第20話 稚拙
騒ぎを聞きつけて集まって来ていた人々を追い返そうと、ドラムス伯爵家の配下連中は怒鳴り声を上げて威嚇していたのだが、それらの行為は全くと言っていい程効果はなかった。
まず、相手が悪い。大半が付近の店で一杯以上引っ掛けてきた酔客だったのだ。酔っ払いに道理が通じないのは、どこの世界でも共通のことなのである。
そして何より場所が悪い。この辺りは一般区の中でも中央や西の区画とは離れている下町に当たる。貴族関係者からすれば完全な
対して平民たちからしてみればホームグラウンドとなる。
想像してみて欲しい。普段から自分たちが生活している場所に見ず知らずの輩が押しかけてきて居丈高に命令してくる様を。例え権力者であったとしても素直に言うことを聞くことなどできはしないだろう。
しかも今回の場合は
せめて威を借りた貴族が有名であれば、また違った展開になっていたのだろう。しかし世間知らずの田舎者である俺は元より、取り巻いていた平民たちもピンときてはいないようだった。
さすがにシシル嬢は仕事柄知っていたようではあるが、驚いた様子も見せていなかったので特に名が知られている訳でもない有象無象な多々いる貴族の一つだったようだ。
さて、その狐連中だが、俺たちのことなどすっかり忘却の彼方となってしまったようで、自分たちの指図に従わない平民たちの方へと意識が完全に移ってしまっていた。
「もう、このまま帰ってもいいんじゃないかという気がしてきました」
「その気持ちは凄く良く理解できてしまうのだけど、いくら何でもそれはやってはいけないことだと思うわ」
シシル嬢と二人でため息を吐く。なんだか今日はこれの繰り返しになっている気がする。顔を見合わせる相手が彼女のような美人さんであることだけが救いだな。
「しかしいくら平民が相手だからって、他人様の治める地でよくあれだけ高圧的な態度に出ることができますよね」
「それ以前に、王家の直轄地で騒ぎを起こすこと自体が、普通の貴族ならばあり得ないことなのだけれどね。特に今は王太子殿下が代官を務めているから、その顔に泥を塗るような行為は絶対に控えるはずなのよ」
王太子、つまりは次代のトップが内定している人物であり、その人に嫌われるようなことになれば重用されることなど夢のまた夢、それどころか閑職に回されるかそれ以上の悪い立場へと追いやられてしまうことになる。
何とか一目だけでもお目通りをして彼との繋がりを得たいと多くの貴族たちが訪れている割に、これと言って大きな問題事や騒ぎが発生していないのは王太子や部下たちが優秀であることに加えて、こうした事情が暗黙の了解事として存在しているためのようだ。
「そうなると、あんな連中を抱えているドラムス伯爵家は、結構危険な状況にあるということですか?」
お家断絶的な意味合いも含めて。
「うーん……。建国当初からの
もっとも、そうした枠に入る貴族家は相当数に上るらしいので、王家の逆鱗に触れるようなことがあれば、あっさり取り潰される可能性もない訳ではないらしい。
余談だが、『三大家』というのは王国の宰相、国王一家を警護する近衛騎士団団長、王宮の侍従長を代々輩出している名家で、王家との縁戚関係が深い間柄でもある。
まあ、ゲームには設定として登場するのみだったのだが。王族からして一人のキャラクターも登場していないのだから、当然と言えば当然の扱いなのかもしれない。
一方の『五伯』の方はというと、こちらは打って変わってゲームの最重要関係先となる。何を隠そう主人公と四人のヒロインたちの出身こそが、この五伯に当たるからである。
その昔は『七武具』とも呼ばれた時期もあったのだが……。おっと、話が逸れるのでこれはまた別の機会に。
「わっ……!?これはちょっと危険なことになりそうかも」
シシル嬢の声に思考を目の前の状況へと合わせ直してみると、彼女の言葉通り不味い状況へと変化していた。
恐らくは酔っ払いの一人が我慢できずに言い返してしまったのだろう。お互いにすっかりヒートアップしてしまい、このままだと口論どころか実力行使にすら発展してしまうのも時間の問題だと思われた。
「ちょっと行って頭に血が上っているバカな連中を寝かしつけてきます。このまま騒ぎが大きくなって死人が出るなんてことになったらシャレにならない」
「大丈夫なの?」
「ええ。店の中にいた奴らと同じくらいの腕前みたいだから問題ありませんよ。むしろ怪我をさせられない分、酔っ払い連中の相手をする方が面倒そうです……」
何か酔いを冷まさせるような方法を考えておくべきかもしれない。
手っ取り早いのは逆らう気が起きなくなるくらい力の差を見せつけてやることだろうか。
ふむ。ドラムス伯爵家の配下連中という見せしめにしても両親が痛まない都合のいい獲物たちもいることだし、その方向でいくとするか。
「シシルさんは、一応そっちの方に隠れていて下さい」
今頃は多分看板娘のお姉さま方たちに縛り上げられているとは思うが、店の中で倒した奴らが起き上がって来ないとも限らない。
万が一にでも人質にされたりすることがないように、シシル嬢には入口から少し離れた場所で待機してもらうことにしたのだった。
「気を付けてね」
ふいの火事に備えて消化用にでもするつもりなのだろう、店先に置かれた雨水が溜め込んであると思われる大きな樽の陰に隠れながら、シシル嬢が小さく声援を送ってくれた。
これは無様な姿は見せられないぞ。一丁気合いを入れてやるとするか。
間違っても彼女に飛び火することがないように、少し離れてから口を開く。
「おいおい。そっちの酔っぱらいたちと遊ぶというなら、俺はもう帰らせてもらうぜ。これでも明日は朝から大切な用があるんでね」
ついつい忘れそうになっていたが、明日はシール学園の入学式があるのだ。
場合によってはゲームの流れに強制的に乗せられてしまうかもしれないので、俺にとってはある意味最重要なイベントでもある。
もちろんシシル嬢とのでぃとの方が大切だがね!
