第24話 激怒

 キールが見据えていた先、そこには巨大な樽とそこに隠れるように身を屈めていた女性、シシル嬢がいた。


 要するに、だ。

 この戦闘狂はこともあろうに俺をその気にさせるため、シシル嬢の首を切り落とすとのたまいやがったのだ。


 この挑発はよく効いた。いや、効き過ぎたと言ってもいいだろう。

 何せ対人戦ということで俺が無意識にかけていたリミッターを粉々に粉砕することになったのだから。


「イズナは人相手の訓練の時よりも、魔物との実戦の時の方が動きが良くなるな」


 いつだったか、兄さんから言われた言葉だ。周りにいた家臣や領民たちは本番に強いという意味に取ったようで頼もしげにこちらを見ていたのだが、真実兄の言いたかったことは異なる。


「時に魔物よりも恐ろしい悪辣な人間も存在する。そうした輩に適切に対処し、守るべきものを守れないようでは、戦士としてはいつまで経っても二流どころか三流でしかないぞ」


 その言葉を体現するかのように、兄さんは俺の目の前で故郷にまで流れてきた犯罪者の男たちを斬り捨てたこともあった。


 前世の知識でも、魔物という脅威がないにもかかわらず世界のどこかで常に戦争は発生していたし、身近な社会でも凶悪な事件というものがそれなりの頻度で発生していた。

 ゆえに、人とは綺麗で善なるだけの存在ではないのだ、と頭の中では理解できていたはずだ。


 しかし、長年に渡って染みついてしまっていた思考だけはそう易々と変更することができずにいたのだった。

 おかしなものだ、前世と言っても特定事に関する知識が大半で、その時の自分がどんな人間でどんな人生を送ったのかという情報は碌に持っていないというのに。

 とにかく、そうした事情もあって俺はこと対人戦においては全力を出すことができない、無意識のうちに力を加減してしまうという癖がついてしまっていたのだった。


 その枷が取り払われた。

 既にキールは人であると同時に害なす存在だと認識していた。

 極端な話、襲い掛かってくる魔物どもと同等の「滅ぼして処分すべきもの」としてカテゴライズされていたのである。

 後から思い返してみると、誰彼構わず襲い掛かってしまわないようにするための処置だったのだろう。意外と冷静だったのかもしれない。


「……彼女を、殺す、だと?」


 己の口から飛び出した台詞ではあるが、感情も抑揚も籠らないそれは、まるで幽鬼か何かが発したかのようであった。


「なにっ!?」


 その呟きの音が消えるより先に、キールの眼前へと移動していた。

 俗に縮地と呼ばれる技術である。高速移動だとか瞬間移動だとも言われるあれだな。

 まさしくそう例えるより他ない場合もあるのだが、戦闘時に使用されるものの中には、動作に緩急を付けたりフェイントを織り交ぜたりして相手の認識に空白を作り、その隙に移動するという類いのものも存在していた。


