第29話 今宵は、月が綺麗ですね

―☆―


 私は今日の出来事を、スマホのメモ帳に細かく書いておいた。なにかの小説の会話デッキになるかもしれないから。そして書き終えると、早々に新しい小説の下書きを書き始めた。

 ここで何故私は恋愛小説作家でありながら、ラブコメを書けなかったのかお話しよう。

 まずラブコメと恋愛ものの違いから。この二つは本質的には、ラブコメは男性向け、恋愛ものは女性向けという区別の仕方がある。

 だが、私が書けなかったのは男性向けの小説を書けなかったからじゃない。ラブコメという文字通り、コメディが書けなかったからだ。

 そもそも男女の恋愛ぐらい想像で書けるし、読者もそれで満足することが多い。ただ、恋人関係や恋愛関係になってからの日々の甘い日常を想像で書くのは、プライドが許さなかった。

 おそらく自分自身がラブコメに憧れていたのが理由だと思う。そんな拘りから、私は恋愛小説作家としてデビューしてしまった。






「―――んぱい。先輩、朝霧先輩!」


我に返る。部屋には、良い匂いが立ち込めていた。


「あ、ごめんなさい。ぼうっとしてました。」

「いえいえ、それよりも夕飯の支度ができたので、どうぞ。」


 私は促されるまま食卓に着く。

彼も私が長いこと使っていなかったエプロンを脱いで、相対する席に座る。

あれ、絶対あとで嗅ごう。洗わないでおこうかな。

 

「じゃ、じゃあ、頂きます。」

「はい、頂きましょう。」


私がまだうつらうつらで、まだ少し眠かったのだが、それを食べた途端、脳が起きた。


「なんですかこれ、ものすごくおいしいです。」

「ありあわせのハンバーグですね。そこまで言ってもらえると作った甲斐があります」


 私は間食おやつを食べていなかったので、それを食べることに真剣になった。少しはしたないことをしたかもしれない。


しばらく経って、私の食欲が少し引いてきてから、彼は窓の外を見ながら言った。


「そういえば、今日は流星群が見れるらしいですね。」

「…そうなんですか?」

「はい、空が晴れていてよかったです。」


そういって彼はこちらに笑みを向ける。私はその笑みで惚け、「はい。」としか返せなかった。


「ここの部屋ってもしかしてベランダ付きだったりします?」


続けて彼は言った。続けて何を言わなければならないかは察した。


「はい、よろしければ一緒に見ませんか?」

「ええ、ぜひ!」


彼はまた満面の笑みを浮かべた。「この時間がずっと続けばいいのに」って、こう云う時に使うのかと思った。




 1時間後、私たちは予定通りベランダにいた。


「今日、三日月だったんですね。新月じゃないのがちょっとアレですけど、満月よりはましですかね」


スマホで月齢カレンダーを見ながら、彼は複雑な顔をする。


「まあでも、三日月も今日は綺麗に見えると思うので、あとで見ませんか?」


続けて彼は言った。

私も何か返そうと思った時、予定時刻通り、流星群が見え始めた。


「あ…」


南の夜空に美しい光の半円が描かれる。


「すご…」


彼も驚きを露わにして空を見ていた。


「星、綺麗ですね。」


彼はその声色のまま、そんな台詞を言った。おそらく意味なんて知らないだろう。私が勘違いしているだけだろう。小説の読みすぎというやつだ。それでも私はこの人に恋しているのだと、再確認させるのには十分だった。

 せめて赤く染めあがった顔が、月の影に隠れて見えないことを祈るばかりだ。


「さすが高層マンションですね。流星群が映る海も、凄く綺麗です」


人知れず、彼はまたそんなことを云う。

 あまりの不意打ち、私の顔は赤く染まるどころではなくなった。自分の胸の鼓動がが彼に聞こえるのではないかというほど波打ち、変な汗まで掻いてきた。


 それ以降、私は彼の顔をまともに見ていられなかった。それに放心状態だった。


「ほんっとに綺麗でしたねー。え、先輩?」


首を傾げながら彼は私に問いかける。


「は、はい。」

「どうかしたんですか?」

「は、早く月を見に行きませんか?」

「え、あ、はい、そうでしたね。行きましょうか。反対側のテラス。」

「はい。」


 顔の火照りが少し落ち着いてきたので、彼と目を合わせる。

やはり彼は少しも緊張していない。気づいていないようだった。


 でも、この恥ずかしさで潰れるような女では、私は進めない。成長できない。

テラスから見える空は、南空と変わらず晴れており、佐々木くんの言う通り三日月が覗いていた。


私がこんなにドキドキしているのに、君が平然としているのは不公平だ。


「月が綺麗ですね」


 勇気を出して私は言った。彼の手を離さず、三日月を眺める彼を、私を見ろと言わんばかりに振り向かせて。


通じたのだと思う。彼はその透き通るように白い肌を仄かに赤らめて、


「な…………」


また一息ついて、


「そうですね。でも月は遠いから綺麗なんです。」


彼は寂しげにそう返した。



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