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オフィスの入口は真ん中にあり、入って右奥が久慈のデスク、反対側の左奥には給湯室があり、その手前には大きなテーブルがあった。
暗くなったオフィスの両端で、ロウソクとパソコン画面の明かりが二つの世界を作っている。
「よし、じゃあ、おまえから」
柴田が腰巾着を指名した。
久慈のことが気になるも、負い目のある女性社員は大げさに怖がって見せ、乗り気でない男たちをその気にさせた。
部下たちは、まるで学生のように思いつくままに拙い怪談を話し合う。
一方、柴田はその視界から久慈をはずさない。仕切りで置かれた観葉植物の間から、その姿をしっかりと捉えていた。
真っ暗なオフィスで仕事をさせられるという屈辱。生意気にも顔には出さないが、きっと苦痛を感じているはずだと、柴田は愉悦を味わおうとした。
しかし、なかなか悦に入れない。それは柴田としてもやはりというところで、もうこの程度ではどうにも満足が得られなくなっていた。
まるでニコチンの切れたヘビースモーカーのように精神不安定な苛立ちは足を揺すり、それは部下の話の最中にもとうとう柴田を立ち上がらせるほど。
「おい、久慈っ。おまえも何か話せよ」
怪談という性質上、盛り上がるということはなかったが、それでもこの一言で場の空気は十分に盛り下がった。
指名された久慈はというと、もうこれより下はないという覚悟からか、仕事中なんでとさらりと言い捨て、柴田を一瞥もしない。
ここ最近の久慈の変わりようには、部下らも驚いている。
「なんだ、そんなに残業代が欲しいのか? 金が欲しいか? よーし、面白かったら一万やるよ」
今年に入って、久慈が残業を一時間たりとも申告していないのは、上司である柴田なら当然知っていること。もちろん部下らが知ることはないが、皆、感づいてはいた。
部下らの顔には飽きれが浮かび、柴田はそれに気付く気配もない。
そんな中、部下の一人がやや仰々しく、なにかに気付いた様子で窓に近づくと「雨、少し弱まったみたいですよ」そう言ってお開きを示唆した。
部下らは待ってましたと言わんばかりに同調を表すも、無言の柴田は久慈を見据えたままで返事もしない。
頑なな柴田には、確信があった。
このままでは周りの部下に迷惑がかかる、そう久慈は考えると。奴の性格上、こういったことを一番嫌うだろうし、無視はできないはずだと。
それでも、今日の久慈は珍しくだんまりを決め込んでいて、なかなか柴田の網にかからない。
そんな重苦しい雰囲気にとうとう堪えかねたのか、雨を見ていた部下は立ち上がり「俺、今日は帰んないといけないんで」そう言って足早に帰ってしまった。
彼は久慈ともまだ親しい部類に入る。
――久慈の次は、あいつだな。
柴田は、まさに悪役よろしくでほくそ笑み、その表情は部下らを椅子に縛りつけた。
上司はこうだが、給料はずば抜けて良い会社。そんなわけで、柴田に逆らう社員など、そうはいなかった。
少しすると、勢いを戻した雨音がまたオフィスに帰ってきた。
時刻はまもなく八時を迎えようとしている。
暗いオフィスでは、雨音と古びた空調音がいい勝負をしていた。
一本のロウソクで作られた五つの影は大きく、壁に伸びた柴田のそれは天井で折れ曲がり、およそ大きな黒い顔が部下らを覗くよう。
腰巾着は「どうせ面白くないっすよ」と落としどころを作ってみるが、通じない、柴田は聞き入れない。
そうこうしている内に、ついに柴田の粘り勝ちか、もうやむなくといった様子で、それは腰を上げる事となった。
それぞれの視線の中をテーブルへゆっくりと進み来る姿に、柴田は笑みを隠せない。
そんな柴田を視界にも入れず、座るが早いか、一切の会話を挟むことなく、普段の声色そのままに、まるでそれが何度目かの余興のごとく、とても流暢に「その日も、雨が降っていた」と、久慈は語りだした。
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