3 少年の弟の知覚
ーーー目をあけたらそこには、いつもあるはずの大きな目玉みたいな天井の木目はなくて、満月と、満天の星空がひろがっていた。
ここはいったいどこなんだろう?ぼくはどこかかたいところに横になっていた。天井だけがない建物なんてきいたことがないから、たぶん外だろう。「ここはいったいどこなんだろう?」まったくなにも覚えていない。ーーー痛い。頭がずきずきする。ぼくは少し、いや、だいぶこんらんしていた。
じめんをさわってみる。ーーかたくて、ちょっとざらざらしている。それに、ひんやりして気持ちいい。「コンクリートかな」ぼくは思った。
はたしてぼくの予想は当たっていた。
ぼくが体をおこすと、そこは見なれた住宅地だった。奥のほうまで、道の両側にはずっと家がならんでいる。ぼくの友だちの家もいくつかある。ぼくはめんくらった。住宅地の道のまん中で、ぼくはこんなまよなかに一人でねむっていたのだった。「いつの間にぼくは外にでたんだろう?」ぼくのこんらんはよけいに深まった。
だけどいくらびっくりしたと言っても、ずっとここでだまっているわけにはいかない。ぼくは立ちあがってひとつのびをした。どこかけがしているかとも思ったけど、意外なことに体はどこもいたくなかった。ひんやりとしたコンクリートから体をはなすと、急に外の暑さが高まったように感じられた。体にべっとりまとわりついてくるような、イヤな暑さだった。
知りたいことはたくさんあるけど、とりあえず先に知っておくべきことは、「ぼくがどうしてここで眠ることになったのか」だ。ぼくは、ぼくが眠る前までのできごとを、なんとか思いだそうとした。だけど、ほんとうにまったく、なにも覚えていなかった。思いだそうとするたびにこめかみのあたりがずきんといたんだ。
だけど体をうごかしたらなにかしら思いだすかもしれない。ぼくは住宅地をあてもなく歩きまわることにした。家に帰ったほうがいいと言う人もいるだろうけど、ざんねんなことに、ぼくは家までの道を知らなかった。いつもは父さんの車の、うしろの席からながめるだけの道だから、そんなに気をつけて見ていなかったんだ。しかもしょうじきに言うと、ぼくはなんとなく、家に帰りたくない気もちだった。こんな時間に帰ったら、ぜったいに母さんに怒られてしまうと思ったからだ。もしかしたら、ぼくと同じへやで寝ている兄さんも、いっしょにおこられてしまうかもしれない。ーーー月もちょうどぼくの真上あたりにうかんでいるから、たぶんいまはまよなかに近い時間だろう。こんなおそい時間に外にでている人なんて、そうそういないはずだ。ーーー母さんが泣きながら怒る姿が目にうかんだ。「やっぱり今帰るのはやめよう」ぼくはとりあえず、ぶらぶら歩きながら、いろいろと思いだしていくことにした。
さっきぼくはなにも覚えていないと言ったけど、ぼくは自分がだれなのかはわかる。いま言ったように、ぼくの家族についてもはっきり覚えている。ただ、今日、いままでのできごとが、まったく思いだせないだけなんだ。
ぼくはこのまちに住んでいる。ぼくはたぶん六才で、この前小学生になったばかりで、いまは初めての夏休みだ。ぼくはこの休かをとてもたのしみにしていた。「なつやすみ」という言葉のひびきが好きなんだ。もちろん小学校に入る前は、まいにちが夏休みみたいなものだったけど、あまりにそれが長すぎても逆につらい。ぼくは文字どおりひまをもてあましていた。やっぱり、ありがたいものでも慣れるとだんだんかちがうすれていくものなんだよ。ぼくはいつも父さんや母さんが言うような、「休みのありがたさ」を感じてみたかったんだ。だからさっきも言ったように、ぼくの小学生としてのはじめての夏休みは、いままでのぼう大な時間のロウヒとはちがって、とくべつな意味をもっていた。
