異聞の番外、即ち正史っぽいものの序盤
1
王立シール学園の敷地内にある迷宮。この十階層までは一階層ごとの規模も大きくはなく、出現するのも最弱もしくはそのワンランク上までの魔物ばかりであった。
何より初代学園長たちよって仕掛けられた『緊急回収の魔法』の効果によって、致命傷を受けた場合でも死ぬことなく学園医務室へと転移させられるという、世界でも他に類を見ない安心安全な迷宮となっていた。
こうした機能と立地条件により、迷宮十階層までは実戦経験を積ませるための場、プラクティスダンジョンとして広く学生に解放されており、特待生や推薦枠で入学した平民を中心とした多くの学生がその恩恵に預かっていた。
二年生――シール学園は二年制なので最上級生でもある――のイズナ・ボルタクスもその一人だ。
辺境に領地を持つ権力とは無縁の下級貴族の次男という立場にある彼は、シール学園卒業後にはその身分すらも剥奪されて、己の力だけで生きていく事が運命づけられていた。
とはいえ、その事を本人が悲観していた訳ではなく。むしろ貴族であることによって生じる柵から解放されることを喜んでいる節すらあるのだった。
そして彼は、来るべき時に備えて今日も今日とて迷宮へと足を運んでいた。
「やっぱり十階層は穴場だな!」
手にした薬草を一通り眺めて、イズナはニンマリと笑みを浮かべる。物こそ迷宮の最序盤から、それこそ探せばシール学園の敷地内ですら自生していることもあるアリヒ草――低級回復薬の元になる――だったが、その育成状況は段違いであった。
ただでさえ魔力の濃度が高い迷宮内の、しかも特殊な魔物が発生する階層にあるということで、中級回復薬の原料となるヒリン草に匹敵しそうな程の高性能となっていたのだ。
「ローリスク、いや、緊急回収の魔法で死ぬことはないから実質ノーリスク・ハイリターンだな。プラクティスダンジョン様々だわ」
回復薬は常に需要のある商品であり、当然品質の良い原材料には買い取りの価格にも色を付けてもらえる。イズナとしては将来のための良い資金源と化していた。
加えて、十階層にはプラクティスダンジョン攻略の最難関となるボス、イビルウルフ――と配下のシャドウウルフ三匹――のいる通称『ボス部屋』が存在している。
攻略を終えていない学生は、ボス部屋へと到着することを最優先にしているため、体力や気力、魔力の消耗に繋がる階層内で採取や採掘、魔物狩りを行うことはまずない。
一方、攻略を終えた者たちの内、貴族籍を持つ者の大半は卒業のための要件を満たしているため実戦活動そのものから身を引くこととなる。残る学生もそのほとんどが活動の場を学園のあるジィマフの街の外へと定めるため、再度十階層を訪れる者は存在しないと言っても過言ではない程だ。
そうした理由から、イズナは十階層の高品質の薬草を独占できている状態なのだった。
「この調子でいけば、冒険者の等級が六等級に上がる日も近いかもしれない」
卒業後の進路としては王国の騎士や兵士を第一志望としているものの、一方で何物にも縛られない自由な冒険者としての生活も魅力的に思えていた。
もっともその魅力の大半は、冒険者協会の受付嬢を始めとした美人職員たちに起因しているのだが。
「とはいえ、卒業してしまうとこの迷宮には入ることができなくなるから、今みたいな荒稼ぎはできなくなるだろうなあ。それに等級が高くなればなる程、魔物退治に駆り出されるようになるって話も聞くし……」
薬草類の採取と言った恒常的に出されている依頼もあるが、現状では冒険者への依頼項目の中心は魔物の討伐となっていた。
騎士や兵士以上に日常的に命のやり取りを行っているのが冒険者なのである。
「まあ、どちらに進むにしろもう少し情報を集めてから、だな」
卒業までまだ一年近くあり、一部の座学系の科目を除いて卒業に必要な単位は取得してある。たっぷりとまではいかなくとも、情報を集めるための時間はそこそこある。むしろそうした情報集めの時間を捻出するために、昨年は面倒な実習系の単位を片っ端から取得して回ったのだ。
「うーん……。ぼちぼち限界か」
気が付けば背負い袋はアリヒ草を中心に採取した薬草類や、魔物を倒した際に稀に手に入る微小サイズの魔石で一杯になりつつあった。
「やっぱりアイテムボックスに手を出すべきか?でもいくら品質が良いとは言っても、所詮はプラクティスダンジョンで入手できる素材だからなあ……」
ボス部屋のイビルウルフを除くと、ここで接敵する魔物は街の外に出没する魔物よりも若干弱いくらいだ。必然的に入手できる魔物素材も価値が低いものばかりとなるため、量を確保したところで最終的な益は低いのである。
