第22話 察知

「お、おい!雇い主の僕を無視して話を進めるな!」


 男と視線による牽制を行っていたところに、甲高い裏返った声が割り込んでくる。

 言わずと知れたドラムス伯爵家のボンボンである。


 場の中心にないことに耐えられないという身勝手な理由だけで、人殺しを何とも思わないような存在の邪魔をしたのだ。

 男の関心が俺にのみ向けられていたこと、形式的には雇い主という上位の立場にあったこと等々によって、邪魔をした相手がどれほど危険で凶暴な存在なのか理解できていなかったために起こし得た暴挙だった。


 当然のごとく邪魔をされた男は不機嫌となった。


 自業自得という面が多分にある――つい先程俺から怒鳴り付けられるということがあったばかりなのに――にせよ、ボンボンにとって不幸だったのは自分が軽んじられること、反抗されることなどないと思い込んでしまっていたことだろう。

 しかも問答無用な実力行使によって黙らされることになるなどとは、想像もしていなかったに違いない。


 ふいに男が右を前に出して半身になるような形でボンボンたちの方へと向き直る。


「逃げろ!」

「坊ちゃん!」


 だから、俺以外にその動きに反応することができた人物がいたことは彼にとって不幸中の幸いであったのかもしれない。


「ぐはっ!?」

「ぎゃああああ!?」

「い、痛え!?」

「ひ、ひいいいいぃぃぃ!?」


 一瞬の後、建物から漏れだす明かりによって辛うじて見渡せる薄暗さの中でもなお赤い血煙と悲鳴が巻き上がる。

 更に、


「ひ、人斬りだ!」

「きゃああああああ!?」

「逃げろ!殺されるぞ!」

「え、衛兵!いや、領軍を呼べ!」


 野次馬たちが騒ぎ逃げ出し始めたことで辺りは騒然となり、あっという間に収拾がつかない程の大混乱となってしまった。


 後から聞いた話だが、俺たちが食事をしていて、ドラムス伯爵家の配下収集団その一が雪崩れ込んできた店からも様子見に看板娘のおば、もといお姉さまの一人が顔を出したらしいのだが、入り口近くに隠れていたシシル嬢によって諭され、すぐに店内に戻り状況が落ち着くまで誰一人として・・・・・・外に出さないようにしていたのだとか。

 さすがはシシル嬢、ナイスな状況判断と助言だ。


「死にたい奴が混ざっていたのか。ならば手加減など必要なかったな」


 男の言葉に周囲へと散っていた注意力を集め直す。

 既に破壊をまき散らした凶刃は鞘の中へと収められていた。その言葉通り手加減をした結果なのだろうが、それでも被害はなかなかに甚大だった。


 奴によって斬られたのは四人。ボンボンと男と同僚だっただろう護衛の三人だ。

 いずれも重傷だが、特にボンボンを庇うように前へ出た一人が危険そうに見える。すぐにでも魔法による治療か止血等の処置を行わなければ命にかかわる出血量である。


 一方、その献身があってか、ボンボンは右の肩口を切り裂かれた程度で済んでいた。もっとも、痛みと恐怖で腰を抜かしてしまっており、他人は元より自分の治療すらおぼつかないだろう有様だったが。

 と、ここまでは想定の範囲内だ。


「おいおい、今日日の護衛はここまで役立たずなのかよ……」


 問題は残る二人だ。そのまま蹲ってしまい何の役にも立っていない。ああ、ぎゃあぎゃあと喚き立ているので生存していることは間違いないな。


 役立たずといえば配下連中も似たようなものだった。俺が伸した二人は相変わらず気絶したままだし、残っていた三人も唖然としてその場に突っ立ったままの不細工な彫像と化していたのだ。

 この調子だと、荒事も役目だった割には怪我をした際の救助法などは一切習っていないと考えられる。再起動させてもかえって邪魔になりかねないから放置推奨か。


 こうなると、まともに救助に動けるのは俺一人だけということになる。

 厳密にはシシル嬢もなのだが、連中程度を助けるために彼女を危険に晒すつもりはさらさらない。


「【ヒール】!」


 ゲームの時と同じく緑色の光の粒が死にかけた一人へと降り注ぎ、ほんの少しだが傷を癒していく。


「ふん。情けをかけたか」


 つまらなさそうに男が吐き捨てる。恩を売るといった思惑がなかったと言えば嘘になるが、一番は目の前で死なれるのが嫌だっただけのことで、立派な志があった訳ではない。

 が、わざわざそれを教えてやる義理などないので、沈黙を貫いたのだった。


「止血と時間稼ぎくらいにはなるだろうさ」


 願望も込めた一言を誰に聞かせるでもなく呟く。前世の知識もさることながら、強大な魔物たちと毎日のように相対する生活を送ってきたためか、目の前で人に死なれるのはどうにも苦手だったのだ。

 実際のところボンボンたち残る怪我人を含めて、一時間以内に適切な処置を行えなければ死亡率は跳ね上がることになるはずだ。

 とはいえ、さすがにこれだけの騒ぎとなってしまっているので、衛兵を始め治安維持の部隊がやって来るのも時間の問題というところだろうから、恐らくは全員揃って生き延びられるのではないか、と思う。


