蓮と蛍が出会う場所

蒼綾 凪翔

日常

 聞き覚えのある声が聞こえた。はっとして振り返る。

 その先には、中学校の制服に身を包み、仏頂面ではあるが、楽しそうに歌を歌う私の姿があった。

 あの頃の私は、あんな顔をしていたのか。

 あんなに楽しそうに、歌っていたのか。

 今の私でも、できるだろうか。

 そんな希望を抱いた私は、必死に手を伸ばした。

 あの頃の私へと。

 しかし、その手は届かなかった。代わりに、耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。


   ***


「はっ……」

 私は飛び起きた。なんだ、夢だったのか。

 学校からの帰り道、少しづつ夕焼けに染ってきた空、イヤホンから流れる最近はやりの歌手の歌声、茹だる様に暑い電車の車内。いつもと何ら変わらない日常だ。

 どがつくほどの田舎であるここでは、大体の電車がガラガラで、こうしてイヤホンで耳を閉じ、視線をスマホに落とせば、誰からも干渉されることのない心地のいい空間が出来上がる。いつもはこんな夢など見ないのに、今日は一体どうしたのだろう。

「ま、いっか……」

 それほど気にすることでもない、そう思うことにして、私は再び視線を手元に落として、スマホの世界に没入する。

と、そんな時だった。

れん、久しぶりじゃん」

 頭の上から控えめにトーンが落とされた声がした。

 その声だけで、誰なのかはおおよそ判断できたが、あえて返事をせず、イヤホンを外して、顔だけ上げた。

 案の定、そこには私の保育園からの幼馴染、松原まつばらほたるの姿があった。

「なあに聞いてんの? 隣、空いてる? 座っていい?」

 蛍はいかにも女子高生、といった甘ったるい感じの声、話し方で、そう聞いてきた。

「いいよ、別に。蛍が構わないなら」

 人によっては気分を害しかねない、そんな私の曖昧な肯定は、蛍にとって慣れっこのようで、なら座っちゃお、と楽しげに私の隣に腰掛けた。

 にしても、帰宅部の私と違って、合唱部に所属している蛍は、この時間帯の電車に乗ることは不可能なはずだ。実際、今までもほとんど鉢合わせたことは無い。なのに、今日はどうしたのだろうか。

 どうやら、保育園からの幼馴染というのは、双子並のテレパシーがあるらしい。私がそんな疑問を口にすることなく、蛍はその答えを教えてくれた。

「今日ね、休んだんだ。部活」

 そして、その答えはあまりにも意外だった。私の知っている蛍はいつだって、休みなんて要らない、ずっと歌っていたい、そう言っていた程の合唱バカなのだから。

「そうなんだ、珍しいじゃん」

 こんな時、自分がどれほどコミュ障なのかを痛感させられる。蛍にきっと何かあったのだろう、そんなことは容易に想像出来るのに、気の利いた一言などまるで浮かばない。

「まあね。ちょっと色々あって……」

 蛍はそう言って困ったような、照れくさいような笑顔を見せる。蛍がこんな風に笑うときはたいてい、何かを我慢しているときだ。そこまで分かるのに、私の口は、そっか、という僅かな音を漏らすことしかしないのだから、全く怠惰なものだ。

 会話が続かない微妙な空気感の中、私は電車の揺れに身を任せた。 

「あ、そうだ。蓮、この後空いてる?」

「……えっ? うん……」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう私。

 急な話題の転換に、頭がまるでついていかない。一体蛍は何を言い出すのだろう。

「じゃあさ、久しぶりにあそこ行こうよ。ほら、保育園の裏のホタルの河川敷」

「……あぁ」

 唐突に告げられたその場所に、私は妙に納得した。

 保育園児や小学生だった頃、何かあった時は必ず、二人でよくホタルがいるその河川敷に行っては、色々な歌を歌っていた。あの当時はそうする事が私たちのストレス発散法だったのだ。

「……いいよ、行こう」

 そんな風に幼い頃を回想していると、ふと、その答えが口を突いて出た。なんでそう答えたのか、自分でも分からない。ただ、そう答えた時の私の心には、ある種の期待があったのかもしれない。

 あの場所に行けば、もう一度、あの頃のように、楽しく歌が歌えるようになるかもしれない、という、淡く仄かな、まるで子どものわがままのような期待が。

 

  



 

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