 俺が用いたのもその一種で、あの幽鬼じみた口調で意識をそちらへと集めておき、虚を突くように移動したのである。

 もっとも、ほとんどは無意識に行ったことだったのだが。


 さて、真正面に移動しただけでは単に驚かせるだけとなってしまう。

 自分の方が圧倒的に強者であると思い込んでいる奴にはこれだけでも効果はあっただろうが、やはり決め手に欠ける。

 どうせであれば、とことんまで追いつめてやるべきだろう。

 という訳で、その顔めがけて手にしていた棒を叩きつけてやった。


「ぬおっ!?」


 辛うじて鞘に納めたままの剣で受け止めたようだが、その分まともに衝撃も受けることになったようで、ズザザッという音と砂埃を巻き上げながら石畳の上を滑っていく。

 が、これもまた想定の範囲内だ。すぐさま追撃に移る。

 仮にも魔法で強化してある得物での一撃なのだ。そのくらいの威力は当然なのである。


「くう!」


 掬い上げるようにして右斜め下から左上へと振り上げる。

 対応してきたのは見事だが、


「残念、こっちはそれが狙いだったんだよ」


 防御のために差し出された剣を鞘ごと力一杯かち上げてやれば、必然掴んでいた両方の腕もまた引きずられることになり、万歳をしたような体勢となってしまう。


「隙だらけだな!」


 がら空きになった脇腹へと左右から続けて渾身の一撃――二撃?――を繰り出す。


「げほ!がはっ!」


 動き易さを重視して薄手の防具しか着込んでいなかったことが仇になったようだな。棒を通して手に伝わってきた感触からして、肋骨の一本か二本くらいは折れてしまっていることだろう。

 それどころか血反吐を吐くような仕草も見せていたので、内臓を損傷しているかもしれない。


 だが、それもこれも全て奴の自業自得だ。

 俺の中の眠れる獅子を、後に傍からだと「まるで悪鬼のようだった」と言われて大いに凹むことになるのだが、それはそれとして危険生物を起こしてしまったのはキール自身の責任であるのだ。

 誰にも文句を言えない以上、甘んじてその苦しみを受け入れてもらうより他はない。


「う……、ぐ……。ま、だだ。まだ俺は戦えるぞ!」


 重傷といえるほどの傷を負いながらもキールが吠える。あれだけ一方的に、しかも直前までは格下だと侮っていた相手にしてやられたというのに、まだ心は折れていないようだ。

 怪我の影響かその眼からは正気を薄れて狂気すら宿り始めているように見える。


 ……一体何がこんなにもこの男の闘争心を駆り立てているのだろうか?

 浮かんできた疑問に重りを付けて、心の奥底へと再び沈める。

 仮にも対人戦のリミッターが付いたままでは勝ち目のなかった相手だ。油断をしていられる場合でもなければ、あちらの心情へと想いを馳せる余裕がある訳でもないのだから。


「今度はこちらから行くぞ!」


 三度キールが右側面を前に出すあの独特の構えとなる。対して俺はそれを迎え撃つ体勢を取った。

 実際問題、攻守を交代するような真似はせずにそのまま押し切ってしまった方が、安全かつ確実に勝利することができたはずだ。


 ところが、厄介なことにこういった一つのことに執着している輩は、並大抵の勝ち方では敗北を認めようとしない傾向にある。

 最も自信のある手札を切らせた上で完膚なきまでに叩き潰すくらいのことをしてやらないと、牢に入れようが何をしようが、それこそいつまで経っても因縁を切ることができなくなってしまうのだ。


 はっきり言おう、こんなヤバい奴に付きまとわれるような事態には絶対に陥りたくない!

しかも場合によっては俺だけでなく、シシル嬢を始めとした周囲にいる人々にまで危険を振り撒くかもしれないのだ。

 そんな悪縁など、絶対に今この場で断ち切ってしまわなければ!


 想いを新たにしつつ、目の前に立つ男を見やる。

 キールは先程のダメージなど存在していないかのように、痛みに顔をしかめることなく構えを取り続けていた。

 大した精神力だ。が、表面に出していないだけで怪我がなくなっている訳ではないのだ。

 以降の行動にマイナスの影響を与えるであろうことは想像に難くない。


 加えて、奴が繰り出そうとしている技も大まかにではあるが予想が付いていた。右側面を前に出しながら左手で剣の鞘を持つその格好から、恐らくは高速の抜剣の技となるのだろう。

 ゲーム内で表示されていたグラフィックではもっと居合に近い構えであったように記憶していたのだが、まだそこまでの技の完成に至ってはいないのか、それとも現実との間で差異が生じてしまっているのか。