そして高性能であってもアリヒ草はアリヒ草でしかない。いくら色を付けてもらってもヒリン草や魔力回復薬の材料となるマギル草の価格には敵わない。
そもそもイズナは単独行動をしているから、たまに苦戦をすることもあるのであって、学園側が推奨する複数人でパーティーを組んで行軍するなら、十階層など慣れた学生であればさして苦労もなく辿り着ける程度の難易度でしかないのだ。
「そろそろ十一階層から先に進むことも考えるべきかね」
学園の管理下にある安全安心なプラクティスダンジョンは十階層までとなるが、迷宮そのものは更にその先まで続いている。
だがそこはそれまでとは打って変わって階層は広大なものとなり、凶悪な罠が仕掛けられ、凶暴な魔物が闊歩する正しく魔窟そのものといった様相となる。
もちろん『緊急回収の魔法』の効果適用範囲外で、常に死と隣り合わせの世界だ。
その最深部は五十階層とも六十階層も噂されており、歴代最高峰の魔法使いとも称えられている初代学園長ですら到達できなかったとされている。
毎年数名は無謀な学生が挑戦し、心身共に消えることのない傷という高い授業料を支払って逃げ帰ってくるのが常だった。それでも帰って来られただけ運が良い方であり、過去には命そのものを授業料として差し出してしまった学生もいた。
「そっちも情報収集が先決だな」
いずれにせよ、学園に戻らなければ手の打ちようがない。
イズナは入口への転移魔法陣が設置されているボス部屋の奥へと向かって歩き出したのだった。
何か重いものが引きずられるような、そんな音が聞こえたのはそんな時のことだった。
十階層に出現する魔物は大きいものでも全長が八十センチくらいのホーンラビットだったはずで、数十匹を一度に引きずり回したところであのような音が発せられることはないだろう。
また、プラクティスダンジョンはこれまで数百年単位で稼働しており、それこそ隅から隅まで探索され尽くされている。新たに隠し部屋が見つかったという線も考え辛い。
「……待てよ、隠し部屋?」
そこまで考えたところで一つの状況が頭の中に浮かぶ。
「いや、でも、まさか……。いくらなんでも早過ぎるだろう?」
本年度はまだ始まったばかりで、彼らも合流したばかりのはずだ。いくら二年生が含まれているからと言っても、入学したての初心者込みパーティーがこれほどの短期間で十階層に及ぶプラクティスダンジョンと踏破しきったとは考え難い。
しかし、現実何かが起きている。変化を示す重苦しい音は今もなお聞こえ続けているのだから。
急速に大きくなりつつある焦燥感とほんの少しの好奇心に追い立てられるようにして、イズナは音の元凶を探るべく移動を始めた。
彼がそれを見つけた時には既に件の音は聞こえなくなっていた。しかし、この場所こそがその発生源であったことは間違いなかった。
「マジか……」
目の前に広がる光景、縦横五メートルで高さは三メートル程の小部屋を見つめながら、呆然と呟く。
何故なら、ここには何もないと繰り返し何度も確認したはずの場所であったためだ。
小部屋の中央には怪しげな魔法陣が、これまた怪しい色合いの光を立ち昇らせていた。見覚えのあるその形から「転移の魔法陣か」と推測する。
十一階層以降に仕掛けられているという凶悪な罠の一つと同じだったのだ。先日改めて図書室で調べたばかりの情報なので、記憶違いということもない。
「マジか……」
再び同じ言葉を呟く。この小部屋を発見した者たちが見当たらない、ということは即ちそういうことであるのだろう。
知ってか知らずかまでは分からないが、その者たちは魔法陣へと入り込み、どことも知れない場所へと移動させられてしまったのだ。
いや。
正確に言えばイズナはその転移先がどこなのか予測していた。
「迷宮最深部。魔王が封じられている場所……」
物見遊山に訪れるような場所ではない。それ以前にわざわざ隠し部屋を見つけた上に、そこに設置されていた転移の魔法陣を利用したのだ。確固たる目的があったと考える方が適当だと思われる。
「凄まじく嫌な予感がする!?」
入口への転移魔法陣を利用して学園に帰還し教師たち等然るべき相手に報告する、というのが本来成すべき役割だろう。
しかしそれでは、この後に起きるだろう出来事に決定的に間に合わない。この時のイズナはそう確信してしまっていた。
「単なるモブ学生には荷が重過ぎる気がするけどなあ!」
自棄気味にそう叫ぶと、魔法陣へと身を躍らせる。
そして、誰もいなくなったことを察知したかのように隠し部屋への入り口が閉じられ、十階層は元の平穏を取り戻したのだった。
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