第8歩 片思いと勘違い

 ————あれは小学生3年生のころ。ある日の登校中での出来事でした。

「きゃー! かぁわいい!」

 寝音子が見つけたのは、コンクリートの塀の上に佇む1匹のノラネッコでした。

 寝音子が逃げられないようにそおっと近づいていくと、なんとノラネッコのほうからこちらへ寄ってきたではありませんか。

 ふふふ、お一人様では寂しいでしょう? わたくしが話し相手になってあげましてよ。

 そんな気取ったことを思いながら微笑む寝音子に近づく1匹。器用に細い足場を渡ります。

 そして——、

 ネァ゛ネァ゛ネァ゛ルゥゥゥガ!

「ちゃぺぇぇぇ!」

 ネッコの鋭い3本の爪が寝音子の顔に3本の長い傷を負わせました。およそネッコとは思えない奇声が寝音子の悲鳴と被りました。

 まもなく、もう一方の手が伸びてきて、追加でもう3本の傷を入れ、最後に硬い尻尾が寝音子のおでこを殴打しました。

「ごへぃ!」

 寝音子は勢いそのまま塀のそばで倒れました。

 ネッコが去っていくときにあげた奇声を聞いてからしばらくあとに起き上がった寝音子は、出血で涙目になりながら学校へ、そして保健室へ向かいました。

 そのまま包帯ぐるぐる巻きの顔で教室に入った時は、そしてそこから数週間ほどは、クラスの男子児童にさんざん『ミイラ野郎』だなんだと言われ、からかわれていました。野郎じゃありません。

 傷が治ったあとも、友達の家の飼いネッコちゃんを触ろうとしたりもしましたが、やはりダメ。

 ノラネッコと違って爪は切ってあるので引っ掻き攻撃は受けませんでしたが、自慢の尻尾でボコボコにされました。

 あの時、初めて聞いた愛ネッコの奇声に驚いて口をあんぐりとさせていた友達の“あの顔”は、今でも忘れません————。


 それでも寝音子にとっては、ネッコの優雅な立ち居振る舞いが未だに愛らしくて仕方ないのです。

 まあ、要するに片思いですが。

 オフトンさんとネッコ、どっちに先に振られたかはこの際どちらでも良いでしょう。いえ、どの際でもどうでもいいですね。

「そんなわけで、ネッコに片思い中なんです。」

「ノラネッコって、人が近くと全力で逃げるはずなのに……。」

 みはねは眉間に軽くしわを寄せました。

「寝音子の放つオーラがザコすぎて逃げるまでもないってことなら合点がいくけど。」

「ほら、私のオーラさん! ナメられてますよっ! もう少し頑張って! 名前がオラオラ系なのにザコだなんておかしいですよ!」

 寝音子が空気に向かって他力本願な呼びかけをしました。

「そこは自分が頑張ろうよ……。でもそんなにザコならスタンしたダンジョンボス並に攻撃されるのはおかしい気がする。」

「世の中おかしいことだらけです! 袋を開けた瞬間奇襲をしかけてくるお菓子とか。」

 自分を棚に上げて、この世の不条理に不満を垂れる寝音子。当の不条理さんは「いや、知らんがな。」といった感じですが。

「あっ、お菓子といえば!」

 寝音子の眉がピクッと動きました。

「口の悪い人で素直に謝罪ができる人ってどれくらいいるんですかね?」

 この突拍子もない疑問をみはねは咀嚼しようとしましたが、やっぱり分からなかったので、

「……その話とお菓子に何の関係が?」

 訊き返してしまいました。

「実は、私を『ミイラ野郎』と揶揄やゆした男の子なんですが、ハロウィンの日にお詫びと称して大量のアメ玉を『この前はごめんな……トリックオアトリィーソト!』って叫びながら投げくれたんですよ。今思えば不器用な謝り方ですよねぇ……ふふっ。」

 寝音子は無邪気に微笑みました。

「いや、それ謝ってないから。謝罪を装ったただの意地悪トリック続行だから。というかハロウィンなのにやってる事が節分だから。」

「そう……だったのか…………。」

 寝音子のへなちょこな顔が絶望によってへなちょこ未満になりました。

 寝音子の純粋さと愚かさがただただ露呈しただけのやりとりでした。

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