第6話・癒しの毛玉
『枯れ木女』
足元の可愛らしい美少年が、美少年にあるまじき言葉を口にする。
目の前が真っ暗になった。
『枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女……』
更紗を無職の引きこもりにした呪いの語句が、壊れたレコードのようにしつこくエコーつきでリフレインし、ランチュウを奈落の底へと突き落とす。
『枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女枯れ木女……………………』
「ひいいいいっ!」
悲鳴を上げるランチュウだが、美少年の呪いは止まらない。
だが、その時――
「わふっ♡」
ランチュウの前に、鮮やかな純白の毛玉が現れた。
「ココちゃん⁉」
「まま……らんちゅ」
暗黒世界に光あれ。
そして視界が純白に染め上げられる……。
「…………やっぱ夢かあ」
ランチュウは全身汗でビショビショになっていた。
周囲を見渡すと、そこは魔王の体育館もとい寝室。
何もかもサイズが大きすぎて巨大ロボの格納庫としか思えない部屋だが、ベッドが大きい分には問題ない。
「むにゃ~、わふふっ♡」
2歳児の寝言は意味不明だが、とにかく可愛いからよし。
「そっか、ココちゃんが助けてくれたんだねえ。あんがとさん」
思わずギュッと抱きしめてホペチュー。
「わっふう♡」
「きゃ~わ~い~い~っ!」
まさに天使の寝顔であった。
「でも何でここにココちゃんが……?」
ココナナとの添い寝はナーナとの引き離し工作が失敗し、あえなく断念したはずなのに。
「おや? いい匂いがするねえ」
モコモコの体毛ではなく、寝室の外から漂って来る匂いである。
どうやら朝食の準備が佳境に入った模様。
オルテナスも早起きして仕事の真っ最中に違いない。
「じゃあその間、アタシはココちゃんの面倒を見ないとねえ」
眠っているココナナのお尻を、オムツ越しにポンポン叩くランチュウ。
2歳児は一時たりとも目が離せないので、子守りは立派な仕事といえるだろう。
「これってアタシを信用してくれたって事だよね? お風呂とシャンプーの使い方わかるの、アタシだけだったもんねえ」
ヘスペリデスの侵食で変貌した元・樹王別邸の現・超魔王邸は、中身は見た目こそ大して変わらないものの、ガス・水道完備など、細かいところが完全な別モノと化している。
いやガスではなく魔法のアイテムらしいが、近代設備には違いない。
そしてこの変化は、数日前まで薪や炭を使っていたナーナの家事に多大な影響を与えていた。
更紗の記憶を読み取った世界樹の支援もあり、魔法の照明と魔法のビルトインコンロと魔法の水道は手探りながらも何とかなったようだが、魔法のユニットバスや魔法の全自動洗濯乾燥機といった魔法の疑似電気製品には手もつけられなかったのだ。
別邸が変貌してからというもの、厨房で沸かしたお湯と、倉庫で発見した洗濯石鹸で体を洗っていたらしい。
そこで魔王のバスタブがデカすぎて使えなかったランチュウが、オルテナスたちが住む管理人区画にある魔法のユニットバスを華麗に沸かし、全自動洗濯乾燥機を操作して夫婦を驚かせ、首尾よくココナナとの入浴に成功したのである。
「ココちゃんって、見た目ほど
長毛種はお湯をかけると体積が半分になるのだ!
