべぇ……これ最後まで眠らずに過ごす自信ないよ」
空は夕焼けに染まっているが、プログレスバーはまだ半分も減っていなかった。
「まずいまずいまずいまずい! どーにかして寝ずに済む方法考えないと!」
この悪夢があったからこそ、更紗は異世界転生するまで浴びるような飲酒と連日徹夜プレイをや重ねていたのだ。
魔界樹のメニュー画面で退屈しのぎの方法を探ってみるが、ネトゲどころかマインスイーパすらインストールされていない。
「せめてソリティアくらい入れといておくれよ!」
とりあえず中断していた飛行モードの設定を始めるランチュウ。
操作を止めたら美少年の悪夢が待っている。
「すか~~~~っ」
作業が裏目に出た。
いまのランチュウは子供の肉体を持っているため、あまり疲労を感じる事がなく、エネルギーが切れた瞬間いきなり眠ってしまうのだ。
「ぎゃああああああああっ‼」
半寝ぼけ状態で眠くなる原因に気づかず、悪夢にうなされては起きて作業再開を繰り返す。
ブラック業態もいいところである。
そして日暮れ刻には、あらゆる入力作業のネタが尽きていた。
プログレスバーはまだ6割程度しか伸びていない。
「あと何時間かかるんだよ!」
魔界樹と周囲の森はヘスペリデスの背景設定で花と木の実やキノコが光っているため、日が暮れても照明に困らない。
だがランチュウにとって美少年の悪夢は暗闇より恐ろしい。
「もうやだよーっ! ココちゃん助けて! ココちゃ~ん! ココちゃああああああああんっ‼」
とうとう泣き出してしまった。
「らんちゅ、らんちゅ……」
「うっわーついに幻聴がっ! ココちゃん恋しさに幻……あれ?」
目の前にココナナがいた。
「らんちゅ!」
よちよち歩きでココナナが近づいて来る。
「……ココちゃん⁉」
「わわっふ!」
ターミナルに座ったまま動けないランチュウの膝に、ココナナがピョコンと飛び乗った。
「ココちゃああああんっ!」
感極まって泣きながら抱きしめると、ココナナに顔をペロペロ舐められた。
「あっはっはーよせやい顔がベトベトになっちゃうじゃん!」
「わふふ……わふっ♡」
「……何でここにココちゃんが⁉」
その答えは、ココナナが現れた方向にあった。
オルテナスとナーナである。
「新しく見つけた別邸の端末が動いていたので、ナーナと連絡を取ったのです」
中枢樹がスタート地点と別邸のラインを繋ぎ、ランチュウが新たな魔海樹の根を接続した結果である。
「ランちゃん、ココがいないと、またうなされるんじゃないかと思ってねえ」
探索を終えたオルテナスが、便器もといターミナルで眠っては飛び起きるランチュウを発見し、慌ててナーナとココナナを呼んだらしい。
「ありがと……マジ助かったよ」
「夕食を持って来たからね。みんなで食べて、それからゆっくり眠るといいよ」
「……うん」
涙が溢れる。
「らんちゅ、ないたらめっ」
2歳児に怒られた。
「うん、ごめんねココちゃん。もう泣かない」
ココナナさえいてくれるなら、もう悪夢も泣く必要もない。
肉体のアップデートは深夜に及ぶだろうが、これなら安心して眠れそうだ。
「ココちゃんはアタシのヒーローだねえ」
「わふっ♡」
「じゃあアタシもココちゃんのヒーローにならないとね」
「ふわっ、らんちゅ、たーうっ?」
戦うのかと言いたいらしい。
「うん。みんなが幸せに暮らせる方法を考えるよ」
ヘスペリデスをサービス終了に追い込み侵食を止める手段など見当もつかないが、それでもココナナの将来を思い、一刻も早くどうにかしたいと思うランチュウであった。
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