ぼくのきおくが正しければ、いまは夏休みもまん中あたりにさしかかっていた気がする。ぼくはまいあさ同じ時間におきてきて、かぞく四人で朝ごはんをたべる。ぼくはこの朝ごはんをいちどもかかしたことがない。へんに思われるかもしれないけど、ぼくたちかぞくがそろって顔を合わせるのは、一日のうちでこのときだけなんだ。父さんはしごとに出かけて(父さんは”シュッパンシャ”ではたらいている、とむかし母さんが言っていた)、夜おそくまで帰ってこないし、母さんも家のそうじやらせんたくやらでいそがしく動きまわっている。ぼくの五つ上の兄さんなんて一番ひどい。まいにち最高に天気がいいのに、ずっとへやにこもりっきりで本ばっかり読んでるんだ。兄さんはぼくと反対で、外であそぶのがあんまり好きじゃないみたいだ。だからぼくは、いつもしかたなく、一人であそんでいる。ちょっとさみしいけど、もう慣れたかな。あんがい一人あそびもなかなか乙なものだ。
兄さんは弟のぼくから見てもすこしかわっている。まだ小学生なのにへんに大人びているし、大人もわからないようなことをひとりでしゃべっているからだ。兄さんはよく、学校の先生とけんかをする。そしてだいたいにおいて、兄さんが先生のほうを言い負かしてしまうんだ。きっと先生たちからはやっかいでめんどうに思われているんじゃないかな。ぼくはそれがほこらしくもあるし、同じようにちょっぴりはずかしい。とにかく、ぼくの兄さんはとても頭がいいんだ。そしてそのぼう大なちしきはほとんど、彼の読書から来ているらしい。
ぼくのかぞくは、ソウタイ的に見て、わりと本が好きな人がおおいと思っている。兄さんはもちろん、父さんや母さん、それにぼくだって本を読むのが好きだ。そもそもぼくたち兄弟の本好きは、父さんのエイキョウによるところが大きいんだ。
父さんはぼくや兄さんがとてもちいさい時から、母さんに絵本の読みきかせをさせていた。父さんは勉強のことはまずなにも言わないけど、本のこととなると急に熱心になる。じつは一番の本好きは父さんなのかもしれない。父さんは自分だけのショサイも持っていて、しごとが休みのときは兄さんと同じようにそこに一日じゅうこもっていることも多いんだ。
ーーーーーー???
なんだろう?
なにかがぼくの中に引っかかった。
「書斎」このことばだ。ぼくのきおくはどうやら、このことばとなにかしらのカンケイがあるらしい。いったいなんだろう?
こめかみはあいかわらず痛んだけど、ぼくは自分ののうみそをふるいたたせてなにか思いだそうとした。ーーー
ーーーそうだ。まだぼんやりしているけど、ぼくは父さんの書斎でなにかやったんだ。しかもそれはきょうに近い日のできごとだ。
ぼくは、少しずつではあるけど、かくじつにきおくの糸をたぐりよせていった。
あいかわらずぼくはむしあつい住宅街をすたすたとあるいていた。もう少しだ。もう少しで、ことのゼンボウが明らかになる。ぼくはたちどまって考えた。
空を見上げると、真上から少しずれたあたりのところに、まん丸できれいな満月がうかんで光っていた。その光をながめていると、なんだか頭の中にかかったきりが晴れていくように、ぼくの意識のりんかくがはっきりとふちどられていくのがわかった。
ーーー月。ぼくはまたなにかがひっかかったのを感じた。月。満月。
こんやの満月はとくべつにきれいだった。
ーーーーーー「ぼくは満月が見たいと言って家を出た」?ーーーーーー・・・・・・
わかった。
ほとんどすべてをぼくは思いだした。
ことのじゅんじょを追って話そう。ぼくは今日(いや、今となってはもう昨日かもしれない)、いつもとはちがって外ではあそばなかったんだ。
話はけさの朝食のときにさかのぼる。いつもは四人そろって食べるのがきまりだったけど、たまたま父さんがしごとのシュッチョウで、朝早くから出かけてしまっていたから、朝の食卓にはめずらしく三人しかいなかった。
ぼくがそれを思いついたのはそのときだった。
朝ごはんをすませるとすぐに、みんなそれぞれの生活へともどっていった。その中でぼくは、さっきうかんだ作戦をひそかにじっこうしようとしていた。だれにも気づかれないように注意しながら、こっそり二階へのカイダンをのぼっていった。
ぼくが立ちどまったのは、二階のいちばんおく、父さんの書斎のまえだった。小学生のぼくにはちょっと大きすぎる、ぶあつい木のとびらがついていた。そう、ぼくは一人で、父さんの書斎にしのびこむことにしたんだ。
