第3話
二
「ツルギちゃん最近エライね〜」
「んっ!? そ、そうか?」
「だって作り置きしたのみーんな食べてくれてるし、お皿だって洗ってるじゃない。えらいえらい」
「いやよ、ほら。あれよ、ツバメちゃんいっつも悪いなーっとか思ったりしてさ。あははっ! 深い意味とかあんまないから止めてくれ、なんだかくすぐったいし」
某日――台所で洗い物をしているツバメが告げた言葉にちゃぶ台の前でカレーライスを貪っていたツルギの肩が跳ねる。
そしてスプーンを咥えたまま背後のツバメに振り返ったツルギがそうとぼけるが、ツバメはるんるんとした調子で背中を覆うほど長く伸びた焦茶色の髪を揺らしつつ跳ねる様にまた彼を褒めるのであった。
疑われているわけではない筈と、ツルギは自らがボロを出してしまわぬようこの話題を断ち切るべく自分なりに思う所があったのだと笑いながら、そしてそんな事を指摘されると男として照れてしまうからともっともらしい言い訳を一つ。
するとちょうど洗い物を終えたらしいツバメが振り返り、ツルギへと相変わらずな笑みを向けながら「そっか」と一言。ツルギはそれに愛想笑いばかりを返し、再びカレーライスに手を伸ばし食べる事でこれ以上の会話を拒絶する。
ツバメはその後、シャツの上に着ていたエプロンを解き回り込んでツルギの正面にて座る。そしてちゃぶ台の上に頬杖を突くとにこにこ満開の笑顔で食事するツルギを見るのだった。
大人っぽくも穏やかそうな顔でいて、唇に淡く差した紅と左目付近の泣きぼくろ艶めかしい、そんなツバメに見つめられたままの食事はツルギにとって慣れたものな筈なのだが、今日に限ってはそうも行かなかった。
「ツバメちゃん、今日は良いの? ケッコー遅いケド」
結局耐え切れず手を止めたツルギが苦し紛れに訊ねると、頬杖を止めたツバメはそれに対ししっかと頷いた。
「平気よ〜? だって、明日はお休みだし」
それを聞いたツルギはぎくりとまた肩を揺らす。そして目を泳がせながら何をどう言おうと思案しつつ、返事を遅らせまいととりあえずとして口を開く。
「そうだっけ? あれあれ? あっ、そっかそうだったそうだったな〜っ」
言って自分でも訳が分からないと後悔を覚えるツルギ。しかし今はそんな事に思考する時間を裂くわけにはいかなかった。幸い、頭を掻く仕草をして大仰にとぼけた素振りをしてみせた事でツバメはそれを冗談と取ってくれたらしくくすくすと笑声を溢していた。
「もー、ツルギちゃんたら。どうしたの? なんかちょっとヘンじゃない?」
「ヘン!?」
「ほら、ヘン! 何か隠してない〜?」
しかし笑声を抑え、ツルギへと投げ掛けられたツバメの言葉は見事にツルギの胸に突き刺さり貫く。それに驚いたツルギの頓狂で上擦った声が良く通る。
ツバメはそれが変だとびしり、桜色に染まった爪が煌めく人差し指をツルギへと突き付け、彼がその指先に注視し寄り目になった所でツバメは悪戯ぽい顔をしながら、冗談ぽく隠し事を指摘。それもツルギに直撃した。
どうしよう――胸中のツルギが頭を抱え叫んだ。今でこそ冗談で済んでいるが、受け答えを一つしくじればツバメの疑念は真実味を帯びて本当にツルギを疑う事になる筈だ。
ツバメには日常の生活や金銭面に於いてまでツルギは世話になっている。惚れた弱みと言うやつで、ツルギは彼女のその弱みにつけ込んで生活しているのだ。
しかしだからといって彼女の事を軽んじているわけでもないツルギは、どうにかして現状を悪化させずこの場を切り抜けるべきかを脳内に創り出した沢山のツルギたちと話し合う。結果導き出されたのは――
「……やっぱ、ツバメちゃんパネェわ。エスパーかよ」
「ほー……?」
神妙な面持ちをするツルギを前に、ツバメは差した指を退けるとちゃぶ台の上に両腕を重ねて置く。どんな事を彼は言うのかと、彼女の眼は期待した色をしている。
するとツルギは照れた様な顔をして、ツバメから視線と言わず顔を逸らすとやや調子を落とした声で言った。
「……実はツバメちゃんにだな、大事なー……プレゼントをだな……その、考えてて、サ」
「だ、大事? プレゼント……って」
一頻り言い終えたツルギを見詰めたまま、ツバメが固まる。それから少しして徐々に赤らんで行く顔で、震える唇で彼女が口にした言葉に対しツルギは流し目をし、はにかむとやや控えめに頷いた。
するとツバメは一気に顔を沸騰させ、熱くなった頬に両手を添えると堪らずに、依然として向けられるツルギの視線から身体を転身し背中を向けて逃れた。
そして何やらぶつぶつと独り言ちては左右に身体を揺すっているツバメを見てツルギはしたり顔。ひとまず調子がおかしいと言うその理由として成立はしたと彼は拳を握り締めた。それはそれでまた別の問題が生じている事に今の彼は気付いていない。
