第7話・魔王バカ一代
「だいぶ慣れたようですね」
ランチュウの訓練は周辺区域の散策から始まった。
朝食を終え、ナーナのために魔法の全自動洗濯乾燥機をコース設定したあとの話である。
「このあたりは地面が柔らかいのに、あまり足が沈んでいません」
接地面積が少なく慣れない鶏足で、しかも比重が人間の約2・3倍もあるンチュウは、歩行訓練として近所の森を散歩する事になったのだ。
「コツを掴んだからねえ。爪も高速ステップ用のスパイクに使えそうだし」
街道を外れた極彩色の獣道は進入禁止エリア内で、プレイヤーと遭遇してもPKやPvPをふっかけられる心配はない。
魔獣かNPC扱いのオルテナスはともかく、ゲームのアカウントを持っているはずのランチュウまで入れるのは、魔王のスペアボディと融合しているせいかもしれない。
「高速……? ランチュウ様は一体どこを目指しておられるのですか」
「スピードスター♡」
ランチュウは最終目標であるヘスペリデスのサービス終了はひとまず置いといて、まずはアバターの戦闘モーションを完全再現しようと考えていた。
「ヘスペリは悪鬼のようなベテランプレイヤーの集う修羅の国だからねえ。PKくらいやれんと何もできんのよ」
「そのヘスペリですが、私には何が何やらサッパリなのですが……」
散策しながら話すオルテナス。
どうやらランチュウが無意識でも不自由なく歩けるように、自然な会話で誘導するつもりらしい。
「う~ん……そうだ、別邸に端末樹の端末があるって言ってたよね? ネットワークの意味はわかるんだ?」
ただし通信ケーブルの地下茎は、数日前に切断されている。
「通信端末を通信以外で使えるのは樹王様だけですが、使用人の私でも、他の別邸にいた同業者との連絡や会議くらいはできます」
「ネット会議できるんかい。意外と近代的だねえ」
「近代的? ランチュウ様が元いた世界では最近できたものなのですか?」
さすがはファンタジー異世界、何百何千年も前からネット会議を行っていたらしい。
「いつからあるのか知らないけど、普及したのは割と最近だねえ。まあそれなら話は早いや。要するにヘスペリデスはネット上に架空の世界を作って、みんなで戦ったり働いたりして遊ぶゲームなんだよ」
「働くのが遊びなのですか?」
無趣味のオルテナスには想像もつかない世界であった。
「画面上にアバター……自分の分身を作って操作するんだ。自分が働くんじゃなくて、仮想世界で分身を働かせて遊ぶのさ」
「なるほど覆面会議の延長みたいなものですね」
「覆面会議にアバター使ってんのか異世界」
「もっとも顔を隠したところで、中枢樹や樹王様にはお見通しですが……でも風呂上りなど自分の姿を見せたくない時は便利です」
「そっか、あくまでプライバシーの保護が目的なんだ」
ランチュウはSNSでのオタ話やエロ話といった下世話なモノを想像していたが、異世界のネットは割とまともな目的にだけ使われているらしい。
ただしオルテナスが、どこまで本当の事を言っているのかは不明である。
異世界人にプライベートがあるなら、そこにもまた裏側……闇が存在するに違いない。
「おかしいですね」
石と草しかない小さな丘の上に出たところでオルテナスの足が止まった。
「何が?」
ランチュウも地面に爪を食い込ませ、強引にブレーキをかける。
「このあたりに端末樹……いまは魔界樹ですが、地図ではここにあるはずなのです」
「移動しちゃったんじゃない?」
「樹木は動けませんよ」
「そーかい。でもヘスペリにはよくある事だよ? スタッフが作ったワールドマップの中心部はともかく、人工知能が自動生成したエリアは定期的に姿を変えるからねえ」
「人工ナントカはよくわかりませんが……移動なのですか? 消滅ではなく?」
オルテナス大石の上から周囲を見回している。
「魔界樹はヘスペリの公式設定にも載ってる破壊不能オブジェクトだからねえ。そうそう消えやしないだろうし、遠くにゃ移動してないと思うよ。あっオルさん、その石使うから、ちょいとどいてくれる?」
「何に使う気ですか」
「山ごもりって言ったら、自然石割りに決まってるじゃん」
「山ごもりではありません。森の散歩です」
「わかってるって。でも訓練には違いないんだし……片眉剃った方がいいかな?」
「何をおっしゃっておられるのかまるで理解できませんが、眉はおやめください」
「はいはい。ところでオルさん、何で隠れてるの?」
オルテナスは丘を外れた木の裏側に退避していた。
「どうにも嫌な予感が止まりません」
「うんまあ用心深いのはいい事だよね。じゃあ殴るよ」
適当な石ころを拾って大石に乗せる。
「ふんっ!」
瓦割りの姿勢で全身に力を籠めるランチュウ。
その瞬間、時間の流れが変わった。
「何だこれ……戦闘モード? ただ力が増すだけじゃなかったんかい?」
極度の集中によって思考が加速され、時間がゆっくり流れているように見える【フロー】あるいは【ゾーン】と呼ばれる現象に近い。
だが廃ゲーマーの更紗は、フローについて独自の異論を持っている。
体感時間が変化するのではなく、集中によって脳が高速度カメラで撮影しているのと同じ状態になるため、あとで思い返すと通常速度で記憶が再生されスローモーション化する、というものである。
