第11話 伝わる、温もりに。



 絞り出す様に言ったその言葉は、私にとっては一種の祈りだった。


 良い返答なんて、期待してなかった。

 なのに。


「分かった」


 アイツは短く、しかし確かな声でそう言った。


 バレてしまったのだ、てっきり「諦めろ」とでも言われると思っていた。

 だから驚いて思わずアイツを見た。

 すると丁度、持っていた鞄を下ろしている所だ。


「そう言うかもと思って、一応持ってきた」


 そう言って出されたのは湿布にテーピング。

 怪我の応急処置グッズ達だ。


(コイツは、もしかして私を止める為じゃなくて、私を試合に出す為に来てくれたのだろうか)


 先程私を見つけた時、アイツは肩で息をしていた。

 きっと走って来たのだ。


 一体、何の為に?

 そんな疑問が頭を過る。


 しかしアイツの次の声で思考が一気に現実へと引き戻される。


「……おい、靴下。脱がなきゃ応急処置、出来ないぞ」


 そう言われて。

 気が付いたら私は、小さな声でこんな事を口走っていた。


「……見ちゃったらもう痛い以外、思えなくなる気がする」


 きっと弱気になっていたからだろう。

 

 例えばそれは歩き疲れた子供が親におんぶをせがむ様な、そういう類の我儘だったと思う。

 しかしそんな我儘を、アイツは意外にも受け止めてくれた。


「……後で文句とか言うなよな」


 いつもの様に眉間に皺を寄せた仏頂面で言いながら、アイツが靴下に手を掛ける。



 靴下が脱がされる瞬間、やはり患部に痛みが走った。

 私は目をギュッとつぶって、その痛みに耐える。


 その痛みは、一瞬だった。


 すぐに患部にひんやりとした感触が伝わってくると、次に探る様な指が優しく患部をいわたってくる。


「『学校の授業で習うテーピング手順とか、一体人生のどこで使うんだよ』って思ってたけど、意外と早く使ったな」


 アイツのそんな呟きの直後、テーピングを引っ張るビッという音が耳を割いた。

 

 ゆっくりと閉じた目を開けると既に患部は湿布で覆われており、上からテーピングが施されている所だ。


 私は、アイツの顔を見た。

 アイツは真剣な眼差しで、私の足首と向き合っている。


 教科書に載っているテーピングの手順を思い出してでもいるのだろう、何かに対して集中する時のアイツの顔がそこにはあった。


「何で、こんな事してくれるの?」


 先ほども疑問に思った事を、今度は言葉にした。



 私は馬鹿で、だからこそ考えても考えても答えが出ない事は行動で解決すると決めている。


 コイツの気持ちなんてもの、幾ら推し量った所でそれはただの想像でしかない。

 本人の気持ちは、結局のところ本人にしか分からない。


「……別に」


 アイツがフンッと鼻を鳴らした。


「ただお前がそれなりに部活を大切に思ってるのも、頑張ってるのも知ってるし」


 何故だろう。

 酷くぶっきらぼうな口調なのに、その言葉はとても優しく鼓膜を叩く。


 お陰でせっかく堪えていた涙が、優しさに触れて決壊した。


「でもあくまでも素人治療だからな、もし悪化する様だったら絶対に諦めて、途中で交代する事」


 「良いな?」と言いながら、アイツが見上げて来た。


 テーピングはもう既に終わっている。


 見上げてきた瞳はいつものアイツで。

 でもどこか違う様な気がして。


 その違いは、もしかしたらアイツが私に対して抱いてくれた『心配』のせいなのかもしれない。

 そう思い至ったのは、もっと後になってからだった。


 この時はただ揺れる視界の真ん中にアイツを映す事で、精いっぱいだったから。



 私を見ると、アイツはすぐにギョッとした。

 そして、少しオロオロとし始める。


「な、なんだ、その……」


 ちょっと困った様な表情で、頬を掻く。

 しかしアイツはすぐに、小さくコホンっと咳払いをした。


 そして、こう零す。


「頑張れ」


 立ち上がったアイツの手が、俯いていた私の頭に重みを乗せる。



 伝わってくる、仄かな体温。

 その温度は間違いなく、心にも飛び火して。


 それは確かな味方の存在と、私の事を気遣ってくれる不器用な優しさと、いつの間にかコイツに言われれば「大丈夫だ」と無条件に思えてしまう自分に気が付いた。


 自覚してしまえば、もう早い。

 もう抗えない。

 もう、逃げられない。

 

 私はこの時、自分の気持ちに気付くと同時にこれ以上は落ちていくばかりだという事を半ば本能的に理解した。


「ほら、泣いてないで行ってこい」


 呆れ交じりの、まるで子供をあやす様な声でアイツが言う。

 それは、いつもの軽口と同じ調子だったのに、もう私はいつもと同じには受け取れない。


 その声の中に含まれる優しさに、気付いてしまったから。


「……別に、泣いてないもん」


 グスッと鼻を鳴らしながらそう言い返すと、ちょっと呆れた様な、しかし何故か安心した様な声で「はいはい、分かりましたよ」なんて言葉が返ってくる。




 時間になり、コートに立った時。


 先程までの痛みがまるで嘘のように、足首から消え失せていた。

 心も体も何だか軽くなった様な気がして、私は1人クスリと笑う。



 顧問には、怪我の事を正直に話した。

 今はテーピングで固定しているため、痛みも無い。

 そう話した上で、「チームの足を引っ張っている様だったらすぐに変えてくれ」と申し出た。


 顧問は「分かった」と頷いてくれた。



 結局試合にはフル出場出来て、試合にも無事に勝利した。


 試合中。

 テーピングでガチガチに固められた患部のせいで少しだけ動きにくかったけど、その違和感も動きに大きな支障がある程では無かった。



 その後一応病院に行って、全治2週間の捻挫だと診断されて。

 きっかり2週間は、部活も学校の体育も見学した。


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