大した役者だぜ――皮肉で使われる文句をそうとは知らず自らに言って褒めたつもりになったツルギは時計を確かめ、深夜に差し掛かろうかという針を知ると言う。
「じゃさ、ツバメちゃん明日休みならデート行こう、デート」
「えっ、デート? うん、うんっ! 良いよ良いよ!! あ……でもツルギちゃん、明日お仕事なんじゃ?」
「あ? ああ、いーのいーの、タマにはサ。ツバメちゃんとの時間のが大事じゃん?」
ツルギの提案に振り返ったツバメはすぐに食い付く。そのきらきらした眼差しに少々罪悪感を覚えるものの、ツルギとしては罪滅ぼしも兼ねていて帳消しとなる。
ツバメは仕事をサボるつもりでいるらしいツルギにもうと一応として呆れた風を装うが、自分にそうまでしてくれる彼を悪く思う事がどうしても出来ず、本当ならば叱るべきと思っていながらも“デート”を了承してしまうのであった。
「じゃ、じゃあ……そう言う事なら私はそろそろお暇しよう……カナ?」
「あ、帰っちゃうんだ?」
ふーんと詰まらなそうに鼻を鳴らすツルギにツバメは顔を真っ赤にしながら両手を右往左往させると言った。
「だ、だって準備とか色々あるし! せっかくツルギちゃんとのデートなワケだし……ちゃんとしたくて……でもでもっ、ツルギちゃんがダメって言うなら……!」
「うははっ、ゴメン、ゴメンて。落ち着けよツバメちゃんてばさ。良いよ良いよ」
まくし立てるようなツバメに、しかしツルギは事もなげにそれに割り入って良いと告げる。その一瞬、ツバメの表情は複雑な様相を呈したが、そこへ更にツルギが「オレもどんなツバメちゃんが見られるか楽しみにしたいし」と笑いかけた事で彼女の表情は照れながらも嬉しそうな、はにかんだものにたちまち変えられてしまうのだった。
――そうして帰宅することとしたツバメと玄関に立つツルギ。なんだかんだと上手く誤魔化すことが出来たので彼の表情には余裕があり、にこやかにツバメを見送る準備は万端であった。
「それじゃあ、ツルギちゃん。また、明日……」
明日のデートに期待し想いを馳せ、落ち着きを知らず弾んだ胸のままなのでせめて外観だけでもと落ち着いた調子を装い告げるツバメ。右手を控え目に持ち上げ、ひらりと手のひらを舞わせる。少々の名残惜しさが見て取れる。
応と快く返事したツルギを見て微笑んだ後、背を向けたツバメであったが、するとその時彼女に声が掛かる。ツルギだ。
なんだろう――そう思い振り返ったツバメの眼が見張る。気付けばずっと近くにあったツルギの顔。それに驚くよりも、彼が押し当ててきた唇に気付き彼女は驚いていた。
ほんの一秒にも満たない間である。そして唇を退けたツルギは目を白黒させているツバメの頬を一度撫でてからまた笑い掛け、言った。
「約束、な。つかマジ、帰りとか気をつけろよ? ホント、ヤベーから」
しかしすぐに冗談ともただの心配性とも思えぬ真剣味の強い表情を浮かべたツルギの忠告に、けれどツバメは自分は車だからと笑い飛ばす。心配されたことは嬉しい。しかし心配はさせたくないという彼女の気遣いであった。
だがこれに関しては譲ろうとしない頑ななツルギに疑念を懐きつつも、最終的にはツバメが頷いたことでお開きとなる。
ツルギの心配様こそ異様であったが久々のキスにツバメは浮かれ、閉ざした扉の前で彼女は己の唇に触れたりして頬を赤くし、最後にはツルギの忠告も忘れるんるんと足取りも軽く階段を降りて行くと留めてある車へと戻り彼女も帰路につくのであった。
――そしてツバメが去った後、一人残されたツルギはふいと吐息を一つ落としていた。彼女には後で改めて無事か連絡をして確かめるとしてこの状況、いつまで続くのかとツルギは気を重くした。
「……っても、ほっとくワケにもいかなかったし」
仕方ないよな――そう自らに言い聞かせつつ居間に戻ろうと振り返った時であった。
「……お腹空いた」
悲鳴と共に反射的に跳び退るツルギ。しかし着地をしくじり彼は転倒し頭をドアにぶつけてしまう。突如掛けられた慣れない声に驚いたのである。
ぶつけた後頭部を涙目になりながらさすり、顔を上げたツルギは眼前に突っ立ているドクロパーカーでノーパンな少女――イサミへと怒鳴った。
「てめ……っ! 何処から湧いた!?」
虫かのような物言いであったが、それを吐きかけられたイサミはしかし気にならないのか動じることなく居間の方を指差した。狭い一部屋である。玄関から居間の全貌を覗くくらいワケはないのだ。ツルギも身体を傾けイサミを避けながらその先を見た。
そこには開け放たれて風が吹き込む窓が一つ。
