第18話 傲慢
食事の良し悪しというものには実に様々な事柄が密接に絡まり合っている。
素材の品質や調理法といった直接的なことから、取り巻く周囲の環境などに至るまでその要因は多岐にわたると言っても過言ではない。
そんな多くの要因の中でも一緒に食事をする相手というものが、とりわけ大きな影響を与えていると俺は考える。
と、小難しく言ってみたが結局のところ何の話かというと、シシル嬢との食事はとても満足のいく素晴らしいものだった!ということである。
もちろん細かい点で言えば不満はいくらでもある。
例えば料理。戦略的撤退の最中でありしっかりと吟味ができないまま店に入ったということもあって、シール学園の寮で提供されている食事には言うに及ばず、俺の作る物にすら及んでいない味付けに感じられた。
それでもこの近隣においては美味いと評判の店であり、シシル嬢たち冒険者協会職員や冒険者たちの間で頻繁に話題に上げられる有名店であったらしいのだが。
まあ、この辺りは俺に前世の知識があるため、無駄に辛口な評価になっているという点は否めないだろう。
他にも酒を提供しているためか不躾を通り越して失敬な視線を向けてくる酔っ払い――逆に睨み付けてやったら大人しくなった――がいたり、給仕が看板娘と呼ぶにはいささか疑問が残る年齢であっいや何でもありませんあちらもこちらも美女ばかりで大変眼福でございます。
「ふうん……。イズナ君はああいう
「シシルさん分っていてわざと言ってますよね……」
むしろ彼女たちは年齢的にはおばゴホンゲフン!
いえいえ本当に何でもありませんので気にしないでください!
このように一見マイナスに思えるようなことですら、シシル嬢との気の置けないやり取りの材料となったりして楽しく過ごすことができる程だった。
しかし、楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうという言葉の通りなのか、この一時は呆気なく終わりを迎えることになってしまう。
「い、いたぞ!あの奥の席だ!」
という店内どころか周辺の建物の隅々にまで響き渡りそうな勢いで発せられた品のない叫び声によって。
せっかく良い気分でいたところに盛大に水を差されたようで、ムッとしながら店の入口を見てみると数人の揃いの衣装を着た男たちが何やら喚いている。
その内一人の腕が真っ直ぐこちらへと伸ばされていた。その事に疑問を感じたのも束の間、すぐに入口傍の席に着いていた連中が立ち上がる。
が、次の瞬間にはそいつらを追い返すどころか一睨み一言ですごすごと退散していったのだった。
「弱っ!?」
「仕方ないわよ。相手が悪いわ」
その余りの高速展開ぶりに、思わず本音が漏れ出してしまったぜ。
まあ、押し入ってきた連中は腰に立派な剣を下げていたし、荒事にも慣れている雰囲気を醸し出してもいたので、シシル嬢が言うように一般客が相手取るには荷が勝ち過ぎていたことも確かではある。
それでも意気揚々と立ち上がったからには、もう少し策か何かがあるのではないかと思ったのだが……。単に酒で気が大きくなっていただけのことだったようだ。
役に立たなかった奴らについてはこの辺で描写を終えるとして。
押しかけて来た連中の方はというと、いつの間にやらその数を増やしていた。もちろんスライムか何かのように分裂して増殖しているという訳ではなく。どうやら店の外にも仲間がいたようで続々と集結しているらしい。
「店を貸し切りにでもしたいんですかね?それならそれで少なくとも前日には話を通しておくべきでしょうけど」
「本当に、そういうどうでも内容のことなら良いのだけれど、ね……」
わざとらしくボケてみたのだが、残念ながらシシル嬢の不安を取り除くまでは至らなかった。無念だ。
おや?おばちゃん、もとい看板娘の一人が近付いていくぞ。
まあ、十人を超える数の一団に入口近辺を占拠されてしまっては他の客が出入りすることなどできなくなってしまうので、店側としては当たり前の対応ということになるのだろう。
しかし相手は徒党を組んで大勢で押しかけてくるようなある種非常識な連中だ。話し合い自体が通じるのかという疑問が残る。
対面に座るシシル嬢もまた「大丈夫かしら……」と不安そうにやり取りが始まるのを見守っていた。
その注目のやり取りであるが、暴力が振るわれるような最悪な事態にこそならなかったものの、終始男たちが高圧的な態度を取り続けていた。
意外なことに店内では恐れるものなど何もないと思わせていた
「恐らくだけど、彼らが身分を持ち出したのだと思うわ」
さすがはシシル嬢と言うべきか。すぐにその異変の原因を推測してしまった。
俺のようなものは例外として、この世界では貴族と平民の身分差の隔たりは大きい。証拠が必要にはなってくるのだが、その分それを見せつけられてしまえば平民なら一切の反論ができなくなったとしても不思議ではない。
冒険者協会の受付嬢という役割柄、シシル嬢もまたそうした身分を持ち出してくる輩と何度も接触する機会があったのだろう。
そのやり取りの最中に、幾度となく視線がこちらへと向けられていた。
それに伴い無関係な観客たちや厨房の店員たちなども俺たちの方をチラチラと覗き見るようにしていて、なんとも居心地の悪い状況となってしまっていた。