なぜならリズムとタイミングが命のアクションゲームで体感時間が狂うと、その瞬間に隙が生じて命取りになるからだ。
命取りになっていないなら、フロー関連の理論は間違っている。
「でもこれ、実際に時間知覚が変化してるんだよねえ」
引き延ばされた時間に対応しようと、何度もタイミングを計り直すランチュウ。
あまりの遅さにイライラする。
「これじゃラグと一緒だよ」
このチートは邪魔だと思った。
「るオオオオオ‼」
ガッ‼
チョップをかますランチュウ。
だが自然石は割れなかった。
グバアッ‼
代わりに土台の大石が地面ごと爆散する。
「メメタァ⁉」
破片と反動をまともに喰らい空中に放り出され、放物線を描いて地面に激突した。
正確には自分で掘り返した地面に埋まって足だけ生えている。
「隠れたのは正解だったようですね」
避難場所から出て犬神家状態のランチュウを引きずり出そうと頑張るオルテナス。
「やはり無理ですね。自力で脱出してください」
「ふご~っ! むごぼぶぉ~っ!」
もがくと周囲の土が簡単にめくり上がり、簡単に地面から這い出る事ができた。
できてしまった。
小さい体なのに、まるで戦車かパワーショベルのような大馬力である。
もちろんその間、オルテナスは物陰に避難していた。
「すっげーパワー。この体とんでもねーな」
普段の腕力とはケタが違う。
「……おっかねえ」
この力が眠っている間に発動していたら、腕の中でココナナがグチャリと潰れてしまったかもしれない。
いや、そうならないように普段はリミッターがかかっているのだろう。
「結構あっさり出ちゃったけど、これ意識して力まないと発動しない感じだねえ」
思ったよりリミッターが効いている感触があり、眠っている間に暴発する心配はなさそうだとランチュウは判断した。
起きている時なら、たとえ間違って発動させても、時間知覚のスロー化を利用してモーションキャンセルをかければいいのである。
「フローと筋力強化は個別のスキルっぽいねえ。戦闘モードで同時発動したのに終了時間は別々なのかい」
体感時間の加速は墜落時に切れている。
だが筋力は地中から這い出す時も増強されたままだったので、こちらは意識して切らないとダメなようだ。
体を通常モードに戻すため、ゆっくりと深呼吸するランチュウ。
「それに派手に爆散して破片の直撃喰らったのに、傷もついてないんだよねえ」
「樹王様は頑丈でいらっしゃいますから」
いまのランチュウは比重こそ人間の2.3倍だが、強度は明らかに鋼鉄を越えている。
「いや、わかってはいたけどさあ、パルミナと戦って知ってたけどさあ、それを確認しようと思って自然石割りに挑戦したんだけどさあ……こりゃ酷すぎるチートだよ」
体感時間の変化といい、廃ゲーマーのランチュウには、ただ猛烈に邪魔なだけのラグやバグとしか思えなかった。
筋力も小さい体に分不相応で使い勝手が悪すぎる。
この能力を使い慣れているパルミナでさえ、旧ランチュウの短剣に30分間も全身を突かれ放題だったのだ。
初心者で幼体ボディのランチュウでは、魔王の能力を成長させても修羅勢の餌食になるのがオチだろう。
「このチートは封印、もしくは調整の必要がありそうだね」
「チート……ズルですか?」
「うん。ヘスペリのプレイヤーアバターって、能力の総合値がみんな一緒なんよ。剣も魔法もスキルもアーツも、使う人間のスキルと入力機器で強弱が決まるのさ」
筋力や防護力を上げると移動力や運動性が落ち、操作の融通が利かなくなるルールも存在する。
重課金強化装備で劇的に能力を上げる方法はあるが、それでもプレイヤー次第でどうとでも倒せてしまうのだ。
「つまりランチュウ様は人間を越えたくないと……?」
「そうそう。でも操作するプレイヤーは別だよ? 入力機器を増やして工夫して、手足と指の数だけ、いくらでも人間を越えていいんだ」
手の指と鶏足の爪で、器用にそれぞれ別々の動きを見せるランチュウ。
「そこも超えてはいけない領域な気がしますが」
「あくまでゲーム上の話だからねえ。でもルールを守らなきゃゲームにならないよ」
「私たちの世界を救うのはゲームではありません」
「ルールに則った上で戦わなきゃダメって事。でないと運営にBANされて、アタシが消されちゃうかもしれないから」
アバターである旧ランチュウのアカウントが消滅すると、いまのランチュウがどうなってしまうのか予測できない。
最悪、この体を残して魂だけが元の世界に戻される可能性がある。
そして、おそらく更紗の肉体は自室で腐敗しているか、あるいは誰かに発見されて火葬されているに違いなく、帰った魂が天に召される保証もない。
「樹王……いえ、魔王を消滅させる力を持つ者がいるのですか?」
「いるよ。まあヘスペリの神様みたいなもんだ。ぶっちゃけ世界樹より怖いね」
「そんな存在が……あっ、ありましたよ魔界樹」
オルテナスが指差す先に、いまのランチュウを生んだ魔界樹と同じモノが生えていた。
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