「あ……ソーデスカー、窓からデスカー」
イサミの侵入は始めて彼女を部屋に招き入れたその日から始まっていた。窓の鍵は初めての不法侵入の折、破壊されたままだ。
呆れて脱力し、がっくしと項垂れるツルギ。しかしふと何か思い出した彼はすぐ面を上げる。
そしてイサミの身体を見てみると彼女の右の太ももには包帯が巻かれていて、頬にも絆創膏が貼られていた。いずれもよれよれで如何にも適当な処置に見える。
「ケッコーやられたんだな」
「……大したことない」
「この前よかヒデェだろ。だから腹減ってんだろ?」
ツルギの問い掛けにすんなり頷くイサミ。負けず嫌いで“戦い”による負傷だとかには強がるくせに、空腹とか眠気だとか、そう云う欲求には素直な彼女にツルギの口から溜め息が自然と出た。
やがて立ち上がり、来いとイサミの手を引いてツルギは居間へ。そして彼女を自分が座っている座布団の上に座らせると彼はツバメが洗ってくれたばかりの皿を台所で用意し、やはり彼女が作ってくれたカレーを皿に盛った白米に添えてそれをイサミの前へとスプーンと共に置いてやる。
「どーぞ、食ってくれ」
俺が作ったワケじゃねえけど――そう胸中で付け足しながら、グラスに水を注ぐツルギがイサミへと告げる。
言われるまでもないとばかりにさっそくスプーンを握り締めるイサミ。いつもならすぐに料理には食い付くのであるが、今回は何故か湯気立つカレーライスを見下ろしてすぐに食べようとしない。
アヒル座りして固まっているイサミに、二人分のグラスを更に用意してやるツルギは不審な目を向けつつ彼女の向かいに座る。そして訝しげな表情をして訊いた。
「カレー、嫌いなんか?」
するとチラと上目遣いをしてツルギを見たイサミは小さくその首を横に振る。ならどうしてと彼が更に問うと彼女は答えた。
「……好きだから、カレー。久しぶりでちょっと、感動してる」
そういうことかと理解したツルギの呆れ顔。大袈裟なヤツと口にすると、グラスを傾ける彼の頬が少し緩んだ。
「さっさと食ってケガ治せ。そーいう痛々しいの見てるとケツがむずむずしてくんだ」
ツルギの憎まれ口を聞いて、しかしイサミは素直に頷くとカレーライスを貪って行く。その時よく動く頬に追随出来ず、元よりちゃんと貼れてもいなかった絆創膏が彼女の頬から剥がれ落ちた。
その下から覗いたのはぱっくり割れて赤色を覗かせる裂傷だった。それを見たツルギは目を逸らし痛々しいと堪らず舌を出す。
――あの夜、ツルギを襲った怪物は“
何故ツルギがイビツに襲われたのか。その理由は偏に――
「……このカレーとおんなじで美味しそうに見えるから、狙われやすい」
――と、言うことらしい。
彼に付きまとっているイビツは二つや三つではきかないともイサミは言って、だからイビツを狩るイサミも彼に付きまとっている。とのこと。
「……オレと居る方が危険ってか」
それと、先ほどツバメと交わした会話をそれぞれ思い出しツルギが呟く。デートと約束したが、どうしたものか。彼はばつが悪そうに表情を歪め、そして迷う。しかしそれを見ていたらしいイサミがカレーを食べながら言った。
「……別に、アンタの周りに居るイビツはアタシが殺すんだし、気にする必要無いでしょ。じゃんじゃん呼び寄せて」
気を遣ったつもりだろうか、それとも本当に言葉の通りなのか。その辺り判断しかねるツルギの仏頂面が彼女に向いた時にはもう、イサミの頬の傷は跡形も無く消えていたのだった。そして同じく皿の上のカレーライスも。
イサミの身体は特殊だった。以前彼女の狩りの現場にツルギが居合わせた時、襲われた彼を庇ったイサミは右腕を切断されるという致命傷を負った。
しかし彼女はそのまま戦闘を続行しただけでなく、失った右腕を再生させるという事までやって退けた。その時の光景がツルギにとってある種のトラウマのようになって、どうしても忘れることが出来ない。
その他の傷も、大抵は食事をすれば治ってしまう。その代わりなのかイサミという少女は常に腹を空かせていて、食べる量もとんでもなく多い。ツバメが用意していってくれるツルギだけでは食べきれないような作り置き料理も一人で平らげてしまうくらいだ。
カレーもきっと今晩中には底を突くのだろう。どういう仕組みの胃袋なのだか、ツルギには想像もつかない。
「……まァ、程々にな」
そういうこともあって自身が傷付くことに頓着無いイサミのことがツルギにとっては無頓着ではいられず、素直に注意したところでどうせ彼女は聞かないと、ならば彼はそう如何にも関心が薄い様を装い言うのであった。
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