きっかけは単純なコウキシンだった。それまでぼくは(たぶん兄さんも)一度も父さんの書斎に入ったことがなかったんだ。ぼくは書斎とはどんなものなのか知りたかったし、なにより一番のひまつぶしになると思った。じつを言うとぼくはすでに夏休みのありがたみをわすれて、ひまをもてあましていたんだ。父さんもしごとで遠くにいることだし、やるなら今日しかないと思った。
とびらは見た目どおり重くって、開けるのにずいぶんくろうしたよ。それでもなんとか、自分が通れるぶんだけほそくとびらをあけて、ぼくはそのすきまにすべりこんだ。
へやはすごくくらくて、自分の家じゃないみたいなにおいがした。ぼくがおそるおそる闇の中に足をふみだすと、うしろでとびらがギイと閉まった。それでぼくはなんだかこわくなって、いそいで電気のスイッチをさがした。
恐怖で足をふるわせながらも、ぼくはどうにかスイッチを見つけることができた。すぐにそれを押すと、波が砂浜をみたしていくように、オレンジ色をした光がへやにひろがった。「きれいだなあ」思わずつぶやいてしまうほどのすばらしさだった。まるで外国の映画にでてくるみたいな、きらきらして知的な空間だった。
その書斎はいかにも、三十年以上生きてきた父さんの感性の集大成といったおもむきがあった。へやの両側には大きな本棚がならんでいて、本がたっぷりつまっていた。だけどぼくは、その本たちをさいしょにへやの入口からながめただけで、それ以上興味を示さなかった。いま思うとふしぎだけどね。ぼくは電気をつけると、まっすぐ正面のつくえにむかって歩いていった。まっくろに光る大きなつくえだった。表面はつるつるしていて、なでると気持ちよかった。
ぼくはいすにどっかりと身を投げだした。気分はまるで王様だった。ーーーと、ぼくはここでおどろくべき事実に気がついた。
つくえの右奥に、50枚ほどにまとめられた原稿用紙のたばがある。ぼくは手をのばして、なにげなくそれを手にとったんだ。
それは名前は書かれていなかったけど、あきらかに父さんの文字だった。1枚めのらん外には、西暦と日付がかかれていた。それによると、どうやら今から7,8年前に書かれた文章らしかった。だいたいぼくが、母さんのおなかの中にいるころだ。
父さんは小説家なのだろうか。それとも、ただシュミでやっていただけなんだろうか。ぼくはそれがとても気になった。本好きの父さんならどちらもありえることだ。
昼ごはんの時間になっても、ぼくはずっとそのことばかりかんがえていた。食卓では母さんや兄さんがいろいろと話していたけど、ぼくの耳にはほとんど入ってこなかった。それぐらいーーー父さんが小説家かそうじゃないかという問題はーーーそれぐらい、ぼくにとっては大事なことだったんだ。それで、(いま思いかえすといけないことだったのかもしれないけど)昼食がすんだあと、ぼくはこっそり、母さんにきいてしまったんだ。
「ねえ、父さんってすごく本が好きだよね」
「そうだね」
「もしかして、むかし自分でも書いてたりしたの?」ぼくはあくまで、急にそう思いついたというていでしゃべることを心がけた。
だけどそこで母さんはだまった。「・・・・・・・・・あんたまさか、お父さんの書斎に入ったんじゃないでしょうね」
ぼくとしてはうまくごまかせたつもりだったんだけど、やっぱり母さんのするどさにはかなわなかった。だけど、母さんのはんのうからして、きっと父さんは小説家だったのだろうとスイソクできた。
父さんが小説家だったっていうのはおどろきだし、ぼくにとってはうれしいことでもあった。兄さんもきっとこれをきいたら喜ぶだろう。だけど、だからこそ、なんで父さんがぼくたちにそれをかくしていたのか、ぼくにはなぞだった。
あと一つ、これはよくわからないことなんだけど、ぼくをひとしきり叱っているとき、ぼくは母さんにこんなしつもんをされたんだ。それは、母さんのながい説教の中で、ひとつだけ浮いたようなへんな問いだった。
「怒らないから正直に言ってほしいんだけど、父さんが書いたおはなしを読んだりした?」