 いずれにしても大勢には影響がないと判断し、来るべき瞬間に備える。


 そして、その時は突然に訪れた。

 先の俺と同じか、もしくはそれを超えるスピードで急接近してきたかと思えば、白刃が煌めいていた。


「ば、バカな……」


 しかし凶刃が俺の命へと届くことはなく。

 地面に突き刺すように真っ直ぐ立てた棒によって阻まれていたのだった。


「先に手の内を見せていたことが敗因だったな。横薙ぎの軌道であることは分かっていたから、防ぐのはそう難しいことではなかったさ」


 まあ、それまで以上の魔力を込めなければ断ち切られてしまいそうだったので、慌てて強化を行う――お陰で魔力がごっそりと減少してしまった――など、言うほど簡単なことでもなかったのだが。

 それはそれ、ハッタリというのも時には重要なのだ。


 必殺の一撃に余程自信があったのか、鍔迫り合いなどの至近距離での戦いに持ち込むことなくキールは剣を止められたままの状態で呆然としてしまっていた。

 かなり根本から揺らいできているな。

 後もう一押しで心をへし折ることができるだろう。


「さっきは隊長さんに向かって「経験が足りない」とか随分と偉そうに御高説を垂れ流していたが、俺からすればあんただって似たようなもんだな。足りてないんだよ、圧倒的な強者との戦いの経験ってやつがな」

「……なんだと?」

「どうせちょっとばかり名が知られた連中にばかり喧嘩を売って回っていたんだろう。残念だったな。こっちは身の丈が何倍もあるような巨大な魔物や、足や尻尾の一振りで何人もを吹っ飛ばすような常識外れな強さの魔物とやり合ってきたんだ。人を相手に粋がっているような奴に負ける道理はないんだよ」


 棒を使って押しのけるようにしてやると、キールは逆らうこともなく後退っていく。


「俺が、粋がっているだけ……」


 ついにその両腕から力が抜け、手にしていた剣と鞘が硬質な音を立てて石畳の上に転がった。

 ようやく負けを認めたか。まったく、この程度の力しか持たない奴を親父殿と同じくらいに脅威に感じてしまっていただなんて、不覚にも程があるな。


 もしもこのことが故郷にいる親父殿性質にバレてしまったら、代々伝わるという恐怖の『再教育プログラム』を受けさせられてしまうことだろう。

 あの親父殿や家令のアルク――血縁上は俺の母方の伯父当たる――がヤンチャしていた若い頃に受けさせられたらしいのだが、そんな彼らですら「十回は死んだかと思った」と口にする程のものだ。俺など本格的に死んでしまいかねない。


 と、そんな思考の横道に逸れていたのがいけなかった。


「ま、まだだ!まだ俺は終わってはいない!」


 不意の叫び声に意識を現実へと引き戻した時には、奴は既に凶器を手にした後だった。

 再度仕掛けてくるのかと身構えた瞬間、


「【ファイアニードル】!」


 それまで使うそぶりも見せなかった魔法――しかも街中にもかかわらず広範囲攻撃用という凶悪さである――をいきなり発動させたのだ。

 しまった!元々は高位貴族であったのだから、魔法の一つや二つ使えて当然だった。

 ゲーム内でも剣一筋だったため、完全にそのことが頭から抜け落ちてしまっていた。

 このままでは俺や隊長たちだけでなく、シシル嬢と建物にも被害が及んでしまう!


「こなくそっ!」


 果たして火事場の馬鹿力によって作り出した魔力の壁によって、大半の火の針を阻むことができた。

 残念ながら残る数本が店先などに命中して小火ぼやを引き起こしたが、こちらはシシル嬢や衛兵たちの働きですぐに消し止められたのだった。


 しかし、全て万事上手くことが運んだ訳ではない。この混乱に乗じて、キールにはまんまと逃げられてしまったのだ。

 汚名をそそぐため、衛兵隊は直ちに隊員を総動員してジィマフの街を探し回った。

 されに翌日からは領軍に協力の要請を出して街の周囲までも徹底的に探索するという念の入れようだった。

 にもかかわらず、その姿を発見するには至らなかった。


 この日を境にキール・スローターは表どころか裏社会からも忽然とその姿を消したのだった。

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