「くそがっ!どいつもこいつも好き勝手なことをしやがって!お前たち平民は黙って俺たちの言う通りにしていやがれ!」
切れた一人が雄叫びじみた調子で不満をぶちまける。どうやらそいつ自身、特権階級の出自であるようだな。とはいえ、精々が分家筋か家臣の騎士爵といった準貴族程度でしかないのだろうが。
その点カウントダウン状態ではあるものの男爵家の正当な子息である俺の方が現状では身分が上ということになると思われる。
まあ、余計な面倒事を呼び寄せることにしかなりそうもないため、身分を明かすような真似をするつもりはないのだが。
「やれやれ。思い通りにいかなければ癇癪を上げるなんて、まるでガキだな」
「貴様!平民の分際でこの私を愚弄する気か!即刻その首切り捨ててやるぞ!」
ヒステリックに叫ぶと、周りが止める間もなく剣を抜き放つ。
よし。これで正当防衛が成り立つな。
それにしても計画通りではあるのだが、こんな適当な挑発に引っ掛かってくれるとは……。これならもう一段階引き上げられるか?
「剣を抜いたからには覚悟ができているんだろうな」
「なんだと?」
「命までとは言わないでおいてやるが、腕か足の一本くらいはなくなると思え」
「平民が私を傷つけられると思っているのかあ!」
叫びながら男が大上段に掲げた剣を叩きつけようと走り寄ってくる。
おうおう、よほど腹に据えかねたらしく、怒りで頭に血が上るどころかまともな思考すらできなくなっているようだ。
ともかく多数の目撃者もいることだし、これだけやれば先に手を出したことを有耶無耶にすることはできなくなったはずだ。
「後は返り討ちにするだけ、と」
ひょいと音がしそうなほどに軽やかなサイドステップで振り下ろされる一撃をかわすと、無防備となっている顔に例のいい感じの棒を叩きつけてやる。
魔法で強化されたそれは折れることなく衝撃を相手へと伝えるという役割を見事に果たしたのだった。
その結果、
「ぶべら!?」
「うわあ!?」
どこかの世紀末の三下悪役のような謎な擬音を発して後方へと吹っ飛び、仲間の一人を巻き込んで盛大に石畳の上へと墜落した。
巻き込まれた方もまともに受け身など取れていなかったようなので、当分の間の戦線復帰は難しいだろう。一撃で二人を無力化することができたのだから運がいいな。
先程までの喧騒が嘘のように音が消失する。
安全な塀の中で暮らしていれば、人が数メールも吹き飛ぶような事態に遭遇することは間違いなくあり得ないだろうから、声をなくすくらいは仕方がないだろう。
俺はまあ、吹っ飛ばされるどころか数メートル程度の
残るは四名か。しかしそいつらは仲間がやられたというのに、介抱に動くでもなければ敵を討つため――いや、死んではいないはずだけどな――に戦闘態勢に入るでもなく、ただ呆然と立ち尽くしているだけだった。
「荒事が得意というより、自分よりも弱い者相手に威張り散らすことしかしてこなかったということかも」
ドラムス伯爵の権威が浸透している領内において、それこそ逆らわれる機会もなく民草に弾圧を繰り返してきたとすれば、そうなってしまっていたとしても不思議ではない。
民衆の反抗的な態度に過剰とも思える反応を示していたのも、同様の仮説で説明がつく。
「だとすれば、ドラムス伯爵家はかなり性質の悪い領地経営をしているのかもしれないな……」
本格的に取り潰しを検討した方が国のためではないだろうか。
直後に姿を見せた人物を見て、俺は割と本気でそんなことを考えてしまった。
「あのお嬢さんを見つけたというから急いでやって来たのに、どこにもいないじゃないか!」
護衛らしき数名の男を引き連れて現れたそいつは、空気も読まずにけたたましい声でそんなことを喚き立てていた。
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