「うん」ぼくは言われたとおりしょうじきに言ったよ。じつは、書斎で父さんの原稿を見つけたとき、ぼくは気になってそれを読んでしまったんだ。みじかい話だったからすぐに読みおわったけど、ぜんたい的にちょっとぶきみな話だった。
ぼくは母さんにたのまれたから、その話の内容をかんたんにまとめてせつめいした。「そう」と母さんは言った。「わかったわ」それで説教はおわった。
それから母さんは思いついたように台所を出ていった。ぼくがこっそりついていくと、母さんはあわててどこかに電話しているらしかった。ーーー
ぼくはひょっとしてあの時、なにかまずいことをやってしまったのだろうか。あいかわらず月がきれいな夜のまちを歩きながら、ぼくは今さらはんせいした。そのうえ、今はさらにまずいことになっている。いま帰ったら母さんは怒るどころの話ではないだろう。ぼくはおびえた。・・・だけどこわがってもしょうがない。怒られても死ぬわけではないんだ。わりきっていくしかない。「朝になるまで待って、ばれないタイミングで家に入ればいいや」ぼくはそう考えた。
夜はふけていく。
すこし遠くに、ぼくがいつも母さんと来ている商店街のアーケードがみえてきた。ぼくはそこに向かってみることにした。
話をもどそう。ここからが大事なところなんだ。あんまりはっきりと覚えていないから、話しながらだんだん思いだしていこうと思う。
今日の夜のことだ。ぼくと兄さんはいつも通りいっしょにおふろに入っていた。兄さんも、いくら大人びていても中身はまだ小学生だから、おふろはぼくと二人がいいらしい。そういうかわいげがあるところも、兄さんのミリョクの一つだとぼくは思う。ーーーそんなことは今はどうでもいいんだ。
そのきみょうなことは、ぼくが体をあらっているときに起きた。頭を流すためにふろおけにお湯をためていたんだけど、ぼくがおけをのぞくと、そこにぼくじゃない男の顔がうつってたんだ。気がどうてんして見まちがえたんだろうと言う人がいるかもしれない。だけど、あれはぜったいにぼくじゃなかった。これだけはまちがいなく言えるよ。それはぼくよりはるかに大きいであろう、大人の男の人だった。表情をかえないで、じいっとこっちを見ながらだまっていた。
ぼくはびっくりして、いっしゅん叫びそうになった。左をみると、兄さんが肩まで湯船につかって目をつむっていた。「兄さん」「何」「ーーーなんでもないよ」ぼくは兄さんにこのことを言おうとしたけど、とちゅうでやっぱりやめた。兄さんにはあんがいデリケートなところがあるんだ。
ぼくがもう一回おけに目をもどすと、その男の顔はまだそこにいた。だけどこんどは、さいしょとはちがって、みんなが想像するほど恐怖していなかった。
すると、水面の男がなにか口をひらいてぼくに言った。そしてそのあとに右手で手まねきした。口にはちいさく笑みをうかべていた。
ぼくはドクシンジュツができる人ではないから、男がなにを言ったのかあまりよくわからなかった。だけど、男はぼくを呼んでいる、それだけはぼくにもわかった。
「おい」兄さんがぼくにむかって言った。「大丈夫か?」 ぼくがあまりにも長いあいだふろおけを見つめているから、兄さんもふしぎに思ったらしい。「ううん、なんでも」
つぎにおけをのぞいたときには、男はもうきえていた。
だけど、さっきの男の顔を見るのは、じっさいこれがさいごじゃなかったんだ。
おふろからあがる時、ぼくの頭の中に男の声がきこえてきた。さっきの流れからして、この声の主がふろおけの男であることはまずまちがいないだろう。まるで、ぼくののうみそに直接ひびいてくるような低い声だった。「月だ」「今夜は満月だよ」
ぼくは兄さんのほうを見たけど、兄さんはだまって体をふいていて、男の声は聞こえてなさそうだった。これはぼくだけに聞こえる声なのだ。
男の声は、ぼくと兄さんが浴室から寝室に行こうとするときにも聞こえてきた。「月だ」「今夜は満月だよ」ぼくはこわくはなかったけど、ちょっとうんざりしはじめていた。それでも声はつづいた。
「月が見たい」「外に出て見に行こう」
「え?」と兄さんが言った。
え?