「あの貧相さが最高!」
大人の魔獣人は、長毛種でも服の下は短毛か無毛が普通らしい。
しかし子供のココナナは産毛で全身モコモコである。
「シャンプーを嫌がられずにモシャるのが腕の見せどころってもんよ」
そしてランチュウは備えつけのリンスインシャンプーを駆使し、ココナナのフサフサな毛皮をくまなく洗い上げ、ブラッシングでモッコモコのフワッフワに仕上げて見せた。
シャンプーハットもなしに、しかも泣かせず楽しそうに笑わせながら。
オルテナスとナーナは、いままで見た事もない見事なココナナの毛並に、目を丸くして驚くばかりであった。
懸念されていた魔王の戦闘モードは発動していない。
普通に生活する分には、暴走の危険はなさそうである。
「でも、まさかドライヤーまであるとはねえ。つーかホントに動くとは知らんかった」
てっきり背景の飾りだとばかり思っていたランチュウである。
「コードレスだったし、あれも魔法で動いてんのかねえ?」
一般家庭に普及する魔法の家電製品や、さりげなく配置されている水道の蛇口。
ファンタジー系のゲームには、よくある話(?)である。
「照明も魔法っぽい光る石……いいけど壁にスイッチつけんのはやりすぎだろ」
半身を起こして窓を見ると、目の粗いカーテンから日光が透けていた。
「明かりはいらんか。かなり寝坊したようだねえ……おっ、ココちゃん起きた?」
「ま~ま……わふっ、ま~まぁ」
近くにナーナがいないと知り、ココナナがグズり始めている。
「はいはい。ママはあっちでお仕事中だからね。でもまあ、そろそろ起きて食堂行こっか」
ふと見ると、ベッドの脇にココナナのオムツ(予備)とランチュウの服が畳んで置いてあった。
洗濯乾燥機が使えるようになった恩恵もあるが、どうやら勢い余ってパンツの改造まで済ませてしまったらしい。
「おややん、もうできたんかい? ナーナさん針仕事が早いねえ」
きっと夜なべして作ってくれたに違いない。
「あとでお礼言っとかないと……これ、どっちが前なんだろ?」
かぼちゃパンツを広げると、前後両方に前閉じがついていた。
シッポ穴の上部をホックで留める方式なので、チャックがある方が前だろう。
「なるほど、シッポを抜かなくても下ろせる構造なんだ」
後部のベルトループもホック留めで、ベルトの後ろ半分をずらしてパンツを半脱ぎできる大発明であった。
「おおっ、ちゃんと野グソの方法まで考えてるじゃん! さっすが子持ち主婦、気配りが行き届いてるねえ!」
あとはクソエイムを何とかするだけである。
「ま~まぁ~っ!」
オムツ一丁で巨大なベッドの上をコロコロ転がるココナナ。
「はいはい。すぐ着替えるから、ちょいと待っててね」
汗で濡れたシャツを脱ぎ、パンツを穿いてチューブブラを装着するランチュウ。
あとは紅白模様のベストを羽織れば完成である。
「まあ靴は無理だよね」
なぜなら鶏足だから。
踵に折り畳み式のブレードを仕込んだ愛用のブーツは履けず、自前の蹴爪では代用になりそうもない。
「首狩りコンパッソは封印かあ」
ランチュウはココナナを抱き上げ、子供用のイスを階段代わりにベッドを降りて食堂へと向かう。
出入口は魔王用ではなく、入室時に使った使用人サイズの裏口を通る。
「さてさて朝食は何かいな~?」
おそらくトーストとサラダとスクランブルエッグ。
匂いからしてベーコンもありそうだ。
「ナーナさん、いろいろ変貌して大変だったみたいだけど、結構うまくやってるみたいだねえ」
異世界とヘスペリデスの野菜には大した違いがないらしく、ランチュウが来る前から、どうにかやりくりできていたらしい。
家畜がモコモコのヒツジっぽいヤギに変貌したのは驚いたものの、モフモフになっただけなので乳搾りには困らなかったそうだ。
「おかげで昨日のシチューは絶品だったよ。本物の樹王には味わえない贅沢だねえ」
魔王化して行方不明になる前の樹王パルミナは、体と部屋がデカすぎて、料理と掃除の一部を自ら行っていたと聞いている。
「そっか……だからアイツ露出度高かったんだ」
先月戦ったパルミナの服装は、ほぼ黒ビキニだったと記憶している。
部屋の巨人用クローゼットに黒マントやワンピースが入っているが、これを洗濯するのは各別邸にいる使用人と管理人の2人がかりでも不可能に近いだろう。
樹王時代は忙しかったらしいパルミナの普段着は、獣人でも手洗いできる下着サイズに限定するしかなかったのだ。
「おっはよ~ナーナさん! おいしそうな匂いで起きちゃたよ!」
謎が解けたとゴキゲンなランチュウは、ココナナを抱いて食堂へと突入する。
「いま叩き起こそうと思ってたところだよ。ココの面倒もいい感じに見てくれてるみたいだし、まだ小さいのに感心しちゃうねえ」
「やだなあ、アタシゃこれでも26だよ?」