 そしてその時は予想よりも早く訪れることとなった。


「そこまでだ!全員武器から手を放すように!」


 ガシャンガシャンと鎧を鳴らす騒音と共に現れたのは、十人を超える衛兵たちだった。

 右胸に王家を表す『翼持つ獅子』――を簡略化したもの――が、左胸にはジィマフの街を表す『複数冊の本』が刻まれていた。

 つまり、そこら辺りで寝転がっていたり突っ立っていたりするどこぞの貴族の私兵ではなく、王家直轄地であるジィマフの正式な衛兵隊たちである。


 彼らをたかが衛兵と侮るなかれ。時には王宮の兵士や騎士に推薦されることもある、士気に能力、そして技量の全てが高水準でまとまった一流の戦士たちなのだ。


 すぐに倒れたボンボンと配下たちが確保されていく。取り調べだの何だのと、後々の面倒事はいくつも残っているのだろうが、とりあえずこれで一段落つくことができる。

 ようやっと肩の荷を下ろすことができると思い、手にしていた、いい感じの棒を手放そうとしたその時のことだった。


 ゾワリと特大級の不穏な気配を感じる。

 男がドラムス伯爵家一党の救助を見逃したことで、緩んでしまった警戒心の隙を突かれてしまった形だった。

 何が起きているのかすらも良く分からないまま、ともかく内から発せられる警告に従って体を動かす。


 結果から言おう。

 部隊長だと思われる衛兵たちの先頭に立っていた人物に向けて男から放たれた凶刃に、俺が横合いから一撃を加えたことでギリギリ標的から逸らすことができたのだった。


「な……!?」


 俺を含め当事者三人の口から同音の驚きの声が漏れ出す。

 しかしその意味合いは三者三様だった。


 まず部隊長は自分の言葉が無視される結果となったことに驚いていた。彼らは単なる兵ではなく、街を治めている人物の代理人でもあるからだ。

 正当な理由なく反抗することはできない。直轄地たるジィマフであれば王家への、強いては国への反乱と取られてもおかしくはないのだ。


 そんな無謀なことをやらかした男はというと、自分の行動の邪魔をされたという事実に驚いていた。

 どれだけ自信過剰なのかと呆れそうになるが、俺が感じた通りであるとすれば奴は親父殿に勝るとも劣らない実力の持ち主となる。

 要するにそうなっても当然な力量を誇っているということなのだ。


 最後に俺だが、そんな人間兵器的な男の攻撃を、不意を突いたとはいえ妨害することができたことに驚愕していた。

 これが仮に親父殿との訓練であれば、年に一度あるかないかの快挙である。目出度い出来事だと領民たちに御馳走が振る舞われることになったはずだ。

 まあ、何故だかその御馳走の材料となる魔物を狩る役目を押し付けられることになってしまうので、個人的にはテンションがダダ下がりしてしまうイベントであったのだが。


 故郷での出来事は置いておくとして、そんな異常な状況も長くは続かない。

 部隊長を除く衛兵部隊の面々は命令を無視視したどころか攻撃までしでかす危険人物だと認定――俺諸共であったことは大変に遺憾なのだが――して、捕縛あるいは排除するために取り囲むように展開を始めたのだ。


 しかし、それは悪手となる。


「いかん!各自散開を中止!数人ごとで固まれ!」


 部隊長が叫ぶのと、男が動き出すのは同時だった。


「ぐわっ!」

「がふっ!」


 たちまち二人が鎧の上から強打されて崩れ落ち、包囲を抜けられてしまう。

 切り捨てなかったのは衛兵隊から目の敵にされるのを恐れて、ではなく鎧越しであっても戦闘不能にできるだけの強撃を会得しているというパフォーマンスだろう。

 事実、この目論見の通り衛兵たちの動きが目に見えて悪くなってしまった。


「この程度か。王太子の肝いりで集められたという割には、大したことがないな」

「な、何故それを!?」


 男の台詞に釣られて部下の一人がそう漏らしたことで、未だわずか一メートルほどの至近距離にいた俺は、部隊長の彼がわずかに顔をしかめたのがはっきりと見て取れてしまった。

 どうやら今の一言は公にはされていないものであったらしい。


 野次馬がいなくなっていたのは不幸中の幸いか。

 できることなら俺も先程の記憶を消し去ってしまいたいところだ。こちらが気が付いたように、部隊長あちらもまた俺がしっかり理解していると気が付いていることだろう。

 ああ、面倒事が増えた……。


 それ以前に、目の前の厄介事をどうにかして終わらせないと次の問題に手を付けることすらできなくなるのだが。

 全ての面倒事を放り捨てられるというのは確かに魅力に感じられてしまうものがあるが、その代償が今世の終了では割に合わなさ過ぎる。


「毒を食らわば皿まで、か。……どうせ根掘り葉掘り聞かれることになるなら、味方だと宣言しておく方が得策かな」


 俺一人では奴を退けることはできない。そしてそれは色々と残念なことながら衛兵隊にも同じことが言えた。

 ならばどうすれば良いのか?

 簡単だ、共闘すればいい。


「隊長さん、でいいんですかね?」

「む?何だ」

「まずはあの男をなんとかすることを優先しませんか」

「そう言いながらも。君が逃げ出さないという証拠がないな」


 至極当然の言い分だな。逆の立場であるなら俺も同じことを口にしただろう。

 だが、


「……連れの女性がいるんですよ」


 シシル嬢が見ている所でそんな情けなくも格好の悪いことができるはずもない。


「なるほど。それなら我々を裏切るような真似をするはずもないな」


 こうして、俺と衛兵部隊との臨時の共闘戦線が展開されることとなった。

 まあ、隊長に限って言えば少々察しが良過ぎる気がしないではなかったが。

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