どうして男の声が聞こえているんだろう?
「どうして?」兄さんが聞いた。兄さんはあきらかに、さっきのことばをぼくの発言としてとらえているみたいだった。ぼくはなにか言おうとしたけど、なにも声が出てこなかった。かわりに、
「今日は満月だから」ぼくの声でだれかが答えた。
しまった、と思った。ぼくはあの男に声をのっとられたんだ。
そこからぼくが家をしめだされるまでは速かった。兄さんはどうしてか、ぼくの頼みをすんなりうけいれた。そして気づいたころには、ぼくはもう外にいたんだ。
「どうすればいいんだ」ぼくはそうつぶやくしかなかった。家を出た瞬間に、ぼくの声はカイホウされたみたいだった。外は家のなかよりも暑いような気がした。
ぼくは念のため、空を見あげた。そこには、男が言ったとおり、ぽっかりと穴のような満月がうかんでいた。たしかにきれいではある。でも、わざわざ見にくるほどのものでもなかった。
「ねえ」とつぜん、玄関先から声がした。あきらかにさっきまで聞こえていた男の声だった。ぼくはさいしょ、また頭のなかで男がしゃべりはじめたとサッカクしたぐらいだ。
だけど男はじっさいそこにいた。「やあ」ふろおけで見たときとおんなじ顔だった。でも、体つきはぼくの想像よりもだいぶ大きかった。彼はくらやみと同じ色をした、まっくろい服を着ていた。
ぼくがおどろきと少しの恐怖でだまりこくっていると、男は急に笑った。ニコニコというよりも、ニタニタという感じの、月光映えするきしょくの悪い笑顔だった。「こっちにおいで」と彼は言った。
そしてたぶん、ぼくはその男についていったようなきがする。だけど、ぼくのきおくは完全に、ここでとぎれてしまっていた。
あのあと男はどうしたんだろう?いまこうして、ことの次第を思いかえしてみると、自分でもなかなか気味がわるくてへんてこな話だと思うよ。たぶん、このできごとが太陽が出ているときにおこったことだったら、ぼくもこんなにすんなりと受けいれられなかったと思う。あやしげな満月のひかりがあってはじめて、この体験は成立するものだったんじゃないかな。
そうこう考えているうちに、目的地のアーケードがちかづいてきた。アーケードのなかは、すでに電気が消えてまっくらだった。「商店街はひと昔前よりずいぶんと
まわりのさびれた家たちのせいかもしれないけど、ぼくはなんだか急にこどくを感じてさびしくなった。それと同時に、今までにはほとんどなかった「強い恐怖」の感情が、急にあたまをもたげはじめた。
ぼくははじめて、母さんや兄さんをこいしく思った。いくら叱られてもいいから、とにかく今すぐ、うちに帰りたかった。だけどそれはかなわない。ぼくは泣きたくなった。
アーケードが近づいてくる。近づくにつれて、ぼくの不安も高まってくる。
ふとぼくは、アーケードをささえる柱に、だれかがもたれかかっていることに気づいた。
アーケードまでは残り直線50メートルほどある。ぼくは少し足をはやめた。
あそこにすわっているのは確実に人だ。ーーーぼくのいやな予感は的中しつつある。
ぼくはアーケードの入口の前で立ちどまった。柱にもたれているのはやっぱり人だった。他でもないーーーーーーぼく自身だった。
ああ・・・・・・ぼくの不安はやはり当たっていた。ーーーーーーぼくはすでに殺されていたのだ。
ぼくは泣くことさえできずに、その場に立ちつくすしかなかった。
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