「こっちじゃ0歳なんだろ? もう、うちの子になっちゃえばいいじゃないか」
テーブルに食器を並べながら会話を続けるナーナ。
その間ママを恋しがるココナナを、あの手この手でなだめて時間を稼ぐ。
「そうしたいのはやまやまなんだけど、超魔王のお勤めがあるからねえ」
さすがのランチュウも、異世界転生してまで引きこもりは嫌だ。
「お勤めって……ランちゃん何する気だい?」
「さあねえ。まずは運動して新しい体の使い方でも覚えよっかね」
ようやく鶏足に慣れて来たところである。
「じゃあランちゃん、ついでにダンナ呼んで来ておくれよ。勝手口から出て右にちょっと行けば畑があるから」
「へいさー。ココちゃん連れてっていい?」
「いいよ任せた」
「ま~ま!」
「はいはい。ママは忙しいから、パパの方行こうね~」
ココナナを抱いたまま勝手口に向かうと、腕の中でココナナが暴れ出した。
「らんちゅ、ぺたんこ。ま~まがいい」
「うっせーパイオツなんかあるかー‼」
前世の更紗も貧乳だったので怒り心頭である。
「代わりにキ〇タマ袋押しつけっぞ~♡」
そう言いながらもココナナを揺さぶって、あやすのを忘れないランチュウであった。
「ランちゃん、くれぐれもイタズラするんじゃないよ?」
「へいへい、わかってますって冗談だってば……そうだナーナさん」
勝手口のドアを開けようとしたところで足が止まる。
「アタシが寝てる時にココちゃん連れて来てくれたろ? 助かったよ」
「ランちゃん、かなりうなされてたからね。何か嫌な事でもあったのかい?」
「まあねえ。でも、おかげでよく眠れた。あんがとさん」
礼を言ってから勝手口を開け裏手に向かい、畑に足を踏み入れる。
「ダイコン、ニンジン、ナス、ジャガイモ、トマト……トマト?」
ジャガイモとトマトは南米原産でナス科の植物だ。
「まあ気にしてもしゃーないか」
魔法の家電製品まであるヘスペリデス世界に、ファンタジー的なリアルを求めるのはナンセンスである。
「あっ、オルさ~ん!」
タマネギ畑で収穫中のオルテナスを発見。
「おはよーオルさん精が出るねえ」
「おはようございますランチュウ様。ココもすっかりなついたようで何よりです」
「ぱ~ぱ。らんちゅ、ぺたんこ」
「うっさい!」
そう言いながらも高い高いであやすから、ココナナも余計に面白がって同じ言葉を繰り返すのであった。
「そのうちランチュウ様も大きくなりますよ」
「5メートルは嫌だねえ」
デカすぎてココナナを抱き枕にできないし、何よりビキニ姿で過ごす破目になる。
「身長の話ではありません」
「いまのアタシゃ男だよ?」
「そうでした。すっかり忘れておりましたよ」
チューブブラのせいもあって、性別を間違えられるのは旧ランチュウ時代から慣れている。
「それに幼体固定されてる方がアタシの趣味に合うんだ」
「幼体固定?」
「死ぬまで子供のままでいられる」
なぜなら腐れショタコンだからである。
むしろ大きくなっては困るのだ。
「ランチュウ様には大きく強くなってもらわないといけません」
引っこ抜いたタマネギを、畑に並べて干すオルテナス。
「小さいまま強くなった方が効率いいよ?」
ヘスペリデスのルール上、体や武器が大きいと攻撃モーションが大味になって細かい操作を受けつけなくなる。
小柄な方が当たり判定も小さく、相手の足元で死角に回り込める利点もあった。
「そういやオルさん、タマネギ栽培わかるんだね」
タマネギは収穫直前に倒して最後の肥大化を促し、晴れの日が続くようなら、そのまま畑に干して日持ちするよう乾燥させるのがセオリーである。
更紗の実家は庭に野菜畑があったので、そのあたりは詳しいのだ。
「侵食前にも似たような作物がありました。ただし調理法はナーナも知りません」
「似たようなのがあったんなら、それに準じれば……いやダメだタマネギは絶対ダメ!」
ユリ科の植物は犬猫が食べると血液中のヘモグロビンが破壊され、中毒を起こして血尿や黄疸など大変な事になる。
「知っております。これは樹王様専用ですよ」
「そっか、パルミナって自分で料理するんだっけ」
パルミナは人間の3倍スケールなので、一食分のシチューは3の3乗で27人分となる勘定だ。
魔王用のシチュー鍋は、たとえ空でも人間や獣人の手で運べる代物ではない。
「何だかパルミナに同情したくなって来たよ」
少なくとも異世界支配者の生活ではない。
「やっぱ泣きながら皮剥いたんかねえ あいつ魔王になる前は家庭的だったんだなあ」
いまのパルミナがどんな生活を送っているのか知らないが、いまもそうであって欲しいと祈るばかりである。
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