「……気のせいだと思いたかったんだけどなあ」
こうなってしまうと否が応でも連中の探している対象が俺たちだったらしいと理解させられてしまう。
「こういう時は……、こちらから出ていくべきなんですかね?」
「そのお店次第……、かしら。入ってきたからにはあくまでも客として遇して、店側の指示には従ってもらおうとするところもあれば、客同士のことだからと一切関わろうとしないところもあるから」
それはそれで厄介だな。というのも押し入ってきた連中は、シシル嬢の予想通りであるならば身分を持ち出していた。つまり、連中かその後ろ盾になっている人物に貴族籍のものがいると予想されるのだ。
そして貴族には平民を断罪する権利が与えられている。
もちろん正当な理由があって初めて成り立つものではあるのだが、世の中というのは本音と建て前に別れているもので、中には「気に入らない」とか「目障りだった」という理不尽な理由で平気で民を害するような傲慢おバカ貴族も存在しているのだ。
要するに、様子を探っていたらいきなり連中が切れて店の人たちを傷つける可能性があるのだった。
「俺たちが原因、と決まった訳じゃないけど、それで見ず知らずの人が怪我をされたら目覚めが悪くなりそうだな」
「店内の空気もどんどん悪くなってきているし、そんな展開はあり得ないと言い切れないのが辛いところね」
シシル嬢に続いてそっと観察してみると、闖入者たちを中心にピリピリと張りつめた空気を形成し始めていた。この調子だと近い内に間違いなく暴発してしまうことだろう。
「はあ……。仕方ない。こちらから出て行ってみるか。シシルさんはここで――」
待っていてくれと言おうとして、そこでハタと止まる。
もしも奴らが人数にものを言わせた行動を取った場合どうなるだろうか?急いで脳内でシミュレーションしてみると……。
負けるようなことはないが、自然と大立ち回りになってしまうのだろうから店の被害は大きくなってしまいそうだ。何よりシシル嬢に攫われてしまうかもと、怖い思いをさせてしまう確率が高い。
「イズナ君?どうかした?」
シシル嬢が呼びかけてくる。途中で言葉を切って考え事を始めたから心配してくれたようで、その声音は気遣いに満ちていた。そんな彼女を見て腹が決まった。
「シシルさん、絶対に守りますから俺と一緒に居て貰えませんか」
下手に離れるよりも、手が届く範囲に居てくれた方がいざという時には動きやすい。
「ふえっ!?え、あのそれって……。は、はい。よろしくお願いします……」
いやいや、そこで赤くなられると非常にやり難いというか、別方面の精神力がゴリゴリと削られてしまうのですが!?
……まあ、一緒に居てくれとか告白じみた台詞ではあるよな。とはいえ、いくら俺でもこんな状況下でプロポーズをする程、ぶっ飛んだおかしな思考回路は持っていないつもりなのだが。
おっと、時間が経過するごとにあちらの状況は悪くなっている。行動を開始するなら急ぐべきだろう。
「さて、行きましょうか」
立ち上がった途端、多くの人間から注目されたことを実感した。まるで店中の人間の視線が集まってきたかのようである。
これまでは無関心無関係を装っていた連中も、ついに好奇心を抑えきれなくなったというところか。
余談だが集まった視線の割合は俺が三、シシル嬢が七といった具合だった。これは店内の客層が男性、とりわけ中年に集中していたことが大きい。
仮に俺が同じ立場だったとすれば、連れの男の方など見向きもしないで、美人で綺麗なお姉さんであるシシル嬢の方を見てしまったことだろう。
ダメだな。面倒だと思ってしまっているからか、ついつい思考が横道へと逸れがちになってしまう。
油断していると思わぬ所で躓く危険があるので、気を引き締めなくては。
「あ、お代はいくらくらい置いておけばいいんだ?」
そう思った次の瞬間には、さっそく見つけた横道へと全力疾走してしまう。
ただ今回は下手をすると無銭飲食となってしまったため大目に見て頂きたいところだ。とりあえず迷惑料込みで金貨の一枚でも置いておけば良いだろう。
静かになった店内にコトッとコイン置く音が響き渡る。期せずして支払いを済ませたことを強調することになってしまったが、まあいいか。
後から気が付いたことだが、ここでさりげなくエスコートの一つでもできていれば、シシル嬢の中の俺の株を上げることに繋がったのかもしれないな。
紳士への道は険しく遠いぜ……。
闖入者たちとの距離が縮まっていくごとに空気が張り詰めていく。中には既に剣の柄に手をかけた者までいる始末だ。
荒事前提、暴力沙汰前提の交渉態度というのはいかがなものかと思う。
更にその行動は敵対する意思を持つとみなされ、反撃を許す絶好の口実ともなり得るのだが……。
身分を笠に着ているようであるし、そうした展開はついては考慮していないというか、想像すらしていないのだろう。
しかし見方を変えると、奴らの態度は事件を起こしても揉み消すことができるという連中の自信の表れでもあり、そうすることに躊躇はないという表明だとも取ることができる。
全くもって傲慢極まりなく、気に入らない。
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